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様々な図に見られる「6本指」の謎 | |
| 和国百女(帥宣 1695刊) | 左図の6本の指 |
| 北斎百人一首「藤原 道信朝臣」 | 北斎に見られる6本の足 |
| 北斎に見られる6本の指 | |
| 二代目坂東三津五郎(写楽) | 三代目大谷広次(写楽) |
写楽の足 写楽の足の描き方は指先がずれている為、観方(数え方)に依っては、6本にも5本にも見える。 豊国にも似たような表現があるが、描写的には豊国の方が上手く、この錯覚を感じさせる描き方は、写楽の特徴のように思われる。しかし、確かに勝川派に顕著にみられる表現方法ではあるが、親指や小指の左右に線を入れるのは、よくみると浮世絵全体での形式でもある。 | |
6本指の謎の答え 「さて、「浮世絵の謎」でも中途半端のまま取り上げていますが、広重の保栄堂版「東海道五十三次」の「日本橋」「三島」「戸塚」「藤枝」「御油」「赤坂」「水口」の七宿場の図に、6本指の人物が描かれているとの慶応大学の西岡秀雄名誉教授の説が、昭和59年の毎日新聞に掲載され話題を呼びました。私は2002/10/25に「版下絵の曖昧さ」とする文章を掲示板に書き、その例証として「浮世絵の謎」に他図にも見られる6本指の浮世絵作品を提示しました。 6本指の描写について、雑誌「目の目」250号(里文出版)に青木驍歩氏は、道教の神仙思想に依る6本指表現の例をあげておられますが、日蓮宗だった北斎やその他の絵師の表現にも同例証の表現があるのですから、神仙思想による表現との絶対的な証拠とか根拠にはならないだろうと私は思います。そういう訳で「もうひとりの写楽」(イヨンヒ著)に紹介された、金弘道の観音像の6本指表現解釈にも、無理な見方を感じざるをえないのです。昭和28年も昔に鶯亭金升が「明治のおもかげ」(岩波文庫)において、清親の弟子「井上探景」(井上安治)が6本指を描いてしまったことにたいして「粗忽者」と紹介していることが、この問題を解釈する上で非常に興味深く脳裏をかすめるのです。 私は神仙思想には不案内なので、その表現自体を否定はできませんが、仙人や聖人表現なら未だしも、少なくとも浮世絵師広重が何故、駕篭屋や庶民の足を6本指にせねばならなかったのかの必然が感じられないのです − そこに隠れ切支丹的な意味合いは聞いた事はありませんし。更に隠し落款は広重にも幾つかありますが、6本指を偽物防止とするのは江戸の出版界や、広重の他図引用を鑑みれば、あり得ないことと断言せざるを得ないでしょう。この当時はコマ絵や隠し絵のように、機知にとんだユーモア精神の旺盛な時代ではありましたから、そんな遊び精神が無かったと断言はできないとしてもです。私も当初は版元の竹内孫八が、孫七と名乗って質屋を経営する一方で眉山と名乗って絵も描いていたことに注目して、広重の絵の中に「孫六」的隠し落款で六本指を入れたのでは?とも考えました。今でもその考えを捨て去るのは何故か忍びないのですが、やはりその可能性は神仙思想と同じように限りなく低いと思っています。 その理由は、当初述べた「版下絵の曖昧さ故のもの」、つまりは広重の絵の下手さ加減も加味される訳ですが、そんな事よりその答えは原点たる浮世絵の類型化された表現形式にあると断言できると思います。この様式は浮世絵の手足の表現のほぼ全てに共通しております。つまり、足でも手でも(足のほうがより顕著ですが)小指の外側をすんなりと描くのではなくて、ひとつの膨らみを持った肉片として表現されているのです。勝川派などはその傾向が強いですから、写楽を含め足の小指の外側がどう表現されているかを、実際の作品を画集で何点か比べていただければよく判ると思います。「日本橋」「戸塚」「藤枝」「御油」「赤坂」「水口」などみなそうです。「三島」は確かに6本指に見えますが、それでも私の上げた例証を超えるものとは思えませんし、そうでないとすれば単なる粗忽者の犯したミスでしょう。「藤枝」の本物を私は有していますが、僅か5.6ミリの中に5本の指と1本の草鞋の鼻緒を描き、更にそこに飛び出た藁を陽刻しています。そんな細かい世界の中で、小指の外側が指に見えても仕方ないのではないかと私は思いますし、他図と比較してもこれが明白化された、6本指 の謎の答えだろうと思います。(後日、判り易い図版を掲載予定) 2006/09/12 | |
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