広重、東海道53次内「藤枝」 |
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| 歌川広重 寛政九年−安政五年(1797-1858) この図については「東海道五十三次の魅力とその矛盾」の「藤枝」をご覧下さい。 歌川豊広の門下。江戸八代洲河岸、定火消同心安藤源衛門の子として生まれる。幼名、徳太郎、のち重右衛門。文政六年(1823)、曾父安藤十右衛門の子仲次郎に家督をゆずり、鉄蔵と改名し後見となる。豊広への入門は文化八年(1811)、広重と称す。号、一遊斎、一幽斎、一立斎、立斎、歌重等。天保三年(1832)、36才の時、正式に職をやめ、絵師として自立する。風景画は天保二年(1831)の「東都名所」(一幽斎落款)で注目を集め、ついで保永堂版「東海道五十三次」によりその名も不朽となった。晩年、美人画がまた描かれるが、大作「名所江戸百景」や「雪月花」三枚続きのシリ−ズ等を遺して病没した。 (浮世絵の見方・吉田漱著・光芸出版より概説) |
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