手彩色古写真

 このコーナは絵葉書ではなく、「手彩色した古写真」を集めたものです。多くが明治時代のものですが、信じられないほど丁寧に彩色されたもので、カラー写真といってもいいくらいなものもあります。幾つかの大学や図書館に蔵されたものと同じ写真もありますが、少しだけ構図や向きが違っていて、同じ場所同じ対象を何枚か写真に撮っていたことがわかります。次ページには手彩色された「絵葉書」を展示してありますが、それもこれらの写真を基にして作成されたものが数多くあります。いずれ撮影対象ごとにジャンル分けできればと望んでいますが、とりあえずその一端を楽しんでいただければと思います。

相撲
 「相撲は、直径4.55mの円形で、40〜60cm盛り土された土俵で行われる。土俵は、東南西北に位置する四方柱(よもばしら)に囲まれ、方屋(かたや)といわれる屋根に覆われる。四方柱は春夏秋冬を表わし、その上部には水ひき幕が張られた」。子供が行司を勤めていますが、前座興行のものかと思われます」(全文長崎大学付属図書館の古写真サイトに依るものです。)。撮影は横浜で写真館を営んでいた玉村騎兵衛と思われます。

箱根街道(手彩色古写真)

 長崎大学付属図書館にある「幕末明治期日本古写真」の「箱根宿」と同手の写真です。そこには、「箱根宿の三島町の南はずれから、小田原町方面を見たところ。家並みは、江戸時代とほとんど変わっていない。左手芦ノ湖の小高い岡の上に箱根離宮が見えるので、明治19年以降の撮影と分かる。中央の杉の木は関所跡」と説明されています。小川一真による撮影で、古写真の書籍にも出てくるものです。「箱根離宮」と説明されたものがこの写真の裏側にもう一枚「Mikado’s palace」としてあるのですが、こちらは余りいい写真ではありません。







強力 (手彩色古写真)

 オ−クションでこの素晴らしい写真を見つけた時には嬉しかった。それもくたびれたオジさんの写真だったせいか誰も入札は無く、運良く初値で落札できた。説明には「観光外国人が賞賛した着色写真の中でも、最も有名、かつ繁栄した横浜の写真館、金幣写真の有名な《強力》を被写体にした風俗写真です。東海道筋を旅したりする際、このような強力にお世話になりつつも、驚嘆した観光外国人の表情が思い浮かぶ写真といえましょう」と、ありました。「金幣」とは、下岡蓮杖と共に幕末−明治を代表する、日下部金兵衛(商号「金幣」)という横浜の写真家のことです。

 しかし、これと殆ど同じ写真が「早稲田大学図書館所蔵貴重資料」にもあります。そこでは「横浜 ファーサリ商会 [1890年] 4冊ファーサリ写真帖 」となってます。更に「新開地・横浜には、幕末から明治初年にかけて、外国人も含め多くの写真師が写真館を開業し繁盛していた。そのなかでも名高いのは慶應2年に来日したイタリア生まれ英国籍のフェリックス・ベアトである。−略−横浜のベアトの写真館はスチルフリードを経てファーサリに受け継がれた。ファーサリ商会では明治20年代、豪華な蒔絵表紙で飾った海外向けの土産用の写真アルバムを多量に製作した。−略−欧米人のエキゾチズムをかきたてるような商業的演出がなされているが、それはそれとして当時の風俗・雰囲気を今につたえる貴重な資料となった」とあります。早稲田大学のものは左下に「GORIKI」とありますが、上記のものには「BA?AGE MAN」とあります。顔の向きが違うので、同じ写真ではないのは解かると思いますが、モデルも場所も同じであり、この時撮影したものであることは間違いないと思われます。


荒物屋
  
 この写真には見覚えがあった。「別冊 歴史読本」(新人物往来社)の、古写真特集号の表紙を飾ったものの記憶があったのです。「石黒コレクション」の写真と記されていましたが、恰好は違っていても行商人は同一人物です。こういう例はいくらでもありますが、服装も荷物の様子も多少異なっているから、或いは日にちを変えて撮影されたものであろう。

 手に入れた写真は「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真データベース」にも同じものが紹介されており、「大八車を引いて、箒・笊などを売り歩く行商人。姿は、バッチョウ笠に木綿の印袢纒を着て、脚絆を巻き、草鞋を履く。売り物の箒や笊・刷毛は大小各種、オロシ・タワシ・杓などを車いっぱいに持つ」と紹介されております。

 
手彩色古写真 「神戸俯瞰図」

 明治時代の後半、神戸の街並みを俯瞰した写真と思われます。明治の文明開化の浮世絵を描いた貞秀や国輝などの作品にみられる、海に浮かぶたくさんの蒸気船や帆船が写っています。こういう写真をみると、浮世絵が妙に生々しく見えてくるから不思議です。


「 手彩色古写真  くつろぐ女性 」

 薬缶の置かれた長火鉢で、くつろぐふたりの女性の写真です。薬缶の脇に見えるのは、五徳の一部でしょうか?右の女性が持っているのは云うまでも無く団扇ですが、炭に風を送ったものか、あるいは写真用のポーズかもしれません。左の女性が右手に持つのはおそらく長煙管でしょう。この女性は遊女には見えませんが、時代劇で時々こんな長い煙管を吸う花魁を見るときがあります。後ろは床の間でしょうが、植木鉢らしきものと一幅の書画が飾られております。


「 湿版写真 」

 骨董市でも時々目にするガラス湿版写真です。だいたい八千円から1万円くらいの値段が付いていたと記憶するのですが、ただ題材がお金持ちの肖像写真のようなものばかりで、魅力には乏しくとても手を出す気は起きませんでした。

 これは煙草盆で一服、という風俗的な面が気にいったので、手に入れました。見ての通り状態はよくありませんが、時代の流れを思えば仕方ないでしょう。元はモノクロなのですが、PCでの色彩調整のとき、この褐色の調子の方が雰囲気が出るようで、そのままにしました。そうです、人物を消せば現代絵画にも成り得ますし、自分の描いてきた作品の背景に、大きな啓示も与えてくれます。そうそう、値段を書き忘れましたが、これも3000円でした



脱穀作業

 農家の庭先での脱穀風景です。脱穀とは稲に実ったお米と藁を分ける作業です。とは言っても普段目にするようなお米になるまでは、この後なん工程も経るわけです。この写真は、ムシロに広げられた稲束を人々が手にしたクルリとかブリと呼ばれた、たたき棒で籾を脱粒している様子です。インドでの牛に踏ませて脱穀し、風で籾とわら屑をを別けている様子をテレビで観た事がありますが、なんか懐かしい風景です。

 実はこの写真と殆ど同じ写真が、長崎大学付属図書館の「幕末明治期日本古写真」の「脱穀風景2」のデータベースにもあります。ちょっと見ただけでは殆ど見分けはつきませんが、私の手に入れた写真に写っている中央の少女が長崎大学付属図書館の写真には写ってはおりません。足そうとしたか、余計として省いたかそのどちらかは判りませんが、人々の全くといいほどの同じ格好からして(微妙に違った部分もありますが)、この写真も当時の他の写真と同じく、ポーズをとらせて撮った写真であることが判ります。


「 中山道塩名田宿 舟橋 」  手彩色古写真 

 JA佐久間のサイト(http://www.ja-sakuasama.iijan.or.jp/)に依ると「江戸時代、塩名田宿付近の千曲川は流れが急で洪水のたびに橋が流されていました。さらに、橋の架けなおしには負担も大きかったことから、幕府は橋を維持するため、佐久・小県郡内の村々で組合を組織させてこれにあたらせました。明治に入り、組合での維持管理ができなくなったことから新たに船橋会社がつくられました。明治6年(1873年)、千曲川に九艘(そう)の舟をつなぎ、その上に板を架けて橋とする『舟橋』方式としました」とあります。明治25年(1892年)には木橋が架けられたとありますから、この写真は明治6年から同25年までの間のものとなります。長崎大学附属図書館にアングルの違った写真がありますので参考まで。

 浮世絵にも舟を繋いで橋とした図が残っています。橋は生活の必需品ではありますが、技術と建設費用を無視することのできない公共性の高いものです。同時に江戸時代は防衛の要素もありましたから、こういう風情からは人の知恵と興味深い世相がうかがわれます。


「 手彩色 古写真  京都 ・三条大橋 」
 
 「京都・三条大橋」を写した明治期の大型手彩色写真です(26cmX21cm)。横浜写真と呼ばれ、海外に持ち帰られ後に里帰りしたものだそうです。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、「三条大橋(さんじょうおおはし)は京都市にある三条通の橋。鴨川にかかっており、東海道と中山道の終点である。橋が架けられた時期は明らかではないが、豊臣秀吉の命により改修された記録があり、欄干には当時の擬宝珠も一部残っている。現在の橋本体は2車線、歩道付のコンクリート製で1950年(昭和25年)に作られた」と説明されております。

浮世絵や広重に興味のある方は、ご存知のことでしょうが、「三条大橋」は江戸の当時も東海道唯一の石杭の橋でした。これを広重は「木製の橋杭」に描いた為、「広重は実際には東海道を旅してはいない」という傍証によく挙げられるものです。非常に興味ある写真でしたので、手に入れられて幸いでした。この写真が撮影された時期は、今のところはっきりしません。ただ橋の中ほどに人力車が写っていますから、人力車が発明された明治2年以降の写真である事だけは間違いないありませんが・・・。HPには多くのデータベースがあるようですが、未だ同じ資料に辿り着けません。若しご存知方がおりましたら是非お知らせ下さい。



「 手彩色 古写真 ・ 箱根の駕籠屋 」

 インターネットの発達で、各大学や図書・資料館での古写真のデータベースが見られるようにもなった。上の写真も長崎大学付属図書館のデータベースにある、「目録番号: 299  撮影者: 小川一真」の、 「芦ノ湖畔の旧街」と殆ど同じ場所から撮影したものです。他にも同じアングルから撮影されたものがあるので、やはり人気スポットというのは昔からあったということなのでしょう。当然といえば当然なのですが、ただ現在の写真や絵画が独創性を重要視している傾向から考えると、ここには非常に面白い心理が見出せます。



「 手彩色 古写真 ・ 茂木街道」

 「長崎から茂木へ行く途中の峠。長崎から茂木への要路で田上峠は茂木口といわれていた。峠の茶屋と人力車が時代を感じさせる」と「長崎大学付属図書館」の幕末・明治期の古写真のデータベースにあります。写真も全く同じもののようです。撮影者は明治・大正期の有名な「小川一真 」のようですが、彼は現在の千円札の前に登場してた夏目漱石の原画となる写真を撮影したひとです。

 露出に結構な結構な時間を要したのでしょう、右側の茶屋の娘さんの足の上部が半透明になっております。左側には人力車が2台置かれているから、そこは車屋さんかもしれません。懐かしくも帰れないとおい昔。それでも、人の往来に沁み込んだ風情、人恋しさと旅情、そんな街道の雰囲気に満ちています  



「 手彩色 古写真 ・ 江戸川の桜 」

 予算が無いので、珍しいものは競り負けてなかなかいいものをお見せできなくて残念です。小遣いの範囲内での収集も、趣味を長続きさせるコツかもしれません。これは3000円でした。もちろん直ぐ飽きの来る安物ばかり集めても、塵の山を築くだけですが。未だ手頃でみんなの目のつけてないものを見い出すことも、予算内の収集の醍醐味でしょう。評価の定まったものは高くて当然です。どうしても欲しいのに、手の出ない物に出会うときも結構ありますね。時に、散財したい気持ちもありますが、でも無い袖は振れません。100円ショップで貯金箱を買いました。次の誕生日まで決して開けないという決意で・・・塵もつもればマウンティンですから。



亀戸天神の藤棚

 亀戸天神の藤棚は当時から余程の観光地だったらしく、何枚もの写真が残っています。「手彩色絵葉書」のコーナにもほぼ同じ図柄のものを紹介していますが、そこには初代広重の浮世絵も載せておりますので、興味ある方は是非見比べてください。



「 手彩色 古写真 ・ 松島」

長崎大学附属図書館の幕末・明治期日本古写真データの「松島」に依ると、”小川一真撮影”となっているが、全く同じ写真が玉村騎兵衛?ともなっている。共に「日本三景の一、松島。湾内には波の浸食を受けた様々な形の島が浮かぶ。写真では、和船が一艘帆を広げ、波静かな水面に影を映している。前景左手に松を戴く切り立った荒い岩肌が見え、中央から右端にかけての水面には小島が連なっている」と説明されているから、承知のうえのことなのだろうが・・・・・ただ小川一真が正確なら、写真の同一性から玉村騎兵衛ということはありえないと思うのだが・・・・・。

 終に貧窮生活に陥り、幾ら安物でもなかなか集められなくなってきた。実はこの写真は5月に紹介した「亀戸天神の藤棚」と同じ台紙に張られたものであった。歪みが写真でも見てとれたせいか、大変安く手にいれられた。やや厚めの台紙を二枚にそぎ、その後裏側だけに水気を含ませて慎重に台紙を剥いでいった。本当の薄皮一枚のみ残して、綺麗に剥がすことができた。


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060920