地図測量史跡 三方原基線 |
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地形図三枚(笠井、気賀、浜松)を張り合わせ、都田町の一等三角点85.9「都田村」から神原町の一等三角点39.7「神ヶ谷」にむけて直線を引く。その直線に重なるような道路があればそこを歩き、なければ出来るだけ直線の近くを歩く。そんなことを思いついたのはだいぶ前だが、実際に地形図に直線を引いてみたのは2007年の9月2日で、歩いてみたのは同年9月8日だった。(特選三角点ハイキングコース参照) なぜ「都田村」と「神ヶ谷」間なのかというと、そこが三方原基線という測量史跡にあたるからだ。三角形の一辺の長さを計測し、その一辺の両端から残る一点の角度を測定すれば、その三角形のすべての辺の長さと角度が分かる。この最初の一辺を伸縮の少ない基線尺(3メートル)で直接測定したのが基線である。三方原基線の測量は明治16年に行われていて、全長は他の基線が数キロなのに対して10.8キロもある。
東名の北側の三方原の区画は、戦後の開拓で東西南北に区画されたようで、基線と区画の方向は一致していない。しかし一箇所だけ豊岡町にある道路(写真)が基線と640メートルほど重なっていて、これは基線の名残ではないかと考えている。 それを裏付けるよい資料があった。国立公文書館デジタルアーカイブにあった大正14年の浜松の都市計画図である。その地図によれば「都田村」と「神ヶ谷」間は一部区間(約1.7キロ)を除いて完全に基線跡は道路であったことがわかる。また、48.6の三角点が中間地点にあるが、これは基線測量時に設置されたものだろう。平成13年版の地形図(1/25000,気賀)にも載っていたのだが最近のものから消えてしまった。都市計画図からは、他にも三方原は一面針葉樹(松であろう)であったこと、ほぼ東西南北に区画があったことなどがわかる。 参考資料:三方原基線測量絵図 大正14年浜松都市計画図 2007年9月11日,2010年2月24日 基線測量絵図、都市計画図のリンクを追加のうえ一部修正 |
予期しない出来事 |
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2000年から始めた三角点ハイキングも10年目になり、三角点500箇所ぐらいのつもりが、1000箇所を超えるまでになった。歩いていると、城跡や古墳、集落跡、天然記念物など予期しないものを現地ではいろいろと見かけるし、思わぬ出来事も起こる。「ちょっと怖い体験」で書いた観音山の出来事もそうだったが、他に印象に残った出来事を二つ紹介したい。
次は人との出合いだが、「遠州の山と峠」の著者である山岡さんと山行途中の林道でお会いしたのだ。2006年6月1日、その「遠州の山と峠」を参考に三本栃山に行くため林道をマウンテンバイクで走っていた。前方に二人で歩いている登山者がいて、追い抜く時に話かけた。どこへ行くのかと聞かれたので、三本栃山と答えると、「なんでそんな山に」と言うので、三角点があるからだと説明した。「もしかして低山さん?」と言ったのが著者その人であった。実は、山岡さんはその三ヶ月ほど前からYahooの掲示板「静岡県中西部の低山・薮山、情報交換室」に書き込みをしてくれるようになっていたのだ。 2010年2月17日 |
いろんな所にありました |
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面白い、または変わった所にあった三角点をまとめてみた。 SLの通る線路横・・・・・・島田「道上」 浜松城、天守閣の横・・・・・浜松「浜松」 石灯籠の中・・・・・・・・・伊平「大平」 台座が天然の大岩・・・・・・豊橋「疣沢」 ツツジの植え込みの中・・・・向谷「阿知ヶ谷」 お堂正面の台座・・・・・・・向谷「大草山」 道路上・・・・・・・・・・・気賀「白昭」 警察無線の設備敷地内・・・・島田「無線塔」 屋根の下・・・・・・・・・・千頭「楢尾村」 安倍川中洲の小島・・・・・・静岡西部「舟山」 古タイヤの内側・・・・・・・山梨「北島」 丸管の内側・・・・・・・・・焼津「藤枝宿」 こんどは、見つけるのに苦労した三角点。なんといっても埋もれている三角点がやっかいで、次が薮に隠れているもの。植物に勢いのある時期の草薮は手強いし、笹も太いのが密集していると身動きも難しいくらいだ。 笹薮・・・・・・篠井山「地蔵峠」 新居町「雉子田」 新居町「中之郷」 掛川「神谷城」 草薮・・・・・・気賀「平松村」 三河富岡「奥山村」 倒木の下・・・・高里「須長村2」 砂利の下・・・・掛川「和田」 千浜「塩原新田」 土の下・・・・・高郷「下泉」 家山「鵜山」 八高山「栗島」 千浜「合戸」 山梨「丸の内」 茶畑の中・・・・「茶畑の三角点」参照 砂丘の砂の下・・「砂丘の宝探し」参照 2010年2月17日、2010年4月10日 島田「道上」追加 |
茶畑の三角点 |
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茶処静岡には茶畑に三角点のある所が多く、いままでに五十ケ所以上はあった。お茶の株の中だったり、埋もれているものもあるので、見つけられないこともある。ハイキングの途中で見つけられない所へは、後日、車で直接その場へ行くことになる。また、同好者が見付けてくれたりすると、間を置かずに確認に駆け付けたりもする。
島田・・・小屋原 牧ノ原 相良・・・菅ヶ谷村 大江 御前崎・・比木村 掛川・・・青木原 八高山・・鍋島 西原 安田 大根原 家山・・・東原 山梨・・・睦実村 一番思い出に残るのは「大根原」で、GPSを持たない頃なので、地形図を頼りに茶畑を探し回った。次は「小屋原」、ここは埋もれているので、難しかった。「牧ノ原」では、匍匐前進しながら茶株の間を探した。何回か探しにいって、いまだに見つからないものもまだある。 ところで、一度失敗してしまったことがあるのだが、茶摘みの頃には行かないこと。迷惑になるし、茶葉が茂っていると見付けにくいということもある。 (写真は塩買坂を西隣の尾根の農道から写したもの 撮影日2004年9月9日) 2004年9月9日,2010年2月15日 全面改訂 |
御前崎の多角点 |
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地形図「御前崎」に、三角点や水準点ではないのに小数点以下1位の数字があちこちにあるのに気がついただろうか。インターネットで国土地理院の基準点成果が閲覧出来るようになり、それらが二等多角点であることを知った。数えてみると11箇所ある(略図参照)。私が歩いている愛知東部、静岡県の中西部では、ここ御前崎以外に多角点はない。数年前に「磐田」に一つ残っていたのだが、いつのまに削除されていた。それだけに御前崎の多角点は貴重だといえるかも知れない。 三角点は三角測量により測量されるが、多角点は多角測量という方式だそうだ。また、一等や三等はなく、すべて二等多角点とのこと。国土地理院が設置したのは、昭和26年から昭和53年までで、図中にある御前崎の多角点は18454が昭和50年、残りはすべて昭和46年だ。 始めてこれらの多角点を探したのは2006年5月30日で、18453と18455だったが、二つとも見つけられなかった。2009年の4月9日には地頭方の釣月院近くの奥の谷ビオトープ横の溜池を起点に、18452から北に18720,18719,18718、南西に下って18550、南に18456,18455、南東に18453、以上八ケ所を順番に歩いて回った。軽便鉄道の駅跡、起伏に富む丘陵、丘陵から見下ろす駿河湾、風力発電の巨大な風車などあって、ハイキングとして歩くには楽しいルートだった。しかし、多角点自体はなんと一つも確認出来なかった。八ケ所も巡って一つも見つけられないなどというのは、私の三角点探訪ではかつて無い。 それ以降にも探しに出かけているのだが、現時点では18721と18456しか確認できていない。(他のものについての現況はこちら) 2010年1月18日 |
三角点は屋上に 〜袋井〜 |
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「K部1」これは点名「山科」という三角点の冠字選定番号だ。「部」は冠字といい、測量官毎に違う漢字1字が与えられる。国土地理院から依託された民間会社にも、会社毎に冠字が与えられるが、漢字の前にKをつけて区別している。「K部1」の「1」は、「部」という冠字の測量会社の連番で、1/50000地形図に重複した連番があってはならないという規則だという。 以前、わが袋井市の市街地にある三角点を調べていたら、ほとんどが屋上にあることがわかった。いちいち許可をとれば見せてもらえるのだろうが、そこまで熱心にはなれない。それで、そのまま忘れていたのだが、ふと同じ人の選定かもしれないと思い、冠字を調べてみることにした。結果は思ったとおりだった。すべて四等三角点でを設置年順に並べてみると・・ 冠字選定番号 点名 場所 設置年 足4 国分寺 東小学校屋上 S58 坂48 袋井 西小学校屋上 S63 K部1 山科 東名管理事務所屋上 H9 K部2 袋井北小 北小学校屋上 H9 K部3 国本 コンクリート通路の屋上 H9 K部4 消防署 消防署屋上 H9 K部5 愛野公園 愛野公園の丘 H9 K部6 三門町 建設業協会建物屋上 H9 K部7 高尾 公民館屋上 H9 平成9年に「部」測量会社は七箇所設置しているが、愛野公園のほかは全部屋上(「国本」は建物ではないが、建造物ということで含める)だ。ここで、推理を働かせてみる。「部」は国土地理院から設置を委託された時、既存のものを当然調べる。「国分寺」「袋井」は二つとも小学校の屋上だった。それなら私も、というわけで公共施設・建造物の屋上に設置箇所を決めていく。ひとつ民間の建築業協会の建物があるが、これは「部」の会社が入っているビルだったのだろう。 ということで、三角点の標高を地形図で見る時には、それが建物の屋上にあるものかどうか注意が必要だ、特に袋井市は。こんなに屋上の三角点が集中しているところって他にあるのだろうか。 2009年11月6日 |
砂丘の宝探し |
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地形図や点の記の要図を見て三角点を探していると、まるで宝探しのような気分になる人は多いようで、インターネットでもそのような記述をよく見かける。実際に地図を頼りに埋もれている標石を探し当てた時は気持ちのいいものである。茶畑の三角点のことは以前に記したが、いままで経験したのは深くても地下数十センチだった。これから記すのは地下1メートルにあった標石の話だ。この時は正に宝を掘り当てたようにうれしかった。 浜岡砂丘を海岸沿いに西に向かうと新野川の河口に至る。その河口近くの防砂林側の小高い砂地に それが10月31日になって、私のサイトの掲示板に、近頃、掛川のあちこちの標石にICタグが取り付けられているという書き込みがあった。さらに11月2日には浜岡でもICタグの標石を見つけたという情報が同じ方から入った。それによれば、「新野川」には穴を掘った跡があり、その後をさらに掘り進めたが(1.5mぐらいほって、途中まで埋め戻したそうだ)見つけられなかったという。 早速、翌3日に現地へ。途中、やはり地中で見つけられなかった3キロほど西にある「塩原新田」と浜 2009年11月5日 |
地図読みが縁 〜Ryoさんのこと〜 |
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Yahoo掲示板で地図読みの面白さを吹聴していた頃、オフ山行に声をかけてくれたのがRyoさんだった。それ以来、普段もメールや電話で話す仲になり、三角点ハイキングにも度々同行してもらった。その彼が、出会ってから三年後にガンに罹り、余命一年と宣告された。幸い1年以上たっても、治療の成果なのか、時にはマウンテンバイクで走ったり、山歩きすることもあって、このまま病気とうまく付き合っていけるのではないかと、他の山仲間と共に期待していたところだった。 しかし、今年の4月12日にメールを交わして以降はメールをしても返事がこなくなった。8月19日になって、彼のお姉さんから私の携帯にメールがあり、5月7日に亡くなっていたことが分った。4月27日に私がメールに添付したスズランの花(左下写真)を待ち受け画面にしてくれていたという。ここにRyoさん(Ryoさんの写真)を偲ぶために、彼と歩いた山をまとめておいた。なお、Ryoさんというのは掲示板でのハンドルで、出合いのきっかけだったトピックスは消滅して久しいが、「静岡県中西部の低山・薮山、情報交換室」にいくと彼の投稿が見られます。
[2004年] 1月 本宮山(森町)、4月 日本ヶ塚山、11月 朝日岳、12月 ボンジ山,「向山」(地形図・中部 710.1三角点) [2005年] 1月 高土山・「ハンノ木」(地形図・熊 461.3三角点)、2月 「平野」(地形図・伊久美 752.6三角点)、4月 三ツ森山、10月 京丸山 [2006年] 10月ごろ発病 [2007年] 3月 マウンテンバイクで豊岡ゴルフ場付近を二人で走る [2008年] 2月 法多山の裏から小笠山、私との最後の山歩きとなる [2009年] 3月に悪化し、4月23日ホスピス入、5月7日 死亡 2009年8月24日 |
旧市町村別、最高標高地点は? |
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2003年の梅雨時に、雨で山歩きが出来ないので畳の上に地形図を拡げて一番標高の高い所はどこか、当時の(清水市が静岡市と合併した頃で、浜松などはまだ合併前であった)静岡県中西部の市町村別に調べたことがある。境界線を確認し等高線を追う根気のいる作業だった。結果をインターネット掲示板に掲載したのだが、そのまま忘れていた。新居町を先日歩いていて、町で一番標高の高そうな所にある三角点を訪れた時に「そういえば・・」と思い出した。 標高順に並べてみる。左から市町村名、標高(m)、所在地・「」は三角点の点名である。
こうしてみると三角点のある所が24(重複あり)であり、未踏の中ノ尾根山と本サイトの範囲外である光岳・間ノ岳(登頂はしている)を除いて本サイト掲載済である。物見塚は、今思うと空港工事前に見ておかなかったのが残念でならない。なお、間違いや漏れがあればご指摘下さい。 2009年7月8日 |
これってどうなの、国土地理院さん |
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次は新設の三角点についてです。2007年に八高山周辺に四等三角点が三ケ所新設された。その中の一つ812.8「奥山北」は山頂の一等三角点「八高山」から直線距離でほんの500mほどしか離れていない。調べてみると三角点の配置密度というのがあり、それによると「四等点以上を通じて2平方キロに1点」「平均辺長 1.6km」ということになので、やはりここは配置密度が守られていないことになる。 井川峠の南にある深沢山。ここの三角点と言われている標石、実は他の標石なのではないか(国土地理院の基準点情報では「正常20020423」となっている)とネットを通じて知り合った山登りのベテランお二人から聞いていたので昨年の11月に自分の目で確かめて来た。結果はお二人の言う通りで、本物は崖崩れで失われてしまったものと思われる。この件、「大平」の地形図のミスとあわせて国土地理院の中部地方測量部に連絡しているが音沙汰ない。 現地で三角点を探し回った結果、深沢山のように「亡失」かと思われる箇所はいくつかある。そういう場所の国土地理院の基準点情報が「不明」なら、それはそれで納得がいくのだ。しかし「不明」だったはずが、いつのまにか正常に戻っていると、現地を知っているだけに「うそでしょう」といいたくなる。たとえば240.4「上野辺村1」は「不明01/07/30」だったのが「正常
20051001」 と変更されているのに気がついてすぐに出かけて見たが、やはり標石は見当たらない。ほんとうにあるの? 2009年1月11日 |
地形図も間違える |
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2005年2月、1/25000地形図「三ヶ日」の196.9四等三角点(点名「三軒家」)でのことである。地形図(修正前)の黒の三角点記号のほうがオリジナルの位置で、三角点は尾根の南西斜面にあることになっている。その斜面に行くと、ひどい薮であり、三角点は見つけることが出来なかった。 あとで「点の記」を見ると、三角点はピークにあることになっている。その年の12月に再訪し、点の記をもとに尾根に絞って探したところ、感覚的には図の赤い三角点記号の位置あたりで発見した。すぐに国土地理院に連絡したところ、その後の改訂で地形図が修正された。修正後の地形図を見ると、200m等高線が違っていたことがわかる。 2006年2月に新たに間違いを見付けたのは「高郷」の四等三角点「ワラビクボ」で、道路の外側(谷)すぐのところに三角点記号が描かれているのに実際は山側に少し登ったところにあった。もっと前の2001年12月にも「山梨」の四等三角点「馬頭山」で地形図通りの場所に三角点がなく、この時は道が間違った位置に描かれていた。「ワラビクボ」についても国土地理院に連絡し、その後修正されている。 (道については廃道になったり、新しくできていたりすることが多いので、いちいち国土地理院に連絡することはしていない。) 2006年2月28日,2007年7月24日(修正後の地形図を追加、本文も加筆修正した) |
ちょっと怖い体験 |
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平日に出かけることが多いということもあるが、山歩きをしていて人に出会うことはあまりない。私の行き先は、三角点があるというだけで登山道があるかどうかわからないような所なのだから無理はないだろう。しかし、さすがにハイキングコースとして人気のあるところ、例えば八高山、大札山や蕎麦粒山などでは何人ものハイカーと行き会った。
はじめはどこかのツアーの登山客かなと思っていたがなにか様子が違う。三角点(水窪湖、1418.2、三等、観音山)は山小屋とは別の建物の横にあったのだが、その建物は社のようで、そこで宗教儀式が始まるようなのだ。周囲の人に趣味で三角点巡りをしているのだと言い訳しながら三角点の写真を撮ったが、何か因縁をつけられそうで怖かった。それでも友好的な態度を示そうと焚火を囲む輪に入れてもらったら、隣の人が私の頭の上に手をかざしはじめたのだった。 2004年9月4日,2010年2月16日 写真を追加 |
掘り起こされていた三角点 |
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なお、「亡失」とは「盤石が無くなっていることを確認したもの、または盤石はあるがその位置が測量成果の表示する位置と異なっていることが点の記等で明らかであるもの」だそうだ。また、本点はその後再設された。 2004年6月10日,2007年7月24日(写真を追加),2009年1月17日(再設を追加) |