丸行灯


(浮世絵に描かれた丸行灯・豊国)     
 江戸の旅道具が私のコレクションの中心ですが、浮世絵に描かれた当時の風俗にも大変興味がありまして、これも浮世絵によく描かれた丸行灯です。上図は豊国の作品ですが、左図とほぼ同じ丸行灯を持ち、奥には角行灯が描かれてるのが判ると思います。写真では解りづらいと思いますが、周りが二重構造になっており、丸い外周が回転して油や蝋燭が取り替えられるようになっており、なかなか手の込んだ面白い作りとなってます。
ガンドウ


(浮世絵に描かれたガントウ・広重)

ブリキのガンドウは時々目にするが、木製の物はなかなか出会えない。オ−クションでも骨董市でも、それぞれ1回だけ目にしたことがあるが、やはり状態がいまいちであった。これは薄手の木材をワッパ状にして鉄で締めた物ですが、長年探していた物だけに手に入れられた時は嬉しかった。ご覧の通り地球独楽のように蝋燭が常に上を向くように工夫され、木製なので耐火の為の火受けも付加されている。右は蓋をした状態だが、火が消えないよう取っ手の両脇に開閉できる空気穴が用意されている。
鍋手燭
 手燭とは、「人をある場所へいざなう時使った明かり。文字通り手で燭台を持つために柄が付いている。ごく古い型のものには油を使ったものもあるが、大方は蝋燭が光源だった」という
(道具で見る江戸時代 高橋 幹夫著 芙蓉書房出版に依る)。

 高さ5.0cm、口径9.3cm」江戸時代のものということで手に入れましたが、非常にしっかりした作りで珍しく気にいったものに出会えました。
箱提灯
 直径15.5cm、携帯するには少し大きく、常用するには少し小さいかなという大きさのものです。木製の外形を鉄の金具で整形したものは初めてみました。蛇腹の部分はありませんが、それでも小田原提灯のように、金属の携帯用提灯になると軽く1万円を超えますが、これはオ−クションで1800円で手に入れました。写真では確かにボロボロですし、それが幸いしたのか?、しかしこれも歴史の味わいと思えば愛しいものです。これも豊国が同じような提灯を浮世絵に残しております。
提灯
提灯


(浮世絵に描かれた提灯・豊国)
 「江戸時代は、夜間、無灯火で歩く事ことを禁じられていたから、どの家も提灯の類を備えておかなければならず、しかも竹ひごに紙貼りという壊れやすい物のわりに値が張った。古くは ”桃燈”と書かれ、一説によると、室町時代、中国の栄に渡った禅僧が伝えたものという。最初は木枠に紙を貼り一ヵ所に掲げ置くものだったが、やがて籠に紙を貼り、持ち運び用の取ってをつけたものができた。江戸時代初期に、こうした行灯から携帯照明具の役割を奪ったのが提灯。油火でなく蝋燭を用い、固定式でなく折り畳み式だから、光は強く扱いやすい」。         (大江戸ものしり図鑑 花咲 一男監修 主婦と生活社より)

油差しと蝋燭立て
 指南を仰ぐ骨董屋さんによって、使用時代に巾があるので、いつの頃の物かは解りません。幕末から大正時代の頃までといわれていますが、ご存知の方おりましたら教えて下さい。確か、何処かの資料館のものと同じもので、本でも紹介されてあった気がするのですが、探し出せません。片方に蝋燭立てがついていて、もう一方が油差しですから、夜に各部屋の灯油差しに廻るのに、使用したものだったのでしょうか
火打ち金と火打ち石
石英石類と鋼鉄をぶつけて火花を出し、この火花を燃えやすいものに移して火を起こしたり、煙草を吸った。江戸期以前には許された者しか発火具である火打袋は持って歩けなかったようで、「火打袋御免」という言葉が残されている。家庭では石と金属と付け木などを入れた箱がどの家にも置かれていた。これは所帯道具の一つであった。
(道具で見る江戸時代 高橋幹夫著)
ひょうそく
ひょうそく
 「燈火用の油は、魚油や木の実から絞った油が用いられ、江戸時代には主に菜種油に代表される植物油が使われていた。しかし、油は庶民にとっては高価なものであった。灯心には、水辺に生えている灯心草の皮を除いたものを使う。...油皿は、庶民の間では貝殻でも代用されていた。油を入れて燃やすヒョウソクは、持ち運びに便利な壷型や急須型が作られた」
(古民具の世界 安岡 路洋著 学習研究社より)

 大前神社(小)と、栗の家(大)で求めたもの。珍しくどちらも値切る事が出来なかった。時代はあるとのことだったのですが、写真ではそんな古さはとても感じられないでしょうね。
大(底9X高7)
小(径3.5)
手持ち手燭
手持ち手燭
 
ロウソクの明るさは、油を使った行灯の5倍近くあったそうです。旅の小道具の、折り畳み式携帯用燭台のところでも触れましたが、当時「ろうそくの値段は非常に高く、広間に使う大型の百匁ろうそくともなれば、十九世紀はじめ頃で一本200文(5千円)くらいだった。」とのことです。
 この手燭は、蝋燭の回りが囲ってあって、火事が多かった江戸時代のロウソク転倒防止用の知恵だと思います。ロウソクが高価だったことは、何回も書きましたが、するとそこには、それなりの商売が発生しました。大江戸ものしり図鑑、花咲 一男著(主婦と生活社)に依ると、「蝋燭の値段は高価だからもっぱら店売り。それで、蝋燭を売り歩く代わりに専門の廃品回収の行商人がいた。”蝋燭の流れ買い”と称し、蝋台や提灯の中に固まった燃え残りやしずくを目方で買って歩く商売」が出来た訳です。当時いかにロウソクが貴重だったかが窺い知れますね。

伸縮自在燭台
 友人と知人の展覧会に行く途中、立ち寄った骨董市で買い求めた燭台です。「伸縮自在」と記した通り、高さが自由に調整できる燭台です。単なる意匠なのか、或は何らか機能的な意味があるのか解りませんが、左側に見える支柱のネジ山は、右・左・右と刻まれております。ご存知の方がおりましたら是非、ご教示願います。

 灯りの道具は、DNAに刻み込まれた、人類が洞窟で暮らしていた頃の、懐かしい記憶まで辿れるような気さえします。「骨董」という言葉に差別的な偏見を持つ方もいるようですが、「古いだけで役に立たないもの」と訳してしまえば、レオナルドの「モナリザ」だって同じです。随分飛躍した論法だと云われるかもしれませんが、興味のない人にとってはあの陰気臭い肖像画より、ゲーム機の液晶画面のほうが魅力的かもしれませんから。

 時々、古いものに惹かれる心とは何だろうと思うことがあります。最先端のスペースシャトルには、ただ驚愕するしかない感動をもたらします。しかしそこには子供の頃作ってもらった、紙飛行機のあたたかさや懐かしさはありません。でもその紙飛行機の懐かしさは、経てきた時の積み重ねがあるからこそなのかもしれません。これは「スペースシャトル」も、いつしか「骨董品」となる可能性を秘めているということでしょう。

 単純な紙飛行機に込められた思いと、最新技術で成ったスペースシャトルに込められた思いのなかに共通するものは、灯りに込められたDNA等と、あるいは同じものなのではないのか、など思ったりします。そんな風に考えると骨董品は古いからこそ、時代の流れと心の在りようを沁み込ませており、ひとの気持ちの根幹に共通するような本当に素朴な感覚を甦らせてくれるのかもしれません。

吊り行灯
鍵手の鉄味が良かったので眺めていたら、「それ味があってなかなかいいでしょう」と、すかさず店主が云う。「形が妙にゆがんでいるんじゃないの?」と云うと「それが手作りの味じゃない」とさすが年季の入った言葉で返してきた。まぁ掘り出し物が何も無かったら...と思って、取りあえず値段を聞いた。確か「その小さい方が負けて6千円、大きい方が8千円かな」と言ったと思うが記憶の自信はない。一回りしても何も欲しいものは見つからず、ではとこの店に戻った。「アレ、味があるわりにゃ未だ売れてないの?」と冷やかすと、「みんな見る眼がないからだよ」、と笑う。「じゃこの大きい方確か6千円だったよね?」と、とぼけて云うと、「イヤ6千円は小さい方だよ」、と怪訝そうな顔付き。「さっきこれ6千円と云ったよね」と店主の奥さんにいうと、困惑した表情で笑っている。まぁ本当は私も交渉した時の値段幾らだったか忘れてしまっていたのだが.....結局、「じゃ6千円でいいよ」との一声で目出度く我が家のコレクションに.....しかし、ガックリ肩を落としたサラリ−マンの悲哀がこもったこの行燈、どこか自分と二重写しに。元気出して其 の肩、もうちょっとシャントしてくれればネェ............
鉄地 吊り燭台
 灯かりの道具は本能的なものを刺激するせいか、どんなものでも郷愁を感じさせます。勿論こういうものを使った記憶はないのですが、それでも古いものの中に、何故か深い懐かしさみたいなものを感じさせるのは、やはり”本能的”としか表現できません。ひょうそくの一種か、吊り燭台とかいうのでしょうか?正確に調べ切れなくて分かりませんが、ご覧の通り鉄製の急須のようなものに、吊り下げるための鎖がついた灯火器です。
古民具へ
江戸の魅力目次へ戻る