葛飾北斎 宝暦十年−嘉永二年(1760−1849) 姓、川村。幼名、時太郎のち鉄蔵。通称、中島八右衛門。号、春朗、宗理、可候、戴斗、画狂人、為一、卍、等きわめて多数で生涯93回にわたる転居癖と同じく画境一新のための改号が多かったのであろう。少年の時に彫師に彫刻の技を学び、貸し本屋に徒弟として入り、貸し本の絵に関心を持ち、画家になろうとしたのだという。19才の頃、勝川春章の門に入り、春朗の画名で、はじめて役者絵を版行する。意欲的な画道精進は、狩野融川の門にも出入りし、それが知られて春章に破門されたという。「北斎漫画」「富嶽三十六景」等の傑作を成し、晩年「百歳の後に至りてはこの道を改革せんことをのみねがふ」と、なお年々激しい意欲を燃やしつづけた。 (浮世絵の見方・吉田漱著・光芸出版より概説)。 | ||
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| 多摩川六郷の渡し舟の図である。人物の表情が、なんともいえない。馬が乗ってるのがいい。広重の、保永堂版の東海道53次の川崎の六郷では、遠景に富士山が描かれているが、この山は形から観て、どうも富士山ではなさそうである。画材屋のおじさんが、これは筑波山だよ、昔はあの辺からも筑波山がみえたんじゃよ、と教えてくれたのですが、広重とは反対方向を描いたのかもしれません...。写真でも解ると思いますが、川面の波が空刷りされています。空刷りとは、絵の具をつけずに、紙に凹凸だけを刷り込んだものです。改印も版元印もないので、後刷りなのだろうけど、描写の感じや人物の表情の捕らえかたなど、銘は無くとも北斎と思っています。画集になくて確認とれずにいますが、同構図の作品が、結構散見されますので...。 |
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