渓斎 英泉

寛政二年−嘉永元年(1790−1848)

号、国春桜、北亭、渓斎、一筆庵可候、楓川市隠等。父は池田茂春、能書家で俳諧、茶道も心得た才人であった。江戸に生まれ、幼少時、狩野白桂斎に学び、一時仕官したこともある。が讒言のため職を離れてからは仕官のみちを嫌悪して浮世絵師を志す。絵師、菊川英二の家に居候したことが美人画家となる縁になった。英泉の美人画はまさに幕末のよどんだ空気を伝える濃艶でニヒルな美を表現している。浮世絵黄金期すでに胚胎していたデカダン的な蠱惑美は英泉によってくりひろげられる。
(浮世絵の見方・吉田漱著・光芸出版より概説)。




仙女香については、かなりのスペ−スを割いてこれまで論じてきたので、詳しくは「司馬江漢53次画帖の矛盾」の仙女香の項を読んで頂ければと思います(現在休止中)。概略的には住所が「京橋南伝馬町三丁目いなり新道」というのと、この坂本氏の本名が、滝沢馬琴の「吾仏之記」に依り、実は絵本改め役の和田源七なる人物である位の所まで判りました。美艶仙女香の宣伝が入った浮世絵は、決り文句の後に戯作者、東西俺南北の句が添えられております。上の作品も下記のようになっております。

英泉・美艶仙女香


「美艶仙女香といふ坂本氏のせいする名高きおしろいに美人をよせて」

「すずみかな うわさの美人 ○ちかき」

東西庵 南北


当時の有名人の店については、「宝暦(1751−64)頃から、俳優自身の化粧品店経営が盛んになった。境町、葺屋町、本橋町など、芝居町の近くに多くみられた。村松町に団十郎、人形町に菊之丞、瀬戸物町に菊五郎、葺屋町に羽左衛門、木挽町、三河町に幸四郎など、俳優の屋号や芸名を冠した化粧品が売られた。その他では、山東京伝は煙草入れや煙管の店の他”白牡丹”と言う白粉を販売し、式亭三馬は”江戸の水”と呼ばれる化粧水で有名な店であった」らしい(大江戸商売ばなし・興津要著・PHP文庫より概説)

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