隠岐の民謡
隠岐民謡 歌詞
★しげさ節★ ★どっさり節★ ★隠岐磯節★
★隠岐祝い音頭★ ★キンニャモニャ★
★しょうじろう節★ ★隠岐舟方節★ ★隠岐追分★
★浄土ケ浦小唄★ ★隠岐三子州音頭★
★隠岐相撲取節★ ★隠岐相撲甚句★ ★海士町音頭★
★新しげさ節★ ★隠岐おわら節★
★白島音頭★ ★隠岐大漁ばやし★ ★隠岐おじゃれ節★
★隠岐盆唄★ ★隠岐牛突き音頭★
★よいよい★ ★島前追分★
★島前おわら節★ ★国賀ドント節★ ★隠岐はよいとこ別天地★
★は唄入り
しげさ節の由来
この唄は、越後方面に伝承されている盆唄「しゅげさ」が元唄と言われ、
江戸中期から後期にかけて隠岐に伝承し「しげさ」となったものと伝えられている。
「しゅげさ」の語源は「出家」の北陸訛りで、それが隠岐では「しげさ」と略語化したものであり、
盆唄「しゅげさ」の源流は、越後の専福寺の坊さんで法話の巧みな美男子の僧侶を賞讃して歌ったのがはじまりといわれ、
越後では「出家」のことを「しゅっけさ」と云うところから、
♪ しゅげさ しゅげさと (恋)が(を)する しゅげさ
しゅげさの 御開帳(御参詣)山里(坂)
こえても参りたや(参りたい)
の歌詞が出来たと云われている。これが現在では隠岐の代表民謡となって隠岐観光に大きな役割を果している
注 ( )内は越後の古詞
隠岐の民謡選集(隠岐観光協会発行)より
どっさり節の由来
昔、知夫里島の仁夫地区の漁師の家にお松という娘がいた。
かのじょはあるとき、この島に寄港した新潟の若い船乗りと恋に落ちた。
その男は、お松と一緒にいるとき、甘い美声で北国特有の追分節をよく歌って聞かせた。
せつない恋の幾日かが過ぎて、やがて船出の時が来た。固く再度の渡島を誓っていたが、
男心の頼みがたさ、若者はついに再びお松のもとへは来なかった。
お松は、それでも男を思い切ることが出来なかった。
何年か経ち、今は彼の唄ってくれた追分節を真似て口ずさむのが唯一の慰めになった。
けれども、それはかっての男の節回しとはずいぶんと違っていた。
朋輩もそのことを注意してくれたが、「どっさりくっさり似ています」と云って寂しそうに笑った。
「どっさりくっさり」とは、「どうにかこうにか」と云う意味である。
しかし、お松の唄は不思議に人々の心を打ち、いつかもてはやされて、隠岐の「どっさり節」になっていった。
♪ 朝に夕べに 便りを待てど
磯の松風 音ばかり
狂う 此の身を 何としょう
隠岐島の伝説(野津龍著 鳥取大学教育学部発行)より
キンニャモニャの由来
隠岐民謡「キンニャモニャ」は、島根県民謡風土記の中で「菱浦の機織りの唄」として、
嘉永五年菱浦に生まれた杉山松太郎という人が元唄を歌ったと紹介されています。(中略)
杉山松太郎は、明治10年勃発した西南戦争に従軍し、九州の「キンニョムニョ」を
うろ覚えに覚えて故郷(菱浦)に持ち帰り、自慢げに山高帽子をかぶって、ステッキをスナイドル銃だと
腰に据え、自作の「キンニャモニャ」を歌いながら面白い格好でひょっこりひょっこりおどけながら
踊って満座を沸かしたそうです。
松太郎亡き後は踊る姿も変り、羽織を着て(下はパッチ)きせるをふかしながらこうもり傘を持って踊ったり、
鍋の蓋や飯しゃもじあるいは吸物椀の蓋を手に持ち、その場の台所用具で即興的に踊れるのがこの踊りのミソで
隠岐の祝の座では、欠かせない民謡となっています。(後略)
キンニャモニャの由来の概略のまとめ(海士町菱浦 吉川義光著)
(この項、http://navi.town.shimane.jp/ama_web/link/d-kin-roots.html より)
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