三角形の屋根は「家」の象徴

「原形」という言葉がある。 英語では「original form」とでもいうのだろうか。 広辞苑によれば、もとのかたち、とある。 この「原形」を、ひとは潜在意識に共有している場合がある。 たとえば「家」を単純に描くとき、屋根を三角形にするひとが多いのではないだろうか。 わたしの大好きな本に「世界のおもしろ住宅」(松下電工コミュニケーションセンター)があり、それには世界中の民家があまねく紹介されているのだが、それらの屋根は、一部の乾燥地帯を除いてほとんどが三角形である。 雨水を処理するための必然の形ではあるけれど、それが「家」の「原形」として世界中の人々に共有されているであろうことは想像に難くない。 さて、以前わたしは改修案を提案するために滋賀県にある特別養護老人ホームへ下見に行ったことがある。 耐震化された鉄筋コンクリートの立派な建物で、住環境も良く、設備や医療面のサービスも充実しており、まさに至れり尽くせりである。 しかし、わたしには何かが欠けているよう思えた。 それは「家」だ。 ひとは今でこそ病院で生まれ病院や施設で死ぬようになってしまったが、長い歴史で見れば、やはり家で生まれて家で死んでいたように思う。 また、ターミナルケア/Terminal Care(終末医療)では、本人が望めば、最後のときを「家」で迎える方が良いという意見もある。 そもそも「老人ホーム」の「ホーム」とは、「家」や「家庭」という意味であるはずだ。 確かにそこの個室は畳敷きでテレビもあり、アットホームなあたたかい雰囲気は普通の「家」となんら変わらないのだけれど、肝心の「家」の「形」がないのである。 「内容」が充実していれば「形」などどうでもいいじゃないか、という合理的な考え方も理解できる。 しかし、「形」そのものがもつ力、あるいは「形」がひとの心を喚起する力も侮ってはならない。 歳をとって少しずつ意識が朦朧(もうろう)とし、たとえ認知症に至ったとしても、そのひとの潜在意識には「原形」としての「家」があるはずだ。 「家」の「形」を見ることで、自分が生まれ育った家を思い出し、子供の頃の楽しかった思い出を蘇らすことが出来れば、という願いを、わたしは屋根の「形」に込めたのである。