恵比寿・大黒 木造
韋駄天像韋駄天像           /                 −部分−

「韋駄天走り」と言って走者の意によく使われるが、これは韋駄天が釈迦入滅の時に鬼が釈迦の遺骨から歯を盗んだのを、追いかけて取り返したという伝説に基ずくらしい。インド、バラモン教のシバ神の子で(アグニ神との説もある)、仏教に取り入れられて天部四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天-毘沙門天)のうちの、増長天に従する八将軍のひとりである。特に禅寺の伽藍を守る神ともされ、また食物の困窮を救う力があるとされ、厨房にも祀られたらしい。頭部と鼻の一部が欠けているが、内にこもる力強さを秘めた中々の彫りだと思う。台座からの高さは24cm。台座も珍しく当時のものらしく、欠けた足がぴったりと納るのが確認できる。(参考-「仏像入門」松原哲明、三木童心著 新星出版社)

            

馬頭明王像

三面八臂でしかも三眼の像である。つまり顔が三面、腕が八本、両目の他に額に三つめの眼を持っている密教仏である。腕は二本しか残されていないが、その残された裏面に合わせて六箇所の腕を取り付けた痕跡が確認出来た。三面八臂三眼という様相から、降三世明王かとも思ったが、頭髪の形状や良く見ると頭髪の中央に残る欠損した跡があるのが分かった。同じく頭上の欠損や単純な胸元を総合して考えると八大明王のうちの「馬頭観音(馬頭明王)」ではないかと思える。広辞苑に依ると「頭上に馬頭をいただいて憤怒の相をなした観世音菩薩。普通は三面で、二臂・八臂などがある。馬頭明王ともいい、八大明王の一。馬の保護神として、特に江戸時代に信仰された」とある。

写真で観ると大きく感じるかもしれないが、高さ僅か12cmの三面仏像である。骨董市で見つけたものだが、店主が風邪で体調を崩した奥様を家に送っているとのことで店主は不在。値段も解らず困っていたら、隣の骨董屋さんが以前箪笥を買った人だった。これ幸いと又来るからと頼んでおいて、二時間位後に戻ったが、無事手に入れることができた。失敗ばかりの骨董散策の中で、久し振りに満足のいける出会いだった。
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彩色童子像−「雨宝童子立像」 (木彫 h21.7cm)

この像は容姿から観て聖徳太子像、善膩師童子像、 矜羯羅童子像、雨宝童子像のうちのどれかではないかと思われます。まずよく似ている太子像の造立は鎌倉時代になると盛んになり、その様式から幾つかに分類されます。「南無仏太子像」は太子が2歳の時の像で上半身裸で、合唱した立像です。「孝養太子像」は太子16歳の時の像で、髪をみずらに結い、手に柄香炉や笏(シャク)をささげており、父用明天皇の病気回復を祈る姿とされ、これが左の像だろうと、私は思っておりました。が、持ち物が柄香炉ではなく宝珠であることや(例外はあるが)、袈裟をしていない等の疑問が残りました。「御講讃太子像」は、成人後経典を講讃する姿で、唐服に冠を被り、笏を持っている像です。その他「馬上太子像」等のように、幾つかの変化像も造られております。

善膩師童子像、 矜羯羅童子像も確かに魅力的な童子像ではあるが、裸足であったり服装の違いでどうもすっきりとした感じはしない。時にまかせて調べていたら寶樹山銀山寺にある「雨宝童子立像」が一番この立像に似ているのに気づきました。http://www.mt-silver.org/ginzanji/syozo.htm
今はこれで間違いないと思っているのですが?ご意見やご教示頂ければ幸いです。これも広辞苑に依ると「両部神道で天照大神が日向国に下生した時の姿といい、また大日如来の化身したものともいう。右手に宝棒を、左手に宝珠を捧げる童子型の像」とあり、宝珠の持ち手は違ってはおりますが...........。


十二神将像                                    十二神将像部分

ちょっと捻った腰のム−ブメントがとても気にいって、ようやくのおもいで手にいれました。江戸初期のものだろうとのことですが、時代のことはよく判りません。十二神将とは、薬師如来を護持する12の神将です。信仰の対象としているわけではありませんので、その辺の詳しいところは全然解りません。ただ彫刻作品として美しいかどうかとして観て、気にいったものです。腕も足も欠損してトルソ状態ですが、ひび割れはあるものの憤怒相の顔だけは、結構美しく残っております。像の高さ約30Cmです。十二神将のこと真贋のこと詳しい方いましたら、ご教示願います。





この像も欠損したものですが、おしいことにこちらは顔が正面から削がれ、鼻が平らになっています。

十二神将像
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