笠井

←気賀↑二俣↓磐田→山梨

国土地理院 北西 北東 地形図表示
南西 南東


#1251 △12.1 四等 沖

12.1沖

撮影日 2011年5月21日

西ヶ崎町の遠鉄ストアを起点に周辺の三角点三ケ所を巡る。始めは分かりやすい大通りを歩いていたが、途中から狭い路地に入りながら小島へ行った。

三角点のある辺は畑で、あちこちに農作業をしている人がいる。地図の三角点記号のあるところも畑だが、標石は見当たらなかった。GPSで位置を探ると、思っていたより道路から離れたところに標石があった。周囲には柑橘系の苗が植えられていて、畑の中に立ち入るのは憚られたので、離れた所からの撮影となる。

(「中条西」(#1252、下欄)に続く)

#1251/#1251〜1253


#1252 △14.8 四等 中条西

14.8中条西

撮影日 2011年5月21日

(「沖」(#1251、上欄)の続き)

「沖」からは北の馬込川の堤防に行き、左岸堤防を上流に進んでから道路に出て中条西へ向かった。

遠州鉄道の踏み切りに行き、周囲を見回していると表示杭が見え、隣に標石があった。踏み切りの横にある三角点というのは初めてだ。

(「北浜南小学校」(#1253、下欄)に続く)

#1252/#1251〜1253


#1253 △17.8 四等 北浜南小学校

17.8北浜南小学校

撮影日 2011年5月21日

(「中条西」(#1252、上欄)の続き)

踏み切りのある道路をそのまま東に向かい、中条東で北東に折れて北浜南小学校へ行った。

校内の三角点なので、外から見えなければ諦めるつもりで行ったのだが、幸いフェンス越しに標石が確認出来た。点の記にあるように、百葉箱の隣にある。

「中条西」の踏み切りまでは、別のルートを歩き、起点の遠鉄ストアに戻った。

#1253/#1251〜1253


#1254 △22.5 三等 小林村

22.5小林村

撮影日 2011年5月21日

今月の4日に一度ここに来ていて(#1247「上善地村」参照)、その時は見つけられなかった。写真のように道路沿いのフェンスから見えるし、表示杭まであったのに、と我ながら呆れる。

浜名高校の校内ということで、すぐ民家を挟んで北側にある校庭のほうばかり探していたのがいけなかった。おまけにGPSも、何故か使わなかったのだ。

#1246 △33.4 三等 段ノ上

33.4段ノ上

撮影日 2011年5月4日

中瀬の遠鉄ストアから近くの三角点三ケ所を巡ることにした。まず、西の野口のほうに、裏通りを歩いて向かった。緑花木センターがあるように、この辺は植木があちこちで栽培されている。それらの新緑や花を見ながら歩いて行った。

本点は梨園の中にあり、梨園は白いネットで囲われていた。道路傍に位置しているので、ネット越しにも標石は見えるが、幸い(?)にも、標石近くのネットが大きく破れていたので、そこからカメラを向けて撮影出来た。

(「上善地村」(#1247、下欄)に続く)

#1246/#1246〜1247


#1247 △21.6 三等 上善地村

21.6上善地村

撮影日 2011年5月4日

(「段ノ上」(#1246、上欄)の続き)

こんどは違う道を通って東に戻り、遠鉄の線路沿いの小道を通って浜名高校に向かった。そこには三等三角点「小林」があるのだが、グラウンドの内側にあると思い込んでいて、結局見つけられなかった。

あきらめて、西美薗中から上善地へと向かう。地形図にはお墓の記号がないが、本点は墓地にあることは事前に調べてある。現地のお墓は、写真のようにコンクリートで覆われ、墓石に挟まれたところに標石があった。

油一色、西美薗大上を経て、中瀬の駐車地点に戻る。

#1247/#1246〜1247


#1219 △17.7 三等 末島村

17.7末島村

撮影日 2011年3月17日

天竜川右岸河川敷、かささぎ大橋の北500mほどの公園に駐車。ここを起点に笠井町など街中の三角点を巡る。

最初の一つは堤防道路の斜面だ。駐車地点からは河川敷に歩道が続いていて、そこを歩いて行った。

標石は河口から12.6キロ地点の標識の手前(北側)約20mの斜面にあったが、なにも目印がなく、GPSを頼りに枯草を掻き分けて見つけることが出来た。

blog

(「貴平村」(#1220、下欄)に続く)

#1219/#1219〜1223


#1220 △12.1 三等 貴平村

12.1貴平村

撮影日 2011年3月17日

(「末島村」(#1219、上欄)の続き)

堤防道路の西側に降りて、ビニールハウスの横を通り抜けて車道に出、あとは西にまっすぐ歩いて行く。

本点は畑の中にあり、北側と南側は大きな農業用ハウスだ。表示杭が道路から見えたので、探すまでもなかった。

(「上石田」(#1221、下欄)に続く)

#1220/#1219〜1223


#1221 △10.3 四等 上石田

10.4上石田

撮影日 2011年3月17日

(「貴平村」(#1220、上欄)の続き)

「貴平村」三角点を後にし、大通りを渡ると、その先の道路は入り組んでいて地形図を見ながら注意深く歩んだ。

学校の横を通って安間川沿いの道路に出ると表示杭が見えた。近付くと、路側帯に日本地図を描いたお馴染みの鉄製の丸蓋がある。素手では開けることが出来そうもなく、内側を見るのは諦めた。

(「笠井」(#1222、下欄)に続く)

#1221/#1219〜1223


#1222 △13.3 四等 笠井

13.3笠井

撮影日 2011年3月17日

(「上石田」(#1221、上欄)の続き)

「上石田」からは笠井新田町を北に進み、途中から路地に入って本点に向かった。

地形図では三角点記号の中心が道路上にあるが、実際には道路と北側の水路の間にあった。道路南側の建物は笠井保育園だ。

(「豊町」(#1222、下欄)に続く)

#1222/#1219〜1223


#1223 △16.5 四等 豊町

16.5豊町

撮影日 2011年3月17日

(「笠井」(#1222、上欄)の続き)

「笠井」からは笠井上町に向かって、地形図上で最短と思われるルートを選んで、ちょこちょこ右折左折をくり返した。

豊町に行くと、いかにも古墳っぽい塚が正面に見えて来た。行ってみると案内板があって、蛭子森古墳だという。その道路反対側は羽鳥八幡神社で、そこを通り抜けて本点まで行った。

三角点はビニールハウス横の道路横で、ここも探すまでもなかった。この日は朝方氷が張るくらいの冷え込みで、日中も風が強く冷たい。ということで堤防道路に出るのは止めて、その西側の道路を歩いて駐車地点に戻った。

#1223/#1219〜1223


#1107 △31.0 三等 中瀬村

31.0中瀬村

撮影日 2010年7月17日

本日梅雨が明けた。浜北大橋から見る天竜川は増水していて濁った土色をしてる。橋の西北側、天竜川右岸の河川敷に駐車して、中瀬・上島の三角点を巡ることにした。

土手の車道ではなく、河川敷のほうを歩いて上流に向かう。河川敷には各種の運動場があって、人が大勢いる。そこを過ぎると手入れされた草地に樹木の点在する公園( 弁当野緑地)があり、木陰が気持ちよさそうだ。

第二東名が目前のところで土手を登り、車道に出た。少し南に行って土手の西側に下り、民家の隣の墓地へ行くと、通りから標石が見えた。

(「於呂」(#1108、下欄)に続く)

#1107/#1107〜1109


#1108 △36.0 四等 於呂(おろ)

36.0於呂

撮影日 2010年7月17日

(「中瀬村」(#1108、上欄)の続き)

「中瀬村」から西に向かう。途中、地図の空白地帯を横切る道路を通り抜ける。空白地帯は第二東名のインターになるようで、工事中である。

浜名用水を過ぎたので、道路左側に三角点が見えてくるはずなのだが、製材所敷地の道路沿いは背の高い草とフェンスに囲われていた。製材所の入口も閉ざされている。人の気配がしたので、門と生垣の隙間から入りこみ、作業中の人に許可をもらって三角点のほうへ行った。

表示杭があったので、周囲の横の草を掻き分けて標石を見付け、標石のまわりの草を抜いた。

「上島」(二俣#1109)に続く)

#1108/#1107〜1109


#971 △38.3 四等 太陽の家

撮影日 2009年9月6日

【磐田用水歩き(1/4)】
豊岡南小入口の交差点まで車で送ってもらった。そこから山裾を歩いていくと神増分水工が現れる。天竜川からの水がここで分けられ山側にある杜山隧道に流れ込む。

神増分水工の先、お寺の横の坂道を登っていくと杜山公園分岐だ。そこを下って広い車道に出、太陽の家に向かった。入口から右手の土手を登ると草地に表示杭が見え、その近くの枯草をかき分けると、日本地図の描かれた三角点標石の蓋がでてきた。(素手では開かなかったので標石自体は確認して無い。)

引き返して、杜山隧道の出口を探しに行く。それは住宅のすぐ裏側にあり、ちょっと意外な感じだった。

「川会公会堂」(山梨#972)に続く)

#971/#971〜974


#937 △62.6 四等 安井谷

62.6安井谷

撮影日 2009年5月30日

東名磐田IC入口の数百m南の空地に駐車。ここからスポーツ交流の里「ゆめりあ」へ歩いて行くと、途中から小雨が降り出した。

「ゆめりあ」のサッカーグラウンド西側はシラカシの生垣とネットで囲われていた。内側から生垣沿いを探したが三角点は見当たらず、生垣外側の斜面のほうに行ってみると表示杭とお馴染みの日本地図の蓋が見えた。

(「井戸ヶ谷」(#938、下欄)に続く)

#937/#937〜938


#938 △74.8 四等 井戸ヶ谷

74.8井戸ヶ谷

撮影日 2009年5月30日

(「安井谷」(#937、上欄)の続き)

「ゆめりあ」を出て今之浦川の上流に向かって道路を歩いて行くうちに雨は止んだ。

市民病院からの道路を横切り、正面の丘の東側に回って坂道を登ると茶畑に出る。そこから南に少し下ってから茶畑の東側に出てみると保護石に囲われた標石が見えた。

帰り道は丘の西側に下ってから、東名入口南の駐車地点に戻った。

#938/#937〜938


#918 △100.8 四等 藤野

撮影日 2009年4月24日

大海から大谷幕ヶ谷の中間辺にある工場地帯の近くに駐車する。工場横の坂道の道路を登って藤野へ向かった。

三角点は墓地の隣の公園にあり、表示杭があるのですぐに分かった。

(「向陽中学校」(#919、下欄)に続く)

#918/#918〜920


#919 △80.7 四等 向陽中学校

撮影日 2009年4月24日

(「藤野」(#918、上欄)の続き)

以前の地形図によると、藤野の交差点(99標高点)と南の樋口の三叉路は「標石のある標高点」だったので、多角点が残っているかも知れない。そう思ってよく探して見たのだ何もない。

そのまま道路を南に向かい、向陽中学校へと歩いて行った。近付いて構内を覗いていたら、生垣の隙間から標石が見えた。

「藤の木」(山梨#920)に続く)

#919/#918〜920


#684 △85.9 一等 都田村

85.9都田村

撮影日 2007年9月8日

(気賀#683「白昭」の続き)

【三方原基線歩き(6/6)】
神原町の「神ケ谷」からスタートした基線歩きも残り僅か。北、東、北へと歩みを進め、都田浄水場が正面右手に見えてきた。

標石は柑橘試験場の中なのだが、試験場と浄水場の間の排水路沿いを試験場の生垣に沿って20メートルほど行くと生垣の隙間から盛り土の上の表示杭と標石が覗ける。

「神ケ谷」からの直線距離は10.8キロだが基線上を歩けたのは4.0キロほどで、寄り道した三角点への往復を除外して13.4キロの道程であった。(カシミール3Dによる測定)

#684/#679〜684


#676 △48.9 四等 平口

48.9平口

撮影日 2007年9月2日

サンストリート浜北から不動寺に歩いて行く。寺は中腹にあり、そこから階段を登っていくと万葉の森だ。のんびり公園内を散策した。

公園の北側から外に50mほど小道を進むと左側は茶畑だ。畑に入って標石を探しはじめると、まだ新しい表示杭の白色が目にとまった。

次に公園の南側の駐車場から西に道路を500mほど進んで左折し、次の三角点「内野」に向けて台地を南下した。

(「内野」(#677、下欄)に続く)

#676/#676〜678


#677 △40.7 四等 内野

40.7内野

撮影日 2007年9月2日

(「平口」(#676、上欄)の続き)

「平口」から道路を南に下って本三角点の北側あたりに来ると、周囲は手持ちの地形図(平成12年版)とはだいぶ様子が変っていて、道路も違っているものだからちょっと戸惑った。

標石はちいさな茶畑の中で(南隣に民家が一軒ある)、#676「平口」同様に新しい表示杭があったのですぐに見つけることが出来た。

(「尾島」(#678、下欄)に続く)

#677/#676〜678


#678 △14.1 四等 尾島

14.1尾島

撮影日 2007年9月2日

(「内野」(#677、上欄)の続き)

「内野」から坂を下り南に向って狭い道を行くとすぐに「御陣屋跡」というのが山側にあった。しかし跡地は荒れていて立ち入れそうにない。

その「御陣屋」からきていると思われる御陣屋川を渡ってから東の尾島ヘと田圃の中の道路を進んだ。152号線を渡り、馬込川の堤防に着いたところで標石を探す。

その周辺は畑と雑草の茂った場所や薮の深い荒れ地になっていた。はじめは野菜や草の茂った所ばかり探していて見付けられなかったのだが、なにも植えられてない畑地に標石と保護石があった。

152号線に戻り、起点のサンストリート浜北へと歩いた。

#678/#676〜678


#631 △69.5 四等 宮東

69.5宮東

撮影日 2007年4月29日

磐田#630 「匂坂下村」からの続き)

茶畑の広がる磐田原の西端を歩いて行くと茶摘みをしている畑もあった。岩田神社参道入口のある道路を横切ると高見ヶ丘公園で、浜松方面を望むように展望所が出来ていた。

さらに200mほど北上して西側の崖の近くで三角点を探す。あたりは茶畑で崖側には金網のフェンスが張り巡らされている。崖の斜面は道路法面工事が施されて低木が植樹されていた。GPSで調べると標石は法面工事で削られたところにあったようだ。(写真黄色いのがGPSでその左側あたりが指定の緯度経度だが、国土地理院の基準点情報では成果状態「正常」となっている)

岩田神社に立ち寄ってから池田の天竜川河川敷の車に戻る。

#631/#629〜631


#265 △99.1 三等 見取山

99.1見取山

撮影日 2003年12月13日

見取橋の近くから歩きはじめる。谷沿いの道路を進むと分岐があり、左に進む。まもなく堆肥小屋が現れ、その横が巡視路になっていた。

放置されて薮状態の茶畑の横に鉄塔があり、そこから南に少し離れて三角点がある。古いものらしく、角が欠けていた。

分岐まで戻り、左折して道路の奥に進むと牛舎があり、さらに進むと山道になった。踏み跡を辿っていくと、別の鉄塔のところにぬけた。ここから地形図の破線路を下り、敷地川の堤防沿いの道路に出た。

あとで「点の記」を調べると、この三角点は明治19年に埋標されたとある。


#264 △105.2 三等 合代島村

105.2合代島村

撮影日 2003年12月10日

この三角点の南にある杜山公園から歩いてみたかったのだが、尾根は第二東名で分断されていた。

合代島下の磐田用水横から、地形図の破線路を辿ることにした。しかし、途中出会った地元の人の話では荒れていて歩けないとのこと。

破線路の南のもう一つの谷沿いに路があったので行ってみたが、すぐに行き止まりになった。そこで左の山側に登り、すぐ尾根にとりつくと、歩きやすくなっている。

そのまま進むと三角点のあるピークにでた。周囲の草が刈られてはいるが、見晴しはよくない。


#43 △124.9 三等 上神増村(血松塚古墳)

124.9上神増村

撮影日 2010年5月4日

2001年4月22日に最初にここを訪れた時は、車で来てしまった。神増坂に興味もあったので、改めて歩いてみることにした。

神増のバス停付近に駐車。平松上の信号機が近くなると山側に「神増坂」の看板がある。そこから山に入って行くと山道が続いていて、中腹には西側が開けて見晴しのよい所にベンチがあった。そのすぐ先に鉄塔と古墳の分岐があり、鉄塔のほうに行ってみた。

期待は外れて鉄塔からの展望はなかった。すぐ先の台地の上の茶畑の横に出て、4-7世紀の前方後円墳である「血松塚古墳」に行くと、先ほどの分岐からのもう一つの道は、この古墳に直接通じていた。標石は古墳の上にある。

(「上原」(#45、二つ下の欄)に続く)

#43/#43 - #45


#44 △117.8 三等 風切松

117.8風切松

撮影日 2010年5月8日

友永の敷地川近くに駐車し、まず大谷公会堂のほうに向かった。三島神社から北西の谷沿いの道に入り、西側の斜面から(地形図の道がなく茶畑を横切った)104標高点のある尾根に出た。

農道を500mほど北に行くと、突然りっぱな二車線の道路に変わった。東側の谷を埋める工事車両用のようだ。その谷を回り込むようにして、こんどは南東に道を進むと300mほどで三角点がある。角が欠けて補修してあり、ICチップは無い。九年ぶりに訪れたが、基準点情報をみると標高が当時は117.5だったのが30センチほど高くなっている。

そのまま道路を下っていくと「三川里山探検コース」の道標があり、それに従って積雲院へ行く。見学してから、今度は「古道 雲谷寺」の案内に従って積雲院南西の尾根道を通って雲谷寺へ行った。藁葺屋根の東司を見学して駐車地点に戻った。 

初回探訪は2001年4月22日。


#45 △99.9 二等 上原(銚子塚古墳)

99.9上原

撮影日 2010年5月4日

(「上神増村」(#43、二つ上の欄)の続き)

血松塚古墳から磐田原台地の西の縁に沿うようにして歩いて行く。お椀を伏せた形の小さな丘があり、丘の上は落葉樹に囲われて気持ちのよい木陰になっていたので、そこで休憩した。案内板によると、そこは米塚古墳群の一番大きな円墳の上であった。

銚子塚古墳は米塚古墳群から500mほどのところで、周囲は山林である。2001年4月22日に車で来たのだが、そういうのは印象も薄れやすいとみえて、その時のことはよく覚えていない。

広く平らな古墳の頂上は草地である。そこに標石があるのだが、血松塚古墳の三角点にはICタグが付いて無いのに、こちらには付けてあった。表示杭はない。

そこから、地形図にある寺谷に下る実線の道で台地を下った、道幅はあるが未舗装で、古道の面影が有る。崖を回り込むようになっている部分は廃道のようで行けない。道を辿って車道に出ると、正面は八幡神社であった。車道を歩いて神増に戻った。

#45/#43 - #45