陶磁器の魅力



骨董市には秤りやランプなど、絵のモチ−フになるものを捜しに行ってました。浮世絵は以前から興味は持っていましたが、当初青一色の昔のこ汚いお皿に興味を示す人の気が知れなかったというのは、偽らない心境です。でも嗜好はちょっとしたことで変わるものです。何回か通ううちにそばチョコを一点購入したのが、伊万里に魅かれその収集の始まりだったと思います。

そして初めて買ったお皿が、この型取りで成型した花篭文の色伊万里です。写真では解りませんが、かなりの甘手で貫入もいっぱいです。安物は断りの必要も無いことでしょうが、確かに時代もないし状態も前述のごとくですが、小振て洒落た形が好きで、今でも気に入っています。
古伊万里

ブラウザの「戻る」でもどってください 伊万里の絵付けに魅かれて集めだした、骨董の器。今は志野、織部などの肌合いやその意匠に興味を移しています。少ない小遣いから4.5千円を捻出して集めたものなので、それなりのものです。高くて1万円、まぁ中にはそれ以上のものも含まれている可能性もありますが、手頃な範囲で楽しんでいる世界です。


江戸中期、藍柿手の染め付けの小皿です。染め付けの色合いの美しさた゜けでなく、絵付けもとてもすばらしいものです。小枝に止まった小鳥が、下の花に集まる虫を狙っているかのような、緊張感がなんともいえません。丸皿のようにも見えますが、触ってみると僅かな感触でその角度を感じ取れます。

(径12.)
菖蒲と鳥六角小皿

直径11.5cmの伊万里の小皿です。白地に、すっきりとした、清涼感のある藍色です。残念な事に少々アマ手で、ニュウがなん個所か走っております。5点あったものなのですが、この1点だけニュウがあってバラ売りしてたのでしょう。半値だったので、値段で買ってしまいました。

「..傷の滅価率は、その物の希少性に反比例する」と云われたことが在ります。希少性の高いものなら、傷もさほど値段に反映されないし、たとえ欠片であっても、いいものは美しいです。

2,3千円の違いなら完品を買う方が、後で悔やむよりはいいかもしれません。しかし少々の傷があっても、いいものが相場より、安くなってる場合もあります?気持ちと目はどんどんいいもの、高いものへといくのですが、財布から出したお札は何故か、安い方へいってしまうんです。水もお金も低い方へ流れる・・・当然とはいえ、なんか不思議な定理です。
秋草文伊万里小皿

浪打際の小船で、二人の夫婦の漁師が、網を打っている図です。定番のものですが、図柄に惚れ込んで捜していたものでした。鉢ではなく、皿でもう少し見込みの絵が大きかったら...。でも、縁文様には祥端手の毘沙門亀甲文と、菊花四方襷文が、びっしり描かれて大変手の込んだものです。

文化文政の頃の物かな、とは若い店主?の言でした。鮮やかですがべロ藍ではなく、とてもきれいな青色で、「天明の青」と呼ばれるものだと思います。四隅には教訓でしょうか「引網者」、「不得魚」、「暗不遊」、「思有意」と、墨弾きで書いてあります。

形は変形と書きましたけれど、襖の引き手を模したものと、何かの本で読んだ事があります。初めて行った、平和島の骨董市でみつけたものです。

(径18)
染付漁師文変形鉢

黒首の徳利です。石皿系の土物の造りで、江戸幕末期の物だろうとのことです。写真はフラッシュの反射光?のせいか、釉薬がテカテカと光って見えますが、実物は半艶状態と言ったところです。

ところで、この容器が何故徳利と呼ばれるか、その漢字からはなかなか想定できませんね。お酒の容器のでもあるわけですから、「トクトクトク」とお酒を注ぐ時の擬音から、というのは充分納得できます。

しかし、これを誤解という説もあります。それは、朝鮮語のトックルが徳利になったという説。また見た目以上に沢山の酒が入るので得をする、というので「利を徳する」と言いうところから徳利と呼ぶようになったと言う説などがあるようです。ましてこれは黒首ですから黒字にも結びついて目出度いものなのかもしれませんが、語源というのも物の本質に迫るものがありますから面白いものです。

胴径13cm、高さ20cm
瀬戸黒首徳利(江戸期)

美濃系古窯の徳利と思われます。屋号が釘彫りされたのは江戸中期の頃と云われておりますが、なかなか味のあるものです。美しさというのが、別段に高級品と呼ばれるものだけではなく、こういう庶民が使ったものにも宿っているというのは、有り難くも嬉しいものです。

高さ24.5cm、径13cm
釘彫り美濃灰釉徳利

骨董好きな人は、そのコレクションの当初に収集するアイテムかもしれないですね。私は長年欲しくて捜していたが、物と値段がなかなか噛み合わずにいました。ある骨董店で目にして、興味のなくなった明治の開花物のお皿に少し足して、手にいれたものです。

そういえば「馬の目」を良く観た記憶はないのですが、みんなつぶらな瞳でしたよね。蝸牛にも写楽の描く目にもみえますが、同心円ではなく形が特徴的ですから、何か具体的なものがその元になっているとは思うのですが・・・・・・・・・・・・
瀬戸 馬の目皿

確か「瀬戸の片口」と言っていたとおもいます。5000円を何とか4000円に負けてもらいましたが、負けた店主の気持ちの文だけどっしりとした重みがあります、フム?軽さかもしれませんが・・・。

もともと片口とは醤油やお酒、酢などを大きな容器から小さな入れ物に移すための道具です。片口があれば両口があっても・・・などとアイデア好きの人は考えるかもしれませんが、既にあるようですので・・・取り敢えず。骨董市でもよく見かけるものですが、私は初めて手に入れました。

瀬戸 片口

近くの骨董市で見つけたものです。織部の意匠に魅せられて”陶片”だけでもいいからと、思っているのですがなかなか手に入りません。これはいわゆる織部の豪放な意匠ではありませんし、あの独特の緑釉も窯出しの加減か、黒くなってしまっています。肌合いも陶器の暖かさというより鉄板のような硬さを感じさせます。と、否定的な言葉を並べても身銭を切ったわけですから(少し、いや多分に大袈裟な表現となりました。たいした値段ではありませんでした)、その時は感じるものがあったのでしょう。
織部 小皿

絵志野 茶碗(江戸中期)というものですが、確証は勿論ありません。完品は殆ど手に入れられないのですが、これはたまたま間違って転がり込んできたものです。

絵志野とはいっても書のような、単なる模様のような極めてシンプルな絵?です。写真ではかなり黄味を帯びていたのですが、実物はそれほどでもありませんでした。織部は抽象画的発想の参考になりますが、志野や備前の肌触りは絵画におけるマチエールの勉強にもなります。
絵志野 茶碗

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