Dez. 3



 しばし、ボウゼンと、眺めやってしまった。
 何が起きたのか分からなかった。
 本来、ニューギニア人の肌のようにつやつやした茶色いものであるはずの珈琲豆が、匙の中で白いのだ。
 ミルにそそぐ右手を空中で止めて、左手に持った陶器のいれものを鼻先に持ち上げて覗き込んで、やっと、何もかも駄目になってしまったことが分かった。
 八分目まで詰まったもらいものの豆は、白いカビ菌にびっしりと覆いつくされて、容器は食料保存庫ではなく、菌の快適な集合住宅と化していたのだ。
 三か月――いや、四か月か? 自分はこの容器を台所の隅にほったらかしにしていた。その間に、カビ菌どもは侵攻を終え、奪い取った領土に家を建て子を産み増やし、人生を謳歌していたらしい。
 あまりにひどいものを見ると、対処する気にもならない。
 匙の中身を容器の中に戻し、それを放り出し、それから蓋を取り上げて、容器の口に乗せて、元あった場所へ戻した。
 さびれた味気ない、独身ものの台所だ。
 誰が悲鳴を上げる気遣いもない。
 本当にまったくどうしようもなくなって気が向いたとき、棄てるだろう。


 咳が出る。
 居室へ戻ってきた。居室と言っても、極めて狭い屋根裏部屋で、商売道具であるピアノと、眠る場所であるベッドが一間に置かれているような借家に、自分は住んでいる。
 それ自体は何んでもない。大きな屋敷や金のかかった生活に興味が湧かない。
 たぶんそれがいけないんだろう。
 金儲けの才能がない。
 のし上がろうっていう気になれない。
 ここでいい。
 困らない。
 ただ、三十を過ぎて自分の可能性の終わりを考えるようになった。
 ベッドに倒れこんで、寒いもんで両手で身を抱く。
 自分には恋人も妻もない。いらないし、誰も自分のような人間には耐えられないだろう。
 自分は人と違う。
 『一緒だよお』と笑う連中とはとりわけに違う。
 生きれば生きるほど違うと分かるようになってきた。
 自分は彼らに加われない。
 彼らに心を開けない。
 自分を分かるのは自分だけ。自分を守るのも自分だけ。自分で触るのはいい。でも、女に肌を見せるなんて、いやだ。考えたくもない。
 悩みはないのだ。破綻してないから。
 ただ、可能性の終わりを考える。
 可能性の終わった人生に、つける名前はない。
 咳が出る。気管の奥で何かがうごめいているような感じがする。なにものかの家族団欒が。
 咳がいつまでも治らない。楽ではない。
 もういいよ。と囁く。
 もう目が覚めなくてもいい。
 明日の朝が来なくてもいい。
 いつもそう呟いて、眠りに落ちていく。




 アデレ嬢のピアノを聞きながら、頭の中では白い珈琲豆のことばかり考えていた。
 でもたいしたもので、演奏が終わったら意識が戻ってくる。
 自分の教師生活も板についたものだ。
 内向的な性格である自分が、人の家に押しかけて、年頃の息子娘に、あるいは年頃でもない男女に対面でものを教える職業に就くとは思わなかった。
 もっともこれは、副業で、本業としては作曲のつもりだ。
 だが、収入の点で言えばとっくに教師が本業で、作曲は趣味になっている。
 自分は決して作曲家として大成しないだろう。
 同時に、教師としても受け身に終わるに決まっている。
 世の中にはホンモノの教育者がいるし、野心家の教師もいる。自分はどちらにも太刀打ちできない。そういう連中の成功の噂を耳にするとちょっと心が揺れることもあるが、一瞬のことで、すぐに忘れてしまう。
 まだ前は、生徒に本気になることもあった。
 けれど、次第に、どうせこいつらはやがて誰かと結婚して音楽なんかどうでもよくなり、家族や仲間と楽しく暮らすことだけが目標になるんだと分かり始めると、波打ち際で砂の城を建てているような気がしてきた。
 半日で崩れる夢の城。
 三百年残そうとじっくり構想を練る建築家の建築物とは違う。
 いいのだ。惜しむらくは自分に、その仕事しか回ってこなかったことである。
 世の中には教師の期待に応えてくれる神童もあるだろう。
 だが、自分の手元にはいないし、自分もそういう神童専門の教師になりたいわけではない。
 自分の見る夢は今でも最高の作品だ。
 「よし、できた!」と、自分で納得できるような作品。
 しかし今は、不振と失望が続いて、情熱が湧かない。もう年なのかもしれない。
 現実的には、どうでもいい弟子を大量にとって、なんとか生活をしている、低収入の音楽家くずれといったところだ。
「先生。私、チェルニーの練習曲、嫌いです。機械にならされるみたいで」
 一級品のピアノの前に座ったアデレ嬢が、一曲終えると、むくれて言い出した。
「こんなの音楽性も芸術性もないと思います。私もっと、面白い曲が弾きたいです」
「たとえば?」
「たとえばリスト先生の曲とか、ショパン先生の曲とか。魂の高潔さ……、人間の素晴らしさを表現した、これぞ芸術っていうような」
 芸術性を表現するためには高い技術が必要で、高い技術を習得するためには、地道でつらい訓練が必要なんだよ、お嬢さん。
 まして、あなたに芸術性は関係ない。
 そんなものとは無縁の人生を送るんだから。
 ――だが、だからこそ、自分は彼女の不平に応じなければならない。
 もっと手頃な、人に披露しやすい、そして若い男性に対してアピールできるような、あれこれ考えなくてもいい曲を彼女に与えなければならない。
 自分は顧客に逆らったことはない。浅薄な趣味を求める人間には浅薄を与える。
 これは作曲家として食えないことが判明したあたりで習得した技術で、現在は、もはや習慣だ。
 それに、自分はこのことについて、非難したり、文句を言ったりするのもやめている。
 たとえば、自分の古くからの音楽仲間と会って、こういった「分かっていない」連中の趣味の悪さや行動の情けなさをネタに、悪口を言ったり愚痴を言い合って溜飲を下げるといったような。
 そういう青臭い真似はもうやらないことにした。
 なぜなら、世界を回しているのは、そういう普通の市民たちのほうだから。
 自分たちが生きているけるのは、そんなものの分かっていない、本当は芸術なんてどうでもいい人々が、金を持ち、商売に成功して豊かになり、子を増やし、その子に楽器や楽譜を買い与え、どの家にも必ず音楽の道具が転がっているような状況になったからだ。
 文芸復興期のフィレンツェじゃあるまいし、一世代前の商売人は生涯楽器などに触りもしなかった。そんなものは、専門職の持ち物だったから。
 だが今は大勢の素人たちが平気で楽器を買い、楽器を奏で、どこでもかしこでも演奏をする。信じられないほど多彩なレベルの演奏家が大勢作成され、数えきれないほどの演奏会が開かれる。
 そういうめちゃくちゃな世の中になったからこそ、自分のような愚か者もこうして生き延びていられるのだ。
 アデレ嬢には慰めの言葉を言って、丁寧に忍耐を感謝し、次はもっとかわいらしい曲を持ってくると約束した。
 帰りに譜面屋に寄らねばならないだろう。
 アデレ嬢は微笑むと、チビで眼鏡で独身者の自分を憐れんで、優しい言葉をかけてくれた。
「先生、お風邪が長引いていますね。お大事に」




 彼らが標榜する美しい家族愛とか人類愛とか明るい未来とか明日を信じるとか君が好きとか愛はすべてを救うとかそういうものを完全に信じないまま彼らに調子を合わせている自分は裏切り者というべきだろう。
 だが自分はそういう裏切り者がいるならその意義と意味とを誠実に分析しキリスト教とか道徳一般とか民族の誇りとかそんなこととは無縁にそれなりの意味を認めてくれる知性の存在を信じている。
 それがなくなったら終わりだ。
 誰にでも一分の理はある。
 これは革命思想だろうか?
 嫌な奴には理由がないのだろうか? その血は穢れているのだろうか?
 すべての人間には言い分がある。
 知性は大切なものだ。
 簡単に人を非難したり人を嫌ったりそれによって自分を好き勝手に持ち上げたりしてはならない。
 ほとんどすべての非難は自分を救うために行われる。
 本当に誇り高い人間はそんなことはしない。
 だが、それだけに、つらいことになる。
 こういうことを考える自分は尊大だろうか? そういうことを考えることは不遜でいやらしくて嫌味なことだろうか?
 たぶんそうなんだろう。
 みなの嗜む鍋から一皿取ることを拒否する。
 確かにそれは感じの悪いことだ。
 恋愛ができないのはこれが嫌いだからに違いない。自分は人とつるむのが、嫌いなのだ。
 認めてもらおうとはするくせに。




 雨が上がって冷え込む街頭で、どこかの政治グループが演説とビラ配りをやっていた。
 どうも領土問題についてのようで、我々は罪を犯そうとしていると言って現政府を非難していた。
「罪もない人々を大勢巻き込んで、多額の国費を投入し、ちっぽけな領土に固執していったい何が得られるのでしょう! 実際に血を流すのは私の兄弟、あなたの夫、あなたたちの息子なのです! ところが政治家どもは金の鎖のついた時計をチョッキから取り出し、今日も国会が早く終わらないかとあくびをかみ殺しているだけなのです! 抗議の声を上げましょう! 欺瞞に対する怒りを態度で示しましょう! 我が党に支持を!」
 人だかりの脇を抜けようとすると、ビラを差し出された。
「どうか行動を」
 見ると、学生風で若く、スラブ系なのか濃い黒い眉毛が鼻の上でつながっている男だった。
 頭もよさそうで礼儀正しいので彼自身には好感を持った。
 でも、ビラは受け取らなかった。
 すると彼はさっと身をひるがえして別の通行人に向かいながら声を張り上げる。
「我々は今、あやまちの瀬戸際にいます!」
「行動を! どうかビラをお取り下さい!」
 警官隊が来るかと思ったが、意外と放置されていた。放置はされていたが、人々の反応はいま一つだった。
 この街の人々はおおむね金持ちで、上品だ。
 自らの分を心得ていて余計なことはしない、という方針の市民が多い。
 自分はと言えば、少々学問などかじったので、人は行動すべき時には行動すべきと知っている。大勢の革命の志士の逸話も頭に入っている。
 だがついぞ政治にかかわったことはない。
 『あやまち』という言葉は胸に刺さる。心当たりはいくつもある。
 だが、いつだって、我々は間違っている。いつも間違っていて、是正なんか望むべくもない。自分よりはるかに学問を積んだ、はるかに高位な、はるかに力を持った人間たちが、そろってこのゆがんだ世の中の存続を支持しているのだ。
 たぶん我々は不誠実の浴槽に鼻先まで浸かっているし、愚かしさもそこかしこに増殖してしかも勢いがいい。
 がんばりさえすればそれがなくなるなどと信じることができないのだ。
 関わりたくない。
 ひどいことが起きたら。本当に、信じられないほどひどい『あやまち』が起きたら、それは我々のせいだろう。その上、我々はそれを認めないだろう。
 三十年生きてると人がどう行動するか予想がつくようになる。
 どれだけ拳を振り上げてわめいても、無駄だ。






 寝床の上で顎を反らして暗い天井を眺める。
 もう、がんばらなくてもいいぞ、と、体に囁いてみる。
 もう若くもない。体力は落ち、なんだか数か所に嫌なシミもできている。
 じきに白髪も出るだろう。
 今日は、譜面屋である指揮者の訃報を聞いた。
 早く死ぬものこそ幸いなり。
 そうだろ?
 荒れた台所の奥に置きっぱなしの陶器のいれものが思い出される。
 喉の奥でも何かブツブツ言っている。
 兵隊たちは敵地で戦っているのだろうか。


 瞼を閉じて、首を傾けた。
 どうかもう、目が覚めませんように。








 がんばらなくていいって言ったじゃんか。
 ため息をつきながら、生徒の家に向かう道すがら、朝飯のためにカフェに立ち寄ると、一面に開戦の知らせが出ていた。



(了)




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