蒔絵 印籠

「印籠」は「旅の小道具2」で、「腰に下げる三重または五重の長円形の小さい箱。箱を緒で貫き通し、緒締め、根付けをつけて帯にはさんた。蒔絵などの細工が施されている」とあり、さらに「もともとは印判、印肉を入れるものであったが、江戸時代には薬を入れて携行するのに用いた」「桃山時代から薬を入れ腰に下げた、との説もありますが、どちらにしても江戸時代には、漆や金粉に依る蒔絵等の華麗な工芸技術によって実用性よりも装飾を競うように発展していったようです」と、説明したものです。
同じ旅道具に展示しようと思ったのですが、装飾の過多から旅の道具よりはこちらの方がよいかと思い、こちらに展示しました。

 この印籠は、骨董市で顔なじみになったお店から偶然手に入れたものです。この方は蒔絵の姫印籠を持っていたのですが、値段の関係でずっと手に入れられずにいました。骨董市に出かけたとき、他に何もなければその印籠を買おうと思っておりました。各お店をひと回りして、最後にこのお店を覗き、姫印籠を見せて欲しいと頼むと、今日は持ってきていないという。それで出てきたのがこの印籠なのです。とても手の出せる値段ではなかったので、冗談で予算は○Xだからと言うと、暫く考えてた奥さん、今日は主人も居ないし全然売れないので、それで良いと言う。ただし、根付と緒締めは付けられないからと外し始めたが、それがなかなかとれない。堪らずそのままでいいからと、ほんの少々値段をプラスして、ようやく手に入れた。値札の1/3以下でした。

 馴染みのの骨董屋さんが何買ったの、見せてと云うので鑑定宜しく取り出すと、皆で回し見ながら、これはまじめな物だから買った値段の10倍以上でも売れるとおっしゃる。私への愛想もあるだろうし同業者間の悪い話もご法度だろうが・・・?中は梨地の蒔絵を施したなかなかのものなので、それほどのお世辞とも思われず、素直に信じることにした。所々に金箔の剥がれがみえるのが難点ですが、久し振りに掘り出し物にであった気がしています。

湯風呂1

宣徳野風爐と裏書きのある箱に収まった湯風呂です。湯風呂とは野外でも酒の燗が出来るように工夫されたものです。下に紹介したものとも構造は同じもので、一ケ所の穴に炭を入れ、、回りを水で満たし、もう一つの穴に酒を入れた容器を入れて燗をするわけです。これは遊山もののようですが、この構造と同じ作りのものはこんな携帯用のものばかりでなく、室内で使用された長火鉢等にも数多く利用されています。真鍮製で結構な線彫りがしてあります。

湯風呂2
これも上図湯風呂1ほどの華麗さはありませんが、同じお酒を暖める道具です
簪の歴史は古くて、縄文期まで溯るといわれるようです。飾るという行為は権力の誇示と見ることもできますが、あるいは本能にも似た単なる”美”への憧れなのかもしれません。とは言っても当初の簪には、魔除けの意味合いもあったらしいのですが・・・。これは江戸期のものとのことでしたが、銀色の花びらは桜で赤い実は万両のようです。花は何の花でしょうか?とても柔らかいもので、材質も不明ですが、結構手の込んだものです。花びらは一枚一枚リングで止めてありますが、花や葉は何かで接着してあるようです。ハンダであれば江戸期ということはありえませんが、よく解かりません。ロウ付けの技術はいつ頃のものかの知識はありませんが、「江戸商売図絵」には鋳掛屋という鍋や釜の修繕士がいたのですから、そんな技術で簪が出来たとしてもなんら不思議はありませんネ。さて・・・・・・・・
 凄い名前ですね。先ず、「鼈甲」とは、べっこうのことであり、タイマイという海亀の甲羅のことです。「螺鈿」はらでん、美しい貝殻を切り込み彫刻したものを漆地に嵌め込んだものです。「蒔絵」は、漆を塗った上に金粉銀粉を散らした、まきえのことです。 櫛はそのままくしの事で説明の必要はないでしょうが、「笄」はこうがいと云い、「男女ともに髪をかきあげるものに用いる具」と、広辞苑にはあります。

 もう少し重量感のあるデザインの櫛が欲しかったのですが、そうすると値段が懐と合いません。画面ではそうは見えませんが、実物は簡素でさっぱりした印象を受ける櫛です。詳しいわけでは有りませんが、螺鈿を使うと混み入った意匠になる場合が多い中では、逆に珍しいものかもしれません。螺鈿の白の半透明感は写真には写りきっておりませんが、江戸から明治期のものとのことです。


金唐革

遊山の道具には不似合いかもしれませんが・・・茶系の薄汚い花文様は1/3以上剥がれ落ち、縞模様の布地が覗いてます。よく観ると下左右にほんの少しだけクリムトが描くような金地に丸い模様に気がつきます。若しかしたらこれは金唐革ではと思って、くすんだ外箱を空けると、出てきたのが右の内箱。まずまずの状態であった。金唐革は江戸時代にオランダを通じて日本にもたらされ、ヘラや印刻で浮き彫りされた華麗な文様は、主に煙草入れなどに加工され珍重されたらしい。壁紙になったという記録も残る。平賀源内がそれを版画の空刷り技法で紙に文様を浮き出させ、糊や漆を塗って金唐革紙を模造したとも言われるが、諸説あり詳細は定かではない。まぁこれが金唐革かどうかもよく判らないのだが、ご存知の方がいらしたらご教示頂きたいと願っています。二点写った写真の右側が外箱で、左のケ−スが納まるようになっている。大きさは約8.5CM四方、煙草入れか小物入れか用途も時代も国籍も不明。生地は三重構造になっており真ん中の布地は分かるのだが、内側は紙の様な革のようなでよく判らない、紙に塗布した漆なのかもしれない?。外側は右側の写真でお分りのように紙の空刷 りにしては余りに立体的なので、外側から印刻されたものだろう。

携帯用酒器
なんとも言えない曲線は恐らく腰に巻く為につけられたものだと思います。日本は水の豊富な所とはいえ、旅に用いられたとしても遊山にもちいられたとしても、酒入れにも水筒にも兼用されたような気がします。写真ではちょっと見えにくいかもしれませんが、片端には空気抜きが付けられております。
堤重箱

これは、形の違う5種類の容器で出来ている弁当箱である。いわゆる野弁当の一種であろう。武士や豪商等の使う豪華なものではないが、庶民の中にもそんな生活を楽しむゆとりみたいなものが感じられるものである。

酒に料理はつきもの。料理を重に入れ、風呂敷きに包んで持参したが、そのような重を花見重といった(「道具で見る江戸時代」では、堤重箱、訓蒙図彙では、堤盆、携盒同じとある)。花見重は、分解すると複雑に何種もの器が収納されており、中には酒器をセットしたものまである。また、箱の中に料理から酒、三人前の器まできちっと収納されている野弁当のような豪華版もある。遊山は大勢でにぎやかに、とは限らない。ひとり静かに楽しむときには、腰につけられる弁当箱と酒器がセットになったものを持参した。(古民具の世界 安岡路洋著 学研研究社)
蒔絵・堤重

前川久太郎氏の「道具が証言する江戸の暮らし」には、かなり豪華に見える同種のものに「ごらんのものなど、堤げ重箱型のごく普通のものだが、五人前。むろん酒も杯も組み込まれている。考えてみれば無理もない。泰平とはいえ、いわば長い軍政の江戸時代、その時代にだれはばかる必要のない、社寺参りや花見や芝居見物であり、そしてそこで開かれる弁当が楽しみのものであった時代には、弁当にもそれにふさわしい装いが必要だったにちがいない」とありますが、浮世絵から覗ける江戸の生活を見ると、「ごく普通のもの」という表現も成る程と思わせるものです。かと云って日用雑記とは云えないでしょうが。それにしても、当時の手仕事の業には恐れ入るばかりです。

灯かりへ
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