第三部

「巴里に死す」「おはん」潮騒金閣寺砂の女

パニック点と線氷点竜馬がゆく岳物語


「巴里に死す」パリにしす

芹沢 光治良(せりざわ・こうじろう)昭和十七年発表

 私の古い友人で医博の宮村の令嬢の結婚式のあと、彼から一つの相談をもちかけられた。宮村は自分たち夫婦のパリ滞在時代に、いまは亡き伸子夫人が書き綴り、彼女が他界するとき「娘が成人したら読ませてほしい」と残していった未開封の分厚いノートがあるのだが、それを娘に読ませるべきかどうか、という相談であった。そのノートを開いて見ると、在りし日の伸子夫人がいかに宮村を愛し、彼の理想に近い女性になろうといかに努力したか、そして、宮村との愛の形見として病身でいかに苦労して娘を生んだかなどが、詳細に書かれていた。

 かつて伸子は宮村と結婚して間もなくパリへ旅立ったのだが、船がインド洋にさしかかった時、宮村は差出人が「青木鞠子」という女名前の手紙を海に拾てようとした。宮村は伸子と結婚する前に「自分にはかつてプラトニックな愛を捧げた女性がいた」と告白したが、その女性こそ「青木鞠子」であった。以来、伸子はいつも、この「鞠子」という女性のことがひっ掛かって苦しい思いをする。そして、伸子が妊娠した時、医師の宮村は彼女が肺結核である身を案じ、出産を思い止どまらせようとしたが、伸子にするとそれがあの「鞠子」を超える方法の一つであり、自分の身を失っても…との気持ちで娘を出産したのである。そして、彼女のたっての希望で、娘の名は「万里子」と命名された。彼女の意識の中には明らかに宮村の理想の女性の「鞠子」があったのだ。伸子は闘病生活にもかかわらず帰国を強行し、不帰の客となる。

 私はこの手記を万里子に見せることを勧める。その後、このノートを読んだ万里子から、母が一途に父にすがりつくように愛した態度は悲しいが、母のなろうとした女性になることがこれからの私のつとめであるという手紙を書き送ってきたのである。


 芹沢光治郎は国際人である。昭和十年、日本ペンクラブが設立されると、その運営のために外国をとびまわり、昭和四十〜四十九年、会長を務める。「巴里に死す」などは欧州で翻訳され、国際的に知られた。昭和三十二年にはノーベル文学賞の候補にもなった。

「おはん」

宇野 千代(うの・ちよ)昭和二十二〜三十二年発表

 「紺屋加納屋(こうやかのうや)」の倅「私」は、道楽めいた気楽さで通いの古手屋(ふるてや)をしている。七年前に暫く我慢してくれと女房のおはんを実家に帰し、初めて馴染んだ芸者屋のおかみのおかよと暮らしている。去年の夏おはんに遭った私は、恋しさが募り店の方に会いに来て欲しいと言うが現れない。一方おかよは、頼りない男に愛想尽かしもせず店から帰った私をいそいそと迎える。忘れかけていた半年後、隠れるようにしているおはんを見つけ、堪らなくなって抱きしめてしまう。それから二人は危険をおかして忍び逢う仲となる。

 ある日、「ゴム毯ないのん」と聞いて立ち去る子供が、我が子の悟(さとる)と知れると、私は俄かに情愛が押さえようもなく込みあげてきて、それからは親子揃って一つ竃の飯を食う夢を見、矢も盾も堪らずおはんと一緒に住む家を探し始める。一方おかよは、無尽講の満期の金で二人だけの小さな部屋を作る計画を立てて有頂天になっている。おはんとの約束の話をおかよに言えずにいるうち親子三人の生活が始まる運びとなる。その日は篠つく雨で、夜になり親類に使いに出した悟も帰れまいと、おはんは人が変わったように嬉しさを全身で表現した。短い夢から目覚めた私は途端におかよが恋しくなり、おはんの声を脊にして帰ってしまった。晴れ渡った翌日、新しい借家に出向いてみると、昨夜の豪雨で悟が川に落ちて死んだことを知らされる。悟の四十九日が過ぎて間もなく、私は仕合わせだった、申し訳ないことをしたあの人をいとしがって欲しい、風邪など引かぬように、という短い哀切な手紙を残しておはんは姿を消してしまう。理不尽なまでに身勝手な夫に恨み言ひとつ言わず、相手の女に憎しみも抱かない女。ダメ男が次第に父親としての愛に目覚める。講談か浪花節のようであるが、それが却って見事な作品に仕上がっている。


 宇野千代。明治三十年、。山口県岩国市川西町に父俊次、母トモの長女として生まれる。父は酒造業を営む素封家の次男で、放蕩の限りを尽くす。二歳で母を失う。岩国高等女学校を卒業し小学校の代用教員となる。大正五年従兄の学生藤村忠と同棲。以後各種の職業を転々とする。「脂粉の顔」で「時事新報」の懸賞一等に入選する。このころより不覇奔放の男性遍歴が始まる。尾崎士郎、東郷青児、北原武夫と同棲しその都度特異な作品を次々と発表する。昭和三十九年北原と離婚。「おはん」で野間文学賞受賞、昭和四十七年芸術院賞を受ける。

  めまぐるしい男性遍歴に好奇の目が注がれて、「よろめき」という流行語を生んだ。七十歳を過ぎてから風呂上がりの自分の裸体を鏡に映し、ボッチチェリーのビーナスに似ていると思い幸福感を味わうという。男との「別れも愉し」として気分転換に家を十三軒(それ以上?)建てる。

潮騒しおさい

三島由 紀夫(みしま・ゆきお)昭和二十九年発表

 作品の舞台「歌島」は、人口1400、周囲が一里に充たない小さな島である。「久保新治」は背の高い、美しい体の十八歳の漁師の若者である。ある日、新治は浜で目もとの涼しい少女に出会った。彼女は船主宮田照吉の末娘で、名前を「初江」と言った。照吉の一人息子が昨年早逝し、志摩へ養女に出した娘を呼び戻したのだ。四、五日した強風の日、新治は、旧陸軍の観的哨(かんてきしょう見張台)の廃屋で、道に迷った初江と会い、ことばを交わしたが、この村の島の青年会支部長の川本安夫が宮田家の入り婿になるという噂を耳にして心はまっくらになる。新治は初江にそんな噂は「大うそや」と言われ、つい唇を触れ合う。

 休漁の日、新治と初江は観的哨で待ち合わせた。嵐の日だった。先に着いた新治は、火を燃やして眠ってしまう。目を覚ますと、炎の向こうに、上半身あらわな初江がいた。美しい体だった。「その火を飛び越して来い」。新治は叫んだ。二人は裸でしっかり抱き合ったが、初江は「今はいかん。私、あんたの嫁さんになることは決めたもの」と言った。その帰途を灯台長の娘千代子が見てしまった。千代子からその事を聞いた安夫は、二人の悪い噂を村中にふりまいた。父親の照吉も怒り、娘に新治と会うことを禁じた。二人は、漁師仲間の龍二に仲介を頼んで手紙をとり交わして気持ちを通じ合っていた。

 新治の母は、島でいちばんの海女である。ある日、初江たちと鮑(あわび)取りをした母は、初江の清潔な乳房を見て、新治との悪い噂がでたらめだったことを確信する。鮑取り競争に一位となった初江は、賞品のハンドバッグを新治の母に手渡して父の無礼をわびるのである。

 そんなある日、照吉の所有船である「歌島丸」の船長の勧めで、新治は甲板見習となる。船には安夫も乗り組み、魚影を追って出港した。しかし沖縄の海で台風に巻込まれ、船とブイとを結ぶワイヤーが切れてしまう。新治はその強風下、船とブイを命綱で結びつける危険な作業をかって出て海に飛び込み、見事に成功させる。、島に帰ると、照吉は娘の婿をもう新治と決めていた。安夫と新治を同じ船に乗せたのも、どちらが見どころのある男か見極めるためであった。

 ある日、二人は灯台に登った。新治はこの小さな島が、彼らの幸福を守り、彼らの恋を成就させてくれたということを思うのだった。


 映画化された「潮騒」には、(1)谷口千吉監督。久保明・青山京子主演。(昭和二十九年)(2)森永健次郎監督。浜田光夫・吉永小百合主演。(昭和三十九年)(3)西河克己監督。三浦友和・山口百恵主演。(昭和五十年)(4)小谷承靖監督。鶴見辰吾・堀ちえみ主演。(昭和六十年)などの作品がある。

金閣寺きんかくじ

三島 由紀夫(みしま・ゆきお)昭和三十一年発表

 「私」は、日本海に突き出したうらさびしい岬の寺の子として生まれた。「私」は生来の吃音で、その為自分自身をうまく表現できず、疎外感に悩まされていた。体も弱く、何をやっても人に負けるので、ますます引っこみ思案になる。その分、豊かな空想を楽しんでもいた。幼いときから、父に金閣寺の美しさを聞かされ、見たこともない「金閣」を現実以上に親しく、偉大で美しい物ととらえていた。遠くの田んぼが日にきらめいているのを見るとそれを金閣の投影と思い、また峠に日が昇るのを見ては、山間の朝日の中に金閣がそびえているのを見ていた。

 しかし、父と共に訪れた「私」が見た実際の金閣は、思い描いていたものと全く違っていた。何の感勤も覚えなかった。金閣が、その美を偽り、何か別の物に化けているのではないかとまで思う程だった。やがて父が死に、金閣寺の徒弟となった「私」の前に金閣寺は別の美しさをもって迫ってきた。それはやがて金閣が空襲の火に焼け亡ぼされるだろうという幻想である。脆い肉体の「私」と同様、金閣の美も滅びる運命にあるという、同じ世界に住んでいる感覚は「私」を狂喜させた。しかしいつまでたっても京都には空襲はなかった。戦争は終わった。金閣ははかない悲壮的な美から屹立した堅固な美に変わっていた。金閣との関係を絶たれたと考えた「私」は絶望する。それからの「私」は現実の中でさまよい続ける。米兵の連れてきた娼婦の腹を踏ませられるという事件もあった。進学した大谷大学で知リ合った柏木の偽善の哲学を知り、暗い想念を育ててもいった。寺の老師との葛藤が深まり、それは「私」が後継者になること、金閣の支配者になる可能性が完全に失われたことだった。救われぬ思いの中で、不滅と思われている金閣を消滅できればこの世界は確実に変貌すると考え、「私」は金閣への放火を決意する。燃え上がった火の中で「私」は金閣の美に包まれて三階の部屋で死のうと思い付いたが鍵がかかっている。拒まれていると感じた「私」は逃げて、炎上を見ながら生きようと思った。


 この小説は昭和二十五年七月二日に起こった金閣寺放火事件が素材となっている。三島は、この事件を詳細に調べた上で、質の高い観念小説に昇華させた。ただ美に対する妬みから、その対象である「金閣寺」を自ら放火し炎上させた事実のみは、この小説の中でも生きているのである。

 生まれながら病弱であった三島は、ギリシャの「肉体と知性の均衡」に共鳴し、ボディ・ビルをはじめ、ボクシング、剣道と、自らの肉体を鍛える事にも、かなり力を入れていたという。三十三歳の時、画家杉山寧の長女瑤子と結婚する。媒酌人は川端康成であった。

砂の女 すなのおんな

安部 公房(あべ・こうぼう)昭和三十七年発表

 ある日、男は昆虫採集に出かけた。大きな木箱と水筒を肩から十文字にかけ、まるで山登りにでも行くようないでたちだ。しかしこの辺りに登るような山はなく、駅で出会った駅員も不審に思う。男はただ砂と虫に関心があるだけだった。新種の昆虫を発見し、半永久的に自分の名前が昆虫大図鑑に保存されることが、彼のささやかな夢となっているのだ。小さな集落を通り過ぎ砂丘の上を根気よく歩き回っていると、後ろから老人に話しかけられる。老人は男のことを県庁からの調査かと心配している様子だったが、彼が教師であると聞くと警戒を解いたようで、その日の宿を手配してくれるという。案内されたその家には、三○前後の小柄な女が一人で住んでいた。家屋は砂の中にうもれ、柱もゆがみ、畳はほとんど腐る一歩手前で異臭が漂っている。それも一日だけのことと思っていたのだが、翌日、昨夜おりた縄梯子が消えているのに気がつく。村人と女の暗黙の了解のうちに、自分が砂の穴にとり残された事実に愕然とし、女を責める。

 男はなんとかこの穴の中から脱出しようとあらゆろ方法をこころみるが、すべては失敗と終わる。一方女は砂の穴底の家を守りつづけ、男にかいがいしくつくす。そんな日々でも砂は容赦なく家にふりかかり、砂を掘る仕事は止められない。外の生活ぱかり求めてきた男だが次第に穴の生活に順応していく。初めのうちはどうしても新聞が読みたかったが「欠けて困る物など何一つ有りはしない」。それよりも繰り返される砂との闘いや、日課になった手仕事に、あるささやかな充足すら感じるようになっていた。そして偶然から、(希望)と名づけたカラスの罠が溜水装置となることを発見する。溜水装置の研究が、あらたに彼の日課に加わる。

 三月の終わり、女が妊娠した。町の病院に入院させるため、穴に縄梯子がおろされ、女は外に搬び出されるが、縄梯子はそのままに残される。突然ひらかれた自由への道。男は梯子を登って穴の外におり立つ。が、上から見下ろした穴の底で溜水装置がこわれているのが目に入ると、あわてて穴の底へひき返してしまう。「別にあわてて逃げだしたりする必要はないのだ。逃げるてだては、またその翌日にでも考えれぱいいことである。そう男は考えるのであった。

 そして七年後、家庭裁判所から男の「失踪に関する届出の催告」とその「審判」が下された。


 「砂の女」ば昭和三十九年に映画化された。監督は勅使河原宏。安倍公房自ら脚色している。カンヌ映画祭賞、サンフランシスコ映画祭外国映画部門銀賞、毎日映画コンクール日本映画賞、ブルーリボン作品賞などを受賞。また、この本は各国で翻訳され、アメリカ・フランス・ドイツ・ポーランド・イタリア等でも刊行されている。海外でも、はやくから認められた作家である。

パニック

開高 健(かいこう・たけし)昭和三十二年発表

 ある地方でササがいっせいに花ひらき実を結ぶという現象が見られた。県庁の山林課の職員「俊介」は、一年後の春に起こるであろう恐慌を予測する。ササの実はネズミの好物で食料さえあれば一年中子を産めるネズミは異常な勢いで繁殖し、冬ごもりで飢えたネズミの大群はこの地方一帯の山林を食い荒らすに違いない。そう考えた俊介は、研究課の学者や技術官たちの助言を借りて、被害の予想と綿密な対策書を書き上げ、上申書という形で直接局長に提出する。しかし平安に慣れた山林課では事態の深刻さが見通せず、また順序を無視した彼のやり方は官僚機構のメカニズムに合わなかったこともあって、結局彼の案は一蹴されてしまう。俊介は周囲の反発や軽蔑の中で孤立する。やがて春になり、俊介の予想は的中し、異常発生したネズミによって山林や田畑は無残な姿をさらけ出す。事態の重大さに慌てた山林裸では俊介にネズミと全面的に取り組むことを命ずる。俊介はあらゆる策を講じて走りまわるが、春の野にあふれた暗い力は彼の想像をはるかに超え、全く効果はなく事態は悪化する一方だった。さらに伝染病の噂も広がり、町全体は次第にパニックに陥っていく。大衆をデマに巻き込むことを防ぐべきだという局長は「終戦宣言」をし、鼠害を幻に仕立てようとする。そこへ終局が突然やってくる。人為の力ではどうすることもできなかったネズミたちが、突然移動を始めたのである。タクシーでネズミの群れを追いかけた研究課長と俊介は、ネズミたちが先を争って湖へ飛び込んでいくのを目にする。俊介はパニックの原動力が水中に消えるのを見つめながら、その皮肉な結末に、あるわびしさのまじった満足感を覚えるのだった。


 開高が寿屋に勤務することになったのは、既に寿屋に勤務していた妻牧羊子(まきようこ 詩人)の助力に負うところが大きい。開高作成の洋酒のコマ−シャルの文案を羊子がせっせと運び、佐治敬三に認められたがゆえの抜擢であった。その後寿屋に入社した開高はコピーライターとしてだけでも歴史に残る数々の名句を残している。二十九年から三十一年にかけて全国を歩き、トリスバー育成指導を行い洋酒党を激増させた。さらに「洋酒天国」を創刊し名編集長と讃えられた。

点と線てんとせん

松本清張(まつもと・せいちょう)昭和三十二〜三十三年発表

 「安田辰郎」は年の頃三十五、六歳、機械工具安田商会を経営している。彼は割烹料理「小雪」を接待に頻繁に利用していた。相手は仕事がら、役人ばかりであった。係の女性は「お時」であったが誰に対しても愛想がよかった。ある晩、安田は店の八重子ととみ子を食事に誘う。絶えず時計を気にしていた彼だが、突然二人に東京駅まで見送ってほしいと頼む。療養中の妻に会いに鎌倉に行くのだ。その時偶然にも、東京駅で三人はお時が一人の男性と一緒に汽車に乗り込むところを見かける。親しそうに話をしている二人に、声を掛けるのを憚れるので、そのまま見過ごすのだが、後日博多に近い駅香椎の海岸で二人は死体となって発見される。男性は役所の課長補佐「佐山憲一」。原因は青酸カリであった。二人並んで横たわっていたため情死と確認された。しかし、死体発見の時、現場に立ち合った刑事「鳥飼重太郎」は、その死因に不審を持ち、一人調べ始める。汚職問題もからみ、それらしく見える情死だが、食堂車で一人食事をしていた事実、そのうえ、九州に着いてからも佐山は一人で宿に泊まっていた。五日間も彼女は一人何をしていたのだろうか。東京から来た警部補「三原紀一」は、鳥飼の考えに共鳴し捜査を始める。東京駅の一三番ホームから一五番ホームにいる二人を見たという証言を疑った。一三番ホームから一五番ホームが見通せるのは一日の内で、わずか四分だけなのだ。三原はこの目撃に「偶然」よりも「作為」的なものを感じ、目撃者安田の身辺を洗い出す。しかし、安田の当日のアリバイは完璧だった。彼は当日北海道へ出張に出掛けていた。乗船客名簿に名前があり、「石田課長」と同じ列車に乗り合わせ、あいさつにも来ている。また札幌駅で仕事相手河西にも会っているのだった。このうえなく完壁なアリバイを三原は鳥飼刑事の助言もかり、一つ一つ、時刻表を駆使し、謎を解いていくのであった。


 松本清張の家は貧乏で高等小学校卒業後は家計を補助するため働かざるを得なかった。それは小学校の担任教師が家庭訪問にきた際、あまりにもすさまじい家の模様におどろき、それからは先生の方が気をつかい家の中に上がらなくなる程だった。朝日新聞社には十五年勤務したが、西部本社ではデザイナーとして活躍し、全国観光ポスターで、推薦賞に選ばれたこともある。

 昭和四年、「戦旗」等の所持で検挙され、この頃を「暗い半生」と振り返るが同時に社会的差別や貧困に対する憤りが後々彼の文学のバックボーンになった。

氷点ひょうてん

三浦 綾子(みうら・あやこ)昭和三十九年発表

 旭川市の辻口病院長辻口啓造と妻夏枝の間には徹とルリ子という二人の子供がいる。院長夫人の夏枝はその美貌故に男連から慕われているが、その一人辻口病院の眼科医、村井が夫の留守中に訪ねて来た。その間に三歳のルリ子は母が自分の相手をしてくれないのが不満で一人で外へ出てしまい、近くの林の中で出会った行きずりの男に殺されて翌朝死体で発見される。啓造は、村井と二人だけの時間を過ごしていたと思われる夏枝を疑い責める。ルリ子を失ったショックから精神病院に入院していた夏枝は快復して家に戻ると、女の子が欲しいと啓造に訴える。彼女自身は避妊手術で子供の生めない体になっていた。一方、啓造の親友高木が嘱託医をしている札幌の乳児院にルリ子殺しの犯人の娘が預けられていた。ある日、村井は夏枝を訪ね、彼女のうなじに、くちづけの跡を残してしまう。それに気付いた啓造は嫉妬と夏枝に対する復讐心から、犯人の娘を彼女に育てさせようと決心し、高木の所へ赤ん坊を引き取りに出掛けた。その申し出に高木はあきれて反対するが、「汝の敵を愛せよ」をモットーに生きて来た自分の意志を通したいという啓造の熱意に負けて、夏枝には絶対に知らせないと約束させた上で女の子を引き渡す。夏枝はその子を陽子と名付けルリ子にも増して可愛がって育てる。利発で素直な女の子として丈夫に育った陽子は七歳になっていたが、ある日夏枝は啓造の書きかけの手紙を読んで陽子が自分の娘を殺した男の実子である事を知ってしまう。陽子に対する夏枝の態度の変化に気付いた啓造がそれをたしなめた事から二人は大声でお互いをなじり合い、全てを徹が聞いてしまう。北大医学部に進んだ徹は、先輩の北原を陽子に紹介し、二人の間は親密になるが、それを妬んで間を割こうとした夏枝は遂に陽子の出生の秘密をばらす。陽子は「自分の中の罪の可能性を見出した私は生きる望みを失いました。私の氷点は(お前は罪人の子だ)という所にあったのです。父をゆるして下さい。」という遺書を残して、ルリ子が殺されていたという川原の雪の上で睡眠薬を飲んだ。実は陽子は犯人の子ではなかったのだが……。


 昭和三十九年度、「朝日新聞」が募集した小説への懸賞金が当時として異例の高額一千万円だった事もこの作品を有名にした一因になっている。

龍馬がゆくりょうまがゆく

司馬遼太郎(しば・りょうたろう)昭和三十七〜四十一年発表

  幕末土佐の風雲児坂本龍馬の動乱の歴史を疾り抜けた三十二年の短い生涯を描いた歴史小説五部作。

 高知の豪商才谷屋から郷士となった坂本八平の二男龍馬は生まれながら脊中いちめんに濃い産毛が生えていた。八平は「馬でもないのにたてがみがはえちょる。千里を往く駿馬になれ」と龍馬と名づけたが少年時代の龍馬は泣き虫の寝小便たれで、町の塾の教授にも見放される愚童であった。ただ一人姉乙女だけが龍馬の天稟(てんぴん)を信じていた。期待に違わず剣術修練を始めてからその技量も精神も大さく成長し、江戸へ出て桶町千葉道場の塾頭となり、桂小五郎、武市半平太らとともに剣名をうたわれるようになる。

 その剣客龍馬にペリー艦隊の来寇が彼を政治に開眼させた。彼は当時の憂国青年のように攘夷思想家になる。土佐では盟友武市半平太が土佐勤皇党を率いてクーデターを起こす。しかし、龍馬は組せず脱藩。江戸に出て幕臣勝海舟を識り海舟に心酔、その門に入り軍艦操練を学び、やがて神戸に海軍操練所を設立する。広く門戸を開いて流通による産業振興こそが、日本の自立の課題であり、幕府はおろか封建諸藩をも解体して統一日本を創ることに使命を感じる。この間、時代と政治局面は激動し、龍馬は遂に討幕を決意して、対立していた長州藩と薩摩藩を同盟させる。

 しかし、龍馬の思想は薩長の覇権のためのものではなく、議会制による新生日本の再生であった。そのため薩長にも幕府にもうとまれ、幕府の京都見廻組佐々木只三郎の率いる暗殺隊に襲われ見果てぬ夢のうちに三十二年の短い生涯を閉じる。


  新聞連載中、龍馬が「寝小便たれ(よばあたれ)」と書いた作者に、熱烈な龍馬崇拝者から「怪しからん」という抗議が出た。作者は姉乙女の手紙でその事実を示し、歴史の真実を説いた。この小説執筆のため、集めた貨車一台分の文献資料を読破したという説もある。

 岳物語がくものがたり

椎名 誠(しいな・まこと)昭和六十年発表

 著者の本には、旅行、キャンプなどアウトドアにまつわるエッセイが多いが、これは、父親椎名誠とその息子「岳」との友情の物語である。忙しい仕事の合い間をぬって話した会話や一緒に出かけた旅行など、ごく日常的な事が書かれているのだが、その中に父親の愛情、男と男の友情、子供の成長期の心情など、心あたたまる話がつづられている。父親の「男とは」と言う教えに知ってか知らずか、見事に応え成長する岳少年。少しずつ親離れしていく様子も、心強く、また少し悲しくさえ感じてしまうのだ。両親が山登りが好きだったので「岳」という名前になった彼は、保育園に通っているころから、同じクラスの友達と数々のいたずらを繰り返す。家の前の芋畑を掘りかえし、家中芋だらけにしたり、「ハゲ」と言われたからと、上級生をなぐってきたりする。そんな彼にもバレンタインデーには女の子たちからチョコが届く。そのたびに両親の心は揺れ動き、喜んだり、悲しんだりするのだ。岳少年も成長し、「つり」に没頭し始める。「おとう」に釣りに連れていってくれるようにせがみ、二人で旅行に行くのだが、海では彼の方が立場か上。全くどちらが親だか分からない、いっぱしの男になっている息子に、親ながらほれぽれするのだった。旅行に頻繁に出掛ける父親、椎名誠が、息子の成長を特に感じるのは、長い旅から戻って来た時の丘少年の迎え方である。玄関先に重い荷物を置くやいなや、部屋から飛ぴ出して来てしがみついてきていた彼が、少しずつ坊主頭を胸元にぐいと押しつけてくるだけになり、今はトレーナーのズボンのポケットに両手を突っ込んだままニヤリと笑い、「おとう、帰って来たのか」と言うのだ。


 幅広く活躍する椎名誠は〈ホネ・フィルム〉を設立し、本格的に映画界にデビューした。「ガクの冒険」から始まり、海・山・湖そしてモンゴルと、自然と人間のつながり、その重要性をさわやかに描いている。モンゴルでは「うみ・そら・さんごのいいつたえ」を上映し、海を見たことのない彼らに、すぱらしい感動を与えた。また海の表面だけでなく、実際に生き生きと躍動している海中が映し出されるスクリーンに彼らはくぎづけになった。

 

 明治書院企画編集部編参考 

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