第四部

走れメロス天の夕顔楢山節考恍惚の人驟雨(しゅうう)

青い山脈春琴抄山椒魚火垂るの墓不如帰ほととぎす)


「走れメロス」

太宰 治(だざい・おさむ)(昭和一五年発表)

 村の牧人メロスは妹と二人平和に暮していた。ある日、近々結婚式を挙げる妹のために町へ買物に出かけた。町へ出るとなんとなく活気がなく、人々の表情も暗く感じられた。わけを聞くと、猜疑心の強い王が人を殺すのだという。メロスは単純な男であった。王を殺そうと思い城に乗り込んだが、逆につかまって、死刑を宣せられてしまった。メロスは王に「私は命乞いなど決してしない。ただ、たった一人の妹に結婚式を挙げさせてやりたい。処刑までに三日の日限がほしい。私は必ずここに帰ってくる」「もし信じられないなら、この町にセリメンティウスという石工がいます。無二の親友です。彼を人質に置いていこう。約束の時間までに私が帰ってこなかったら、彼を殺してもいい。」王はほくそ笑んで三日の日限を承諾した。石工が城に呼び出された。メロスは一切を話した。石工は無言でうなずき、メロスをひしと抱きしめた。

 メロスは村に帰り、妹の結婚式を盛大に挙げた。眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。約束の刻限までには十分時間がある。メロスは野を越え、森を抜けて雨の中も走りつづけた。私は今宵殺される。殺されるために走るのだ。川が氾濫して濁流となり踊り狂っている。メロスはざんぶと流れに飛び込み、なんとか渡り着いた。陽はすでに西に傾きかけている。突然、山賊に襲われる。三人の賊をたおしてメロスは力が抜けた。立ち上がれない。約束を破る心はみじんもない。動けなくなるまで走って来たのだ。王は私に「ちょっとおくれて来い」と耳うちした。遅れたら私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども今は、王のいうままになろうとしている。私は永遠に裏切り者だ。四肢を投げ出し、うとうととまどろんでしまう。

 ふと水の流れる音を聞いた。一口飲んで夢から覚めた。歩ける。私は友の信頼に報いねばならぬ。いまはただその一事だ。走れ!・メロス。

 陽が沈む。いやまだ沈まぬ。セリメンティウスの弟子フィロストラトスがメロスを止める。

「もう駄目でございます。あの方はさんざん王様にからかわれても、メロスは来ますと平気でした。」「それだから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではない。私は、もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ」メロスは走った。まさに最後の一片の残光も消えようとした時、メロスは到着した。メロスは途中で一度だけ悪い夢をみたことを、セリメンティウスは三日の間一度だけちらと疑ったことを告白し、殴り合ってから抱擁した。二人の姿を見て、王は「信実とは決して空虚な妄想ではなかった」と、二人の仲間にしてくれるよう申し出るのであった。


 この作品の素材は、ドイツの詩人シラーの「Burgschaft」「担保」「人質」 である。 一

天の夕顔」てんのゆうがお

中河与一 (なかがわ・よいち )   (昭和一三年発表)

 全編は六章に分かれ、「龍口」(たつのくち)という男の独白体でストーリーは進んでいく。

 主人公の龍口は京都の大学に通っていたころ、下宿先の娘である 「あき子」 と知り合う。彼女は七つも年上の女性ですでに夫と子もあるが、その夫は仕事の関係で外国に行ったままである。

 あき子の母が亡くなり、お通夜、葬式、四十九日の法事と付き合っているうちに、二人は互いにそこはかとない思いを感じ始める。そして、いつしか手紙のやりとりが始まる。

 あるとき、あき子が彼を訪ねて来て、「あなたとは、もうこれきりで別れたい」 と告げて帰ったが、その翌朝には「あなたに対して、情熱をそそいで愛していた」という手紙が届く。龍口はじっとしておれず、彼女の住まいを訪ねた。そして、これまで彼が彼女に当てて送った手紙の束を見せられると、彼は彼女の目の前でそれを全て破り捨てた。それから二年、音信不通が続く。

が、龍口の父の死を悼む手紙が彼女から届いたことがきっかけで、また交流が始まる。抱き合って、互いに名前を呼び合うだけの、モラルと情熱との葛藤に苦しみつつ、姉弟のような関係に踏みとどまって日を送る。その後、彼女は女の悲しい思いを綴った手紙を残すと、ふいと姿を消してしまった。二度目の拒絶だった。

 それからかなりの年月が過ぎ、龍口は富士山麓の測候所の職員となり、別の女性と結婚するが、あき子への思いが跡を引き、その女性とは破局を迎える。そして、偶然、龍口はあき子との再会を東京で果たす。思慕の念を絶ち難く、あき子を求めたが、拒絶され、煩悶の末、世捨て人のような生活に入る。数年後、飛騨山中で孤独な一冬を過ごした彼は、いまは未亡人となったあき子を再訪し、五年後に会う約束を得る。しかし、愛が報われると思われた再会の前日に、あき子はひっそり他界したのである。二三年もの間、一人の女性を愛し続け、遂に「逢えなかった」あわれな男、龍口は、「あの人が曽て摘んだ夕顔の花を、青く暗い夜空に向って華やかな花火として打ちあげ」 て、天国のあき子に自分の心を届けようと思うのである。


 発表当時、文壇は無視したが、永井荷風が激賞し、ベストセラーとなり、戦中から戦後にかけて四五万部を売った。英独仏中訳があり、世界中で親しまれ、アルベール・カミュも讃辞を寄せている。

「楢山節考」 ならやまぶしこう

深沢七郎 ふかざわ・しちろう   (昭和三年発表)

 この作品は民間伝承として広く知られる棄老(姥捨)伝説をテーマとしたもので、「おりん」という七〇歳をむかえる老婆が主人公である。普通姥捨といえば拒み、いやがられるものであるが、主人公の「おりん」婆さんはすすんで捨てられようとする型破りの女である。

「山と山が連っていて、どこまでも山ばかりである。この信州の山々の間にある村−向う村のはずれにおりんの家はあった。」と書き出される。「おりん」が嫁に来たのは五〇年も前のことで、亭主は二〇年も前に死んで、一人息子の辰平は去年山の事故で妻をなくし、後に残された四人の孫と一緒に住んでいる。来年は七〇で楢山まいりに行く年であり、息子辰平の後妻が早くきまってくれればよいと気が気ではない。そんなある日、辰平の嫁がきまったという知らせを「おりん」は受け取った。

 もはや「おりん」には思い残すことがない。楢山まいりに行く気構えは出来ており、行くときの振舞酒も、山へ行って坐る筵もすでに準備出来ていた。が、もう一つすませなければならないことがある。まだ一本も抜けていない丈夫な歯を叩いて欠かすことである。「おりん」は誰も見ていないすきに前歯を火打石で叩いた。隣の銭屋の老父又やんも今年七〇であるが、又やん自身が因果な奴なので山へ行く気がないと見ぬいて、馬鹿な奴だ!と思う。「おりん」は七〇になった正月にはすぐ行くつもりである。「おれが山へ行くときゃァきっと雪が降るぞ」と「おりん」は言い、正月前のある晩「明日楢山まいりに行く」と辰平に告げた。お山へ行ったら物を云わぬこと、家を出るときは誰にも見られないように出ること、山から帰る時は必ずうしろをふり向かぬこと、これが楢山まいりの掟であった。辰平は「おりん」を背負い山に入る。


 深沢七郎に小説をすすめたのは日劇ミュージックホール演出家丸尾長顕であったが、開高健は「楢山節考」を読み「正常人ならどう逆立ちしても書けないような、ちょっと名状しがたい味、或る欠落からくる味、奇っ怪なるユーモアがあって、ウソともマコトとも判別しかねるキチガイぶり」と称した。文壇からの隔離性、反近代主義、アンチ・ヒューマニズムがかもし出した論議である。

「恍惚の人」こうこつのひと 

有吉佐和子 ありよし・さわこ   (昭和四七年発表)

 立花昭子結婚後も共働きを続けている。離れには夫信利の両親が住んでいる。舅の茂造が昭子をさんざんいびったため、姑も信利も見かねて別居したのである。雪の散らつく年の暮れの夕方、昭子は茂造と出会って家に帰り、しばらくして姑が脳出血で死亡しているのに気が付く。葬儀の間も茂造は事態をのみこめず、専ら食欲のみ盛んである。別居して交流が薄くなった間に、茂造の耄碌(もうろく)は相当に進んでいたのである。今は、自分の世話をしてくれる昭子のみ認識できる。茂造の生括はいっさい昭子の肩にかかってくる。

徘徊、排泄の問題、妄想など、ボケ特有の症状はいよいよ顕著になる。大学受験を控えた息子の敏は協力的だが、夫の信利は、実の父親の姿に自分の老後を見るようでいやがり、介護に参加しようとしない。

 息子の敏に老人ホームに入れたらと言われた昭子は相談に行き、勧められて敬老会館を訪れ、そこで九〇歳の老人が目の前で静かに死んでゆくのをみる。老人たちは冷静に淡々と死を受け容れていた。信利が会社の診療所で鎮静剤を処方してもらうと、それが効いて茂造は夜起きなくなる。昼は「夢と現実の境界にある恍惚の世界に魂を浮かべ」ているようであった。また、徘徊して歩いては、一一〇番の世話になる。

 ある時、入浴の世話をしているとき、急な電話で中座して茂造を湯の中で溺れさせる。その後肺炎になり、重体を脱したとき昭子の心は変わる。「よし今日からは茂造を生かせるだけ生かしてやろう。誰でもない、それは私のやれることだ。」その頃から茂造は無心の笑顔を見せるようになった。衰弱も加わり、明日入院をするという前日、静かに息を引き取る。


 この作品は、人間が避けて通れない「老い」をいかに人間らしく迎え、送るかをあらゆる世代に問いかける先駆的アピールとなった。なお作者は「私はぽろぽろになっても生きてやろうと思います。耄碌してはた迷惑をかけても私は生きてやろうと思います。」 (『老いについて考える』) と言った。

「驟雨」しゅぅう 

吉行淳之介  よしゆき・じゆんのすけ    (昭和二九年発表)

 

 大学卒業後、汽船会社に勤めて三年の「山村英夫」は、遊戯の段階からはみ出しそうな女性関係には巻き込まれまいと心に堅く鎧(よろい)を着けて生きている。彼は、人を愛することは自分の分身を一つ持つことになり、わずらわしさが倍になることだと思っている。それゆえ彼が好んで歩くのは娼婦の町であった。それが彼の「精神の衛生」に適っていたのだが、道子という娼婦との出会いによって、彼の精神の均衡は微妙に崩れ始める。道子になじむにつれ、道子の態度や言葉が彼の心を不安定なものにしていく。彼は女をもう一度はっきりと娼婦の位置に置くことによって不快さを解消しょうとするが、逆に苛立たしさは募っていくばかりであった。ある朝。道子の部屋に捨て置かれた安全剃刀の刃から立ち昇るさまざまな男の影像が、彼を激しく動揺させる。彼はなんとか平静を取り戻そうとし、駅までの途中の喫茶店で、わざと道子を朝日の中に座らせることによって「娼婦の貌」を浮かび上がらせようと企む。しかしそこで彼が見たものは、一本の贋アカシヤから夥しく散る「緑色の驟雨」であった。その夜、同僚の結婚式に出席した後道子を訪れた彼は、そこに別の客が来ているのを知る。彼は自分の中に湧き上がる嫉妬の情を鮮明に意識する。彼は娼婦相手に嫉妬を起こすことのばかばかしさを、理性ではわかっていながら、それを打ち消すことができない。彼はその感情をなるべく器用に処理しようと試みる。「嫉妬を飼い馴らして友達にすれば、それは色ごとにとってこの上ない刺激物になるではないか」。 しかし結局果たすことができず、彼は不快さの中で、「精神の衛生」を保とうとする自分の姿勢に破局が訪れたことを意識する。


 昭和二七年、二八年と続けて芥川賞候補となっていた吉行淳之介は、翌二九年にこの作品で芥川賞を受賞する。だがこの時吉行は肺結核を病み、左肺区域切除の手術を受けて清瀬病院に入院中であった。予後が思わしくなく、受賞式にも欠席しているが、これをきっかけに文筆で生計を立てることを決心した。その後も喘息や鬱病どの病気を飼い馴らすようにして生きるが、彼の文学にそういう意味での悲愴感はない。彼独特のダンディズムと芯の強さのなせるわざであろう。

「青い山脈」あおいさんみやく

      石坂洋次郎 いしざか・ようじろう     (昭和二二年)

 

 六月のある日曜日、金物屋の息子で浪人中の「金谷六助」が店番中、米を売りにきた娘がいた。彼女は女学校五年生の「寺沢新子」で、なかなかの美人だし健康そうだ。六助は、米を全部買いとって米を炊いてもらい、一緒に仲良く昼食をとった。

 ある日、新子のもとに「恋しい」を「変しい」と書くような誤字だらけの幼稚なラブレターが届いた。彼女はそれを若い英語の教師「島崎雪子」に見せる。このラブレターが、いたずらと知っていたからだ。民主主義社会になったはずの戦後なのに、東北の封建的な町のこの女学校には「生徒宛ての手紙の検閲制度」が残り雪子はその制度を廃止させた新しい考え方の先生だった。

 だから、雪子は最初、そんな生徒の手紙は読む気はなかったが、それが1学校のために」という名目で、新子の行動を試す意図があることを知り、仕方なくそれを読んで対策に乗り出した。

 男子学生と交際したこともない他の女学生が、新子への嫉妬からこんな手紙を送ってきたに違いないと新子は雪子に説明した。手紙を預かった雪子は、筆跡から「松山浅子」が書いたと判断、次の日の授業でニセ手紙の件を取り上げ、「学校のためなどという名目で、人を試すのは下品な方法で間違いだ」と指摘する。ところが、松山をはじめとするグループは、島崎先生が生徒を侮辱したとして謝罪を要求。雪子は、校長から興奮する生徒を静めるため釈明してほしいと説得されるが、断固拒否して、逆に男女の健全交際禁止などは戦前的な悪風習で改善すべきだと主張する。学校での雪子と新子の立場はまずくなったが、そんな二人の強い味方になってくれたのが、金谷六助、友人の通称ガンちゃん、校医をしている「沼田医師」らであった。

 このニセ手紙事件は地元の新聞にも取り上げられ、理事会では激しい論議になったが、投票の結果、意外にも圧倒的多数で島崎先生が正しいとなった。生徒たちの島崎先生を排斥する声は小さくなった。雪子は主謀者たちをひねくれさせないこと、新子と松山のわだかまりを解くことが、新しい課題になったが、それもうまくいって事件は一件落着となった。

 秋のある夜、雪子は沼田医師からの求婚を承諾する。六助と新子の将来も明るいようである。


 この「青い山脈」は、作中に戦後まもなくの周俗をふんだんに採り入れ、著者初の新聞小説として大評判をとった。そして単行本になると、小説としては戦後最初のベストセラーとなり、今井正監督で映画化されるとその主題歌も大ヒットした。現在も代表的青春歌となっている。作者は出世作「若い人」以来、発表した青春物語の中で、地域社会に共通する古い因習や封建的思考や行動の打破を呼びかけ、読者の支持を受けたのである。

「春琴抄」しゅんきんしょう    

谷崎潤一郎 たにざき・じゅんいちろう  (昭和八年発表)

 この物語の主人公「春琴」こと「もずや琴」は、盲目で美しい琴三絃の師匠である。彼女は大阪道修町(どしようまち)の薬種商の娘として何不自由なく育ったが、九歳のとき眼病を患って失明。それからは琴三絃の道に励んで技と芸を磨き、いまや春松検校の門下ではその右に出る者がいなかった。 四歳年上の奉公人「佐助」は、初めは女主人の手を引いて歩くお供に過ぎなかったが、やがて春琴に弟子入りして三味線の手ほどきを受けるようになる。彼女の稽古は厳しく、罵声をあびせながら「ばち」で佐助の頭を殴りつけるという嗜虐的とも思えるもので、佐助は思わず泣くことさえあつたが稽古を中断することがなかった。そんな佐助をみて春琴の両親は彼を娘の婿にと考えるが、春琴はなぜか承知しない。それなのに春琴が一七歳になったとき、彼女は佐助そっくりの男子を出産したのである。しかし、春琴も佐助も佐助の子であることを否定し、その子は里子に出された。そして、師弟とも夫婦ともつかない関係のまま、春琴と佐助は独立した一戸建ての家に住み、亡き師匠の流派の看板を掲げて「琴三絃教授」の仕事をはじめた。

 春琴はそれでも佐助と夫婦に見られることを嫌い、彼女は「佐助」と呼び捨て、佐助のほうは「お師匠様」と呼んだ。彼女の美貌を目当てに稽古にくる者もあったが、その稽古は厳格で容赦がなかった。春琴は他人から遺恨を受けるようになり、ある時、忍び込んだ何者かによって煮え湯を浴びせられ、顔面に大火傷を負うという事件が起こる。

 佐助は、醜く変わり果てた春琴の顔を見ないためにと針で突いて眼をつぶし、自分も盲目の身になってしまう。そして、こう言う。「私にはお師匠様のお変りなされたお姿は見えませぬ今も見えておりますのは三十年来眼の底に泌みついたあのなつかしいお顔ばかりでござります」。春琴は初めて佐助の愛情を体感し、ひしと抱き合うのである。佐助は春琴が死ぬまで献身し続けた。


 谷崎は、初期以来、男性が近寄りがたい女性に、奉仕、服従し、ひざまずくというマゾヒズムの感覚を描き続けている。この「春琴抄」も、夫婦同然でありながら、佐助は「お師匠様」と呼び、春琴は「佐助」と呼び捨てにする関係に、美しく強い女性と、その魅力の前にひたすら仕える男性という像が完壁に描き尽くされている。

       「山椒魚」さんしよううお

井伏鱒二  いぶせ・ますじ    (昭和四年発表)

   ある日、山椒魚は、岩屋から外に出てみようとしたが、頭が出口につかえて外に出ることができなかった。二年間で彼の体が発育してしまったのだ。その事にすら彼は気がついていなかった。山椒魚は悲しんだ。彼は岩屋の出入り口から外の光景を眺める。流れの淀みには藻がはえ、その間には目高が群れをつくって、皆同じ方向に泳いでいた。それを眺めながら山椒魚は彼らの不自由さをあざけ笑っていた。ある夜、一びきの小蝦が岩屋のなかにまぎれこんできて、山椒魚を岩石とまちがえてとびついた。卵を産みつけるか、物思いに耽っているらしい。それを見た山椒魚はくったくするのは莫迦だと思い、自分はどうしても外に出なくてはならないと決心する。彼は全身の力で出口に突進するのだが、穴につっかえ、コロップの栓をつめるような結果に終わった。彼は幽閉されているその身を嘆き、深い孤独に陥っていった。絶望した山椒魚はよくない性質を帯びてきて、ある日のこと、彼はだれかを自分と同じ状態に置こうと考え、一びきの蛙を岩屋の外に出られないようにする。彼らは罵りあい、意地を張り合い、一年がたち、さらに一年が過ぎた。初夏が来て水がぬるんでも、もう彼らはお互い黙り込んだままだった。彼らに残されたものは、ため息だけだった。相手に聞こえないように注意していたのだが、山椒魚よりも先に蛙がため息をついてしまう。それを聞いた山椒魚は友情を込めて話しかけるのだった。

「もうそこから降りて来てもよろしい」空腹で動けなくなった蛙は答えた。「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」

                      

 「山椒魚」は、短編小説として、完壁な完結性を持っていると認識されてきた。ところが、昭和六〇年、八八歳の井伏鱒二は、『井伏鱒二自選全集』の刊行にあたり、末尾の山椒魚と蛙の和解の部分を削除してしまった。このことは、多くの愛読者たちをとまどわせることになり、論議がまきおこった。井伏も亡くなってしまった今、その意図は、永久の謎になってしまったが、この結末は、原型となった「幽閉」にもどしてしまったとも考えられる。「幽閉」では、山椒魚がひとり閉じこめられたまま、「寒いほど淋しい」孤独な状態で終わっている。

「火垂るの墓」ほたるのはか

野坂昭如 のさか.あきゆき  (昭和四二年発表)

 昭和二〇年、三宮駅構内のコンクリートむき出しの柱の回りには、浮浪児がすわりこんでいる。彼らが駅に集まるのは、入ることを許されるただ一つの場所であり、人込みがあり、また水が飲めるからだったのだろうか。九月ニー日の深夜、ここで清太は死んだ。腹巻きの中の小さなドロップ缶には、妹、節子の骨が入っていた。節子は、八月二二日、防空壕の中で死んだのだ。神戸の空襲で家を焼け出され母を失った一四歳の清太と四歳の妹節子の死であった。

 六月五日、神戸はB29による空襲を受け、ことごとく焼き払われた。母は、上半身、両手を包帯でぐるぐる巻きにされ、目、鼻、口の部分だけが開いている状態で横たわっていた。昏睡状態で呼吸は不規則の重態である。彼女は次の日の夕刻、病院に運ぶまでもなく火傷による衰弱のため、御影国民学校で息をひきとった。次の日から兄妹二人の生活が始まった。母のかたみの着物もお米にかわっていく。清太は着物を見ながら、美しく授業参観日の時自慢だった母を思い出すのだった。世話になっている西宮の親戚も、最初は食糧もあり、力仕事もできる清太をありがたがったが、それも底をついてくると 「東京にも親戚がいるのなら連絡をとれば」 と冷たい。長居もできず、横穴にわらを敷き生活する事にする。真っ暗な蚊帳の中に蛍を百余り入れ明かりとりにした。お互いの顔こそ見えないが、その蛍のゆるやかな動きに心がおちつき、眠りに入るのだった。七月末、節子が疥癬にかかる。清太は家庭菜園や農家から野菜を盗み節子に食べさせる。医者に見せても薬ももらえず、「滋養をつける事」 と言われるが、タマゴも牛肉も米も、今やすべて高嶺の花である。八月二二日昼、節子は死んだ。火葬場は満員で、清太は一人山に登り節子を焼いた。その後、骨を集め山をおりたが、そのまま壕にはもどらなかった。清太が三宮駅構内で野垂れ死にしたのはそれから一か月後であった。彼の骨は他にあった三〇人の浮浪児のものと一緒に無縁仏として納骨堂へおさめられた。


 舞台となっている神戸は、一九九五年一月に起こった阪神大震災により壊滅的な被害をうけた。三宮駅も地震の影響を甚だしくうけ、ホームは倒壊し、一時閉鎖された。しかし、話の中で清太が死んだとされるコンクリートの柱は無事その姿を残している。

「不如帰」ほととぎす

 徳富蘆花 とくとみ・ろか    (明治三一・三二年発表)

  陸軍中将で子爵の片岡毅の長女「浪子」は陸軍少尉で男爵の「川島武男」と結婚して、当初は仲むつまじい新婚生活を暮らしていた。 しかし、武男の母お鹿は何かにつけて浪子に辛く当たるようになり、武男が長い遠洋航海に出たあと、浪子が肺結核にかかったことを知ると、さらに、厳しくなる。そして、武男が航海から帰ると、お鹿はこれを機に離婚せよと息子に迫るのだが、武男は頑として聞き入れない。

 折から日清戦争が激化して、武男は心残りのまま軍艦で大陸に向けて出帆して行ったが、一族の繁栄と栄達を願うお鹿は、ここぞとばかりに浪子に辛くあたり、とうとう息子の留守中に浪子を実家に帰してしまったのである。そして、武男が戦地からやっと帰ってきたときには、川島の家の中に浪子の姿はもうなかった。二人は無理やり離婚させられてしまっていたのである。

 川島武男は母を激しく叱りつけたが、あとの祭りであった。武男は戦死を覚悟で軍艦に戻ったが、間もなく負傷して内地に搬送されてきた。そして、武男が海軍病院に入院しているとき、差し出し人不明の見舞い品を受け取ったが、武男はその筆跡から浪子からのものであることをすぐ理解したのである。

 戦争に勝って凱旋した片岡中将は、病気がいくらかよくなった娘の浪子を伴って、近畿地方への保養の旅に出た。ところが、なんという偶然であろうか、関西本線の列車が京都の山科駅ですれちがうとき、浪子は窓の向こうに武男の姿を見つけたのである。そして、思いあまって自分のハンケチを投げかけたが、これが二人の最後の別れとなってしまった。

 やがて浪子は家族にみとられつつ、「ああ辛い! 辛い! もう決して女なんぞに生まれはしませんよ! 苦しい……」と叫びながら、息絶えてしまった。そして、浪子の墓前で父の片岡中将と武男とが再会するところで、この悲しい物語は終わりとなる。


 これは一種のモデル小説で、素材になったのは、大山巌元帥の長女信子と子爵の三島弥太郎とにまつわる実話であった。純粋な夫婦愛と前近代的な「家」とのしがらみ、「嫁と姑」の問題など、一見通俗的な話の運びだが、浪子の最期の言葉に当時の古い封建的な家族制度の矛盾や不合理に対する蘆花の痛烈な批判がこめられている。

 明治書院企画編集部編参考 

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