![]() |
「歌川国直(寛政七年−安政元年)。初代豊国門下。早くから元・明画を修め、また北斎の画風を慕う。役者絵・美人画、また洋風陰影をとりいれた風景画を制作」(浮世絵大百科事典2 大修館)と紹介されております。面白い事に、彼は写楽翁とか写楽斎とも名乗っています。有名な東洲斎写楽とは生きた時代が違いますから、ここから写楽論を展開することは出来ませんが、それでも東洲斎写楽で、あれだけ詮索される「写楽」という名前の由来を考えると、大変興味深いものを感じます。 この絵は「洋風的な作品」にあたるのでしょうか?「忠臣蔵」ですから、図柄的には全く日本的なものです。しかし遠景の屋敷の遠近法は、中国からもたらされたものとはいえ、いわゆる「浮き絵」に通じる西洋遠近法です。手前の縁台を観ると、これは源氏物語絵巻などにもみられる古典的な、「逆遠近法」になっています。それは縁台ばかりではなく、奥に広がる左側の屋根の勾配もそうです。大和絵風の雲で緩和された、このちぐはぐな遠近法の混在は、そのまま当時の未消化な絵画理論を表しているともいえます。ちぐはぐさの最大原因である複数の視点は、日本絵画の長い伝統の中で培われてきたものですから、致し方ないことだと思われます。しかし数学的に合理的な遠近法が求められるのは、そのような絵画のみにです。それらは発展の歴史ではなく人間の要求の歴史で捉えねばならないと思います。長い美術史をみれば、科学的遠近法もひとつの様式であり、けして最終段階のものではなかった筈です。 | |
| 新版浮世忠臣蔵 七段の図 ・ 国直 | NEXT | |
| INDEXへ |