2.


 ここで、ソラの祖母がどういう人物か書いておかなければならない。
 彼女は年齢七十くらいの人で、四人いる子は皆独立して一人で住んでいる。
 いつもの通り昼間、自分の家の居間に座ったまま孫のソラを迎えた。居間には四人掛けの机椅子があり、その最も奥の、茶色い戸棚の前が、彼女の定位置だった。
 彼女は遅い昼餉を摂っているところで、簡単な漬物などと一緒にコーナという穀類を醸造した発泡性の酒を飲んでいた。
 彼女は常にさっぱりと散髪して癖のない灰色の髪を後ろに固め、そして絶対に化粧を欠かさなかった。あっさりとした、しかし決してどんくさくはない衣服を着て、胸からはなにやら大きな胸飾りを下げていた。
 さすがにこれはソラの眼を惹いた。何しろ、その胸飾りの中心の緑色の石が、拳ほどもあるヒカリモノなのだ。
 もちろん高いに決まっている。きっとまた、出入りの商人から買ったのだろう。
 祖母はケチな人ではない。むしろ正反対の人だ。しかも贅沢が好きだということでもなく、にしては家内は質素である。
 ただ自分が好きなもの、価値があると認めたものを買う時には実に踏ん切りがよく、判断も確かだった。
 住まいは全く簡単で殺風景なほどだが、彼女の箪笥にはよい衣類と宝飾品がいっぱい詰まっていた。
 大きな買い物をする女は東部で目立つものだが、祖母には誰も何も言わなかった。
 何故なら、まず彼女は何を手にしても品物にはしゃいだり狂ったりすることはなく、淡々と価値鑑定を行ってそこに手堅い賢さが見えたため――つまりどこまで行ってもどこか『商取引』に見えたため。さらに、他の同世代の大半の女性と違って、彼女はそれらを買う金をまったく彼女ひとりで稼ぎ出したため。最後に、前の二つの要因によって彼女が共同体の中で尊敬され、畏怖されているためだった。
 あの傲岸なゾンネンでさえ、この祖母についていつか『偉大な人間』だと言った。
 彼女は、まったく無位無官で、ただの商売女に過ぎないのに、田舎町で一定の地位と権力を手にしていた。町長も彼女を蔑ろにはしなかった。数年前の町長選挙の時など、代わる代わる来客があって、隣の間に『手土産』が山と積まれていたのをソラも覚えている。
 それがソラの祖母であり、恐ろしいことにソラは十歳くらいまで「おばあちゃん」というものはみんなそういうものだと思っていたのである。他のおうちにいる「おばあちゃん」が、うちの「おばあちゃん」とは必ずしも一緒ではないらしい。昼から酒を飲んだりもしないらしいということに気付いた時には、少し賢くなったような気がしたものだ。
 ソラは祖母の夫、つまり祖父には、会ったことがない。
 病弱で、母親も会ったことがないというくらい早死にだったので、それ以降祖母は一人で四人の子供を育てた。祖父は商人の息子だったというが、お坊ちゃんで商売が下手だったらしい。その目付け役として嫁に宛がわれたのが祖母で、つまり若いころからしっかり者で聞こえていたわけだ。
 祖父の死後は商売一筋で――ソラは少し聞いているだけだが、一時期は結構な土地の投機に関わったり、大きな金額の動く投資に手を出していたこともあるらしい。
 引退する直前には、自身も高級な衣類などの小売りをしていて、だから基本は小売業だったわけだが、同時にありとあらゆることをしてお金を稼いできた女傑であって、一族の中で誰も彼女に逆らえなかった。
 しかも彼女は引退前から一族全体に関わり、行事のたびに人を集め、飲食の面倒を見、家に人を泊まらせ、世話を焼き、結婚適齢期の男女の仲を取り持つことも一度や二度ではなかった。
 それでまた親戚中に、彼女に頭の上がらない人間が増えるわけである。
 ともかく、ソラの祖母というのはそういう人物であって、ソラもそのことは既に知っていた。呼び出されて健康状態を問いただされた時、彼女が閻魔帳を開いて、自分の名前をそこに書き加えるつもりなのだということが分かった。
 放っておいたら何が起きるか知れていた。親戚の男女が恥ずかしそうに今まさに自分が座っている椅子に座り、実際に色々とりなしてもらっているところを、何回も見ていたからだ。
 だから言った。
「体は、今のところ、普通ですが……」
「そう。いいことね。事故のことを聞いた時にはこれがどうなろうかと思ったけれど。近頃はどうもわけの分からないことばかり起きますよ――。ところで、ソラ。あなたそれ、この間も着ていた服でしょう」
「……」
「表通りのナガの店で買ったんじゃないかしら。あすこは最近わりに流行っているようだけれどもね、しなは決してよくないのよ。いい若い者が冴えないでしょう。この間、知り合いの行商がいいものを持っていたから、買っておいたの。持って帰りなさい」
 と、すぐ後ろの、手の届く棚から衣類の包みを取り出して、机の上に二つ寄越す。
 ソラは、ある一定の所作をせねばならないことが分かっていた。つまり、包みを受け取り、開いてみて、商品を褒め、そしてお礼を言うことだ。
 ソラはこういう「演技」が苦手だった。とてもへたくそに約束を果たしはしたが、いつもと同じように、いっそやらないほうがよかったのではと思うくらいだった。
 祖母も気まずそうだったが、態度はほとんど変えなかった。
「髪はいいわね。あたしはあなたのその髪の毛だけは嫌いじゃないですよ、都会的で。あなたに似合っている。でもまあ、もっと全体に女の子らしくなさい。若いんだから。もう少し愛想のよい、かわいい服を着て、それにお化粧もなさい。あなたは商売をしているのでしょう。それもね、もうちょっといいお店に勤めたらいいのにと思うけれど――。
 ああ、そうだ。そういえばこの間箪笥を整理していたら昔の指輪が出て来たのよ。あなたに上げるから持って帰りなさい」
 と、今度は小箱を放られる。開けると赤い貴石のついた指輪が出てきた。
 これは、学問では使わない宝飾用の鉱石を使った完全な装身具だが、ソラにはとんと使い道が分からなかった。
 しかもけっして安い品でないことも分かったので、躊躇する。
「いえ。あの――。でも」
「上手に着けられないの? ああそう。でもまあ持って帰りなさいな。そしてね、機会があれば着けてみるのよ。そうしたらいつか使えるようになるから」
「……はあ…………」
 ソラも別に、宝飾品やきれいな衣類が憎いわけではないのだ。
 ただ、身に着けたいと少しも思わないだけで。
 自分は黒子のような、何の主張もない服を着て、ある種の昆虫のように、背景に溶け込んでいたい。可能なものなら。
「あなたは、つき合っている男の人はいるの」
 そう聞かれることはもはや自明であったからソラは驚きはしなかった。
「いえ、いません」
 付け加えるべきことを付け加えた。
「どうも私は、そういうことは苦手なんです。別に結婚したいとか、思ったことがありません」
「馬鹿なことを言うんじゃあありませんよ。誰でも結婚はするものよ」
 ――おばあちゃん。
 ソラは、祖母の、その実自分に似ていないこともない顔を見ながら思うのだ。
 あなたには妹がいたでしょう。
 当たり前のようになんでも世話を焼き、小遣いを呉れ、お菓子を呉れ、衣類を呉れ、宝石を呉れる、偉大なる私のおばあちゃん。
 他の家とは違うおばあちゃん。
 あなたの意図する世界を、計画を、取引をはみ出した時、あなたは一体、私をどうするだろう。
 ソラのかつての同級生や、現在の同僚たちはよく、あんなおばあちゃんがいるのはいい。色々もらえて羨ましいと言う。
 だが、その後ろに開いた大きな奈落のことを、彼女たちは知らない。
 たとえ欲しくないものでも与えられてお礼を言う。その言葉の度ごとに、関係は再確認され上塗りされるのだ。
 いったいに、彼女は引退したのだろうか。商売は止めて、日永居間に座っていてもまだ尚、見えない巨大な何かを経営している。
 そのために宝飾品があり、衣類がある。それを持たされた孫がある。
 とにかく、それがソラの家の「おばあちゃん」なのである。



 その日、話はそれ以上発展しなかった。
 他の親類に比べても、ソラが祖母にとって、扱いやすい物件でないことは間違いない。
 何しろソラほど学問を修めた女子は一族にしても初めてのことだ。
 いずれお互いにいつもの距離を保ったまま、礼儀正しく、ぎこちなく、その場は終わった。
 最後に祖母が何気なく呟いた一言がソラの動きを止める。
「あなたは色が白くていいわね」
 これは以前から時々、祖母が言うことで、ソラはそれを聞くたび不思議に思った。
 別に祖母は、人にそう言わねばならないほど地黒だとは思わない。というより毎日、必ず化粧をしているので地肌の色がよく分からないのだが。
 それに自分もそう言われるほど色白とは思えない。まして、技能工芸学院で金髪碧眼の連中をたくさん見た後だ。
 風呂場で見る彼女らは白い。信じられないほど白い。それはもう、東部で女の子が志す白さがお笑い草なほどだ。
 祖母は、確かに有能だし女傑だが――でも東部を出たことはなく、ハライの外に住んだこともない。
 祖母のことは嫌いではない。
 しかし、両者の経験は離れていて、自分はもう彼女とは別の感覚の中に住んでいる。
 そのことを、そのうち祖母が、分かってくれるといいのだが。



 祖母の家を出ると、既に夕方になっていた。秋は日の入りが早く、滑り落ちるように夜になる。
 寒い風の中に枯れ葉が混ざっていた。
 家に帰る道すがら、いつかのフルカとの会話を思い返していた。


『――一年たって、やっと騒動も落ち着いてきたじゃない。今のところ病気も出てないし、みんなそろそろ油断して忘れてきたでしょ。
 だから多分、その手の人たちが動き出して、これから来るはずだよ、縁談。ソラなんか近いうちにおばあちゃまに呼び出されるんじゃない?
 え、あたし? あはは、あたしには来るわけないよ。もともとおばあちゃまとは縁がそれほど濃くないし、第一『家出娘』のキズモノだもん。最後の最後にアマリモノでも回してくれるかもしれないけど、どう考えてもソラのが順番が先だって。
 ――だってソラ、自覚あるかどうか分からないけどさ、ソラは結婚市場じゃ、実はけっこう大きな駒の一つだよ。何しろソンターク家の娘で、しかも直系でしょ。結婚式に誰が来るか考えてみて。町長でしょ、助役でしょ、議員でしょ。町の大物が軒並み押しかけてくるはずじゃない。
 そういうのと、つながりができるんだから。魅力ないわけないの。
 それに、おばあちゃまにとっても、ソラは長男のただ一人の子だもん。それはもう、張り切るよ。これまであの人がどれだけ手を尽くして家を維持して来たか知ってるでしょ?
 大げさに聞こえるかもしれないけどさ、ソラが誰と結婚するかで、ソンターク本家の先行きが決まるんだもん。
 学校に行くとか言い出して、「これがどうなろうか」と思っていたのが、急にひょっこり帰ってきた。
 張り切らないはずがないよ。』


『そういえば、あの町長の息子のゾンネン君も、結婚が決まりそうらしいよ。アバルの町の町長の娘だとかなんとか――。
 ほんとに、町長も野心家だよね。アバルの林業組合とつながりを持つつもりなんだよ。ちょっと格下にも思えるけど、名より実を取るってことかな。
 あとあのゾンネン君の性格を見る限り、目下で大人しいお嫁さんじゃないとやっていけそうにもないしね。
 東部ではさ、結婚って、そういうことだからねー。あたし自身は、他のところも実はそう変わらないんじゃないかって疑ってるけど。ンマロくらい都会だったら、もうちょっと個人的に話が済むのかなあ。いや、あやしいなあ。
 とにかく、あたしはそういう田舎くさいシガラミはごめんだから、さっさと自分で脱落しました。別の道を、放蕩者の一生を送るけど。ソラは、どうするの?
 ――ソラは、真面目だからなあ。』



『前にね。イラカが聞いてきたことあるよ。
 東部で、一般に、一人前の男と思われるのには、どれくらいの資産が必要かなあって。
 適当に答えておいたけど、なんか文化が違うから戸惑ってた。向こうじゃ何より家畜の数なんだって。東部だと、当人の財産より家系の長さと人からの評判と人脈が大事だって言ったら、「うーん。そうかあー」って唸ってた。』



『ソラ、逃げてもいいけど。その時は応援もするけど。
 逃げるなら、本気で逃げないと。
 「私はそういう人間じゃない」なんて甘っちょろいこと言ってたら、きっと飲み込まれちゃうよ。』




 さすが、世馴れた親友フルカの言うことは当たっていた。
 ソラは今日「私はそういう人間じゃない」と言ってみたが、さして有効であったようにも思えない。
 ただ、結婚が嫌か。死ぬほど嫌か。舌を噛んでも避けたいか、と言われたら――、別段そこまで、激烈に嫌っているわけでもない。
 学問を諦めて今、中途半端な位置にいるところでもあるし。結婚制度そのものに恨みはない。男と付き合ったこともないのだ。よく分からない。
 ただ、なんだかろくなことにならないんじゃないかな、と思うだけだ。
 どう考えても、自分はそれに向いてるとは思えない。
 それはぼんやりした予感で、「自分はそういう人間じゃない」としか伝えられない。
 ――ただ、なんだかろくなことにならないんじゃないかと、思うのだ。




(つづく)
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