磐田

←浜松↑笠井↓掛塚→袋井

国土地理院 北西 北東 地形図表示
南西 南東


#1420 △7.3 四等 立野

7立野

撮影日 2013年6月1日

香りの公園駐車場を起点に、2011年の10月にこの周辺に設置された三角点を巡ることにする。

公園の西側に香りの博物館があるのだが、その博物館の入口が見える道路脇に本点は設置されていた。

(「前野」(#1421、下欄)に続く)

#1420/#1420〜1423


#1421 △5.6 四等 前野

5前野

撮影日 2013年6月1日

(「立野」(#1420、上欄)の続き)

香りの博物館の前の道路を南下して豊田町駅に向かう。駅南に抜けてからは300mほどで狭い路地に入り、田圃や水路の脇を通って新幹線線路のほうに行った。

三角点は線路南側の揚水機場の横に設置してあった。

(「森本」(#1422、下欄)に続く)

#1421/#1420〜1423


#1422 △9.0 四等 森本

9森本

撮影日 2013年6月1日

(「前野」(#1421、上欄)の続き)

揚水機場からは、新幹線沿いの道を600mほど西に進んでから、気の向くままに路地を通り抜けたりして森本に向かった。途中、変わった秋葉常夜灯やおもしろそうな銘木店をみつける。

天竜川左岸の土手から住宅地に降りたところに、ただの空地にみえる小さな公園があり、そこに本点が設置されていた。今日見てきた二つと違い、地下埋設である。

(「弥藤太島」(#1423、下欄)に続く)

#1422/#1420〜1423


#1423 △9.2 四等 弥藤太島(やとうたしま)

9弥藤太島

撮影日 2013年6月1日

(「森本」(#1422、上欄)の続き)

「森本」から長森、森下を経て森岡に向かう。このあたり、昔は「森」だったのだろうか。

本点は豊田コミュニティセンターにある。道路沿いのガードレール内側に、しっかりした保護石に囲まれて設置されていた。

ここからは起点の香りの公園までは、一本道である。国道1号線、旧東海道を横切って公園に戻った。

#1423/#1420〜1423


#1270 △3.5 四等 城之崎

3.5城之崎

撮影日 2011年6月25日

今之浦もそうだが、安久路も中世までは海に繋がっていた。その安久路と城之崎に残った三角点があり、ひょうたん池の見学も兼ねて見て回ることにした。

ひようたん池から西の道路にでて左に進み、最初の信号を右に折れると、西側に小さな公園がある。園内にはいると、すぐに表示杭が目についた。横に三角点のプレートと鉄蓋があるが、蓋は開けられなかった。

blog

(「安久路」(#1271、下欄)に続く)

#1270/#1270〜1271


#1271 △4.9 四等 安久路

4.9安久路

撮影日 2011年6月25日

(「城之崎」(#1270、上欄)の続き)

「城之崎」から258号線を北に進み、城之崎交差点を過ぎて磐田東高の南側道路におれて安久路一丁目に下る。水路の先で右に折れ、すぐ先の左手に有る公園に入った。

こちらの三角点には表示杭はなく、「安久路」や、この周辺によくあるマンホール型だった。ここも開けることは出来なかった。

500mほどしか離れていない、起点のひょうたん池に戻る。

#1271/#1270〜1271


#1268 △4.8 四等 竜洋町役場

4.8竜洋町役場

撮影日 2011年6月23日

天竜川左岸河川敷の新幹線鉄橋下に駐車する。西風が強かったので堤防の道路を南下するのはやめて、高木、堀之内などの屋敷林や田圃との境を歩いて旧竜洋町役場へ向かった。

現在は磐田市役所支所の駐車場に行くと、三角点の横にりっぱな石碑があり、点名や緯度、経度、測量日などが刻字されている。緯度・経度は旧測地系のままなのはいうまでもない。

(「中島」(#1269、下欄)に続く)

#1268/#1268〜1269


#1269 △10.7 四等 中島

10.7中島

撮影日 2011年6月23日

(「竜洋町役場」(#1268、上欄)の続き)

「竜洋町役場」からは隣の竜洋中学校の西側に行き、金蔵寺・熊野神社の横を通る道を進み、堀之内に行く。そこの交番横で路地に入ってから工場横の水路に出、そのまま水路沿いを歩いた。

新幹線の高架下を過ぎると、水路の水は干上がってきて、水路自体も無くなった。その先の赤池で左の堤防に行き、堤防中段の草むらを70mほど行って注意深く周囲を観察した。石が重なっている所を見付けたので、石を退かして行くと蟻の巣になっていた。卵を抱えて蟻が逃げていき、そこを掘り起こすと金属票が出て来た。

河川敷に降りて、南側に見えている新幹線の鉄橋の下に戻った。

#1269/#1268〜1269


#1266 △10.1 四等 下石田

10.1下石田

撮影日 2011年6月18日

天竜川橋南側の右岸河川敷に駐車。雨が降り出してもいいように傘を持って歩き出す。

神社近くで堤防を降り、白鳥町を西に向かう。東名取り付け道路を渡り、流通元町の倉庫群を通り抜けると水田があった。その水田の先の畑に白い杭が見えるので、そちらに向かって畦道を進んだ。

やはり白い杭は表示杭で、畑の北側にあるマキの生垣の横に三角点があった。

(「中野」(#1267、下欄)に続く)

#1266/#1266〜1267


#1267 △9.5 四等 中野

9.5中野

撮影日 2011年6月18日

(「下石田」(#1266、上欄)の続き)

「下石田」をあとにすると雨がぽつぽつ降り出した。傘をさしながら、松小池町から中里町へと向かった。

堤防手前にいくと水防団の建物があり、その敷地の角のフェンスに表示杭が縛りつけてあった。傍におなじみの日本地図柄の鉄蓋がある。

河川敷の上流側の駐車地点に戻る。このあと雨が本降りになったので、なんとかセーフというところだった。

#1267/#1266〜1267


#1264 △17.3 四等 馬道

17.3馬道

撮影日 2011年6月17日

かぶと塚公園から歩くことにした。最初に、南に下って中部小学校に向かう。

中部小には校庭に四等三角点「久保」があるのだが、現地に行くと道路沿いは比高二m以上の土手と背の高い生垣であった。さすがに、この中を覗くのは憚られ、ここの三角点を見るのは断念した。

住宅街を西に進み、次は国府台平公園に行った。砂場の近くに表示杭があり、マンホール型の蓋の側にはプレートもあったので三角点はすぐに分かった。鉄蓋も素手で開けることが出来た。

(「下万能」(#1265、下欄)に続く)

#1264/#1264〜1265


#1265 △6.3 四等 下万能

6.3下万能

撮影日 2011年6月17日

(「馬道」(#1264、上欄)の続き)

「馬道」から南下して、西新町で西に折れて、坂道を下る。そのまままっすぐ工場地帯を下万能に向かっていると、コーヒーの香りがしてきたので、大きな建物を見上げると高砂珈琲と書いてあった。

本点の周囲は草むらで、表示杭の回りの草を抜いたり毟ったりして写真のような状態にした。白い円形のものは陶器標で、コンクリートに埋め込まれていた。普通は蓋に付いていて、その蓋を開けると標石があるので、こういうのは珍しい。

台地の麓まで戻り、今度は水路沿いを北に国道までいき、東に進んでかぶと塚公園に戻った。

#1265/#1264〜1265


#1258 △7.0 四等 原島

7.0原島

撮影日 2011年6月4日

今回は、すぐ隣の大型ショッピングセンターに駐車し、南の相生に行ってから、浜松アリーナを経由して戻るというルートで、途中五ケ所の三角点に立ち寄る計画だ。

最初に原島変電所に行く。三角点は道路から金網越しに見ることが出来た。

(「蒲」(#1259、下欄)に続く)

#1258/#1258〜1262


#1259 △5.3 四等 蒲

5.3蒲

撮影日 2011年6月4日

(「原島」(#1258、上欄)の続き)

原島変電所からは西に800mほど行ってから、川沿いの道路を南下した。

蒲小学校の南側にいくと、校庭に表示杭と三角点が見えた。百葉箱と三角点は写真のよう仕切られている。校庭を囲う金網の隙間から写真を撮った。

(「佐藤」(#1260、下欄)に続く)

#1259/#1258〜1262


#1260 △5.8 四等 佐藤

5.8佐藤

撮影日 2011年6月4日

(「蒲」(#1259、上欄)の続き)

蒲小学校からは西に向かい、労災病院の西側の路地を通り抜け、佐藤小学校へと行った。

佐藤小では運動会が行われており、父兄も大勢いて賑やかだった。門が開放されていたので、ちょっと内側に入って標石の写真をとらせてもらった。

(「相生」(#1261、下欄)に続く)

#1260/#1258〜1262

【2015年廃棄】


#1261 △3.9 四等 相生

3.9相生

撮影日 2011年6月4日

(「佐藤」(#1260、上欄)の続き)

佐藤小から更に南下。152号線を横断し、JR線路の下を潜ると相生公園があったので、そこで休憩することにした。

相生小学校に行くと、ここも運動会であった。学校の北西の角にある若竹放課後児童会の建物のほうに行ってみると、物置の横に表示杭が見えた。玉砂利をかき分けると、三角点と書かれたプレートとマンホール型の蓋が現れた。しかし、蓋を開けることは出来なかった。

(「永田村」(#1262、下欄)に続く)

#1261/#1258〜1262


#1262 △5.4 三等 永田村

5.4永田村

撮影日 2011年6月4日

(「相生」(#1261、上欄)の続き)

相生小から東に向かい、大通りに出てからは、その歩道を北上し、152号線の子安交差点で右折して浜松アリーナへと行った。

アリーナ西側の路地に入って行くと、マンホールがいくつか現れる。蓋に下水道と書いてあるものもある。GPSで位置を調べ、本点の収まっている蓋を特定した。

蓋の直径は約68センチある。開けることを試みては見たが、やはり専用の道具なしでは無理であった。(本物のマンホールに収まっている標石というのは、全国的にも珍しいと思うので、どなたか中の写真を撮影できたら見せて下さい)

浜松アリーナをあとにし、起点のショッピングセンターの駐車場に戻る。

#1262/#1258〜1262


#1255 △3.0 四等 南陽公民館

3.0南陽公民館

撮影日 2011年5月25日

立野町のイオンから裏通りを歩いて南陽公民館へ行った。途中、けっこう農地が残っていて、畑だけで無く田圃もあった。

公民館の入口右手に三角点はあったが、日本地図柄の鉄蓋があって、標石そのものは確認できなかった。

(「大柳村」(#1256、下欄)に続く)

#1255/#1255〜1257


#1256 △2.8 三等 大柳村

2.8大柳村

撮影日 2011年5月25日

(「南陽公民館」(#1255、上欄)の続き)

南陽公民館から西に向かい、芳川を渡り、国道を横断して大柳町へ入る。

三角点は道路横にあり、表示杭が離れた所からも見えていたので探すまでもなかった。標石には補修の跡がみられた。隣の田には水が入っていたが、まだ田植えはしていない。

(「都盛村」(#1257、下欄)に続く)

#1256/#1255〜1257


#1257 △2.7 三等 都盛村

2.7都盛村

撮影日 2011年5月25日

(「大柳村」(#1256、上欄)の続き)

「大柳村」三角点から、そのまま道路をまっすぐ北上し、参野町で東のほうに向きを変え、芳川を渡って芳川公園(芳川は「よしかわ」でなく「ほうがわ」と読むようだ)へ行った。広くてきれいな所だったので、ベンチで暫し休憩する。

公園を出て南陽中のグラウンドの北側に行き、ネット沿いを歩きながら、グラウンドの内側を探す。標石も表示杭もなかったが、コンクリート枡があった。その位置から、標石は枡の中にあるはずだ。ネットと枡の間は数mで、写真はネットの隙間から撮った。

最短ルートをとって立野町の起点に戻る。

#1257/#1255〜1257


#1138 △6.6 四等 新貝公園

6.6新貝公園

撮影日 2010年9月29日

天竜川橋から700mほどの右岸河川敷に駐車した。公園になっている河川敷の遊歩道を南下する。東海道線を過ぎると天竜川緑地で、広いグラウンドがある。新幹線の鉄橋を過ぎても歩道は続いていた。

本点に近付いたので堤防を登って車道に出、工場南端までいくとに堤防から降りる階段があった。その工場の西隣のちいさな公園の、道路側のフェンスの角に表示杭が見えた。

公園の南東角、カバの遊具(写真の赤矢印)と表示杭の間の地面に棒を刺していたら堅いものに当たった。掘ってみるとコンクリート面が見えて来たが、素手ではそれ以上は無理だ。後回しにして、老間町に向かう。

(写真はハイキングを終えてから車で戻り、道具を使って掘り起こして撮影したもの。鋳鉄製の蓋が付いていた。地下約10センチほど。)

(「老間」(#1139、下欄)に続く)

#1138/#1138〜1140


#1139 △9.3 四等 老間

9.3老間

撮影日 2010年9月29日

(「新貝公園」(#1138、上欄)の続き)

新貝公園から堤防の車道に戻り、今度は河川敷に降りずに、そのまま南下を続ける。道路の突端まで行くと、その先は写真のような激薮だった。

GPSを頼りに、セイタカアワダチソウなどを掻き分けたり踏み倒したりして、本点に接近した。足下の、倒した茎を手で掻き分けて、やっと標石を見つける(写真、赤矢印の下あたり)。

(「青屋」(#1140、下欄)に続く)

#1139/#1138〜1140


#1140 △6.9 四等 青屋

6.9青屋

撮影日 2010年9月29日

(「老間」(#1139、上欄)の続き)

「老間」からは安間川左岸堤防の車道を北上する。安間橋で右岸に渡り、右岸堤防の車道を行った。河川敷側の樹木はよく茂っていて、大木も多い。車道両側が大きな木の並木道になっている箇所もあった。

市場橋からは堤防の道は歩行者専用となるが、草が迫って来て歩道を狭くしていた。東竜光橋で左折して1号線まで行き、右折して歩道を歩いて「いきいきプラザ」まで行くと、歩道から三角点が見えた。

東竜光橋に戻り、東に向かい、鶴見町から河川敷の駐車地点へと戻る。

#1140/#1138〜1140


#1113 △4.3 三等 千手堂村(せんずどうむら)

4.3千手堂村

撮影日 2010年7月31日

(「浜部」(掛塚#1112)の続き)

「浜部」から鮫島へ行き150号線を渡ると、押切まではまっすぐ車道が続いている。突き当たりの丁字路を右に折れ、すぐ先の水路沿いのほうに行くと、草地の空地がフェンスで囲われていて、フェンス内側に表示杭が見えた。

水路を飛び越して、フェンスに近付くと、表示杭の左に標石が見えた。フェンスは低くて、乗り越えられないことはないが、立ち入り許可を得て無いし、内側に入るのは止めた。

(「五十子村」(袋井#1114)に続く)

#1113/#1112〜1114


#1073 △8.5 四等 大楠

撮影日 2010年5月15日

恒例の車の点検待ち時間を利用した三角点巡りの六回目。見付の三菱自動車販売を出て、今之浦川の堤防を歩き、市民会館の西側の通りから磐田駅に向かう。周囲は区画整理が進んで新しい住宅・建物が多くなり、知らない街に行ったみたいだ。

小さな駅前公園には「善導寺の大樟」があって、その一本の大木だけで公園のほとんどが木陰になっている。園内の一画、マンホール型の蓋を開けると、ICタグの付いた標石が収まっていた。

(「海老塚村」(#1074、下欄)に続く)

#1073/#1073〜1075

※ 本点は2013年に廃棄された


#1074 △5.3 三等 海老塚村

撮影日 2010年5月15日

(「大楠」(#1073、上欄)の続き)

駅前公園から西に向かう。このあたりの商店はシャッターを下ろしているところが目立つ。450mほどで左に折れ、踏み切りを渡って路地を行き、大通りに出てヤマハ発動機工場のほうに向かった。

新幹線線路沿いの道に入って200mほど行くと、小さな畑があって、標石が見えた。これは明治19年に設置されていて、角が補修されており、刻字も薄れて読み取り難くなっていた。ICタグは幸い取り付けられていない。

(「坂上」(#1075、下欄)に続く)

#1074/#1073〜1075


#1075 △12.7 四等 坂上

撮影日 2010年5月15日

(「海老塚村」(#1074、上欄)の続き)

「海老塚村」三角点横の道路を北に向かい、天竜の路地を選んで通り抜け、東海道線を横切る高架橋を渡って中泉に行った。

中泉の公民館にある三角点、ここもマンホール型だが、蓋を素手で開けることは出来なかった。ここには「旧東海道」と刻字された小さな石碑と、昔の街の様子を伝える掲示板がある。

路地を抜けてから、磐田農工の方に行く。磐田農工の校内には国旗掲揚塔横に四等三角点「中泉」があるのだが、残念ながら外からは見えないので諦めて、今之浦に下り、見付の起点に戻った。

#1075/#1073〜1075


#1000 △9.1 三等 市野村

撮影日 2009年11月9日

1000個目は私も行くと家人が言うのだが、事情があって一緒に遠出は出来ないので、買い物のついでに行ける所にした。

ジャスコ市野店北側の駐車場から西に向かい、馬込川まで行ったら堤防の道を下流に進む。表示杭が先に見えて来て、道の横の標石はすぐに見つかった。角が欠けて補修した跡がある。

家人が「千」の人文字を作ってくれたが、左右の手が逆だったことに、家に戻って写真を見るまで気が付かなかった。


#929 △47.6 四等 元天神

47.6元天神

撮影日 2009年5月11日

車検の為に預けた車を引き取りに、昨日は自宅から東名の側道、岩井原を通ってつつじ公園から見付まで歩いた。その途中、元天神社の境内で本点を探す。一本の木を中心にした円形の花壇の中に表示杭があったので、その周囲の土に棒を刺してみたのだが見つけることは出来なかった。

翌日の今日、点の記の要図のメモと巻尺・バールを持って再び元天神へ行った。バールを持ったのは、ネット掲示板で同好者からマンホール型の蓋があるから準備したほうがいいとアドバイスがあったからだ。

入口のフェンスから6.7メートルなので、その弧に沿って地面を調べ、すっかり土に覆われていた蓋を見付けた。


#926 △42.5 四等 大久保

42.5大久保

撮影日 2009年5月9日

見付の自動車販売店に車検のため車を預け、袋井の自宅(可睡斎近く)に歩いて戻るあいだに三つの三角点に立ち寄ることにした。

まずは富士見町を通って東大久保運動公園のほうに行く。東側窪地にある運動公園沿いに住宅街外れの道路を北西に歩いて行くと、右手の小高くなっている所に本点があった。

運動公園から国道に出て、岩井の交差点から明ヶ島へ向かう。

(「明ヶ島」(袋井#927)に続く)

#926/#926〜928


#778 △3.1 四等 磐田

3.1磐田

撮影日 2008年5月17日

また車の点検の待ち時間にR1沿いの三菱自動車販売から付近の三角点を見て回った。

まず国道を西に向かい一番町信号で左折して交通安全教育センターへ行く。

建物の東側の植え込みの横に表示杭を発見したが、近くに標石は見当たらない。仕方なくGPSを取り出して子供たちが交通ルールを学んでいる構内へと立ち入り、マンホールの蓋の隣に三角点と書かれたプレートを見つける。蓋を開けるのは目立つので止めた。

(「国府台」(#779、下欄)に続く)

#778/#778〜781


#779 △21.0 四等 国府台

21.0国府台

撮影日 2008年5月17日

(「磐田」(#778、上欄)の続き)

交通安全教育センターをでて府八幡宮の境内を通り抜け国分寺跡へと向かう。

国分寺跡から高校の西側の道路を少し北上してから裏道に入って旭ヶ丘公園に到着。花壇の近くに三角点の納まったマンホールの蓋があったが、素手では開けることが出来なかった。

(「城ノ腰」(#780、下欄)に続く)

#779/#778〜781


#780 △6.3 四等 城ノ腰

6.3城ノ腰

撮影日 2008年5月17日

(「国府台」(#779、上欄)の続き)

国府台の旭ヶ丘公園から加茂川の交差点に下り、見付の商店街のほうに行ってから見付公民館へと行く。

ここはマンホールの中でなく花壇の中だったので表示杭と標石はすぐに目にとまった。

すぐ隣の川沿いを歩いて国道に出てから城山球場へと向かう。

(「城山」(#781、下欄)に続く)

#780/#778〜781


#781 △16.3 四等 城山

16.3城山

撮影日 2008年5月17日

(「城ノ腰」(#780、上欄)の続き)

見付公民館から城山球場へ行く。

正面右側の駐車場の北西の端に表示杭とマンホールの蓋があった。ここも素手では蓋をあけられずに中までは確認できない。

球場の内野席にいって暫く少年野球の練習を見てから起点の三菱自動車販売に戻った。

#781/#778〜781


#707 △34.1 四等 天神平

撮影日 2007年11月13日

昨年同様に車の点検の待ち時間に周囲の三角点を巡ることにした。今回の四つはすべて公園内の三角点だ。

見付の国一沿いの販売店から見付天神に行き、つつじ公園の中に入ると季節外れの花をつけているツツジがいくつもあった。北の奥に進み、散策路からはずれて突き当たりの住宅地の西端のほうに入っていくと表示杭と保護石が見えた。(写真のフェンスの先は崖で下に道路がある)

(「川原山」(#708、下欄)に続く)

#707/#707〜710


#708 △14.6 四等 川原山

撮影日 2007年11月13日

(「天神平」(#707、上欄)の続き)

つつじ公園北側の道路を下ってから右折して今之浦川の上流方向に向かう。川沿いの道がなかったので地形図通りに道路を歩き、「せせらぎの郷」という住宅地に入る。

三角点は川沿いの調整池北側の公園内にあり、表示杭があったのですぐに分かった。

(「水堀」(#709、下欄)に続く)

#708/#707〜710


#709 △32.3 四等 水堀

撮影日 2007年11月13日

(「川原山」(#708、上欄)の続き)

「川原山」から見付ICに行き、バイパスの側道を西に向かう。水路の先を左折すると左手に小さな公園が見えてきた。

ここ一の谷公園はただの公園でなく「一の谷中世墳墓群遺跡」があり、火葬遺構・土坑墓・集積墓・塚墓などが見学出来る。それらを見ながらも標石を探すが見つからない。結局、すべり台の近くにあったが蓋がしてあって分かりにくかった。(表示杭はなく、近くに別のマンホールもある)

(「大明神」(#710、下欄)に続く)

#709/#707〜710


#710 △29.5 四等 大明神

撮影日 2007年11月13日

(「水掘」(#709、上欄)の続き)

一の谷公園から南西に向かって大通りにで、少し南に進むと左側に大きな木と赤レンガの建物があった。案内板を見ると「旧赤松家門・塀・土蔵」で磐田市の指定文化財だそうだ。入館無料なので見学してから、赤松家を出て交差点を右折し、住宅街の狭い急坂を登ってかぶと塚公園に向かった。

公園では大勢の子供達がお弁当を広げていた。そんな中、公園敷地の生垣側を歩いて行くと表示杭があり、おなじみのマンホールタイプの三角点があった。

坂を下って見付宿場通りに出、国一沿いの自動車販売店に戻った。

#710/#707〜710


#629 △10.8 四等 豊田

撮影日 2007年4月29日

池田の天竜川左岸河川敷が熊野の長フジまつりの駐車場になっていた。そのあたりが池田の渡船場だったのだろう。堤防の道を少し行くと池田橋跡で、フジを見に行く観光客が大勢行き来していた。

そこから北東に路地を歩いていくと新町不燃物集積所があり、その横に三角点があった。三角点「大池」(#482 参照)と同様の日本地図が描かれた蓋があり、素手では開けることが出来なかった。

行興寺の熊野の長フジを見てから磐田原台地にある次の三角点を目指した。

(「匂坂下村」(#630、下欄)に続く)

#629/#629〜631


#630 △60.3 三等 匂坂下村

撮影日 2007年4月29日

(「豊田」(#629、上欄)の続き)

池田から歩いて豊田を通り、東名の橋脚近くの坂から磐田原に出る。すぐに右に折れて、最初の民家の裏手の草地に入って三角点を探した。ほどなく周囲より一mほど盛り上がったところに露出した標石を見つける。

引き続き次の三角点「宮東」へ向けて磐田原を台地の西端に沿って北上した。

「宮東」(笠井#631)に続く)

#630/#629〜631


#552 △30.2 四等 富士見台

30.2富士見台

撮影日 2006年11月2日

車の定期点検を待つ間に、三角点を巡りながら町を散策することにする。

見付の国道、権現の信号近くから歩き始め、富士見町東の交差点から善導寺のほうに向って路地に入って行った。地形図で茶畑となっているところも住宅地になっていて、道も入り組んでいる。

善導寺との位置関係で推測した箇所には三角点がなかった。うろうろして不審者と思われるのもイヤなのでGPSを取り出して位置を確認し、10メートルほど離れたフェンスの内側に標石を見付ける。

「大山」(袋井#553)に続く)

#552/#552〜553


#480 △3.7 四等 今之浦

3.7今之浦

撮影日 2006年4月25日

見付の国道一号線から今之浦川左岸の堤防の遊歩道に入り、南下する。橋を二つ横切ると左側は市民文化センターの臨時駐車場だ。三角点を探しながら歩いていくと遊歩道と駐車場の間の草地にマンホールのようなものがあり、横に表示杭が立っていた。

近付いてみるとコンクリートの土台に「大切にしよう 三角点 国土交通省国土地理院」と書かれたプレートが付けてある。蓋の取っ手に土が入り指がかからない。土を掘り出し、やっと蓋を持ち上げて中の標石を確認した。

(「二之宮」(#481、下欄)に続く)

#480/#480〜482


#481 △4.8 四等 二之宮

4.8二之宮

撮影日 2006年4月25日

(「今之浦」(#480、上欄)の続き)

今之浦の三角点横の堤防の遊歩道を進み、今之浦大橋を渡って、今度は右岸にある遊歩道を歩く。橋を一つ横切ると右側は北川瀬公園だ。

公園の南側、堤防横の駐車場の近くに今之浦の三角点とまったく同じタイプの三角点があった。こちらも取っ手が土で埋まって蓋を開けるのに苦労した。

(「大池」(#482、下欄)に続く)

#481/#480〜482


#482 △1.7 四等 大池

1.7大池

撮影日 2006年4月25日

(「二之宮」(#481、上欄)の続き)

二之宮から大和田に向い、西に曲って土堤に沿うように大池まで歩く。

ここの三角点は2004年に池の東側から南西の角に移転されている。池を一周している遊歩道を反時計回りに歩いて南水門(写真の後に見えている)まで行き、近くの草地を探したが標石は見付からない。捜索範囲を広げたら水門横の公園の端にマンホールのようなものを見付けた。道路より下がっていて、視界にはいらなかったのだ。

ここの蓋は「今之浦」「二之宮」のものとは違って日本地図が描かれている。取っ手の構造も変っていて、押し下げると開くが力を抜くと戻って塞がってしまう。道具がないと開けられないと覚り標石を見るのは諦めた。

#482/#480〜482


#342 △33.4 一等 上野巳新田

33.4上野巳新田

撮影日 2004年11月23日

つつじ公園に駐車し見付天神に行くと、七五三祈願の親子連れがいた。坂を下って見付の大通りを進み、旧見付学校に立ち寄ってからR1を横断して府八幡宮に向う。

うっそうとした鎮守の森を通り抜け、芝生が広がる明るい遠江国分寺跡へ。裏通りを進むと土器塚(かわらけづか)古墳が道路横に見えた。

突き当たりの通りを右折して、台地を下っていくと樹木で覆われた崖があって、その上が目指す三角点と思われる。人の歩いた様子はないが直登し、薮をかき分け京見塚古墳に抜け出る。こんもりとした古墳の上に一等三角点があった。

再びR1を横切り、かぶと塚公園の中を横切り、急坂を下って見付に戻る。ここは、ちょっと裏通りに入ると古い建物があって興味深い。


#236 △30.7 四等 見付(愛宕山)

30.7見付

撮影日 2003年8月20日

旧東海道を桶ヶ谷沼の駐車場から歩くことにした。

国道一号線の下を潜り、三ヶ野の松並木から明治の道を行く。薄暗い坂道を登り、住宅街を抜け、道路を横切るとこんどは見付の松並木が現れる。

国道一号を陸橋で横断するとすぐに遠州鈴ヶ森である。いつも車から眺めるだけだったが、初めて訪れた。

坂道を下ったところが見付の木戸跡で、すぐ横に愛宕山への石段がある。山頂に阿多古山一里塚跡があり、隣に三角点があった。

(写真、手前の石碑が一里塚)