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第1日目(旭川→美瑛→富良野)
■旭川
台風の影響なのか、東北地方は天候が悪く、飛行機はずっとぶ厚い雲の上を
飛んでいた。ときおりガタガタと機体が揺れる。墜落を心配するほどの揺れで
はないが、なんとなく暗い気分になりかけていた時に、急に窓からの視界が開
けた。いつものように、僕は窓際の席に座っていたので、身を乗り出すように
して下方を見た。海岸線が見えた。かすかに湾曲しているが、ほぼまっすぐに
見える。突端に港らしい特徴のある地形が見えた。機内誌の飛行路線図を見て
位置を確認する。伊丹を出発して1時間以上経っている。地形から見て、その
港は室蘭に違いなかった。だから、下に見える海岸線は、室蘭から苫小牧へと
続く海岸線であり、つまり北海道なのだった。12年ぶりの北海道だった。飛
行機は支笏湖の上空を通過し、遠く大都市札幌の市街を望みながらなおも北上
を続ける。下界は夏の北海道の大パノラマだ。そのままずっと飛び続けてもら
いたかったが、まもなく飛行機は旋回を始め、あっけなく旭川空港に着陸した。

12年前の北海道旅行も、函館空港でレンタカーを借りて、函館→ニセコ→
小樽→札幌→新千歳空港と周回するドライブ旅行だったのだが、今回も、旭川
から函館まで、北海道の大地を走り抜けるドライブ旅行になった。でも、今回
は高速道路を利用する区間が長かったので、ドライブの楽しみは半減したとい
えるかもしれない。運転は主に家内が受け持ち、時々、僕が交替した。これは
互いの身の安全と心身の安寧を考慮してのことである。いつものことだ。
旅行に出発する直前に、あるアンケート調査の結果が新聞に掲載された。東
アジアの人たちに最も人気のある日本の観光地として、北海道が、東京や京都
を押さえて、堂々の1位に輝いていた。その調査結果が正しいことを、僕たち
は、早くも、旭川空港で確認することになった。周りから聞こえてくるのが、
中国語ばかりだったのである。空港の壁には、ハングルや中国語で観光客を歓
迎する看板やポスターが掲げられていた。今回の全行程を通じて、どこに行っ
ても、中国語やハングルが聞こえてきた。どうやら、アジアにおける北海道ブ
ームは本物のようである。

■美瑛
旭川空港は小さいが奇麗な空港だった。せっかく旭川に来たのだから旭川の
街を見物すべきだったのだが、(後で知った事だが、旭川は井上靖さんの出身
地で、文学館がある。又、「氷点」の作家、三浦綾子さんも旭川の人だった。)
我々の車が目指したのは、旭川市街地の方向とは反対の南だった。車は、遠く
大雪山系の山々を望みながら、国道237号線を南へ走った。行く手には美瑛と
富良野の町が待っていた。
美瑛という印象的な地名は、前田真三さんの、夢のように美しい風景写真の
数々で全国的に有名になった。僕もまた、前田さんの写真を見て美瑛に憧れて
いたのだが、いつものように、事前の調査をちっともしないで美瑛町に来たも
のだから、何処に行けば前田さんの写真のような風景を見ることができるのか、
わからないままに、美瑛町を通り過ぎてしまいそうになった。運転を担当して
いた家内に非難されて、慌てて観光地図を引っぱり出す始末だった。そんな時
に、神様は僕を見放さなかった。国道沿いに、見事なお花畑の丘が見えてきた
のである。まさに、美瑛の風景だった。近づくと、観光バスが何台も停まって
いる。どうやら、有名な観光スポットのようだ。やれやれ助かったと、僕は、
家内に停車を指示した。

この花の丘は、「かんのファーム」という名前だった。そして、先着してい
た観光客の団体は中国からの旅行者だった。周囲には中国語が溢れていた。花
々が描く、鮮やかな縞模様の絨毯を敷き詰めたような丘の前で、みんな嬉しそ
うに記念撮影をしている。僕達も、その仲間に入って、写真を撮った。真っ青
な空、白い雲、そして色鮮やかな花の絨毯。まさに、絵はがきのような風景だ
った。記念撮影の後、売店でラベンダーの入ったソフトクリームを買って、そ
れを舐めながら、ゆっくり丘を登った。北海道とはいえ、夏の日中は暑い。汗
がにじみ出てきた。丘の上には、小さな小屋が建っていて、その中で土産物を
売っていたが、丘の向こうにはお花畑はなく、ただ平凡な丘陵が拡がっている
のが見えるだけだった。写真のような風景ではなかった。すぐに、元の坂道を
引き返した。下には、次の観光バスが来ていた。美瑛の見物は終わった。僕た
ちは、再び、国道237号線を南下した。運転は、引き続いて、家内である。

■ファーム冨田
次に訪れたのは「ファーム冨田」だった。看板に気がつくのが遅れて、一度
通り過ぎてから引き返した。「ファーム冨田」は、有名なラべンダー農園だ。
「北の国から」をここで撮影したというので、その名前を覚えていた。ここは
既に中富良野町である。残念ながら、ラべンダーの季節はもう終わっていた。
7月いっぱいがシーズンらしい。広い園内を散策しながら、最盛期の紫色のラ
ベンダー畑の様子を想像するしかなかった。ここから満開のラべンダー畑越し
に望む十勝岳連峰の山々は、さぞ見事だろう。それも、絵はがきを見て想像す
ることにしよう。僕たちは、想像力を鍛えつつ、園内の売店で、いくつか土産
を買った。みんな、ラベンダーにちなんだものだった。
富田ファームが香料用としてラベンダーの栽培を始めたのは1958年だそう
だ。その後、香料としてのラベンダー栽培は衰えたが、富田ファームは観光農
園として見事に生き延びた。いまや、海外からも観光客が押し寄せる、一大観
光スポットになっている。ここでも中国語が氾濫していた。
 
■富良野/麓郷
いよいよ「北の国から」の舞台、麓郷である。富良野市内に入ったところで
またまた道に迷い、頼りないナビゲーターぶりを家内に非難されて、富良野市
役所へ入って道を尋ねた。市役所の女性は、親切に教えてくれた。聞いてみれ
ば、実に分かりやすい道だった。僕が見ていた、レンタカーショップでもらっ
た地図が概略図で、実は、その裏面に詳細図があるのに気づかなかっただけな
のである。その女性が、僕が持っていた地図を拡げてひっくり返した時、僕は
思わず小さな叫び声を上げた。恥ずかしかった。
既に夕方になっていた。急いで麓郷に向かわないといけない。車は市街地を
離れ、あまり交通量のない山道を、ひたすら走った。ドラマにもたびたび登場
する麓郷街道である。「麓郷」という地名は、もし「北の国から」というドラ
マが存在しなかったら、近隣の人以外には、全く無名のままだっただろう。今、
麓郷は、その名を聞くだけで多くの物語を喚起する、神話的な全国区の地名に
なった。ちょっとオーバーかな?ドラマ「北の国から」のファンにとっては、
と付け加えておきましょう。もちろん、僕はこの、他に例を見ない、大河連作
ドラマの大ファンなのだった。

麓郷に入った僕たちが先ず目指したのは、一番奥の方にある、「黒板五郎の
石の家」だった。ちゃんと道路に案内標識が出ている。案内所の建物の横に広
い駐車場があって、車がたくさん停まっていた。立派な観光地になっていた。
黒板五郎というのは、「北の国から」のファンには説明するまでもないことだ
が、ドラマで田中邦衛が演じた役名である。いしだあゆみが演じた妻の不倫が
きっかけで故郷の富良野へ戻り、純と蛍という二人の子供を、電気も水道もな
い原野の小屋で育てる。1981年に連続ドラマとして始まった「北の国から」
は、その後、特別番組の形で、年にあるいは数年に一度ずつ、続編が放送され
続けられて、2002年の「遺言」で一応終了した。20年以上にもわたる数々
の心洗われるドラマの中で子供達は成長し、立派に成人となったが、田中邦衛
が演じた黒板五郎は、基本的にはちっとも変わらなかった。不器用なまでに生
真面目に生き、子供達を、友人達を、そして、富良野の自然を深く愛し続けた。
いつも貧しく、ほとんど自給自足の生活を送っていた黒板五郎は、家も自力
で建てた。台風で壊れたり、火事で全焼したりして何度か建て替えた。この「
石の家」は5番目の家ということになる。駐車場から「石の家」までには、緑
の中のかなり長いアプローチがあった。そのあたりの配置構成は、金閣寺や銀
閣寺などの京都の有名社寺に似ている。意識的にそうしたのかどうかはわから
ないが、近づくにつれて期待が高まる。しばらく歩いて、いよいよ「石の家」
の全景が現れた。やはり胸が高鳴った。これがファン心理というものだろう。

木の柵があり、展望台があって、ここから無料で家を遠望できるが、建物の
内部を見たい人は、入場料を払って柵の中に入ることになる。入場料は200
円。ふらの観光協会が運営していた。入場料は建物の維持費に使われる。建物
の前はかなり広い牧草地のようになっていて、木の柵で囲われ、中に羊が飼わ
れていた。全体的に、異国的な香りが漂っていた。外から見た時は立派な高原
の別荘のように見えた石の家だが、内部はさすがに狭く、いかにも五郎さんが
独力で建てたような素朴なものだった。ウイスキーの空き瓶で作った明かり取
りの窓など、細部に工夫がある。台所には食器もそろっていて、今、五郎さん
が戻ってきても、すぐに生活できそうだった。でも、冬の生活は大変だろうと
思った。薪ストーブを焚けば、案外快適かもしれないが、淋しいだろう。

キザな表現をすれば、麓郷の地の霊と交換することが、もともとの目的だっ
たのだから、麓郷の山々を見て、麓郷の空気を吸うことが出来ればそれで十分
だったのだが、もう一軒、「拾ってきた家」というのを見物することにした。
これは、最後の作品「遺言」の中で、五郎が電話ボックスやゴンドラなどの廃
材を集めて、竹下景子演ずる、雪子のために建てた家である。隣にあるのは、
同じく、中畑木材の娘夫婦の新居として、廃材でつくった家。ここまでくると、
もう一種の芸術作品である。五郎建築の到達点である。(実際には誰が建てた
のか知らないが。)前衛的な現代建築だと思った。建築好きの身としては、も
っとゆっくり細部まで見物したかったのだが、もう陽が暮れかけていた。宿舎
へ急がないといけない。

■新富良野プリンスホテル
麓郷街道から38号線に戻り、空知川を渡る。この夜の宿舎、新富良野プリ
ンスホテルは、富良野西岳の麓にあった。山腹に白く聳える豪華なリゾートホ
テルである。夏はゴルフ、冬はスキー客で賑わう。ここもまた、「北の国から」
ゆかりの場所だった。まず、館内BGM。駐車場に着いた時から、さだまさしが
歌った「北の国から」のテーマ音楽が小さく聞こえていた。この曲は、夕食の
バイキングを食べた、地下のホールでも流されていた。そして、館内には「北
の国から」出演者たちのスチール写真がいくつも飾られていた。でも、「北の
国から」とホテルの繋がりは、それだけではなかった。
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