時の経過 / 外壁の羽目板の変化を楽しむ

時というものはいやおう無しに過ぎていく。これはいくらお金や権力を持っていても、どうしようもない。逆にいえば、万物にこれ ほど普遍的で平等に与えられたものはないといえる。あとはこの時間とどうつき合うかが問題だ。たとえば新らしい建物が完成したと する。外壁も汚れていないし、内装もピカピカだ。この状態が一番よくて、あとは時の経過と共に汚れて悪くなっていく、あるいは 価値が無くなっていく、という考え方をする人がいる。人間の容姿で言えば、青春時代が美しく、その後は歳をとるにつれて醜くなっ ていく、という考え方と同じだ。これは時の経過というものをマイナス・イメージでとらえているので、未来は暗たんたるものにな る。なんか、憂鬱。それよりも、汚れていない新築時のよさもあるけれど、20年、30年と時が経つほどその材料の味わいが出てくる、 と思ったらどうだろうか。実際、お寺や神社は古い方がなぜか風格や「ありがたみ」があったりするものだ。いくらお金をかけたって、 こればかりは時を経ずして手に入れることは出来ないのだ。完成した時がスタートで、時が経てば経つほどどんどん良くなっていく建 築。少しだけれど、昨日よりもいい感じになってきているなぁ、この分だと明日はもっと、、、と思える建築。想像しただけでワクワ クしますね〜。しかし街を歩いていても、なかなかそういう建物にお目にかかれないのはどうしてだろうか。いい味を出している建築が少なすぎる。築10年 以上たつのに新建材が妙にテカテカしていたり、これ見よがしに見栄を張って成金バカをさらしていたり。こんな建築が世にあふれて いるものだから、ワクワクじゃなく、いつもプリプリしていなきゃならないんだ。