中之島 中央公会堂 / 水の都 計画

大阪はかつて「水の都」といわれた。淀川の支流や運河が、蜘蛛の巣を張り巡らしたように街の中を流れており、 それを物流に利用することで「商都」として栄えた歴史を持つ。また、人や物が行き来するために橋が必要となり、 いわゆる「浪華の八百八橋」という風景をつくった経緯がある。水晶橋、相合橋、戎橋、高麗橋、栴檀木橋、心斎 橋等、名前を聞くだけでその由来や歴史が偲ばれるものが少なくない。これらを大阪の文化的財産とするか、あるいは不便をもたらす過去の遺物と するか、そのとらえ方により街の姿は大きく違ったものになる。残念ながら明治以降、大阪は目先の経済活動を 最優先してきたようだ。川や運河を埋立て、そこに自動車を走らせ、鎮守の森を切り開いてビルやマンションを建 ててきたのだ。当然それと引き換えに、大阪という街から文化的香りが除々に消え失せていった。皮肉なことに、 そこまでして追い求めた経済が今では停滞している有様だ。いま大阪を振り向く人はいない。世界に誇れるものは 何も無い。情けない話である。汚い・がめつい・ド派手、世間の人が持つ大阪のイメージは地に落ちて久しい。こ の今の大阪を再生する手立ては無いものだろか。都市の中に川が流れている、という恵まれた環境をもっとアピー ルできないものか。その為には、あのバルセロナのガウディの建築のように、100年、いや200年かかってもよいではないか。子供たち、そのまた子供たちのためにも、 大阪を誇りを持って世界の人々に紹介できる街にできないものだろうか。そういう思いからこのプロジェクトを始 めた。(続く)