07


「つまりねえ、簡単に言えば、人は無から何かを作り出すことは決してできないんだっつー話なわけ。それができるのは神様だけ。
 まず、私達はそれを呼ぶ名も持たないし、正確に知覚する能力さえないであろうと言われている『創造主』が、無から世界を作り出した。そこに知性があるかないかと探ってる学者もいるけど、証明は難しい話だわ。人間ってものは、てめえの人生がうまく行ってりゃ世界は知性的設計だと信じたがるし、そうでなければ、でたらめに作られていると思いたがるもんよ。
 ともかく、世界が知的設計物かどうかに関わりなく、実際に世界には、一定の法則性というようなものが、確認されてきた。我々はそれをもっと厳密に理解しようと努め、再現実験によって精査し、何が偶然で何が必然なのか。自分達が何を知っていて何を知らないのか。そして何ができて何ができないのか、人の能力そのものを何千年がかりで確認してきた。その最先端にいるのが諸君ってことね。
 その繰り返しによって理解されてきたのは、つまり、人間は無からは何も創造できないってこと。
 神でない我々は、全ての行動に、対価を払わなければならない。
 かまどに火を入れようとする時、空気と燃焼物があればいいのではない。いい、ここ大事よ――私達は、炎を起こすために労働しなければならないの。それが技術によっていかに、『労働』という言葉がふさわしくないほど負担のない、楽な動作に洗練されているとしても、その労力なしでは決して結果を得られない。
 世界も神も、私達の意志には必ず対価を要求する。力、時間、生命力、信仰心、そういった生命的な要素を、必ず奪う。これなしに動く機械は、今のところ存在を確認されていないわ。
 ところで、我らが学院名にも掲げている技術というものは、この必須労力を、可能な限り少なくすることを目的とするものなの。昔は、乾燥した木の枝を何百回もこすり続けて火を起こしてた。現在は、祝詞の刻まれた火打石で一発カチリとやれば即点火。これ、技術の発展よね? そうよね?
 この技術ってもののおもしろいところは、労力を少なくするあまりに、原因と結果の関係を隠してしまう傾向があるってことなの。術で何かして、町でこういうふうに言われたことない? 『すごい、まるで魔法だ!』。
 魔法じゃねーのよ。魔法だったら苦労しねーのよ。学者は、火打石で点火される時、何が起き、何が消費されているか知ってる。祝詞を叩くってことは、その瞬間信仰心が神に捧げられているってこと。どんなに微細なものであっても、そこに取引が行われ、私達は支払いをしている。
 ところが、学問を知らずにその石だけを使う人は、その仕組みを分からない。そして即座に火が現れる結果だけを了解する。
 そりゃあ魔法よ。もし、無から炎を出したならね。奇跡だわ。
 技術は、だから学問と一緒に行われないと、暴走しやすいの。安易に結果ばかりを求めて、爆発的に広がってしまい、後からその請求書が追いついてきてみんなが愕然とする。そんな事例が歴史には幾度かあるわ。とっても有名なのは南部の金持ち、コーニー事件ね。若い奥さんもらって、学者崩れに若返りの秘法を授けてもらって、回春が始まったその瞬間に、ご本人が爆発しちゃったっていう。実話よ。後始末大変だったでしょうねえ。
 計算ができなかったってことね。そんな過大な支払いは、到底人間にできるものじゃないのに。まともな学者なら決してそんな行いはしないわ。
 この点でねえ、私は最近、ちょっと心配なことがあります。他でもない。アルスス学の流行よ。技術親和性が高すぎるのよね、あれ。黥を入れるだけで、力が降って来る。そんな大盤振る舞いをする神、これまで有り得なかったわ。
 こういう疑念めいたことを言うと、今じゃすぐ『ひがみだ』『中傷だ』って言われるんだけど、もうそれでもいいわ、話だけ聞いてくれればいいわ。私が言いたいのはね、アルススが何をその力の対価に要求しているのか、未だに私達はほとんど知らないってことなのよ。
 肝心のアルススの学者達はその点を探ることを止めている。利用技術の研究ばかりに没頭してる。黥を通じて入ってくる力を、どのように効率的に使い、どのように最大の成果を出すか、そっちのことばかりね。
 どの部位に黥を入れたらより良いか。どんな黥がより良いか。防御用には。攻撃用には――そういうのばっかり。まあ、あれだけ各地の政治顧問が押しかけてきてドカドカ貨幣を積めばしょうがないけど。今じゃほとんどの博士が自分の出資者のためのお抱えみたいになってきてるしね。噂じゃ、一般の兵士に黥を施して隊まるごと増強――みたいな構想も練られてるって話よ。
 でもさ、ほんとーに、いいの? 大丈夫なの? 私達、アルススのご利益についてはよく知ってる。よーく知ってる。入り口は簡単で使い方は日々開発されていく。でもその対価については知らないのよ。知らなさ過ぎるわ。
 どうして彼は、信仰心を問わず、簡単に力を与えてくれるのか? どうして彼は、先祖によって長く禁忌とされていたのか? 最後に、何故、アルスス学の始祖クローヴィスは、若くして死んだのか。本当に知らないままで、いいんでしょーか?
 今日の講義はここまでです。どーも、毎度ありい」



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 ネコは庵で拓本を調査していた。
 自身の手で集めてきた写実画を元に精巧な模型を作り、それらを半年もかけて組み上げ、形になったところで顔料を塗布し、タリン紙の上に押し付ける。
 そうすると、散逸していた古代の文字列は見事に再び現れ出で、全体のごく一部であろうとは言え、ネコの好奇心と労力と労働時間とに、報いるのだった。
 ソラが今、写生しているのとはまた別の箇所で集めてきた一群だった。ネコはレンズをかざし、字引を傍に置きながらその文字を、慎重に読んでいく。

『興するに野獣の骸数多出で来て 呪わしき悪病種種起こる 男多く死に女が産甚悪き 然るに』

 表面が乾いてもまだ抜け切らない顔料の匂いに接しながら、ネコは中型獣マオに似た鋭く光る目で、次の列を探る。

『然るに社建て隔す』
『災いの神の地なり』
『荒すべからずとや』




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「あー! あんたでしょ、ネコ先生のところに入り浸ってる不良学生って!」
 ネコに命じられた講義のうち、最後の一つ『学問の利用』を受け持っている女性博士ポリネは、眼鏡で、さして派手な容貌でもないのに明るくって、話すために生まれてきたような、元気で勢いのいい女性だった。
 講義を受講している学生の数は極めて少なく、ほんの四、五人だった。その数少ない同志に聞いてみたところ、最初は二十人程度はいたが、徐々に減ってきたのだという。
 実際に話を聞いて、ソラは無理もない、と密かに思った。
 例えば質実なガニアの講義などよりも、遥かに危険な感じがするのだ。
 彼女がアルスス派の学問に深い疑念を抱いていることは明白だった。普通の教官ならその疑念を避けて、上手にごまかした話をするだろうに、彼女はそのまま教壇に乗せ、鋭い疑問の礫を真正面からぶつけるのだ。
 それは現時点では、反体制的なことだから、ソラと言えども、ヒヤヒヤする。
 ちょっと匂わせたり、皮肉を言ったりする程度なら、痛快だったかもしれない。だが恐れも知らぬ真っ向勝負なのである。
 それでいて、ポリネ自身はあっけらかんとして、講義が終わっても尚、その声は講義室全体に響き渡るくらい大きく、つまり地声なのだということを慌てるソラに了解させた。
 教室に残る学生らの視線が集まるのを感じる。ソラは教壇の前に突進した。本音を言えばそのまま両手を出して、にぎやかな口を塞いでしまいたかった。こんな教官もいるのだ。
「私は別に、不良ではありません……!」
「あら、不良よう不良よう! ネコ先生の庵に入り浸って、ガニアと私の講義採ってんでしょ? それだけでもう十分不良よ、今の学院じゃ!」
 無駄だった。彼女はソラが遠い地点にいたから大声だったのではないのだ。近づけば、ただただ吹き飛ばされそうになるというだけのことだった。
「ていうか、あんたのこと、昨日の教官会議で議題になったばかりなのよ? 最近素行の悪い学生がいるっていう内容でさ、テプレザがもう大騒ぎ」
「……えっ?!」
「だからガニアも、あんたのこともう知ってるわよ。――安心しなさい。私もガニアも味方だから。会議も『阿呆なこと言ってんじゃねーよ』って感じで混ぜっ返しておいてあげたわ。ガニアの話聞いて、そのうち私の講義にも来るんじゃないかと思ってたけど。どんぴしゃね!」
 彼女の声は、ソラの恐怖心にも構わず大きかった。もう講義室には誰もいないが、廊下にいたって聞こえるんじゃないだろうか。
 会議の議題に上げられたことといい、ソラは、落ち着きを忘れる。
 他方、講義者用の椅子に腰掛け、足を組んだポリネは無頓着だった。彼女の困惑など見えぬように、明るく笑う。
「まあ、よく来たよく来た。歓迎するわ! ネコ先生、元気?!」
「は、はい。ええ。お元気です。……ポリネ先生と、ガニア先生は……?」
「ああ。入学以来の腐れ縁よ。揃ってネコ先生の講義を聴きまくってたから、なんか知り合いになってねえ。にしてもガニアってば、頭いいくせに相変わらず抜けてるわー。似てる似てるっていうから、どんだけ似てるのかと思ったら、ちっとも似てないじゃない」
 と、子どもの洋服の仕上げでも見るように、ソラの全身を見る。
 ソラの心臓が、どきりとなった。
「…………『アガタ』さん、ですか?」
 ポリネはどこまでもあっさりしていた。
「そ。同時期に入学した私らの友達。ニキ・スズキリ・アガタ。ガニアの奴、やっぱ忘れられないのかしら。面影探しちゃって、いやーねえ」
「……あの……」
 踏み込もうとしたソラはいきなり、左肩をぽんっ、とはたかれた。
 びっくりしたところを、今度は真正面から大声で決め付けられる。
「似てないっ!」
「…………は?」
「あんたは、アガタに、ちっとも、全然、これっぽっちも、似てない! 分かったわね?!」
「……」
 いや。分かったなと言われても。
 ポリネはソラをおいてきぼりにしたまま腕を組んで背を反らす。
「大体さ、あの子はあんたよりずっとイモだったわよ。着古した、東部の、垢抜けない、同じ服をいっつも着ててさ。髪も、せっかくきれいなのに伸ばし放題で、いっつも同じように首の後ろでひっ詰めて。最初に会った時、いつの時代の人かと思ったもの。
 それに比べたら、あんた三倍も垢抜けてるわよ。表情とか姿勢もいいしね。アガタとは違うわ。全然違うわ」
 ソラは、喉が詰まってちょっと挨拶が出来なかった。
 ポリネは、ソラが、今彼女が言ったとおりの野暮ったい風貌で、学生達から笑われながら院にわだかまっていた時のことを知らないのだ。
 今、ソラは確かにアガタと似ていないかもしれない。だが、以前には、よく似ていたのかもしれない。思わずネコが、庵に入る足を止めてしまうくらいに。
「それでいいの。ソラ。似ちゃダメよ」
「……えっ?」
「あんたはアガタに、似ちゃあダメ。それはガニアも、多分ネコ先生も、同じ意見だと思うわ」
 短い沈黙が流れた。
 この威勢のいい教官の講義室で、まさかと思うような空白だった。
 やがて、ソラはゆっくり、口を開いた。
「何故、ですか」
「それはねえ」
 ポリネは腕をそのまま、視線を窓へと移した。そんな仕草を見せるのは初めてだったが、声だけは変わらず、極めてはっきりとしていた。
「彼女が何故死んだのか、私達がよく知らないからなの」
 外を見る横向きの茶色い瞳が瞬きした。
「ちょうど、クローヴィスが何故死んだか、私達が知らないように」
 ソラの脳裏に、壁の中で眠るクローヴィスの若々しい姿が、一瞬過ぎる。
「病気……と」
「言われてるわよね? でも、何の病気? どこの病気? 胃? 脳? 骨? 肺? 直接の死因は何なの?」
「…………」
 圧倒されて、そして答えを持たないために、ソラは、黙った。
「講義を聞いて、分かったでしょ。私は、アルスス学にはなにか、開示されていない重要な部分があると感じている。それがすべて明るくなるまでは、アルススを信頼することはできないと考える。『全ての質問に答えよ』よ。たとえ他の多くの学者が、彼の利便性に参って膝を屈し、流れてしまってもね。
 ガニアも同じ。それは多分ね、アガタが死んだからなの。
 あの子は、情が深くて、純粋で、無防備すぎる子だった。ネコ先生も彼女を気に入ってた。そしてね、あのクローヴィスも、気に入ってたのよ。
 何があったか詳しくは知らないわ。でもある日、アガタは死んで、私達の心に悲しみと後悔、そして、拭いきれない疑いを残した。
 ――いいわね、ソラ。あなたはアガタとは違う。似てはいけないわ。そしてアルススには十分気をつけて。あまりあれに近づきすぎないで。同じことが繰り返されるのは、私達、もうどうしたって耐えられないから」
 ポリネは、今まで接したどの学者よりもはっきりしていた。ネコよりも、はっきりしていた。
 そしてその憂慮は本心からのものだった。
 さっき、彼女はガニアがアガタに拘っているというようなことを言ったが、その彼女も、アガタのことはとても残念に、そして不可解に思っているのだということが、伝わってきた。
 ニキ・スズキリ・アガタ。
 どうにもこの名前は、ソラにつきまとった。
 一体どういう女性だったのだろう。これまでは、読んだことも聞いたこともなかったのに――。
 クローヴィスの伝説とともに語られる女性といえば、テプレザ。テプレザ。テプレザと決まっていたではないか。彼女のことなら、本にも書かれ、絵にも描かれ、そして無数の女弟子によって存在が再現されている。
 既に骨となり、灰となって大地に戻った東部の女性が、過去に一体どんな役割を果たしていたのだろうか。




 今となっては、影も形もない女性のことを、とりとめもなく夢想しながら、ソラはぼんやりと、学院を歩いた。
 そうしたら棒に当たった。
 運悪く、女生徒のとりまきを連れた当のテプレザと、六角形の中庭で鉢合わせしてしまったのである。




 視線が合った瞬間。厚化粧のテプレザの顔が、中央の噴水の支柱を支える邪鬼とそっくり同じになった。
 ソラは内心の恐怖を満身の力で押さえつけながら、背筋正しく、足早に、その前を通り過ぎた。
 冷ややかで、緊張をはらんだ沈黙が、ソラとテプレザの間を埋めた。
 ソラは首筋に、のこぎりのような相手の視線を感じた。
 一生懸命両足を動かしながら、何故。と思う。
 彼女は私を狙っている。ネコとの交流を知って騒ぎ、昨日は会議にまでかけた。
 自分があの人に何をしたというのだろう?
 そんなにも、ネコとクローヴィスは対立していたのだろうか?
 足の向くまま中庭を横切って、別の講義棟へと進み、視線を断ち切るように柱の奥へと逃げ込む。テプレザ達は、動かなかった。ずっと彼女を睨んではいたものの、一群の石像のように固まっていただけだった。
 安堵して、足を止めかけたその時、耳が、追いかけてくる足音を二人分、感知した。
 彼女は振り返りもせず、表情を変えもしなかった。だが、頭には血が上り、背には冷や汗が滲み、脈は暴れまわって今にも手首の血管を破りそうだ。
 さらに足を速めると、それに応じて、気配も早くなった。
 間違いなかった。男か女か、誰か知らないが、ものも言わぬまま自分を追って来ているのだ――。
 どうしよう。どうすべきだろうか。ソラは一生懸命考えた。
 とにかく、人のいないところへ行くべきではない。
 しまった。だったら、講義棟へ来ず、出口を目指せばよかった。
 立ち止まるか? そして睨みつけてやるか? 何か用かと聞いてやるか。
 ――できない。今はできない。
 さっきテプレザと目が合った瞬間、ソラは一度怯んでしまったのだ。相手が教官であるためでもある。それに、相手の憎悪が、あまりにも不可解で熾烈だからでもあった。
 ソラは焦った。嫌な道へはまり込んでいる気がした。また、何かされるのか。また何かされたら。今度は、耐えられるだろうか。
 脳が自動的に前の記憶を運んでくる。大きな鋏。子どもじゃあるまいに。だが、あの時には、それがどれほど怖かったことだろう。
 足が勝手に動く。恐怖に取りつかれたソラは思考の筋道を失い、その気もないまま、ますます奥へ奥へと進んでしまう。
 後ろの足音も、既にはっきり大股になっていた。
 ソラはもう、平静を装えなかった。空気を求めて喘ぎながら、今にも敗者そのものの悲鳴を上げそうになる。
 泡を食い、焦点までおかしくなった視界に、ふらりと人影が現れた。そしてそれが、場違いに軽く片手を上げた。
「こっち、こっち」
 ソラは、それが誰だか知っていた。
 それは、クローヴィスだった。
 たった今聞いたポリネの警告とか、いつか呼び間違えた時のネコの横顔とか、残像と恐怖とが頭の中でごちゃごちゃになり、完全に思考停止してしまった状態のまま、ソラは吸い込まれるようにその男の胸板へぶつかった。
 男の喉元で、弾みをつけるような低音が唸る。
「いしょっと……」
 男はソラの手首をつかむと、逆らわぬまま一緒に一度体を回して、全く上手に、そして完全に、彼女の足を止めた。
 ソラは手首をつかまれ、自分の真横に他人の体が接しているのを感じたまま、呆然としていた。額に噴出す汗が冷たかった。全身を駆け回る脈の音が苦しくて苦しくて、ただ、息をしていた。




「戻んな。こいつの相手は俺がする。余計な手出しはしなくていい」
 軽い威嚇を含んだその言葉は、耳の上の方で聞こえた。ほぼ同時に、キーン、という金物めいた音が頭蓋に響いて一瞬何も分からなくなる。
 徐々に退いていくのと同時に、まっとうな聴覚が戻ってきて、去っていく足音を、かろうじて聞きとることができた。
「お呼びじゃないってんだよ、雑魚が。気持ちは評価するけどな」
 不遜に呟く声は若かった。
 ソラはようやく視線を、自分の手首から上へと移す。
 応えるように見返ったのは、イラカだった。
 イル・カフカス・イラカだ。
 目玉から火花か散るかと思った。
「!!」
「よっ。ソラちゃん」
「――手!」
 ソラが身をよじると、ほぼ同時にイラカは笑って手首を放す。同時に体も離したので、二人は廊下で、敵対する者同士にふさわしい距離をようやくに挟んで、対峙することになった。
「なによ。何か、用?!」
 ソラの取り乱した言い様に、イラカはくすっと笑ったが、恩を売るようなことはしなかった。ソラの顔は、その時まだらに紅潮して、たいそうみっともなかったのだが、それを指摘するようなこともなかった。
 ただ、両方の手を後ろに回して、ゆったりと立った。そして言う。
「決着つけませんか」
「は?」
「俺とあんたで、決着、つけよう。そうしないとこの騒ぎ、いつまで経っても終わんないよ」



 金髪の中で編み込みの髪飾りが揺れていた。
「どういう意味?」
「話を元の大きさに戻そうって言ってんの。なんかテプレザのばあさんが一人で規模を大きくしてくれちゃって、無関係な奴までみんなが大注目って有様だけど、もともとこれって、俺とあんたのことだったじゃない?」
 ソラは、返答に詰まった。
 それを言うならソラと、イラカと、リリザの、三人のことだったと思うが、二人は一心同体だとでもいうことなのだろうか。世の中の恋人ってのは、みんなそうなのか?
 一瞬、分からなくなったソラだが、続く言葉に、あっという間に我に返らされる。
「あんたのあまりのどんくささに、俺が注意を促したのがきっかけでしょ。あんたは腹を立てた。そんで俺の忠告を容れる代わりに、ますます脇道にのめり込んだ。しかもその脇道が、どうにもたちの悪い虫のねぐらだったと来たもんだ。それで一気に話がややこしくなって。でも、そもそもは、あんたの心得の悪さが問題だったわけじゃない」
 冷静になれ、と、理性が義理堅く囁いたが、とても無理だった。
 ソラは、爆発して干潟へ走ったあの日と同じくらい、頭に赤い血が上るのを感じた。
「心得の悪さ、ですって……?!」
 イラカはどこまでもはっきり頷く。
「そうだよ。あんなみっともない格好して、みじめな半人前臭を振りまきながら、こそこそと学内を歩いてさ。これについては今も疑問だけど、あんた、本気で学問やる気が、あるわけ?」
「あるわよ!!」
 ほんの一時間前には、ポリネの声量に驚いていたソラ自身が、廊下に響き渡る大声を上げることになった。
 それくらい、勉強に対する誠意を疑われるのは心外だ。
「なんであんたにそんなことを言われなくちゃならないの?!」
「――じゃあなんで、黥を入れないのさ」
 息を吸い込むほんの一瞬の間、沈黙が流れた。
 相手の青い瞳を見つめながら、ソラはその時、彼が何を言いたいのかようやく知った。
「……あなたが『学問』と言うとき、それは、『アルスス学』のことなのね?」
「もちろん」
 イラカは簡単に肯んずる。
「その他の神学なんて、みんな過去の遺物だもん。クローヴィス以後の世の中には何の意味もない代物だ。俺は、英雄クローヴィスを輩出した技能工芸学院は、常に最先端でなければならず、そこに集う学生は高い矜持を持ち、常に競い合い、不断の努力をせねばならないと信じている」
 いつも遊びまわって、人とつるむのが好きな南部の青年の口から出るとは思えないような言葉だった。
 ソラが驚いて黙っていると、ふとその笑みに、苦味が混じる。
「だっていうのに、あんたの、特に前のあんたの、態度はなんだよ。わざわざ故郷を離れて学院まで来たんだろうに、黥も入れず、田舎者のまんま。おままごとみたいに役にも立たない勉強ばっかして、人とも交わらず、競うこともなく、実力を磨くこともしない。
 迷惑なんだわ、本当に。そういう奴が、同じ学校にいると思うだけで、ものすごく腹が立つんだよ。もっと真面目にやってくれよ。俺らと同じだけの荷物、背負えよ。がっかりするんだよ。あんたみたいな無気力で受け身で、社会性のない身勝手な人間見ると。院から蹴り出してやりたくなる。
 もっとも、本当に蹴り出したらいけないってことは知ってるよ。『クローヴィス法』があるからね」
 整った容貌はそのままに、悪感情を微笑みに変えながら冷たく人を罵倒するイラカは、まさにクローヴィスそのものに見えた。
 本当に、あの英雄は、こういう青年だったのかもしれない。
 その名を冠する『クローヴィス法』は、アルススの技術を学内で使用することを制限した法律である。アルスス学が興り、その容易で強大な力が学者の中に広まった結果、私刑や私闘が頻発した。それを抑止するために、クローヴィス自身の発案により作られたと言われている。
 現在、学院内では、試験や実習、そのほか特別に許可が出た場合を除いて、技術の使用は禁止されている。だからソラも、髪の毛を切られるくらいで済んだのである。
「確かに俺も悪かったよ。最高の方法ではなかったことは認めるよ。でもね、あんただって悪いんだよ。真面目にやらないから、人を苛立たせるんだ。さっきの連中もね、やろうとしてることは一緒だよ。方法はともかく、意図は寧ろ善意なんだ」
「…………」
「つまりあんたが心を入れ替えて、真剣に学問に取り組むなら話は解決するわけだ。テプレザのばあさんなんかの出る幕じゃない。もう、十分すぎるほど、騒いだだろう? 注目されて、気が、済んだだろ? それに、教官ともめたり、今みたいに怖い目にあったら、やっぱり嫌でしょう。
 いい加減、真面目になってよ。そしたら、前も言ったけど、俺あんたを仲間にしてやるよ。もう誰もあんたを攻撃したりしない。みんなで学問世界の最前線を歩く。素敵じゃない。――ねえ、ソラ。そうしようよ?」
 ソラは、ひどく複雑な気持ちで、イラカの微笑を眺めた。
 勝手な持論に呆れながらも、これまでで、一番よく、彼という人間が分かった気がした。
 この青年も、親切心とか良心とかをまるで持っていないというわけではないのだ。ただ、あまりにもこちらと考えが違うのだ。
 それ自体は決して不思議なことでも、不快なことでもない。ただ、相手が、ひたすら自分の尺度をこちらに押し付けてこようとするのが問題だった。
 彼は、人の未来は、一種類だと思っているのだ。だからソラをそちらに強制的に向かせることを、『善意』だなどと本気で言うのだ。
 身に覚えのある善意だった。
 ――そう。やっぱりこういうことなのよね。
 同様に身に覚えのある納得を繰り返しながら、ソラは、悩んだ。どう言えば相手に伝わるだろう。
「あのね、私とあなたでは、考え方が違うの」
 ソラはゆっくりと始めた。
「私は、学問がすなわちアルスス学であるとも、他の学問が過去の遺物であるとも考えていないわ。それがあなた達の尺度と違うだけで、私は私なりに、一生懸命学問をしてるの」
「犯罪者の庵で、私的にね」
 ソラの努力が、一気に吹き飛ぶ。
「どうしてそんな言い方をするの?!」
「それも逆恨み先生の受け売り? 学内の競争に敗れて、『裏庭』に引っ込んだ、陰湿な三文学者のさ?」
「――……」
 歯の付け根が、震えた。
 ソラは、これほど全身が強い怒りに沈んだ記憶が過去になかった。
 怒れば怒るだけ、相手の広げる一方的な世界に戻ってしまうことは分かっていたが、とても我慢できなかった。
「先生を侮辱するのはやめて……!! 私のことは、いくらでもバカにしたらいいでしょう。でも、同じことを先生にしたら許さないわ!!」
「洗脳されちゃって、まあ」
「せん……?! どっちがよ?!」
 本当にソラは、笑ってやりたかった。始祖クローヴィスとまるきり同じ格好をして、同じ人生を辿ろうとしている彼らが、『洗脳』などという言葉を使って他人を嘲笑うのは、滑稽もいいところだ。
 しかし、大多数なら、それは、冗談にならないのだった。彼らだって、人から教えられた通りに盲従し、無批判に模倣をして自己を保っているに過ぎないとしても、名指しされ、笑われるのは、少数の側だけだ。
 彼らのそれは既に常識という岩盤になっていて、もしそこを攻撃すれば非常識とみなされ、ますます異端とされるばかりだ。
 ソラは頭に来た。ずるい、と言って地団駄を踏みたかった。
 その、自分が世間や現実を代表しているという一方的な思い込みから外へ出て来いこの野郎。
 身に覚えがあるのだった。こんな怒りと苛立ちを、故郷でもよく、感じていた。これほどの強さではなく、寧ろ戸惑いや幻滅という、別の形で発露していたけれど。
「――うん。やっぱ、こうなるよねえ」
 イラカはゆらりと体を揺らして、音もなく一歩下がった。
「話して分かるような相手じゃないとは思ってたんだ。だって性格が極端だもの、あんた」
「失礼ね!!」
 先に、こっちを対等な話し合いから締め出しておいて!
 ますます激怒するソラを、手で遠くに押しやるように見やった後、イラカは言った。
「あんたには、思い知ってもらうほかなさそうだ」
 一瞬、全ての音が止んだ。
 代わりに、イラカの頬の黥がぼうと血の色に光ったように見えた。
 錯覚かもしれないが。
 嫌な予感がする。
「思い知る?」
「俺達が、正しいってことを。あんたが、間違っているってことを。アルススが学問の先端で、それなしでは、もはや人は、生きていけないんだってこと。世界は弱肉強食で他の道などないんだってこと。それを理解し、強くなるために努力せねばならないんだってこと。怠けるなんて許されないこと。それが義務だってこと――以上、たくさんのことを、全部、一気に思い知ってもらうしかないよねえ。話して分からないなら、問答無用で」
 静かに言われた言葉だったが、そこにはソラを無言にする凄みがあった。
 剣を提げ、体格に勝る男であるという現実が、小柄な女であるソラを不可避的に圧迫する。
 怯えがどこかに出たか、彼は笑って肩をそびやかした。
「心配しないで。クローヴィス法があるって言ったでしょ。それに、俺の目的はあんたの抹殺じゃないんだ。最初からそう言ってる。俺はあんたに、変わって欲しいんだ。命までは、とらないよ。
 毎期末に行われる、特殊実習試験は知ってるよね。色んな科目があるんだけど、それに二人で結果を競い合う神階での実習がある。あんたと俺とで登録申請しておいたから。抽選だけどね、受かるよ。テプレザをそういって説得するからね。
 神階では、クローヴィス法も解かれる。俺はあんたを、そうさね、コテンパンにするかな。そしてあんたに、アルスス学を修める他、未来はないことを分かってもらう。そして裏庭とは縁を切らせて、まともに戻す。だから、これ以上の手出しは無用だってね。テプレザに手を焼いてた学部長も賛成だろう」
「ちょ、ちょっと、待ってよ……!」
 ソラは、必死で会話の進行を止めた。その間にも、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
「神階での実習って……! 私は、なんの訓練も受けていないのよ?!」
「アルススばかりが学問じゃないんでしょ?」
 青い瞳の青年は涼しげに笑った。
 その眼差しを見れば、彼がそう言いながら、アルススが全てだと思っていることは明らかだった。
 むちゃくちゃだ。アルススの学徒とシギヤの学徒が拳で喧嘩をするなんて。この自分が――男と喧嘩なんて。できるわけがない!
「先生に相談してみたらいい。追って通知が行くと思うけど、実習は、二週間後。それまでは誰にも君に手出しさせないよ。もしそんなことがあったら、俺の不名誉になるから。テプレザも黙らせる。みんなの前で堂々と、決着をつけようじゃない。じゃ、楽しみにしてるよ」
「ま、待っ……!」
 きびすを返すと、腰に提げた剣の鞘が小さく鳴った。人気のない講義棟に、呆然とするソラを一人残して、イラカは行ってしまった。
 時刻は昼を過ぎて、講義棟の中は寒く、ソラは自分の周囲の空間が、夜の闇で塗りつぶされているような気がした。




 神階とは、人間が生身のまま神霊や精霊に邂逅できる空間のことで、物理的には洞窟や地中、水道や山頂といった極地であることが多い。
 そのほとんどが古来から聖地、或いは祟りのある地として隔離されていて、何の備えもなく人が踏み込めば、さまざまな障害が起きる。
 学問施設である学院には、地下に複数個の神階があった。主に攻撃的な精霊が現れる場所であって、普段は厳しく管理されつつ、期末考査や特別講義などの機会に実習場所として使用されていることは知っていた。
 アルススの学徒達は、下等な精霊を退治することにも躊躇がなく、自慢話をすることも多かった。ソラは寧ろ、それを傍で聞いて、そんなことをしていいのだろうか、何か不遜なことなのではないかと心配する程度のことで、まさか自分が関係するとは思ってもみなかった。
 イラカに示唆されるまでもない。ソラはその日のうちに干潟のネコの庵に相談に行った。駆け込んだと言ってもいい。
 あまりの成り行きに愕然とし、何かとんでもなく奇術的な方法で苦境を打破する奇策を授けてくれないだろうかと期待していた。
 ところが、そうでなかった。
「ほう? 神階で実習だと? 大いに結構、受けて立とうじゃないか。生意気な餓鬼め。こちらこそ思い知らせてやる」
 ネコは喜んで背中を押してくるのである。
「ええええ?! わ、わたし、そんな喧嘩なんて無理です! 運動だって人並みに出来ないのに?!」
「落ち着け、ソラ。相手の術中にはまるな。実習は決闘ではない。実習自体の勝利条件は他にある。それをつかめば、君の勝ちだ。まだ情報が足らん。ひとまず通知を待って、それが来たらすぐ私に詳細を報告するんだ。勝てる作戦を考えてやるとも」
 途方に暮れるソラをよそに、奇術師は、自信たっぷりにほくそ笑んで、楽しそうに足を組むのだ。
「しびれを切らしたな。やはり見てくればかり真似してもクローヴィスには遠く及ばんか。自分でことを収めようとするその意気は買うがな。
 ――これでいい、ソラ。これでいい。格好の機会だ。君が決してアルススなどには騙されない人間なのだということを、奴らに思い知らせてやれ」



(つづく)
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