十辺舎一九 著作
   
東海道中膝栗毛

上記のものは八編の上中下編ですが、初編刊行後その人気によって七年をかけて執筆している大変なロングセラ−でした。旅の恥は掻き捨て的な内容や色っぽい内容も受けた原因でしょうが、旅そのものへの憧れがあったことも見逃せないでしょう。広重が東海道五十三次を描くのは、これから約30年後のことです。江戸の旅人気が、けして一時的なものでなかったのは確かである証左であると思います。

 

續・木曾街道膝栗毛

上図の「續・木曾街道膝栗毛」も膝栗毛の流れをくむものだろうが、右の絵文字を組み込んだ文字や図案は、序文を自分で描いたと云われる十九の自書と思われる。徳利と知恵袋はその儘ですが、最後の絵文字どう読むのだろう?どなたか読み解いてみて下さい。
金草鞋

十九は寛政5年、7年間の大阪の生活に見切りをつけて江戸の蔦屋重三郎方に身をよせ、ドウサ引きなどの小仕事等をしながらも、40歳近くなるまでに約130種程の小噺本、洒落本、読本を出すが、とくに評判とるようなものは無かった。しかし亨和二年(1802年)「浮世道中膝栗毛完」を出す。これが評判となり翌年後編を出し、文化元年には所謂「東海道中膝栗毛三編」を出して、一躍超流行作家となった人です。十九は時代の流行、読者の好みに敏感な作家だったが、多作によるきめの細かさには欠ける所があったという。しかし、「金の草鞋四編」の表紙には西洋婦人を歌川美丸に描かせている(日本の古典18 京伝.一九.春水 集英社)。この本も四編なのだが、残念な事に表紙は剥がれ、その裏も同じである。

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