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そ の 他    O _ 0 1 7

興 味 を も っ た こ と な ど ・ ・ ・
  

   建築家・村野藤吾、91歳の姿


   1,982年、新高輪プリンスホテルの工事現場にて

世は高齢化社会である。日本でいえば、90歳以上の人口が 1,980年は 11万9千人であったのが、2,004年には 100万人を突破したという。 平均寿命は女が 85.33歳、男は 78.36歳(2,003年)で、2,050年にはそれが 90歳になるという。太古の昔から人間は「不老不死」を願い、 医学はその妙薬を求めて進歩したと言っても過言ではないだろう。確かに、いま自分がここに「ある」という事実が無くなってしまうこと への恐怖が、「不死」の希求につながることはよく理解できる。しかし、「老」についてはどうだろうか。どうも「死」に近づくイメージ だけから忌み嫌われているのではなさそうだ。そこには、生きものとしての活動期が過ぎ、身体が衰え、「なにも生産しない無用な不潔で 醜い存在」としての「老」があるような気がする。当事者である高齢者の間においても、元気でボケていない老人がもてはやされ、 みなそうあるように努めることが、あたかも良い事のように思われている。それは「老いたくはない」という意味で、忌み嫌うことと同じであろう。しかし、 「老」を「立ち向かう」対象としてではなく、「受け入れる」べきものとしてとらえなければ、問題はなにも改善されないような気がする。「老いる」 ことに意味や価値を見出し、「なにも生産しない無用な不潔で醜い存在」を当たり前のように「受け入れる」、いや「受け入れたい」とい う社会通念が必要なのだ。それは、「老人」を単に「古い人 Old Man」と呼ぶ欧米の若者至上主義ではなく、「老」という字に「敬う」意味を 持たせた古代中国の思想にヒントがあるような気がするのである。
ちなみに日本語の「老眼」は、中国では「花眼(ホアイェン)」という。花がぼや〜っと美しく見える目になったということらしい。



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