自己紹介

ここでは、その一、その二と分けて自己紹介(自己分析)いたします

その一 公表的・一般的



 


 しゃべることと書くことが得手で、好きであるにしては、私はどうもこの自己紹介というのが嫌いで、それはこの種の文章はどう書いてもエラそうに見え、気障に感じられ、人には好感を持たれないからです。それでも今のような場合,そういってはいられませんから始めますが、便宜上、その一、その二に分けて述べることにします。
 私という奴は何奴であるかという場合、まずすでに社会に公表され、客観的に知ろうとすればどなたでも知ることのできる事実から伝え始めるわけです。私はどういう存在として社会的に認められているか。私の本心とは余りかかわりないところで、第一に動物学者です。一番当たり障りがないので、テレビなどで肩書きはと言われると、動物研究家と称しています。自分では動物文学者のつもりですが、この動物文学というジャンルはジャンルとしてほとんど確立していません。
その分野でやっていっているのは大よそ私一人で、内容は動物の知識経験を書いたりしゃべったりして食っているということです。そんなことで、本当に食っていけるのかと聞かれるならば、カツカツ食ってはゆけますが、どなたにもおすすめしませんと答えます。プロなんだが博士でも教授でもないからです。
 もう少し大きな顔をすれば、余は博物学者であると名乗ってもいいのだが、植物学のほうは、専門家だというほど詳しくはない。鉱物学、天文学も右に同じなので、そう名乗ることは遠慮しています。
 私はそれら動物学の知識、経験を専門学校で教える。テレビでしゃべり答える。そして本に書くという三つの手段で主食を得ています。講演会や対談といった仕事も多少はあります。「ブロントザウルスから-トリパノゾーマまでというのがキャッチフレーズで、学生にゴキブリやドブネズミも愛せるかときいて、[氷のような無表情]で報いられたことがあります。
 プロだというのを具体例でいいますと、著名なSF作家が「中庭にガマガエルがいるんだが冬が来るというのに冬眠しない。凍死するのではないかと心配だ」と言ったことがあります。私はすぐその中庭の土を畑のように耕しなさいといいました。その後ガマガエルはやわらかくなった土を掘るようにしてもぐりこみ、いなくなりました。作家は、「プロだなあ!」とほめてくれました。まあそういうことです。
 次に、私には自分でも手に負えないほどの趣味の多重性があります。文学趣味、歴史趣味、雑学趣味、猟奇耽異。動物文学者と名乗りたいと言ったのも、科学がそのまま文学に通ずるからですが、元来青くさい文学青年だったのです。それもごく通俗・娯楽・大衆文学的で、私小説,純文学はほとんど解しません。日本なら時代小説、探偵小説、SF小説、歴史小説、海外なら「アンナ・カレーニナ」「モンテ・クリスト伯」「風と共に去りぬ」といったところです。なかんずく、インドのカター・サリット・サーガラ、アラビアのアラビアン・ナイト、中国の水滸伝、三国志、西遊記には淫しています。それらのうち、著書として出すことができたのは、主に中国文学で、水滸・三国・西遊の「三大奇書」について四冊,「封神演義」が一冊。事典には,「中国妖怪人物事典」というのがあります。 
 それ以外では、日本には、「日本シャーロック・ホームズ・クラブ」というのがありまして、私もその会員の一人で、“ホームズ本”は必ず一定数の読者が得られるのですが、私も“ホームズ本”が四冊、電子出版の「實吉達郎シャーロック・ホームズ全集」もあります。
 著書の総数は七十冊と八十冊の間です。それくらい書いてもマイナーにはなれないのが、この世界の残酷なところです。そして、一匹狼というのは、カナダあたりのナショナル・パークで、ごみためあさりをやっているのが実態です。一匹ですから学校及びホームズ・クラブ以外には所属団体もありませんが、強いて言えば、あとは「新しい歴史教科書をつくる会」の一員、「山中峯太郎研究会」会長。「華宵会」会員ぐらいでしょう。まるきり、あるいはほとんど、関係ないじゃないか、という向きもあるでしょうが、人間、けっこう多面的であり得るのです。



その二 私的・個人的



私の読者というものが、果たして私の個人生活や、私的な内面を知りたがるものかどうか。私に連続した恒常的読者、関心者というものがいるのかどうか。いればどのくらいいるのか。いるとしてその種の関心を持っているのかどうか。私はノンフィクション・ライターなので、筆者に個人的興味をもたれないのか、それとも私の筆致に、どこかそういう関心を拒む不愉快なところがあるのか、“ファンレター”のたぐいを一切受け取ったことがない。従って、読者の反響、傾向というものが、まったくわからない。そのため、このホームページでも、私の個人情報などというものを、書き並べるのに意味があるかどうか、わからないいのだが・・・・・・
 まず私はノンフィクション・ライターとして存在しているけれども、実はフィクションを書きたかった。小説家になりたかった。挫折した文学青年である。今でも山のような小説を書き溜めているけれども、二、三の少年もののほかは、出版できずにいる。
 現在四人の子と、三人の孫がある。四人の子は二人の娘と二人の息子で、もちろんすでに成人し、独立している。四人とも大変健康で仲がよく、一人ずつの人生を眺めてみても、ぐれた奴も、不孝不従順な奴も、一人もいないのが、私の無上の幸せとするところである。それらを生み育てた賢母が、私の妻であって、私より十歳も若い。私は彼女に対して不実であったことも、暴慢であったこともない。彼女も私を相当に高く評価しているが、ただし、早寝早起きをせず,野菜を好まず、庭の手入れをせず、レストランや旅行に連れて行かず、、彼女の本当の気持ちを理解しないなどの点で、悪い良人である。
 私は煙草をやめる意思があまりないが、そのかわり酒は(ビールも日本酒もワインも)のまず、夏もステテコやランニングシャツ一つでテレビを見ていたりしない。家にいるときもわりあいきちんとした服装をしている。信仰もある。下品な話はしない。愛国心もある。皇室は尊ぶ。だからかなり上等な亭主の部類だと自分では思うのだが、妻・・・・・・いや女性にとっては、そういう面だけでは高い評価や満足は得られないものと決まっている。悲しからずや道を説く君・・・・・・である。彼女のほうからいうと、そうだろうと思う。
 私は読書家である。多読家であり、かつ精読家であることにかけては何ぴとにもまけない。今でも、憑かれたように読む。暗誦するまでくりかえして耽読する。そのかわりたとえ科学書でも情緒的にあわないものを感ずると、放り出してしまう。どんなに唯物的で、傲慢で、無味乾燥で、下手くそで、衒学的であっても、動物の書物なら努力して読み通すけれども、それ以外の本ではおのれの好みに従う。学校を卒業したということの、どこがいいかというと、嫌いな本を義務で読む必要がなくなったということである。

 小説以外では、詩歌も読む。土井晩翠の詩を全文暗記したこともある。犬について詩を作り、「動物文学」に載ったこともあった。短歌、俳句、川柳も作れる。しかし、特に好きなのは、惜しまるる 春は今日しもくれないの 入日に映る花の俤・・・・・・といったような、口拍子のいい短歌をくちずさむことである。雨あられ 雪や氷とへだつれど 落つれば同じ谷川の水・・・・・・というような道歌・狂歌のたぐいを愛好するのも、調べがよくておぼえやすいからである。
 諺、警句の類も好きで、「動物故事物語」という、動物に関する諺を集めた著書もあるし、それら、故事・洒落・地口、たとえなどを、今の若者はさておき、もう壮年、中年の男女も知らん! といっておこるのも、世のつねの老人と変わりはない。
 読んだり、鑑賞したりする者としては、ほかには漫画も好む。小説の挿絵も好む。漫画の解説もやったことがあるし、華宵会の一員である。音楽も大いに楽しみ、歌劇や抒情歌を好み、自分でも歌うが、女房は私より数十倍はうまく、プロとはいえないが、ブロである。私のほうは楽器は一切できない。演劇、特に歌舞伎は一通り通じているつもりだが、自慢するほどではない。
 手先は器用でなく、絵や図を描くことは苦手であったが、挿絵趣味と、動物の形態を描きたいという二つの欲求から克己し、努力してトンボとヤンマ・アフリカゾウとインドゾウの差を描き分けたり、ビーバーやカモノハシの生態図も描けるようになった。一時はスケッチに熱中したこともあった。これには黒板に図を描いて、生徒に示さなければならないという職業上の必要が、私を努力させた面もある。
 そんなことから、筆記用具にこだわり、若いころから万年筆・・・ボールペン・・・Gペン・・・ガラスペンまで変転し彷徨したが、今は極細のサインペンにおちついている。気まぐれに毛筆で書くこともないではない。書くことと読むことと、どっちが最後に残るかというと、後者だと思う。好きな色は紫色。紫を好むのは精神異常者だという説もある。血液型はB型だが、B型にも同じような説がある。年はヘビ年だが、星回りにはまったく関心がもてないので、何座だということを女房から何べん言われても忘れてしまう。










略歴



1929年広島生まれ
(両親の広島出張中に生まれる、本籍は東京)
東京農業大学卒業。
三里塚御料牧場、野毛山動物園勤務を経て、
1955〜62年まで、ブラジルに渡航。移民
生活をしながら、アマゾナス州その他で、
動物研究を行う。帰国後、数年のサラリー
マン生活を経て自由業に転ず。ラジオ、テ
レビ出演、動物ライター、ノンフィクショ
ンライターとして活躍。日本シャーロック
ホームズクラブ会員。著書は70冊をこえる。
賢婦人とのあいだに四子、四孫あり。