京都から湖畔の宿へ

2007年/1月・神須屋亭主人


2007年のはじまり

 2007年になりました。今年の正月は母の喪中ですので、初詣をせずに家で
静かに過ごす予定でしたが、12月にまんじろーに死なれて、正月を二人だけで
家で過ごすのは淋しいなという事になりました。どこか温泉へでも行くかという
ことで、家内が探してきたのが滋賀県の雄琴温泉でした。というわけで、今年の
「神須屋通信」は湖畔の宿からのスタートです。今年も「神須屋通信」のご愛読
の程よろしくお願いします。

小雨の京都

 元日は近所の兄の家に年始に行った。今年は、兄も独りぽっちの正月である。
天皇杯サッカーの中継などを一緒に見たが、あまり間が持たないので、昨年生ま
れた初孫のお宮参りの写真を見せてもらって、早々にひき上げてきた。雄琴温泉
に向かったのは翌2日のことである。

 新春恒例の箱根駅伝の放送を見ながら簡単な朝食を済ませ、自転車て家を出た。
東岸和田駅からJRでまず京都へ向かった。着いてすぐ、京都駅の構内にある「お
ばんざい」の店で昼食の予約をした。正月のことだから、どこも満席で待たされ
ることを恐れたのだが、心配することはなかったようである。しばらく伊勢丹で
時間つぶしをしたあと、開店とともに入ったのだが、席には少し余裕があった。
支払いをした家内によると、正月料金だったという。いつもの倍くらいしたそう
である。お節風の小綺麗な前菜が付いていたが、それで倍はないだろう。ま、正
月だから仕方ないか。早めに腹ごしらえをしたところで行動開始。特に目当ての
場所はなかったが、新春の京都の風情をたっぷり味わうつもりだった。結局、半
日のあいだ、ずっと歩き回ることになった。

 地下鉄の五条駅から五条坂を上り、清水寺の前まで出た。あいにくの小雨模様
であったが、傘をさすほどではなかった。清水さんには参拝せず、そのまま産寧
坂を下った。大変な人出である。関西以外から来た観光客も多いようだ。いつも
なら、二年坂から「ねねの道」を経て、円山公園の方に向かうのだが、この日は
祇園の塔の方角に向かった。その辺りに電線を地下埋設した道があり、そこから
見る塔が絵になると聞いていたのである。おかげで、「文の助茶屋」を見つけた。
以前、「ねねの道」にあった頃は贔屓にしていた甘味処だが、どこへ引っ越した
のか分からなかったのだ。やっと巡り会った。というわけで、ここで休憩。僕は
抹茶とわらびもちを食べた。懐かしかった。

今年は大吉

 「文の助茶屋」で一服したあと、「ねねの道」へ戻った。ねねの寺である高台
寺は改修工事中のようだったが、清水寺と円山公園をつなぐこの道にはいつもの
ように観光客が溢れていた。広々して電柱電線もなく石畳のこの道は、いつ歩い
ても気持ちがよい。京都に電線電柱は似合わない。この道を歩くたびにそう思う。
僕たちは、円山公園を経て八坂神社へ入った。

 実は、喪中には初詣をしてはいけないという理由ははっきりとは知らないのだ
が、なんとなくそういう慣習なのだろうと思って参拝はしなかった。お賽銭もあ
げなかった。でも、おみくじだけはちゃんと引いた。昨年は大阪の住吉大社で凶
をひいている。結果的に、昨年は不幸や凶事が続いた。さて、今年はどうだろう
か。信じるわけではないが、気にならないこともない。で、ひいた籤は大吉だっ
た。正直ほっとした。今年は良い年になるといいね。

 

 八坂神社を出て四条通りに出た。この道は、正月でなくても、いつも賑わって
いる。クラフトセンターを見物した後、花見小路をぶらついた。歌舞練場に行っ
たが閉まっていた。当然、舞妓さんの姿はない、稽古初めはまだ先だ。そろそろ
京都駅に戻ってもよかったのだが、まだ時間があったので、先斗町を歩くことに
した。幕末から有名な小料理屋などが両側に立ち並ぶ風情のある狭い小路だが、
昼間は閉まっている店も多かった。それでも、結局は三条通りまで歩いてしまっ
た。ついでだからと、烏丸御池まで歩き、そこから地下鉄に乗って京都駅に戻っ
た。あとで地図で確かめたら、ずいぶん長い距離を歩いたことになる。でも、あ
まり疲れは感じなかった。

湖畔の宿へ

 京都駅から湖西線に乗って雄琴駅で下車した。さて、ホテルまで歩こうかと相
談している時に、家内が駅前のロータリーに送迎のマイクロバスが待機している
のを見つけた。我々二人だけの客を乗せて、バスは「琵琶湖グランドホテル」へ
向けて出発した。10分もかからず、バスはホテルに着いた。ホテルは琵琶湖の
湖畔にあった。

 初めてのホテルは、想像していたより立派な建物だった。ロビーも広い。「京
近江」という旅館と施設を共有しているようだ。「京近江」の方が高級らしい。
「琵琶湖グランドホテル」は主に団体客向けのようだった。僕たちの前に受付を
していたのは、韓国から来たらしい団体だった。僕たちが案内された部屋は、二
人で使用するには贅沢すぎるくらい広くて気持ちの良い部屋だったが、琵琶湖は
ほんの少しベランダから覗ける程度だった。琵琶湖の景観を楽しむためには「京
近江」に泊まるべきだったのだろう。でも、景色を見にきたわけではないから、
これで十分だった。大きなガラス窓のある大浴場や露天風呂は琵琶湖に面してい
て、朝になれば、琵琶湖の景色を堪能することが出来たのだから。

ホテルでは、正月らしく、「子供もちつき大会」や「家族ビンゴ大会」などの
催しが夜にひらかれていたが、やっぱり疲れていたのだろう。たっぷりの御馳
走を食べ、温泉にゆっくり浸かった我々は、その夜は、ぐっすりと眠った。

浜大津からイノシシ神社へ

 翌朝は朝風呂に入って、静かな琵琶湖の朝をゆっくり楽しんだ。そして朝食後
さっそく出発。また、マイクロバスで駅まで送ってもらった。西大津駅で京阪電
車に乗り換え浜大津へ出た。琵琶湖畔をゆっくり散策する。気持ち良かった。大
津は、老後に暮らしたい町の候補のひとつだ。今年は暖冬のせいか、比叡山にも
比良山にも雪が見えない。スキー場はどうなっているんだろう。しばらく散歩し
たあと、琵琶湖ホテルのカフェテリアでコーヒーを飲んだ。大津市内の商店街を
見物してから京都へ向かおうと、近くの商店街に行ったら、京都や大阪とは違っ
て、ここの商店街は正月休みでお店にはシャッターが降りていた。昼食まで浜大
津にいようと予定していたのだが、仕方なく、すぐに京都へ戻ることにした。

 浜大津から京阪電車で三条へ出た。大津から来ると、さすがに京都は人が多い。
三条通り、寺町京極通りと歩いて、錦市場へ出た。閉まっている店が多かったが
食事処「嘉ねた」という店を見つけて、そこで昼食をとることにした。古い商店
を利用した狭い店だが、さすがに材料が良いんだろう、美味しい料理だった。さ
て、これからどうするか。何の予定もなかったのだが、このまま大阪へ帰るのは
もったいない気もした。その時、昨日の夜、NHKの番組で、贔屓の松本アナウン
サーが京都の「いのしし神社」の紹介をしていたのを、僕が思い出した。そこへ
行ってみよう。話はすぐに決まった。

 「いのしし神社」の正式の名前は「護王神社」である。京都御苑に面していた。
地下鉄で北上し、同志社大学前で降りた。御苑の深い緑を左に眺めながら南に歩
く。さすがに京都御苑は広い。かなり歩いて、やっと神社の前に着いた。人だか
りがしていた。神社の入り口に狛犬の代わりにイノシシの石像がたっていて、皆
その写真を撮っているのだ。我々も記念撮影。境内に入ると、長い行列ができて
いた。参拝の行列だった。我々は参拝しないので、そのまま列の後にはつかず、
境内のあちこちを見物して歩いた。「護王神社」の祭神は和気清麻呂だそうであ
る。清麻呂を猪が救った故事があるとのことで、この神社にはイノシシが飾られ
ることになった。猪年の今年は、例年以上に参拝客が多いだろうことは容易に想
像がつく。我々のような参拝客が多かったのではないだろうか。我々は、ここで
破魔矢を買って帰った。いつもは近所の氏神である土生神社で買うのだが、今年
は浮気をすることにした。今年に限っては、こちらの方がご利益がありそうな気
がしたからである。どうもいい加減なものだ。

田辺聖子の世界展を見る

 現在放送中の、NHKの朝のドラマ「芋たこなんきん」が人気を呼んで、何度目
かの田辺聖子ブームが起きているようである。熱心な読者というほどではないが、
僕も田辺聖子さんは大好きなので、心斎橋そごうで開催されている「田辺聖子展」
を家内と二人で見物してきた。さすがに盛況だった。

 田辺さんは文化勲章をもらってもおかしくないくらい偉い作家であるのだが、
そんな事は誰にも感じさせないのは、近所のおばさんのような親しみやすい風貌
のせいだろうか。「カモカのおっちゃん」と名付けられた旦那さんとは、見事な
カップルだった。おっちゃんを登場人物とするエッセーの数々は、日本語の散文
の宝のひとつであると、大げさではなく、僕は思う。数多いユーモアエッセーと
日本の古典文学に関するエッセー、それに伝記評伝類が僕のこれまで親しんでき
た田辺聖子ワールドなのだが、この展覧会を機会に、他のジャンルの作品も読ん
でみたいと思う。なにしろ田辺聖子の世界は広大なのだから。

四天王寺へ

 毎月21日は、京都の東寺では「弘法市」が開かれる日である。今年の「初弘
法」は日曜日と重なったので、かなりの人出で賑わったことだろう。おなじ21
日に、大阪の四天王寺では「お太子さん」が開かれる。1月21日は、今年最初
の「お太子さん」だった。

 「弘法市」も「お太子さん」も境内いっぱいに骨董店などのテントが並ぶこと
ではほとんど変わらない。「弘法市」の方が、外国人の姿が多いという違いくら
いなものである。骨董屋や古着などにほとんど関心のない僕は、この日は家内の
お供だった。しかし、たまにはお供も良いものだ。この日の四天王寺では、五重
塔の特別開扉があって、塔の上にあがる事ができたからである。

 四天王寺は聖徳太子が創建した日本でも最古の寺のひとつだが、現在の伽藍は
コンクリート製の比較的新しいものである。それでも、塔に入るのは初めてだっ
た。中には螺旋階段があった。その周囲には、金色の五重塔の形をした小さな位
牌がぎっしりと詰まっていた。供養のために人々が奉納したものだろう。その数
は何万枚かわからない。この五重塔が宗教施設であることを実感した。上層階に
たどりついて、外へ出た。初めて見る景色だった。広大な四天王寺の境内に参拝
客や露天のテントがあふれているのが、下方に小さく見えた。

1月の読書

 最後は、いつものように、今月読んだ本の話を。今年の目標は、買ったままで
読まずに積んである本の山を無くすこと、少なくとも、山の高さを低くすること
なので、新刊書はできるだけ買わないことにしようと思っていたのだが、本とい
うものは、特に最近の出版事情の下においては、文庫といえども、目についた時
に買っておかないとすぐに絶版になって、手に入らなくなる可能性があるので、
ついつい買ってしまう。実は、未読の本の山がいくつもできたのは、それが理由
なのだった。そして、そういう言い訳がある限り、我が家の本は増え続けること
になる。だったら、せめて買った順番に読んでいけば良いのであるが、ついつい
新しい本を先に読んでしまって、何年も積んだままの本は、新刊書に先を越され
てむなしく自分の順番を待つことになる。まことに済まない。

 この通信で紹介するのは、先を越した方の、新刊書である。まずは、塩野七生
さんの「ローマ世界の終焉」から。15年にわたって書き続けられたローマ史の
シリーズの最終卷である。僕にとっても、一年の最初の読書は、塩野さんのロー
マ史と決めてから15年が経ったわけだ。まず、無事に大事業を完成されたこと
を塩野さんにお祝いしたい。大変な力技だった。しばらくゆっくりと休養をとり、
またイタリアを舞台にした素晴らしい物語を我々に届けていただきたいと切に望
む。次のテーマは、近代イタリアの統一物語などはどうだろうか。で、この最後
の卷の感想だが、特にない。塩野さんの言う「ローマ世界」は、キリスト教を国
教とした時に、既に終わっていたのだから。

 次に紹介する本は、高橋源一郎さんの「ニッポンの小説」という評論である。
加藤典洋さんがどこかに書いていたが、今、文芸評論を書かせて、高橋さんの右
に出る人はいない。高橋さんの評論は本当に面白い。たぶん、小説よりも。とい
うわけで、文庫本になるのを待ちきれずに、この評論も単行本で買ってすぐに読
んだわけだが、これは今までの評論よりも一段と凄い内容だった。この本の副題
は、「百年の孤独」である。マルケスの小説からとられたこの副題の意味する処
は何だろう。西洋の近代小説の出店として始まった日本の近代小説の歴史は既に
終焉したのだと主張しているのだろうか。それなら柄谷行人の主張と変わらない。
でも、高橋さんは詩が好きだが、小説はもっと好きな人である。ただ、小説は死
んだと言って済ます人ではない。高橋さんが言っているのは、二葉亭四迷から始
まった日本の近代小説は百年にして確かに終わった。ということは、今、何か新
しいものが生まれようとしているのだという事だ。たぶん。

 最後に紹介するのは、新書の新刊本。外務省のラスプーチンこと佐藤優さんと
元NHK外報部のエースにして「ウルトラダラー」のベストセラー作家である、手
嶋龍一さんの二人の対談本である。専門領域が重なる、今をときめく二人の旬の
人物による対談が面白くないはずがない。実に刺激的で読み応えがある対談本が
できた。まさに企画の勝利である。この本を読んで、現在の日本の政治や外交に
絶望するか、逆に、この二人のような人物が存在することで、将来に希望を持つ
のか。僕としては、後者を選びたいと思う。それにしても、本人が意図したこと
ではないといえ、佐藤優のような人物を世に出したことは、鈴木宗男という政治
家の最大の功績だったのではないだろうか。皮肉ではなく、そう思った。ついで
に書いておくと、晩年の米原万里さんも、同じロシアの専門家として、佐藤優さ
んの著書を激賞していた。佐藤さんの他の著書が早く文庫化されることを待って
いる。

 

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