景色七小町

おもかげの かわらでとしの つもれかし たとえいのちに かぎりあるとも

栄松斎 長喜

はじめ百川子興と称し、天明末期に長喜、寛政八年頃また百川子興にもどる。享和元年(1801)頃、ふたたび長喜と称したといわれるが(浮世絵の見方・吉田漱著・光芸出版より概説)、未だ色んな説がある。「高島屋おひさ」の柱絵に描かれた団扇絵に、写楽の「四代松本幸四郎の肴屋五郎兵衛」が左右逆で描かれており、写楽問題では必ずといってよいほど触れられる絵師でもある。
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