江戸の貨幣

一番下に、江戸時代の手形とお札(藩札)を、掲載。
鐚銭

右側の、景徳元宝と元豊通宝は、鐚銭(びたせん)とよばれる一種で、中国銭をそのまま写した鋳写鐚や、文字の一部を加刀改造した改造鐚などがあります。左側の紹聖元宝と天聖元宝は、長崎貿易銭で、当時オランダ、中国等の舶来の来航に際し、その貿易決済済に銅銭の要求が強かったため、銭文に「寛永」の文字を用いず、貿易決済専用に使用するという条件で、幕府の許可を取り鋳造を行った貨幣です。(2001日本貨幣カタログより)

下の一部を含めこれらは、私が小学生の頃、近所の耕地整理で出てきたものなんですが、長崎貿易銭とは驚きました。1朱銀、2朱金は骨董市で集めた物です。
通用銭
寛永銭は、寛永3年(1626年)に、作られたのが始まりといわれその後、明治初年までの240年余鋳造された。始めは年号を記入してたが、後は、年号に関係なく、宝永通宝、天保通宝、文久永宝の他は全て寛永通宝の銭名でつくられている。寛永銭は、古寛永と新寛永に大別される。
古寛永とは、寛永3年より、寛文8年(1668)文銭の鋳造が始まる以前の日本各地において鋳造された寛永銭の総称である。
新寛永銭は、寛文8年(1668年)江戸亀戸村にて幕府直轄にて鋳造されたのがはじまりで、背に波形のある貨幣を、四文通用とし、その他を一文として、銅、鉄にて鋳造されました。

文久銭は、文久3年(1863年)、四文通用銭として鋳造され、その書体に依って三種類あります。

天保通宝は、天保6年(1835年)金座場仮吹所にて鋳造が始められ百文通用と定められました。当時この貨幣は小判型であることから、金銀に次ぐ貨幣とされました。
(以上2001日本貨幣カタログより概説)
各種金銀貨と「文化、文政期の物価」





左から天保一分銀(鋳造期間、天保8年−安政元年)、二朱金(鋳造期間、天保3年−安政5年)、嘉永一朱銀(鋳造期間、嘉永6年−慶応元年)、安政の豆板銀です。銀貨や金貨もその含有率によってコレクションとしての値段は、大きく違います。特に一朱銀は、文政、嘉永、明治の三期に渡って発行され、その書体等による分類だけでも132種類もあるのです。又1分銀もその書体によって数多くの種類があります。ここに上げたP.Sはその位置の桜の刻印が偽造防止のためか?そこだけ逆さになっているのです(私はそういう意味での貨幣コレクタ−ではありませんが、興味ある所です)。一朱銀は250文、二朱金は5百文、一朱銀4枚(千文=1貫)で一分銀1枚となります。
(2001日本貨幣カタログより概説)

1両=4分=16朱=4000文=銀60匁となりますが、詳しくは、江戸の貨幣制度を参照して下さい。

右図の文化.文政の生活白書の価格は、石川 英輔著「大江戸庶民事情」(講談社)の概要の抜粋です。


藩札各種

江戸時代に、紙幣があったのをご存知でしょうか?幕府が発行したものでないので、正確に貨幣としての紙幣とは言えないかもしれませんが、藩札、手形、切手等と称されて実際に流通していたのです。藩札の発行原因には、藩の財政難や貨幣鋳造の遅れ等が上げられるようです。ただ、これは地域的なものであり、使用出来る場所や期間も限定されていたようです。偽造防止に既に透かしや、隠し文字等が、もちいられていたとは驚きです。


左から
徳島藩銀見極一匁札(享保15年 1730年)表/裏

奈良廻御年貢米手形銀壱匁(慶応元年1865年)表/裏

茶切手


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