動物あれこれ



クマにあったらどうするか






 静かにバックせよ。持っているものを下に置いて逃げよ。
この二つが原則である。何も持っていなかったら、「静かに後ずさり」しかない。
「逃げよ」の場合も、クマに背中を見せて駆け出してはいけない。文字通り、「クマにあったらどうするか」という本(岩波新書)を書かれた玉手秀夫氏は、立ち止まったまま話しかける。という対応が最も正解だと言っておられる。これをやりながら、相手をためらわせ、とまどわせて、「静かにバック」にかかるのである。
 こっちに害意がないことを、「話しかけ説明」したって言葉ではわかりはしない。しかし、少なくとも敵対する気はない」ことだけは、クマに伝えることはできる。
 これはヒグマ(アメリカのグリズリーも、北海道のエゾヒグマも)、日本のツキノワグマも含む対応の仕方である。日本ツキノワグマ研究所の米田一彦さんのご意見では、次のとおりである。
——攻撃されるとなると、発見から襲い掛かるまで、4〜5秒くらいで。考えている時間はありません。まず後ずさりして20メートルは距離をかせぐこと。突進してきたら、首を両手で覆って頚動脈を守り、地面のくぼ地などに身を隠すことです。
(よみうりういーくりぃ2004年10月31日号)
 最もいけないのは、背を向けて逃げること。“おっかけてこい”というようなものである。
スピードもクマのほうが早い。以上は主に目下騒ぎになっている内地産ツキノワグマが対象である。
 問題は目を見るなと私は勧告するが、「目をはなすな」というアドバイスもあることである。まあ、実際に突然出っくわして、目を見ないというのは難しいが、私は見るなと申し上げる。とっさにそんなに冷静に行動できるものか、という方には、それは日ごろの心がけ次第で、何とも申し上げようがない。どっちにしろ、「死んだふりをする」のだけは絶対にいけません。あれはイソップ物語です。死んだふりなんかしたら、食われても知りませんよ。


ハリネズミの持ち方



ハリネズミには首(ノド)の下や、尾の下にはふつうの毛があるだけでトゲはない。そこで、両手をノドの下と尾(お尻)の下に差し入れ、前後からすくい上げるようにして、両手のひらの上に乗せる。少しもトゲは刺さらないから痛くない。
 それにハリネズミはおとなしくて、むしろ鈍いくらいで、捕まえても暴れたりトゲを刺したりしない。だからペット化されたのである。
 もちろんヤマアラシとは違う。ヤマアラシを抱こうの、捕まえようのと企てるのはとんでもない話である。





ウサギの持ち方



ウサギは耳をつかむものだというのは大変な間違いである。耳をつかんで持ち上げるのは
ウサギの虐待である。首の後ろを両手で挟むようにして持ち上げ、お尻の下に手を当てて丸めるように抱く。というのが正解である。そうすればウサギは苦しまない。



ニワトリをピタリと動かなくする方法



ニワトリは体(両翼)を左右から押えて捕まえるのだが、そうしてから翼を互い違いに組み合わせると、ピタリと座り込んで動かなくなる。オンドリ、メンドリ、シャモ、レグホン、チャボ、1つの例外もない。




カニに挟まれない方法



 カニのハサミは体の後ろまで曲げ上げることが出来ない。これがわかればどんなカニでも怖くない。後ろから手をのばして甲を前方へ倒してもはさめない。そうして倒してしまってから、甲の左右のフチに指をかけて、もう持ち上げても大丈夫だと確信できるまで、しっかり指を差し込んでから持ち上げる。世界中のどんなカニでも、この方法で間違いはない。ただし!ヤシガニ、タラバガニ、(カニの缶詰の中身だ)タカアシガ二にはこの手はきかない。タカアシガ二を手でとらえるチャンスなんかはないからいいが、ヤシガニとタラバガニはいわゆるカニではなく、ヤドカリに近い種類なので、はさみがかなり後ろまで届くのである。
 一方ザリガニはエビである。が、持ち方は大よそふつうのカニと同じで、まうしろの下方から指を伸ばして胴体をはさめばよい。




コロギス


いくらいっても、決してそのくやしさ、
      喜びがわかってもらえない話

何年か前のある秋の夜、窓から私の机の上に、一匹の直翅目の昆虫が飛び込んで来た。キリギリスに似ていたが、翅を背中に平らに畳んでいた。コオロギにも似ていたが、色はすべて緑色だった。
 まさしくコロギスだった。私は自分の目を疑った。自分の(コロギスだという)判断が信じられなかった。心臓は早鐘のごとく高鳴り、全身の血が燃えた。躍り上がって喜びの絶叫を発したかった。出来ればその昆虫に熱烈なキスを浴びせたかった。コロギスなのだ。アオマツムシでもなく、ウマオイムシでもないのだ。昆虫採集に熱中して20年を過ごしても、1匹も手にはいらないだろう珍種、おそらく一生それを続けて、一回目撃するかどうか、疑問だというほどの稀虫、それが向こうから、生きて飛び込んできた!わけなくコロギスを虫かごに入れてからも、私は息をあえがせ、にやにや笑い、われを忘れていた。人生にはこういうこともあるのだ。
 ところがーーー気がついてみると、私のそうした狂喜を,誰に分かつべきか、だれがわかってくれるか。そんな人は一人もいないということに気がついた。百人が百人、コロギスなんて知らない。千人いても一人。名を知っているかどうか。いや知るまい。昆虫図鑑にだって出ていないことがあるのだ。親しい人たちに当たってみた。一人もいなかった。そのころ教えていた動物学校の生徒も一人としてコロギスなんか知らなかった。先生方も知らなかった。さすがに昆虫学の先生だけは知っていたが、それはあたりまえである。
 私は煩悶懊悩した。髪の毛を掻きむしったハンカチーフをもみくちゃにした。しかし、やり場がなかった。だれ一人として、それはよかったとも、面白いとも言ってくれなかった。国友一貫斉、クイントゥス・キンキンナートゥス、ドニ・パペン、サントス・ドゥモンなら知っている人があるかも知れない。昆虫でも、ナナフシ、トビケラなら、あるいは聞いたことがある、と言う人がいるかも知れない。しかし、コロギス、ガロアムシとくると、だれも知らないのだ。この喜びと苦しみを何にたとえようと、私は一人で騒いでいた。人間は、ついに孤独なのだ。
 私はその昆虫学の先生に、コロギスが死んだ後、標本にして献じた。先生は天に喜び,地に喜んだ。
 コロギスはキリギリス科でもコオロギ科でもなく、コロギス科で、体長3センチばかり、ピョンピョンはねる後肢を持っているが、樹上生活なので、ほとんどピョンともはねず、後肢の発達はよくない。その幼虫は糸を出して葉を綴り合わせ、その中に潜む。成虫になってもこの習性を残しているのがハネナシコロギスである。ハネナシコロギスはそのように口から分泌する糸で丸くとじた中に昼はかくれ、夜あらわれる。翅があるのは普通のコロギスで、翅をすりあわせて鳴くはずなのに、そういう音はたてない。後ろ肢を木の枝などに打ちつけて音を発する。夜出てくるとアリマキ(アブラムシ)など、木の葉にたかっている微小な虫を捕まえて食べる。コロギスもハネナシコロギスも木の葉や草は食べない。
 このようにコロギスは生態においても珍しいものであるが、アオマツムシのような繁殖力がなく、数が少ないので、きわめて希少なのだ。




キツツキ



昨年(平成16年)の春の末、私は学校の帰り、町田市街の並木道で、信ずべからざるものを見た。一羽の鳥が、並木の幹から幹へ飛んでいるのだが、その飛び方だけでそこらにいるはずの鳥じゃないことがわかった。木から木へ、低く、必要な距離だけ飛んで、幹に垂直に止まるのだ。止まると尾羽で体を支えるのだ。こんな飛び方をする鳥は他にはない。キツツキなのだ。そしてキツツキが町中にいるはずはないのだ。その上、並木には寄生虫が幹の内部に食い込んだりしないような木を必ずえらんで植えるものだ。従ってキツツキがいくらつついても虫はいないはずである。
 もっとも、シーズンは五月間近だから、キツツキは出さかるころではあった。だがそれはどこまでも山中の樹林中に限るので、近くに小丘や林はあっても、街路まで出てくる必要はない。私は目でどこまでも追ったが、キツツキは止まっても止まっても安定せず、移動を続けて、ついには視界の外に出てしまった。トントントントン!という木をつつく音は聞こえなかった。そのはずである。キツツキはその中に空洞をつくって寄生している幼虫が、いるかどうか、音の響きによって知るために叩くのだ。力いっぱい叩くのだから、足の爪と尾羽で、しっかり体を垂直に支えないと、一打ちも叩けない。並木はなめらかで、堅牢な材質を持った木をえらんであるのだから、止まってもいられないのだ。そして、キツツキという奴は、木に垂直にしか止まれない野鳥なのだ。
 いつぞや、中心街へ向かうバスの窓から、神社の前の畠の中に、美しい立派なキジが歩いているのを見て仰天したことがある。しかしキジならまだしも人が飼っているのが逃げ出したのだという解釈も可能である。キツツキはそうはいかない。ペットには出来ない。まっすぐな木を立てて、大きなカゴに飼い、虫を与えれば、しばらくは生かしておくことも出来るが、朝っぱらからカンカンカンカン!トントントントン!!とその木を叩きづめにして、やかましいったらありゃあしない。与えた虫も、必ずその立てた木にあけた穴のところへもっていって食う。決してカゴの底や水平の止まり木の上では食べない。ではそのような飼育装置で飼えるかというと、ほとんどだめだ。長くは生きない。
 だから飼っていた人の手から逃亡したキツツキとは思えず、近くの山林にも分布していないから、その辺から迷ってきたとも思えず、私にはあのキツツキがなぜ町中で、不自由な目にあっていたのかは謎である。