祖母の葬式は、地域住民の記憶に残る大がかりなものとなった。
 もちろん、ただ一人の未亡人の死去であるから、公に何かがあるわけではない。
 だが、記録に残るような『公』の水面下で、最大級の規模であったことは間違いないし、近年になく伝統的な、すべてのしきたりが取り揃えられたという点でも珍しい式になった。
 死去の当日に、町内の親戚がほぼ全員集まった。赤子や小さな子供も多く、何が起きたのか分かっていないできょとんとしている。
 フルカも来た。彼女は今回に限っては地味な服を着て、両親と一緒に現れた。自己主張をしたり騒ぎを起こすことが目的ではないからだ。
 四十人以上の親戚たちが総出で葬儀の準備を整えた。
 場所は祖母の自宅で、家具が取り払われ、そこに祭壇が設えられ、夏の花が集められた。装飾品は最近省略されることも多いが、彼らはこだわって全部きちんと揃えた。
 台所では女たちが食事を作り、子らの面倒を見ていた。
 懐かしい顔ぶれが集まるから、悲しいのは悲しいのに、同時に一種の躁状態も訪れる。みなが自分の事情を捨てて、葬儀という一つの目的のために協力し合って働いた。
 場の設営が済むと、大人たちは神官らの手配と参列者の予想、式次のおさらいを始める。さすがにこのあたりはソラの父世代の仕事であるから、ソラは前と同じように、書簡で届く弔文の管理をしていた。
 これが、やってもやってもすぐに新しいものがどっさり届く。見舞いの時の非ではなかった。送り主の名を見ただけでは何故報せが行ったのか理由が分からないような書簡も多量にあった。
 もちろん、理由があるから送ってきているのだろう。
 とんでもない影響力の強さだと、ソラはしみじみ思う。
 祖母が死んだ。
 その報せの鐘が打ち鳴らされる。円を描いて海のように波及していく。その輪の広大さ。それによって分かる、祖母の改めての怪物ぶり。
 本当に驚いたのは、ンマロの商人からも何通か手紙が来たことだ。どこかの村長だの、町長だの、市長だのもざらだ。もちろんこういったものは、秘書が慣例に従って礼儀として出しているのはよく承知のことだが。
 驚いている暇もなくまたどっさり届く。それを運びながらソラは思うしかない。
 ――私は、この人のようにはなれない。と。
 斎場になった広間の入り口で足を止める。祖母の入った棺の傍に、伯母二人が座っていた。蓋を開いているから、顔を見ているのだろう。
 ソラは、実は、祖母の死に顔をきちんと見ていなかった。遠目にさっとだけ見て、――なんとなく、恐怖を避けるようにして直視を避けた。
 伯母たちが手を伸ばしてその顔を触っている。それも、ソラには出来なかった。
 理由は分からない。多分、祖母が死んだことを認めるのが嫌なのだろう。数日前には事実、生きて話もしていたのに。
 ふわりと、腕に人の熱がかかった。見ると、フルカがいつの間にか隣に立っていて、同じように室内の様子を見ていた。
「……おばあ様の死は、本当に残念だし、こんなことを言ったら不敬かもしれないけど……。またこうしてあなたと話せるようになって、とても嬉しいわ」
「……そうね」
「大丈夫? とても熱心に、看護していたと聞いたわ」
「私なんて、全然。……親たちよ。何もかもしたのは」
「そうね。みんな、とても打ちひしがれていらっしゃる。ソラのお父様も」
「……本当?」
 ソラは忙しくてかえって両親と顔を合わせていない。
「ええ。気を付けてあげたほうがいいわ」
 その時、室内から伯母たちの言う涙交じりの言葉が聞こえた。
「……ああこれで私達、みなしごになってしまったのねえ……」
 ソラとフルカは、思わず視線を見交わした。




 夜になると親戚たちは一旦家に戻るか、手配済みの宿に引き上げて行った。
 近々の者たちだけが残って、棺の不寝番をし、残りの準備を済ませる。
 ソラは引き続き、書簡の記録をしていたが、さすがに疲労を感じたので何か食べようと台所へ向かう。
 そこには母親がいた。
「お父さん、見なかった?」
 と、握り飯を出してくれつつ言う。
「いえ?」
「そう。……姿が見えないのよ。ご飯も食べてないし、明日の挨拶文を考えなきゃいけないのに、大丈夫かしら」
「……挨拶は、大丈夫でしょう。慣れているでしょうから」
 ソラの父親は町役場に勤めている。こういうしきたり仕事は寧ろ得意なはずだ。
「あなた、それを食べたら家に戻りなさい。ここはもういいから。あまり夜に戻ると向こう様にもご迷惑でしょう」
「ここに泊まってもいいと言われたわ」
「それはそういうのがお約束なのよ。間に受けるなんて、相変わらず世間知らずね」
 母親はそれから、女は嫁に行ったらその家の人間になるんだから云々と続けたが、ソラは疲労も手伝って聞いていなかった。
 とは言え、だったらまあ帰らせてもらおうと思い、二階の一室においてある自分の荷物を取りに上がる。
 廊下で父親と会った。
 一室から出てきたところだった。
 正方形で小さくて、祖母が衣装置き場に使っていた部屋だ。
 ソラも入ったことがあるので知っているが、箪笥と衣類しかない。父は一体、そんな部屋で何をしていたのか――。
 しかし彼は、ソラの驚きも目に入らぬようだった。……もうこんな時間か。ではまた明日、とだけ言って、静かに降りて行った。
「…………」
 ソラは、ちょっと恐れおののいた。父がこんなに狼狽しているのを見たことがなかった。騒がしい体質でないから、そして立派な大人だから、分かりやすく取り乱したりはしていない。
 しかし、その実ものすごく動転している。フルカが言ったように彼は『打ちひしがれ』、体面を取り繕うことも二の次になっていた。
 つまり、彼は、衣裳部屋にこもっていたのだろう。悲しみのあまりに。食事を忘れ、娘に見られても、言い訳一つ思い浮かばないほど、我を忘れているのだ。
 もちろん、ソラだって悲しかった。
 フルカだって悲しそうだ。
 だが、それは、やはり親世代の悲しみとは次元が違うようだ。いくらなんでもソラは暗い部屋に入らないし――、そう、『みなしご』になったような気まではしない。
 そう思うものだろうか? その語を使うだろうか? 例えばソラの両親が今、死んだら自分は?
 ……使わない。
 だって。だって自分はもう、明らかに『こども』ではないからだ。今両親が死んだら自分は孤独にはなるかもしれないが、『孤児』ではない。
 ――それは、弱いままに、守るものもなく、世間に放り出された、という時に使う言葉だろう。
 父が、伯母達が、恐らく叔父も、感じているのはまさにその感じなのだ。
 ソラは、祖母の家の中を歩みながら、祖母という人間のもう一つの側面を、感じざるを得なかった。
 強い強い強い、偉大なる女傑だった。
 同時に、その強さのために、娘息子たちを、無力にした。
 とっくに成人し自分たちが親である彼らをして、『これからどうしよう』と途方に暮れさせるほどに。
 この感じを、知らなくなかった。何年か前に滅んだ学問がある。その神は強い強い強い神だった。その力にすがった学徒達は、今、みなしごのように世界中にばらまかれている。
 信じられないほど広くから集まる、その死を悼む書簡。
 彼女は偉大だった。間違いなく偉大だった。
 ――そしてソラにはそれが、罪深いことだと分かるのだ。
 それは、祖母が女だからではない。力を束ねて持つということ自体が、既に一種の『悪さ』なのだ。道を整えようと思えば雑草は引き抜かなければならない。
 彼女はそうしなければならなかった。ソラも含めた、身を守るすべを知らないうっかりした子孫たちを差配し、衣食住に困らないようにしてやった。
 それは善行か? もちろんそうだ。
 だが、同時に、――まちがいなく彼らの中の何かを、押しつぶす行為でもあるのだ。
 父や叔父伯母たちは言うだろう。そんなことはない。自分たちは何も殺されていない。自分たちはいいことしかしてもらっていない。
 そう発言すること自体が、馴らされてしまった証左だ。姉弟たちは誰一人町から出ることもなく、誰一人、祖母と関係しない商売についていることもない。
 ソラに、非難する気持ちはないし、その資格もない。
 だが、とにかく、ソンタークの一族は、ここ五十年ばかりは、そういう力関係で維持されてきた一族であり、親類たちはその従順なる一員なのだ。
 それが祖母という女性のしたことだ。それだけは、事実だ。



 ソラは帰り際に、もう一度広間へ行ってみた。
 しかし、棺には近づけなかった。
 叔父が座り込んで丸い背中を見せていたからだ。彼はたぶん、泣いているのだろう。
 彼らの悲哀はあまりに深く、ソラはそれに手を触れることが躊躇われた。まるで友人ではないかのように。
 ソラは一人夜の道を歩いて、町長宅へ戻った。







 早朝から執り行われた祖母の葬儀は『すごかった』。
 世の中に『すごい』葬儀があるなんて思ったこともなかったが、本当にソラもフルカもそう思ったのだ。
 何しろ、シギヤの神官が三人も来た。これは普通のことではなく、寧ろ三人は互いが互いに対抗意識を燃やして牽制しあっていた。
 うち一人のお供にくっついていたのがハンだ。互いに、『あ……!』と指さし合い、斎場は思いがけず三人の再会の場となった。
「ちょっとこれ、どういうことよ。ハライの坊さんがいるのは当然で、まあ近くの社の坊さんが来ちゃうのも分かるわ。なんで隣の隣の村からあんた達がわざわざ出張ってくるのよ?」
 フルカは呆気にとられつつも詰問口調だ。
「ややこしいんですよ。その近くの社の方とうちの上司がなんとなく対立していまして、あの人が出るならうちも、ということに」
「騎馬戦じゃないのよ?」
「おつきあいはあったんです。ちょっとだけ。確かお見舞い文も弔文もお送りしているはずです」
「確かに頂いてます」
 と、ソラ。
「何しろ、お偉い方が大勢見えられるでしょう? 大変恐縮ですが、冠婚葬祭は神官の晴舞台ですから。……今日の寿歌(ほぎうた)は気合が入ることと思いますよ。ひとまず失礼します」
 ひそひそ声で囁いた後、上司のところへすっ飛んでいく。
 出で立ちといい振る舞いといい、彼はもうすっかり東部の神官社会の一員だ。
「聞いたことないわ、こんなの」
 若いフルカが言うくらいなので、参列者は倍増しでざわざわ言っていた。
 その中に町長一行が見えたので挨拶に行こうかと思ったが、既に会場が混み合っていて難しいように思えた。
 目が合うと、町長の方も『来なくていい』と合図してくる。『いいから遺族席にいなさい』
 喪服の町長夫人はわざとらしく目を反らして見ないふり。ゾンネンは、雰囲気に驚いたのか、顔をしかめてあちこちを見ている。
 少し離れて副町長の一家もいた。あのソラが働いていた小売り店の店主夫妻もいる。小学校の校長も。中学校の校長も――
 ゾンネンが圧倒されているのも無理はなかった。遺族席で体をねじって後ろを見れば、斎場は人で埋め尽くされていて収容しきれず、家の前の道まで人だらけになっている。
 忙しい祖母は生活のほぼ全部を買っていたので、町内のあらゆる商店の主がやってきていた。逆に祖母が商品を買ってもらった人々もいる。加えて四人いる娘息子の関係者、孫の代の関係者、隣町からの、隣の隣の町からの。山からの。海からの。
 ありとあらゆる職業の、老若男女が一様に黒い服を着て、祖母の大きくもない家にみちみちに詰まっている。
 さすがのソラも雰囲気に呑まれ、驚いて前へ視線を戻した。
 伴を連れた三人の神官が、祭壇に並んで座ったところだった。
 やがて、死者を弔い、蘇りを禁じ、執着の情を断ち切るための、シギヤの寿歌の詠唱が始まる。
 これが、三人がかりであるから、未曽有の大合唱であった。しかも互いが互いに対抗意識を抱いているためか、発声や発音の技巧、節回しなどで異常ながんばりが見られ、ちょっと葬式では聞いたことがないような声量になっていた。
 ちなみに、信仰厚い東部の人々はこの恒例の詩を覚えていて、一緒に唱えることも多い。前の大音量につられるように、後ろからの声も大きくなって行った。
 とどのつまりどうなったかというと、斎場はかなり大規模な混声合唱隊の激しい練習場のような有様になったのである。
 けっこう辛抱したのだが、ソラが笑い出したのが先か、フルカが笑い出したのが先か、どちらか分からない。
 もともと悲しみで気が高ぶっているから一旦こうなると逆に止められない。
 二人は互いに顎を引いて顔を伏せ、ぶるぶる震える肩を懸命に人ごみの中に隠した。



 暑い暑い夏の終わりの葬式は、絶望と、解放と、商人と、役人と、涙と、笑いと、男と、女と、子供と、老人が、全部盛り込まれた濃すぎるものだった。
 全ての参列者がお棺を見終わるのに大変な時間がかかり、出棺から埋葬が済む頃にはもう夕方になって花もしおれていた。
 最後は親族だけが墓場まで付き添い、既に掘ってある穴に、棺が下ろされる。
 皆が見る前で、手早く土がかぶせられて行く。
 さすがに、この期に及んでは、ソラの眼にも涙が盛り上がって来た。フルカも肩に額を寄せてくる。
 山の向こうは夕暮れで、それでもまだ葬儀の様子を思い出すと唇には笑みが帰って来る。
 俗世は、おかしな場所だ。手におえない、しっちゃかめっちゃかな場所だ。
 貧乏と金と土地と宝石とまつりごとと盗みと成功と失敗の、坊ちゃんと巫女さんと意地悪な姑と兄妹と子供らと孫のそのほか善男善女の入り乱れた古びたどうしようもない舞台から、一人の女の人が、退場。
 花びらと拍手喝采。涼しい黒い土。
 人でなしだろうか。『ありがとうございました』とは思わなかった。
 思ったのは。


 お疲れさまでした。
 本当に本当に、お疲れさまでした。






 鳥たちが山へ帰って行く夕刻。祖母の葬儀は終わった。
 彼女は、舞台からいなくなっても誰も気づかないような人間ではなかった。
 彼女がいた場所には今、巨大な空白があった。
 そこに誰が歩み出ることになるのか。
 ソラ達の人生は、まだ続いていた。






(つづく)
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