無骨さとあたたかさを兼ね備える

やさしい心と強くたくましい身体は、「気はやさしくて力持ち」といって昔から男の理想とされている。 「やさしさ」だけではなんとなく物足りなく、「力持ち」だけならバカ丸出し。 ふたつ兼ね備えることで初めて理想となるわけだ。 しかし、現実そのような男はあまりいない。 どちらかに偏っている場合がほとんどで、一見バランスよくそれらを兼ね備えているように見える男でも、実は見かけだけということもよくある話だ。 だからこそ、理想なのだ。 建築でも同じことがいえる。 「やさしさ」と「力強さ」を兼ね備えた空間は、ひとつの理想である。 住空間には"憩い"や"やすらぎ"といった「やさしさ」が求められることが多いけれど、これがなかなか難しいのだ。 「快適さ」と勘違いすることもある。 エアコンや床暖房といった設備で夏は涼しく冬は暖かくし、一日中換気扇を回して部屋の空気を入れ替えたりして、今の住宅は設備で「快適さ」を求めている。 しかし、「快適さ=やさしさ」ではない。 「快適さ>やさしさ」でもなく、あえて言えば、「快適さ」は「やさしさ」のひとつの要素に過ぎない「快適さ<やさしさ」だろう。 また、先に示した設備による「快適さ」は、どこか"ひ弱さ"も秘めている。 カエルをぬるま湯に入れ、その湯を少しずつ熱くしていけば、カエルは熱さを感じないまま、やがてその熱さに身体が耐えきれず死んでしまうそうだが、わたしたちはこの"ぬるま湯"の「快適さ」に慣らされているように思う。 その結果、人間は自然環境に順応する力を退化させてきたのだ。 今からでも少しずつその力を回復していかないと、あの”ぬるま湯の”カエルのようになってしまうだろう。 自然に対してわたしたちが感じる「やさしさ」と「力強さ」を、建築に取り込むことはできないものか。 それは、高気密高断熱、24時間換気などと過剰な設備で包囲された住空間ではなく、あっけらかんとした、多少無骨ではあっても、「やさしさ」のなかに「力強さ」を秘めた、あるいは「力強さ」のなかに「やさしさ」を秘めた、そのような自然に近い住空間であるはずだ。 具体的にはまだなにも言えないけれど、わたしはそのような建築を目指したいのである。