地形図を歩く


地図測量史跡 三方原基線

 地形図三枚(笠井、気賀、浜松)を張り合わせ、都田町の一等三角点85.9「都田村」から神原町の一等三角点39.7「神ヶ谷」にむけて直線を引く。その直線に重なるような道路があればそこを歩き、なければ出来るだけ直線の近くを歩く。そんなことを思いついたのはだいぶ前だが、実際に地形図に直線を引いてみたのは2007年の9月2日で、歩いてみたのは同年9月8日だった。(特選三角点ハイキングコース参照)

 なぜ「都田村」と「神ヶ谷」間なのかというと、そこが三方原基線という測量史跡にあたるからだ。三角形の一辺の長さを計測し、その一辺の両端から残る一点の角度を測定すれば、その三角形のすべての辺の長さと角度が分かる。この最初の一辺を伸縮の少ない基線尺(3メートル)で直接測定したのが基線である。三方原基線の測量は明治16年に行われていて、全長は他の基線が数キロなのに対して10.8キロもある。

基線跡 地形図に直線を引いて発見したのは、東名高速道路の南側では、自衛隊基地敷地を除いて、基線と現在の道路は一致していることだ。それだけでなく、周辺の区画そのものが基線の方向と一致するように出来ている。

 東名の北側の三方原の区画は、戦後の開拓で東西南北に区画されたようで、基線と区画の方向は一致していない。しかし一箇所だけ豊岡町にある道路(写真)が基線と640メートルほど重なっていて、これは基線の名残ではないかと考えている。

 それを裏付けるよい資料があった。国立公文書館デジタルアーカイブにあった大正14年の浜松の都市計画図である。その地図によれば「都田村」と「神ヶ谷」間は一部区間(約1.7キロ)を除いて完全に基線跡は道路であったことがわかる。また、48.6の三角点が中間地点にあるが、これは基線測量時に設置されたものだろう。平成13年版の地形図(1/25000,気賀)にも載っていたのだが最近のものから消えてしまった。都市計画図からは、他にも三方原は一面針葉樹(松であろう)であったこと、ほぼ東西南北に区画があったことなどがわかる。

 参考資料:三方原基線測量絵図 大正14年浜松都市計画図

2007年9月11日,2010年2月24日 基線測量絵図、都市計画図のリンクを追加のうえ一部修正

予期しない出来事

 2000年から始めた三角点ハイキングも10年目になり、三角点500箇所ぐらいのつもりが、1000箇所を超えるまでになった。歩いていると、城跡や古墳、集落跡、天然記念物など予期しないものを現地ではいろいろと見かけるし、思わぬ出来事も起こる。「ちょっと怖い体験」で書いた観音山の出来事もそうだったが、他に印象に残った出来事を二つ紹介したい。

遠州の山と峠 まずは、去年のピストル事件(もちろん本物の事件ではない)。これはドキドキものだった。田圃横の用水の堤で、埋もれているらしい標石(三等三角点「富里村」)を掘り起こしていたら、ピストルらしいものが見えて来たのだ。これは誰か他の人にも立ち会ってもらったほうがいいと思い、近くで農作業していた夫婦を呼んで、一緒に掘り起こした。その間、頭の中では警察には連絡しないといけないな、そうなると、なんでこんな所を掘り起こしていたのか聞かれるだろうなとか、ヤクザが隠したのだろうかとか、いろいろな想いが浮かんでくる。結局、それはおもちゃのピストルで、警察に連絡する必要はなくなったのだが、なにか残念な気もした。

 次は人との出合いだが、「遠州の山と峠」の著者である山岡さんと山行途中の林道でお会いしたのだ。2006年6月1日、その「遠州の山と峠」を参考に三本栃山に行くため林道をマウンテンバイクで走っていた。前方に二人で歩いている登山者がいて、追い抜く時に話かけた。どこへ行くのかと聞かれたので、三本栃山と答えると、「なんでそんな山に」と言うので、三角点があるからだと説明した。「もしかして低山さん?」と言ったのが著者その人であった。実は、山岡さんはその三ヶ月ほど前からYahooの掲示板「静岡県中西部の低山・薮山、情報交換室」に書き込みをしてくれるようになっていたのだ。

2010年2月17日

いろんな所にありました

 面白い、または変わった所にあった三角点をまとめてみた。

SLの通る線路横・・・・・・島田「道上」
浜松城、天守閣の横・・・・・浜松「浜松」
石灯籠の中・・・・・・・・・伊平「大平」
台座が天然の大岩・・・・・・豊橋「疣沢」
ツツジの植え込みの中・・・・向谷「阿知ヶ谷」
お堂正面の台座・・・・・・・向谷「大草山」
道路上・・・・・・・・・・・気賀「白昭」
警察無線の設備敷地内・・・・島田「無線塔」
屋根の下・・・・・・・・・・千頭「楢尾村」
安倍川中洲の小島・・・・・・静岡西部「舟山」
古タイヤの内側・・・・・・・山梨「北島」
丸管の内側・・・・・・・・・焼津「藤枝宿」

 こんどは、見つけるのに苦労した三角点。なんといっても埋もれている三角点がやっかいで、次が薮に隠れているもの。植物に勢いのある時期の草薮は手強いし、笹も太いのが密集していると身動きも難しいくらいだ。

笹薮・・・・・・篠井山「地蔵峠」 新居町「雉子田」 新居町「中之郷」 掛川「神谷城」
草薮・・・・・・気賀「平松村」 三河富岡「奥山村」
倒木の下・・・・高里「須長村2」
砂利の下・・・・掛川「和田」 千浜「塩原新田」
土の下・・・・・高郷「下泉」 家山「鵜山」 八高山「栗島」 千浜「合戸」 山梨「丸の内」
茶畑の中・・・・「茶畑の三角点」参照
砂丘の砂の下・・「砂丘の宝探し」参照

2010年2月17日、2010年4月10日 島田「道上」追加

茶畑の三角点

 茶処静岡には茶畑に三角点のある所が多く、いままでに五十ケ所以上はあった。お茶の株の中だったり、埋もれているものもあるので、見つけられないこともある。ハイキングの途中で見つけられない所へは、後日、車で直接その場へ行くことになる。また、同好者が見付けてくれたりすると、間を置かずに確認に駆け付けたりもする。

茶畑 一度で見つけられなかった茶畑の三角点をまとめてみた。

島田・・・小屋原 牧ノ原
相良・・・菅ヶ谷村 大江
御前崎・・比木村
掛川・・・青木原
八高山・・鍋島 西原 安田 大根原
家山・・・東原
山梨・・・睦実村

 一番思い出に残るのは「大根原」で、GPSを持たない頃なので、地形図を頼りに茶畑を探し回った。次は「小屋原」、ここは埋もれているので、難しかった。「牧ノ原」では、匍匐前進しながら茶株の間を探した。何回か探しにいって、いまだに見つからないものもまだある。

 ところで、一度失敗してしまったことがあるのだが、茶摘みの頃には行かないこと。迷惑になるし、茶葉が茂っていると見付けにくいということもある。

(写真は塩買坂を西隣の尾根の農道から写したもの 撮影日2004年9月9日)

2004年9月9日,2010年2月15日 全面改訂

先読みの実践、道迷いを防ぐ

地形図1 道迷いといっても、そもそも登山道のないところなのだから、正確には尾根を迷うとか、予定のルートを外すとかいうべきなのか。まあ、それはともかく、道迷いを防止するために、私は先読みを実践しています。先読みとは、歩き出す前に、地形図上で間違いやすいところを予測しておくこと。普段の山歩きでちょっと迷ったところや、実際に間違えたところは、あとで地形図をよく見ておくと自分がどんなところで迷いやすいのか分かってきます。実際に歩いたところで例をあげてみることにすると・・・。

【map_1】 AからCの尾根を経由してDに下るルートです。ここでは最初はAから西に下り、B地点辺りから北に向きを変えないとCの尾根に乗れません。Aをスタートする時から歩測したり、高度計の数値を見てBを通り過ぎないようにしました。

【map_2】 EからFに向かいます。このルートは主尾根から次々と枝尾根が派生していて、現在地を常に把握していないと、別の尾根に行ってしまいます。現地では予定ルート以外の支尾根のほうが歩きやすい尾根になっていて、実は間違えてしまいました。

【map_3】 GからIの峠に下ります。H辺りから尾根が広がっていて、峠に向かうにはコンパスを峠の方向にセットして、進行方向を維持して下らないといけません。現地には足元まで覆う笹薮の斜面の中に薄い踏み跡がジグザグにありましたが、常に峠の方向を意識していました。幸い踏み跡を辿って峠に着けましたが、それは結果であって、踏み跡が消えても慌てないようにしておくべきです。

【map_4】 Jから南西に下ってLで道路に降りるつもりです。道路沿いがずっと崖になっていて、L地点以外は崖で降りられない可能性があります。その日はJまで来るのに藪漕ぎなどで時間もかかってしまい、足もつり気味だったので、Jまで来たときは安心してしまい、先読みがおろそかになりました。そのためか、Kあたりで予定のルートを外して南のほうに入り込んでしまいました。

2010年1月31日

御前崎の多角点

 地形図「御前崎」に、三角点や水準点ではないのに小数点以下1位の数字があちこちにあるのに気がついただろうか。インターネットで国土地理院の基準点成果が閲覧出来るようになり、それらが二等多角点であることを知った。数えてみると11箇所ある(略図参照)。私が歩いている愛知東部、静岡県の中西部では、ここ御前崎以外に多角点はない。数年前に「磐田」に一つ残っていたのだが、いつのまに削除されていた。それだけに御前崎の多角点は貴重だといえるかも知れない。御前崎の多角点

 三角点は三角測量により測量されるが、多角点は多角測量という方式だそうだ。また、一等や三等はなく、すべて二等多角点とのこと。国土地理院が設置したのは、昭和26年から昭和53年までで、図中にある御前崎の多角点は18454が昭和50年、残りはすべて昭和46年だ。

 始めてこれらの多角点を探したのは2006年5月30日で、18453と18455だったが、二つとも見つけられなかった。2009年の4月9日には地頭方の釣月院近くの奥の谷ビオトープ横の溜池を起点に、18452から北に18720,18719,18718、南西に下って18550、南に18456,18455、南東に18453、以上八ケ所を順番に歩いて回った。軽便鉄道の駅跡、起伏に富む丘陵、丘陵から見下ろす駿河湾、風力発電の巨大な風車などあって、ハイキングとして歩くには楽しいルートだった。しかし、多角点自体はなんと一つも確認出来なかった。八ケ所も巡って一つも見つけられないなどというのは、私の三角点探訪ではかつて無い。

 それ以降にも探しに出かけているのだが、現時点では1872118456しか確認できていない。(他のものについての現況はこちら

2010年1月18日

三角点は屋上に 〜袋井〜

 「K部1」これは点名「山科」という三角点の冠字選定番号だ。「部」は冠字といい、測量官毎に違う漢字1字が与えられる。国土地理院から依託された民間会社にも、会社毎に冠字が与えられるが、漢字の前にKをつけて区別している。「K部1」の「1」は、「部」という冠字の測量会社の連番で、1/50000地形図に重複した連番があってはならないという規則だという。

 以前、わが袋井市の市街地にある三角点を調べていたら、ほとんどが屋上にあることがわかった。いちいち許可をとれば見せてもらえるのだろうが、そこまで熱心にはなれない。それで、そのまま忘れていたのだが、ふと同じ人の選定かもしれないと思い、冠字を調べてみることにした。結果は思ったとおりだった。すべて四等三角点でを設置年順に並べてみると・・

冠字選定番号   点名    場所          設置年
足4       国分寺   東小学校屋上      S58
坂48      袋井    西小学校屋上      S63
K部1      山科    東名管理事務所屋上   H9
K部2      袋井北小  北小学校屋上      H9
K部3      国本    コンクリート通路の屋上 H9
K部4      消防署   消防署屋上       H9
K部5      愛野公園  愛野公園の丘      H9
K部6      三門町   建設業協会建物屋上   H9
K部7      高尾    公民館屋上       H9

 平成9年に「部」測量会社は七箇所設置しているが、愛野公園のほかは全部屋上(「国本」は建物ではないが、建造物ということで含める)だ。ここで、推理を働かせてみる。「部」は国土地理院から設置を委託された時、既存のものを当然調べる。「国分寺」「袋井」は二つとも小学校の屋上だった。それなら私も、というわけで公共施設・建造物の屋上に設置箇所を決めていく。ひとつ民間の建築業協会の建物があるが、これは「部」の会社が入っているビルだったのだろう。

 ということで、三角点の標高を地形図で見る時には、それが建物の屋上にあるものかどうか注意が必要だ、特に袋井市は。こんなに屋上の三角点が集中しているところって他にあるのだろうか。

2009年11月6日

砂丘の宝探し

 地形図や点の記の要図を見て三角点を探していると、まるで宝探しのような気分になる人は多いようで、インターネットでもそのような記述をよく見かける。実際に地図を頼りに埋もれている標石を探し当てた時は気持ちのいいものである。茶畑の三角点のことは以前に記したが、いままで経験したのは深くても地下数十センチだった。これから記すのは地下1メートルにあった標石の話だ。この時は正に宝を掘り当てたようにうれしかった。

 浜岡砂丘を海岸沿いに西に向かうと新野川の河口に至る。その河口近くの防砂林側の小高い砂地に新野川の標石四等三角点「新野川」がある。初めて訪れたときはハイキング途中で道具は持参してなく、その後、去年の12月と今年の6月に、スコップ・長靴・巻尺・点の記要図などを持参して探した。点の記はS34年のもので要図は役にたたなかったので、GPSの精度を考慮して決めた数メートル四方を端から順にスコップに足をかけて先端を砂の中に(深さとしては30センチ程度)挿していったが、徒労に終わった。

 それが10月31日になって、私のサイトの掲示板に、近頃、掛川のあちこちの標石にICタグが取り付けられているという書き込みがあった。さらに11月2日には浜岡でもICタグの標石を見つけたという情報が同じ方から入った。それによれば、「新野川」には穴を掘った跡があり、その後をさらに掘り進めたが(1.5mぐらいほって、途中まで埋め戻したそうだ)見つけられなかったという。

 早速、翌3日に現地へ。途中、やはり地中で見つけられなかった3キロほど西にある「塩原新田」と浜ICタグ岡砂丘入口にある「浜岡」を事前に見て、ICタグがどんなものか見ておいた(左の写真、黄色の円形で直径15mm、"ucode"と書いてある)。現地には深さ70センチ、一人が中で作業できるくらいの穴があった。はじめに穴を掘ったのは国土地理院の関係者に違いないと思っているので、位置自体は間違いないはず。念のため自分のGPSでも位置を確認(その日は精度がでていて、「塩原新田」ではぴったり一致していた)してから、穴掘りを始めた。一度掘った跡ということもあり、掘り進めるのは比較的楽なのだが、砂なので掘っても崩れやすくて、作業は手間取る。硬いものに当たって「やった」と思うこと二回、いずれも石だった。穴の外周を広げ気味にスコップを入れた時、またしても手ごたえがあり、そこを手で掻き分けていたら標石だった。周囲の砂は締まっていたし、ICタグもついてないので国土地理院(たぶん)も発見できなかったのだろうと思うと、ちょっといい気分だった。

2009年11月5日

三角点には同名が多い?

 三角点の名前である点名は地名からとるものが多いようなので、地名同様に同じものがあっても不思議では無い。しかし、すぐ近くにあるにもかかわらず同名の点名があると、「え、何で? ちゃんと調べて名前をつけろよ」などと思ってしまう。よく知られているのは地形図「静岡西部」の『丸子宿』で、丸子の宿の南側と北側の山にそれぞれ『丸子宿』という名の三角点がある。地形図としては「清水」と「静岡東部」に分かれているが、静岡市の馬走にも『馬走』が二つある。つい最近「島田」でも『下原』が二つあることに気が付き、この三角点ハイキングを始めてから訪れた三角点のリストを点名でソーティングしてみた。

 すると、今まで気が付かなかった同名の点名があることあること! 同一地形図内として、他にも「八高山」に『栗島』が二つあった。二つのものは数が多く他にも24件ある。そして同名が三つあるものは6件で、四つのものは『城山』の1件、最多は『大平』の五つであった。『大平』のある地形図は「二俣」「下平川」「伊平」「中部」「水窪湖」で、あちこちに散在している。詳細を以下に記す。

【同名が五つ】 大平
【同名が四つ】 城山
【同名が三つ】 横山、観音山、向山、神田、大久保、平松
【同名が二つ】 一本杉、奥山、下原、丸子宿、岩崎、栗島、高山、高塚山、篠ヶ谷、秋葉山、深沢、神尾、西山、石上、切山、前山、太田、大沢、大津、大野山、滝沢、中山峠、二本松、白倉山、豊岡、竜頭山、和田、馬走

2009年9月30日

地図読みが縁 〜Ryoさんのこと〜

 Yahoo掲示板で地図読みの面白さを吹聴していた頃、オフ山行に声をかけてくれたのがRyoさんだった。それ以来、普段もメールや電話で話す仲になり、三角点ハイキングにも度々同行してもらった。その彼が、出会ってから三年後にガンに罹り、余命一年と宣告された。幸い1年以上たっても、治療の成果なのか、時にはマウンテンバイクで走ったり、山歩きすることもあって、このまま病気とうまく付き合っていけるのではないかと、他の山仲間と共に期待していたところだった。

 しかし、今年の4月12日にメールを交わして以降はメールをしても返事がこなくなった。8月19日になって、彼のお姉さんから私の携帯にメールがあり、5月7日に亡くなっていたことが分った。4月27日に私がメールに添付したスズランの花(左下写真)を待ち受け画面にしてくれていたという。ここにRyoさん(Ryoさんの写真)を偲ぶために、彼と歩いた山をまとめておいた。なお、Ryoさんというのは掲示板でのハンドルで、出合いのきっかけだったトピックスは消滅して久しいが、「静岡県中西部の低山・薮山、情報交換室」にいくと彼の投稿が見られます。

待ち受け画面のスズラン[2003年] 3月 矢岳山(初顔合わせ)、4月 岩岳山・入手山、8月 山伏

[2004年] 1月 本宮山(森町)、4月 日本ヶ塚山、11月 朝日岳、12月 ボンジ山「向山」(地形図・中部 710.1三角点)

[2005年] 1月 高土山「ハンノ木」(地形図・熊 461.3三角点)、2月 「平野」(地形図・伊久美 752.6三角点)、4月 三ツ森山、10月 京丸山

[2006年] 10月ごろ発病

[2007年] 3月 マウンテンバイクで豊岡ゴルフ場付近を二人で走る

[2008年] 2月 法多山の裏から小笠山、私との最後の山歩きとなる

[2009年] 3月に悪化し、4月23日ホスピス入、5月7日 死亡

2009年8月24日

旧市町村別、最高標高地点は?

 2003年の梅雨時に、雨で山歩きが出来ないので畳の上に地形図を拡げて一番標高の高い所はどこか、当時の(清水市が静岡市と合併した頃で、浜松などはまだ合併前であった)静岡県中西部の市町村別に調べたことがある。境界線を確認し等高線を追う根気のいる作業だった。結果をインターネット掲示板に掲載したのだが、そのまま忘れていた。新居町を先日歩いていて、町で一番標高の高そうな所にある三角点を訪れた時に「そういえば・・」と思い出した。

標高順に並べてみる。左から市町村名、標高(m)、所在地・「」は三角点の点名である。

1 福田町 10 海岸線の松林
2 舞阪町 10 浜名大橋付近の海岸線
3 竜洋町 18.3 海洋公園「竜洋富士」
4 大井川町 22 上泉
5 雄踏町 31.1 宇布見「宇布見村」
6 御前崎町 61.2 御前崎小(廃点)
7 豊田町 62 高見丘のあたり
8 吉田町 64 中原の東名西側あたり
9 新居町 71.1 浜名北西「浜名村」
10 浅羽町 89.9 五ヶ山「篠ケ谷」
11 磐田市 124.9 神増「上神増村」
12 浜岡町 150 有ケ谷の東側の台地
13 小笠町 60 菊川町の棚草との境界辺
14 相良町 179 牧ノ原インター辺
15 榛原町 210.1 物見塚(空港で亡失)
16 大東町 264.4 小笠山「〃」
17 袋井市 264.4 小笠山「〃」
18 大須賀町 264.4 小笠山「〃」
19 菊川町 282.6 火剣山「菊川村」
20 浜松市 394.1 御嶽峠「津ノ字峠」
21 湖西市 415 本坂トンネルの南の尾根上
22 細江町 433 尉ヶ峰
23 焼津市 501.4 高草山「〃」
24 三ヶ日町 563.2 富幕山「富巻山」
25 岡部町 650 三ツ野の西の尾根上
26 引佐町 700 鳶ノ巣山
27 掛川市 832.1 八高山「〃」
28 金谷町 832.1 八高山「〃」
29 天竜市 840.6 帚木山「ホヲ木山」
30 島田市 871 高根山
31 藤枝市 871 高根山
32 龍山村 1058.8 橿山「〃」
33 川根町 1110 無双連山
34 佐久間町 1351.6 竜頭山「〃」
35 清水市 1558 青笹山
36 春野町 1627.1 蕎麦粒山「川東」
37 中川根町 1627.1 蕎麦粒山「川東」
38 水窪町 2296.4 中ノ尾根山「〃」
39 本川根町 2591.1 光岳「〃」
40 静岡市 3189.3 間ノ岳「相ノ岳」

 こうしてみると三角点のある所が24(重複あり)であり、未踏の中ノ尾根山と本サイトの範囲外である光岳・間ノ岳(登頂はしている)を除いて本サイト掲載済である。物見塚は、今思うと空港工事前に見ておかなかったのが残念でならない。なお、間違いや漏れがあればご指摘下さい。

2009年7月8日

国土地理院さんからの回答

「これってどうなの国土地理院さん」(下欄参照)での指摘事項について、やっと回答がありました。

1. 地形図における四等三角点87.0「大平」の三角点の記号が80mの等高線の下にある → 「時期修正時に訂正します。」

2. 八高山周辺に基準(三角点の配置密度)を上回る四等三角点が新設されている → 「三角点は、通常は標準的な点間密度で設置されますが、必要な地域には高密度に四等三角点を設置出来ることになっています。地権者の高齢化や離村に伴い、山村地域においては早急に境界を保全しておく必要性から、高密度に四等三角点を設置する事業があり、ご指摘の「奥山北」他2点の四等三角点が設置されている地域は、当該事業の対象地域となっています。」

3. 深沢山の三角点の基準点現況情報が「正常20020423」となっているが、それは別の標石で、本物は崖崩れで失われているのではないか →「設置位置が崩落地内であることを確認しました。基準点現況情報は亡失に訂正します。」

4. 三等三角点「上野辺村1」は「不明01/07/30」だったのが「正常 20051001」 と変更されているのに気がついて改めて行ってみたが見つからない → 「現地に変化は見られないものの三角点標石は発見できませんでした。基準点現況情報は不明に変更します。」

得られた回答をそのまま写しましたが、疑問は残ります。「上野辺村1」の基準点現況情報を「不明01/07/30」から「正常 20051001」としたのは、どこからのどんな情報をもとに正常としたのか?深沢山にしても同様です。そのへんはっきりさせないと、現況情報を信じて測量に行ったら標石がないなんてこともありますよね。

2009年6月30日

これってどうなの、国土地理院さん

大平 去年(2008年)はいろいろ地形図と三角点に関してミスや疑問点が目に付いた。まずは図を見ていただこう。これは獅子ヶ鼻公園の北にある四等三角点87.0「大平」だが、三角点の記号が80mの主曲線の下にあり、等高線が間違っていることがわかる。

 次は新設の三角点についてです。2007年に八高山周辺に四等三角点が三ケ所新設された。その中の一つ812.8「奥山北」は山頂の一等三角点「八高山」から直線距離でほんの500mほどしか離れていない。調べてみると三角点の配置密度というのがあり、それによると「四等点以上を通じて2平方キロに1点」「平均辺長 1.6km」ということになので、やはりここは配置密度が守られていないことになる。

 井川峠の南にある深沢山。ここの三角点と言われている標石、実は他の標石なのではないか(国土地理院の基準点情報では「正常20020423」となっている)とネットを通じて知り合った山登りのベテランお二人から聞いていたので昨年の11月に自分の目で確かめて来た。結果はお二人の言う通りで、本物は崖崩れで失われてしまったものと思われる。この件、「大平」の地形図のミスとあわせて国土地理院の中部地方測量部に連絡しているが音沙汰ない。

 現地で三角点を探し回った結果、深沢山のように「亡失」かと思われる箇所はいくつかある。そういう場所の国土地理院の基準点情報が「不明」なら、それはそれで納得がいくのだ。しかし「不明」だったはずが、いつのまにか正常に戻っていると、現地を知っているだけに「うそでしょう」といいたくなる。たとえば240.4「上野辺村1」は「不明01/07/30」だったのが「正常 20051001」 と変更されているのに気がついてすぐに出かけて見たが、やはり標石は見当たらない。ほんとうにあるの?

2009年1月11日

道迷い

 意識的に地形図を読みながら、毎回はじめての山や里を歩くようになって7年にもなるというのにまた道を間違えてしまった。図のような地形の低山で、実線の道に入ってから尾根にでて、あとは尾根沿いを歩いて三角点に行くつもりが、実線の道が無いと思い込み引き返してしまった。その後地形図にない山道や林道を歩いてうるうちに現在地が分からなくなり、下山の林道を間違えてしまったのだ。

地形図3 10日ほどたって再訪し、納得した。地形図で二本線で描かれている道はA地点から先、草が茂っていて道が続いているようには見えない(実際は草に覆われていたが道である)。そしてそれまで歩いてきた道と実線の道は自然に繋がっていて一本道に見える。道の方向も二本線と実線の道ではA地点からでは同じである。そんなことで二本線の道を実線の道と思い込み、実線の道は廃道にでもなったと思ってしまったのだ。冷静に地形図をみれば二本線の道はゆるやかに下っているのに対し、実線の道は上っているのが等高線から読み取れるのだから気が付くべきだった。

 ほかにも人には話せないような大きな間違いをこの7年間に三回ほどやったことがある。標高も同じくらいの隣の山に登ってしまったというのが一つで、この時は谷筋のルートを探していて似たような地形の谷があったので、そこから登ってしまった。あと二つは下りで尾根の分岐を間違えてしまい、結局平地に着いてから遠回りしてスタート地点まで長い距離を歩いたのだが、どちらも地形図にはない道が明瞭に続いていてそれにつられてしまったのが原因である。

 ということで、道に迷って遭難した人を私は笑えない。

2007年7月21日

地形図も間違える

地形図2 三角点の位置が違っていると思ったら、実は等高線のほうが間違えていたケースがあった。

 2005年2月、1/25000地形図「三ヶ日」の196.9四等三角点(点名「三軒家」)でのことである。地形図(修正前)の黒の三角点記号のほうがオリジナルの位置で、三角点は尾根の南西斜面にあることになっている。その斜面に行くと、ひどい薮であり、三角点は見つけることが出来なかった。

あとで「点の記」を見ると、三角点はピークにあることになっている。その年の12月に再訪し、点の記をもとに尾根に絞って探したところ、感覚的には図の赤い三角点記号の位置あたりで発見した。すぐに国土地理院に連絡したところ、その後の改訂で地形図が修正された。修正後の地形図を見ると、200m等高線が違っていたことがわかる。

 2006年2月に新たに間違いを見付けたのは「高郷」の四等三角点「ワラビクボ」で、道路の外側(谷)すぐのところに三角点記号が描かれているのに実際は山側に少し登ったところにあった。もっと前の2001年12月にも「山梨」の四等三角点「馬頭山」で地形図通りの場所に三角点がなく、この時は道が間違った位置に描かれていた。「ワラビクボ」についても国土地理院に連絡し、その後修正されている。

(道については廃道になったり、新しくできていたりすることが多いので、いちいち国土地理院に連絡することはしていない。)

2006年2月28日,2007年7月24日(修正後の地形図を追加、本文も加筆修正した)

巡視路に感謝

 送電線があれば現在地の確認に利用させてもらっている。いちばん電力会社にお世話になっていると感ずるのは鉄塔の管理用の道を歩かせてもらう時である。この道、正式には何と呼ぶのか分からなかったので中部電力にメールで問い合わせてみた。親切にも回答があって、「巡視路」と言うそうだ。また巡視路の入り口や分岐には鉄塔番号を書いた札があるが、これは「案内札」と呼ぶということも教えていただいた。

 かなりの頻度で鉄塔の巡回をしているとみえて、この巡視路はそこいらのハイキングコースに負けないくらい整備されている。そういうことが分かったので事前のルート検討では送電線があれば鉄塔の場所を推定し、巡視路はどこから始まるのか推理するようになった。そして現地へ行って案内札が見付かればもうこっちのものである。あ、そうそう、鉄塔の下ではよく休憩もさせてもらってます。送電線方向の樹木が伐採されて見晴しがよい所が多いですからね。

 実際に巡視路を通って巡視している人に遭遇したのは2009年の3月12日(木)のことだ。上長尾の智満寺から白羽山へ向かっていて一つ目の鉄塔の下に来た時、そこにザックと背負かごが置いてあった。しかし人の姿が見えない。上のほうで物音がするので見上げてみると、二人が鉄塔の上でなにやら作業をしていた。二つ目の鉄塔に近付くと、ちょうど作業を終えたらしい二人組が山を下って行く所だった。どうやら巡視というのは二人一組で、かつ複数の組で行うようだ。また「視る」だけでなく、点検作業を伴うものらしい。

2004年9月7日,2010年1月5日(段落3を追加)

ちょっと怖い体験

 平日に出かけることが多いということもあるが、山歩きをしていて人に出会うことはあまりない。私の行き先は、三角点があるというだけで登山道があるかどうかわからないような所なのだから無理はないだろう。しかし、さすがにハイキングコースとして人気のあるところ、例えば八高山、大札山や蕎麦粒山などでは何人ものハイカーと行き会った。

観音山の小屋 いままででいちばん人が大勢いたのは観音山の山頂で、おそらく50人近くの人がいたのではないかと思う。去年の4月のこと、私は水窪側から登りいつものように誰にも行き会わず静かな山歩きをしていた。しかし、山頂が近付くとたくさんの登山者がいるではないか。そこには小屋(写真)があるのだが、煙突から煙りがあがっているし小屋の周囲の数カ所で焚火もしていて、まるで北とか南アルプスの山小屋のようだった。

 はじめはどこかのツアーの登山客かなと思っていたがなにか様子が違う。三角点(水窪湖、1418.2、三等、観音山)は山小屋とは別の建物の横にあったのだが、その建物は社のようで、そこで宗教儀式が始まるようなのだ。周囲の人に趣味で三角点巡りをしているのだと言い訳しながら三角点の写真を撮ったが、何か因縁をつけられそうで怖かった。それでも友好的な態度を示そうと焚火を囲む輪に入れてもらったら、隣の人が私の頭の上に手をかざしはじめたのだった。

2004年9月4日,2010年2月16日 写真を追加

掘り起こされていた三角点

横たわる標石 三角点の標石を、その全体を始めてみる機会があった。今年の4月に、1/25000地形図「森」にある標高465.3の三等三角点(点名、大久保)を探しにいったのだが、あるはずの所に標石がなく付近を探したら掘り起こされたのが放置されていた。後から調べてみると国土地理院の情報でも「亡失」となっている。こういうケースは初めてで、おかげで本来は地中にある部分も含めて標石の全体をみられたわけだが、放置しておいていいものなのだろうか。

 なお、「亡失」とは「盤石が無くなっていることを確認したもの、または盤石はあるがその位置が測量成果の表示する位置と異なっていることが点の記等で明らかであるもの」だそうだ。また、本点はその後再設された。

2004年6月10日,2007年7月24日(写真を追加),2009年1月17日(再設を追加)