ダイナミックな空間をつくる

ひとは見かけじゃない、という言葉をよく耳にする。 それはだれも否定できない「真理」である。 しかしそのような言葉があるのは、実際は違っているからだろう。 少しでも自分を等身大以上に見せようと、ひとは日々努力を惜しまないというのが現実なのだ。 容姿や服装、あるいはそれに花を添える小物類、そして車など。 あらゆる手立てを総合的に、かつ抜け目なく講じなければ他人に本当の姿を見透かされてしまい、その結果「恥」をかくことになる。 「恥」を命と引き換えにするのも厭(いと)わない国民性ゆえ、少し寂しい気もするけれど、それが一大事となるわけだ。 さて、一般的にこれらの偽装の総仕上げとして「家」というものがある。 外でいくら等身大以上に振舞っていても、いざ帰る家がそれと不釣合いなら一気に現実に引き戻され、気分は落ち込んでしまう。 だから、せめて"見かけ"だけでも等身大以上にしなければ、という思いに至るのも理解できないことはない。 ある意味、庶民のささやかな楽しみでもあるわけだ。 またデザイン(形)を「売り」にせざるを得ないぼくたち建築家にとって、そのような「見かけ」を追い求める風潮を頭ごなしに否定してしまうことは、自分の(現実的な)職業を否定することに等しいことでもある。 なんの後ろめたさもなく、ただ流行の「形」だけを追い求めて得意になっている建築家がいるかどうかは知らないが、結果としてそのような「形」しか現れないのも建築の現実なのだ。 しかし、たとえば奈良・東大寺の大仏殿に一歩足を踏み入れた瞬間、畏敬の念にも近い、あの鳥肌がたつほど感動するダイナミックな空間を内包するのも建築である。 そのような空間に身を委ねている時、「形」やデザインを意識するひとはいないだろう。 「空間」は宇宙にまでつながる無限大の深さと強さを秘めているが、建築の「形」は所詮小手先の人為的なものであり、今この目の前の物体としてしか存在しない。 ぼくたち建築家は「形」だけでなく「空間」をつねに意識し、"建築は見かけじゃない"という言葉が「真理」になり得るよう努力しなければならないと思うのだ。