「江戸名所図会」

江戸とその近郊を全7巻20冊で紹介した地誌。天保5年(1834)正月に前編の10冊が、同7年夏に後編の10冊が出版されました。著者は、神田雉子町(現・千代田区)の名主・斎藤幸雄(長秋)・子の幸孝(県麻呂)・孫の幸成(月岑)で、挿絵は長谷川雪旦が担当、板元は日本橋の須原屋茂兵衛と茅町(現・台東区)の須原屋伊八でした。内容は、1,043ヵ所の神社・仏閣・名所古跡といった名所の沿革や由来を述べるとともに、雪旦によって描かれた詳細な挿絵754点がふんだんに盛り込まれています。本書の多くは、江戸の土産や行楽の手引きとして買い求められました。また、江戸の様子を伝えるものとして江戸から遠い人々も買い求められました。江戸の様子を知る手段として最も適した出版物であるということは、本書が慶応3年(1867)に開催されたパリ万国博覧会へ出品されたことからも伺うことができます。

『江戸名所図会』の刊行は、斎藤家三代の一大事業でした。幸雄による本書の序文によれば、安永9年(1780)に刊行された京都の地誌『都名所図会』に刺激を受け、江戸でも同様の地誌を作ろうと考えたようです。寛政10年(1798)5月には、本書刊行の許可を得た。この時は、全8冊・500丁(1,000ページ)の予定で、現行の『江戸名所図会』の約45%ほどの分量、挿絵は北尾重政が描くことになっていました。しかし、幸雄はこの翌年に死去し、編纂事業は子の幸孝に受け継がれました。
 幸孝は、挿絵を北尾重政から長谷川雪旦に代え、幸雄が編纂したものに江戸の近郊を新たに追加して、現行に近いものを準備しましたが、幸孝もまた編纂半ばの文化15年(1818)に死去してしまいました。
 幸成は、調べ残していた飯倉・西窪・高輪・芝周辺の調査を行うとともに、序文を因幡若桜藩藩主だった池田冠山・国学者の片岡寛光・漢学者の亀田綾瀬に依頼して、出版への準備を着々と進め、祖父・幸雄から数えて約40年かかった大事業がようやく完成したのでした。『江戸名所図会』は、一両二分(10〜15万円くらい)という高値ながら、発売約2ヶ月で品切れになるという高評価を受けました。

全文「すみだ郷土文化資料館」の引用です

「偐紫田舎源氏」
上段 「偐紫田舎源氏」 初編 / 二十八編

「偐紫田舎源氏」は、柳亭種彦が「源氏物語」を翻案・合巻化した異色の作で、彼の代表作の随一に挙げられる。人気浮世絵師歌川国貞の挿絵で、文政十二年に書肆鶴屋喜右衛門から初編を刊行、以後天保十三年の三十八編まで刊行されて熱狂的な人気を博したが、天保の改革に際し当局の忌諱に触れて、同年絶版の処分を受けた−略−。この作品が「源氏物語」の絵草紙的翻案であることは、種彦自身、序文の随所に述べているが、その行文を一読しただけでこれがいわゆる翻案小説とまったく味わいを異にする作品であることに気付かされる。初編は「室町将軍足利義正の寵愛する側室花桐を、他の側室の昼顔が妬み、正室富微の前に讒言するなど、さまざまに花桐を苦しめる.......」<新日本古典文学大系88 岩波書店より>と概説される大変な長編である。
「大晦日曙草紙」
大晦日曙草紙(京山作、国貞画)

天保10年(1839)頃の大晦日の様子である。右手に女が蕎麦を打っている図が描かれ、左図には振り分けの荷物を放り投げた旅人が、打ちたての蕎麦をほうばっている。良く観ると食器や卓以外にも、煙管や煙草入れ、蝋燭の立った燭台等が描かれている。一時のタイムスリップに時間を忘れてしまう、至福のときである。
針、灸指南書
江戸では誰でも医者になりたければなれた。資格試験とか免許などなかったためで、ずいぶんといかがわしい藪医者も多かったらしい。診療は今で言うなら漢方医。医者にかかるほどの病気でないと思えば、売薬や鍼や灸ですませる。鍼は技術がいるから座頭を呼ぶことになるが、灸は「つぼ」さえ知れば家庭でできる。民間療法が盛んな江戸には、灸をすえるのに使う艾や薬を売る店が各所にあったし、薬の行商人も各種いた。
川柳本1(英泉画)

英泉画の川柳の本です。江戸の川柳は当時の庶民の生活を生々しく反映させているので、非常に面白いて゛すね。


おしどりの 橋のかけたい 天野川
  
筆捨てた 松で筆とる 旅日記

いゝ薮を もつて寝られぬ 半夏前

土手を行く 医者は上野か 浅草か

虫かごで 西瓜の種が 鳴いている

浮き草の ように波間の みやこどり

北斉漫画(初編)

北斉漫画の初編です。広重は情感豊かな風景画を描きましたが、描画の確かさでは北斉の方が、はるかに上手いと、私は思います。好き嫌いでいえば、広重の情緒ある方が好みではありますが....。提灯を持つ人、破れた網を繕う人、腰に乗っているのは按摩さん?、荷車を作る職人やノミを振るう大工さん、臼を削る人々が、確かなデッサンで描かれています。当時の職人さんの仕事ぶりや生活の端緒が垣間見られて、非常に興味深いものがあります。

さて、ここに大工さんの図があるので、石川英輔著「大江戸庶民事情」(講談社)によって江戸時代の最盛期、文化.文政期の大工さんの生活を紹介します。大工さんの日当は約500文(約12500円)、年収は25両ぐらいだったらしい。ちなみに米の値段は<百相場>といって、100文(2千5百円)で買える量で表示した。100文で一升(約1.5K)が標準的相場だったが、成人男子は、一日五合食べるとして、副食や調味料がその二倍かかったので、一日の食費が大人の男一人前で150文、妻と子供のひとりもいれば、300文(7千5百円)以上かかり、これが当時の中流の生活と紹介されています。(値段)は、私の概算です。


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