住む人が工夫して楽しめる家を目指す

建築には完成という到達点がない。人間と同じで、ひとつの process(過程)があるだけではないだろうか。この世に生まれ 成長し、そして成熟期を迎えた後は少しずつ老化が始まり、ついには死を迎える、という具合に。さしずめ建築工事が終わった時が、 人でいう「誕生」になるのだろう。process の始まりである。たとえば住宅の場合、施主・建築家・施工者が三位一体になって誕生 させた家を、それからは住む人が主体になって育てていくことになる。育てにくい家もあれば、まったく手のかからない家もあるだろう。 弁解めくけれど、あれやこれやと手こずらされた家のほうがかえって愛着がわいたりするのかも知れない。そういう意味では子供と同じだ。 ここで建築家が心掛けなければならないことは、あまり作り込んでしまわないことである。ついわたしたちは、建築を自分のイメージど おりに仕上てしまおうとする。しかし、もしイメージ通りの完璧な建築を狙うなら、施主の衣服や食事の内容、生活習慣や言葉遣いまで 思い通りにしなければならないだろう。どだい無理な話である。というか、施主はそこまで他人に口出しして欲しくはないはずだ。 家はそこに住む人が、住みながらがいろいろ工夫してつくり上げていけばいいのである。だからわたしは、そのような工夫が出来る自由 な空間をつくるように心掛けている。工事が終わって施主が引越す前の建築は、少々空虚でしまりが無いぐらいが調度いい。 それでいて、どのような住まい方をされてもびくともしない骨格(思想)のある空間をつくるわけだ。