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桐座は、江戸三座の市村座の控櫓であるが、その刷り物の一部分を、「まさゆき」様に読み下して頂きました(感謝)。他に常世、菊之丞、中村仲蔵等の名前も見えます。
「歌舞伎は慶長八年、出雲阿国が京都の北野神社で踊ったややこ踊りに始るという。次いで名古屋山三郎という美少年の踊り手が出現して全国的にその人気は広がった。しかし、退廃を伴う歌舞伎は善良な風俗を損なうという理由で、阿国系統の遊女歌舞伎は寛永6年に、山三郎の伝統を引く若衆歌舞伎は承応元年に禁止された。京に生まれた歌舞伎はやがて江戸にやってくる。江戸歌舞伎の基礎を作ったのは出雲阿国の弟子、猿岩勘三郎であるといわれる。この猿若はのちの中村勘三郎と名をかえて、中村座となった。ついで村山又三郎という者が村山座を開いたが、それがのちに市村宇左衛門を座長とする市村座にとってかわられる。又少し後に山村小兵衛によって山村座が、森田太郎兵衛によって森田座が開かれる。これが江戸四座であるが、山村座は絵島生島の事件によって正徳四年断絶となり、以後は中村座、市村座、森田座の三座のみが年間を通じての営業を許された」(写楽仮名の悲劇 梅原猛著−新潮社より概説) 「写楽の作画期でもある寛政6.7年の歌舞伎劇団の状況を見ると、江戸劇団の主流をなした江戸三座の中村・市村・森田の名家がなくいずれもそれらの控櫓であった、都・桐・河原崎座が揃って、これに替わって代行公演をしている」(太陽・写楽−平凡社より概略) |
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