最近、学校では図画工作の時間が減っています。子どもが図画工作をする意味はいったいどこにあると思いますか?

 

絵画教室の目的

絵画教室は「絵が上手に描けるようになること」が目的の場所ではないと考えています。いい絵が描けるように指導もしますし、画材の使い方もお教えます。ただ一番の目的は、絵を描くこと、物を作ることを通じて、心を育てることであると考えています。花を見て、上手に花を描くことが目的ではなく、色に感動し、匂いを嗅ぎ、手で触ってみて、花を感じることが目的です。絵を描くことは、心の中にある花への思いを大きく膨らませる行為でもあります。結果として絵が生き生きとしてくるならばこれに勝る喜びはありません。

 

自分の手をつかうこと。

最近、日常から手を使う機会が減っています。スマートフォンやタブレットの普及で画面をタッチするだけで、さまざまなことをすることができます。3Dプリンターのようなものも発明され、苦労せずに造詣を楽しむこともできます。トイレの蓋も自動で開き、自動で水が流れ、手を使うことがなくなりました。便利ですが、実感に乏しくなっていると感じます。
鉛筆ひとつ削るにも、電動であっという間に削ることを考えれば、昔のようにカッターナイフの使い方を学び、苦労して一本の鉛筆を削ることなど必要がないことに感じられるかも知れません。しかし自分の手で苦労して時間をかけ、一本の鉛筆を削る感覚、削れるようになった時の感動は、電動では得られないものです。時にはカッターで指を切ってしまうこともあるかもしれません。、でもその経験が人として感性を豊かにしてくれるのだと思います。
なくなれば「買えばいい」と道具を大事にできない子が増えています。

 

自分で見つけて、考え、工夫すること。

ゲームやアニメは楽しいかも知れませんが、子どもから自主性・感性を育てる時間を奪ってもいます。楽しいことは?と聞いても「ゲーム」しか出てこない子どもが多いです。今まで絵画教室をしてきて、ゲームばかりしている子と、実際にいろいろな経験をしている子では、感性が違います。ゲームは大人に都合よく与えられた楽しみであって、楽しくともすべてが受け身なのです。
子どもは何もないところからでも遊びを創りだす名人です。友達と制作をしながら遊んでいて「いいこと思いついた」そういうセリフが出てくる時、子どもの目はきらきらとしていて、自分の思いつきを実践しようと努力し、友達と楽しい発見を分かち合おうとします。
子どもたちがそのように自分で楽しさを見つけて、考えて、工夫する機会が少なくなっていると感じます。大人から楽しさを与えられ、豊かに物を与えられることで子どもは受け身になり、時間に追われることが子どもから工夫し、失敗して学んでいく機会を奪っています。
教室では、自分で楽しさを発見し、考え、工夫し、失敗しながら作り上げていくことを学んでほしいと考えています。

 

豊かなアンテナを持つこと。

テレビやインターネットを通じて、さまざまな知識があふれています。今の子供たちはたくさんの情報が与えられていますが、実際に聞いてみると、虫を捕まえたことがない、ナメクジを見たことがない、海で泳いだことがないなど驚かされることも多いです。
実際に目で見て、触って、音を聞いて、肌で感じないと本当に知ったことにはなりません。肌で感じた体感は子どもたちの中に蓄えられ、感性を豊かにします。特別な経験でなくてもかまいません。友達と公園で遊んだこと、学校の帰り道のこと、ご飯を作っているお母さんの後ろ姿、車を運転するお父さんの姿、普段の生活からでも多くのことを感じ取ることができるはずです。日常からいろいろなことを感じて、自分で膨らませて表現できるアンテナを持ってほしい。絵を描くことでそのアンテナを育てたい。そう願っています。

なによりも「絵を描く」ということは子どもたちにとって、本来「楽しい」ものなのです。
少しでも多くの子どもたちが、制作を楽しむことができ、大人たちの理解のもと、子どもたちの作品が元気を与えてくれるような世の中になってほしいと願っています。

 

アトリエHIRO絵画教室「子どもの時間」
とくいさとし