鏡の効果 / 永遠に連なる列柱

18世紀末のフランス革命を舞台に描かれた「ベルサイユのばら」や、第一次世界大戦を終結させた「ベルサイユ条約」の調印で有名なベルサイユ宮殿「鏡の間」(1684年完成、建築家ジュール・アルドゥアン・マンサール設計)は、長さ75m、巾10m、高さ12mの大空間の回廊である。 それは、17の窓とヴォールト天井から数多く吊り下げられた豪華なシャンデリアを挟むように対峙する17の鏡面で構成された芸術的装飾空間、まさしくバロックである。 そしてその「鏡」が主役という稀有な空間は昔から多くのひとを魅了してきた。 一方、現代建築において「鏡」は理不尽に虐げられてきたように思う。 ここで言う「鏡」とは調度品やアクセサリーではなく、あくまでも建築の仕上材としての「鏡」であるが、どうしてそれは使われなくなったのであろうか。 鏡像が錯覚を招き、鏡にぶつかったりする危険は確かにある。 そしてそれを避けるために鏡を見るたび、あれは鏡像である、と意識するのにも疲れる。 また、「鏡」の虚像を生む特性、在りもしないのにいかにも在るように見せる特性が、嘘っぽさを排除するモダニズムの運動にそぐわなかったのかもしれない。 しかし、商店建築などで細々と生きながらえてきた「鏡」という材料が、今のインターネットが象徴するバーチャル/virtual(仮想)な社会で息を吹き返すのではないかと思ったりする。 「鏡」を向かい合わせたとき、そこに映る世界が現実の世界とひとつになり、それが永遠に繰り返されるというトリックは陳腐ではあるけれど、バーチャルな異次元を体感させてくれる。 以前、機械工具専門商社のエントランスをデザインする機会に恵まれたわたしは、閉塞感漂う現代社会を突きぬけるイメージを列柱が永遠に連なるイメージに重ねあわせる提案をした。 永遠とは仮想ではあるけれど、ひとはそれに夢を託さざるを得ない弱い生き物であることも事実なのだ。 それは、ナルシスが湖面に映る自分に心を奪われたという神話の危うさと隣りあわせであることを、充分承知した上での確信犯的提案でもあったのだ。