Dez. 14



 近頃、会う人間、会う人間から、子供の懐胎のニュースを聞かされる。
 はじめは英国人と結婚してインドに渡った知り合いの歌手から、男児が生まれたという手紙が来た。彼女とは一時よく仕事をしていたが、今では疎遠だ。大勢の関係者に同様の知らせがあったようで、その日以降、立ち寄る先立ち寄る先で、「手紙が来ましたね。そういえば、ウチもなんです」という話題が春先の雹のようにパラパラ降り注いだ。
 同年代の知り合いの子供は第三子、第四子の場合が多い。
 あちこちでおめでとう、おめでとうと言い、そして少々居心地の悪い思いをした。
 相手も、自分も、気を使って不自然な態度になる。向こうはこちらの気持ちを傷つけてはいけないと気を回し、そしてこちらも「無礼にならないように。自分とは違う世界の話だ」と思い込むことで表情がうすっぺらになる。
 食卓によそ者が一人紛れ込んでいるようなものだ。
 気まずい空気になる。
 できるなら、この手の話題には極力触れたくないが、生活で付き合う以上、そうもいかない。

 子供。
 社会の再生産。
 生物の本能。
 巨大な幸せ。
 分かる。
 分かるが、自分はその巨大な仕掛けが中に噛みこんでいる悪さを、看過することができないのだ。他人と密に肌を接する恐怖を忘れることができない。
 自分は愚かだ。きっと相手も愚かに違いない。
 愚かな人間同士でもう一人子供を作り出して、愚かな教育をして愚かな社会に叩き込む。
 その人間は苦しむだろう。何のために生まれたのかと思い、老いさらばえて死ぬまでどのように身を立てたらいいかと呻吟するだろう。
 悪い計画。
 子供を作るというのはそういうことだ。
 自分にとっては。
 そういうふうに考えない人たちにお任せする。関わり合いたくない。
 が、世捨て人にでもならない限り、完全に忌避することは不可能だ。
 生徒のいる家でも、赤ん坊を触らされたり、子供に挨拶させられたりする。自分のものとも思えない声を発して低能な言葉で話しかけたり、ほんの子供に気を使って理由もないのに褒めちぎったりしなければならなくなる。
 自分は『子供嫌い』だろうか?
 そうかもしれない。
 別に子供の未熟さや鳴き声などは気にならないのだが。
 自分は、この社会が子供に対して取る態度が苦手なのだ。
 半年前だったか、元生徒の女性が――と言っても年齢はたった三つしか離れていない――手紙を寄越した。やはり懐胎の知らせで、第五子だった。
 ここのところ会っていないとはいえ、付き合いの長い、気安い間柄だったので、自分は手紙の末尾に一言、こう書いた。

 『家族を増やすのがお上手なあなたのご主人によろしく』

 返事が来ない。
 四人の子供と腹の赤ん坊を抱えて忙しいのかもしれない。
 それとも何かまずかったのだろうか?
 これくらいのことも言ってはならないのだろうか。
 どうにも難しい。
 子供のころから空気を読むことが苦手だった。
 今もまれに、人々が何を考えているのか、ほとんど理解できなくなる瞬間がある。
 心配ご無用。分かっている。おかしいのは、自分のほうなのだと。




 多くの友人が自分を、恋愛も結婚もしないし女遊びもしないために童貞だと思って憐れんでいる。
 自分も時々そう思い、そうでないかもしれないとも思っている。
 分からないのだ。
 十歳から十三歳の間、年長の姉に玩ばれた。
 何度かあった。今でも時折考える。
 自分はあの時、交接しただろうか。そうでないだろうか?
 快楽は知っている。
 仕組みも知っている。
 けれど自分には、そのことが分からない。
 たぶん、しなかったと思う。でも、一人で目覚めたら衣服がはだけていたこともあった。
 分からない。
 いまだに、それについて確証が持てないでいる。



 姉は職人と結婚して実家の傍に住み、三歳ばかりの娘を一人持っている。
 年に一度も、話すことはない。






 昼から咳が悪い。
 最後のレッスン後、X氏に呼び止められて晩餐に招待された。
 咳が悪いからと断った。
 X氏はそれではと、わざわざ蒸留酒入りの珈琲を淹れてくれた。
 X嬢は怠け者だが、X氏は親切だ。
 パリからやってくる知り合いの歓迎会にまで招待された。
 X氏の知り合いの大銀行家の娘が、郊外に大きな館を買って引っ越してくるのだそうだ。その夫は学者かなにからしい。
 やはりユダヤ系だろうか。
 いずれにせよ、断った。
 もう何年も、そういう大きな集まりは遠慮している。
 はじめからさして好きでなかった。独身で童貞と思われている現在はなおさらだ。
 着ていく服も靴もない。
 最後に誂えた上着はとっくに型が古くなっている。
 金はあるが気が進まない。



 咳が悪いからと断った。
 咳は便利だ。



 帰り道ではじめて、不審に思った。
 一体いつまで続くのだろう、この風邪は?
 寒いから仕方がないと思っていたが、もう三か月は続いている。
 生誕祭までには、収まってくれたらいいが。




(了)




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