トーキョー・アバンドン
3.Take the A Train




 さて、ここらでそろそろ我らが東京に何が起きたのか、ちょいとまとめておきますか。


 まずは、二〇X三年 二月十二日 午前五時十三分○二秒。
みんなが待ちかねていた超特大地震が、半眠の東京を襲う。
 最高震度は七。マグニチュードは七.九だったとかなんとか。
一万七千人が死亡。十万人以上が負傷。
行方不明者、三千人。


 実際の犠牲者が以前の想定より増えたのは、社会状況の変化のためだ。
 この十年で、東京にはいたるところに白土人のコミュニティが出来ていた。彼らの大部分は都市の老朽化した住宅に寄り集まって暮らし、正規の登録書、パスポート、就労査証を持たない者も大勢いた。
 数年前に作成された地震の被害想定には、この差分データがなかった。
 またこれに加え、大規模な二次災害が起きた。
この地震で、品川に新設されたばかりだったM日本化成の化学研究施設が大爆発。想定を超えた激震のためだとも、なんらかの人為的ミスが原因だとも、建設時の手抜き工事、また、設置の際の検査時、既に不正な行いがあったとも言われるが、いずれ全てが灰燼。
 檻をなくした高濃度の化学物質が大気にどっさり流れ出し、品川区、港区、目黒区、そして渋谷区を焼いた。
 いわゆる『ケミカル・ハザード』だ。
XXXX人がこれにより死亡したと見られている。


 やがて、この事故の責任問題で大騒ぎが続いていたX月二十X日、青年 久X 弘三(25)が事件を捜査していた検察庁長官を手製銃で狙撃。長官は死亡。
 三日後、陰謀に連座した証拠があるとして、与党議員の私設秘書、支援団体職員七名が逮捕される。
 翌日、関連が名指しされた与党議員が、文京区のホテルで首吊り自殺。罪を認めての自殺。或いは黒幕の口封じであると、見方は別れる。
 いずれにせよ、この件を境に、政治状況が一気に悪化。
治安が緩み、支援に訪れていた国際NPOのメンバーから人権侵害行為の目撃報告が上がり始める。


 各NPOのメンバーらはまた、日本人の白土人に対する迫害報告もたびたび行っている。
 曰く、「避難所に入れようとしない」「物資を分け与えようとしない」。曰く、「白土人の死体を処理しない」。
 曰く、「白昼、白土人の婦女子に対して衣服を切るなどの嫌がらせ行為を行う」。「キャンプ地を襲撃する」。「暴行を働く」。
 曰く、「国際支援団体による日本政府への厳しい警告、及び人道監視団の設置が急務と考える」。
 もちろん日本政府は内政干渉を好まなかった。
官・憲・軍の内輪もめでそれどころじゃなかったのだ。
 だから、白土軍はやってきた。
「日本国内における白土人の保護のために」という大義名分を掲げ、以前から地域の覇権への食い込みを狙っていた大国XXと、その同盟国XXの大規模な援助の下に。
 奇襲をかけられ、あっという間に横須賀が落ちた。横浜、川崎、品川を経由して白土軍は一気に港区芝まで攻め寄せ、皇居に肉薄した。
 ここで日本人のプライドをかけた死に物狂いの抵抗に遭い、白土軍の侵攻はようやく止まる。そして押し返される竜のように首を左に返し、渋谷へとなだれ込んだ。
 地震とケミカルハザードで受けた傷を抱えつつ、立ち上がろうとしていた街が最後の木槌を受けたのはこの時だ。
 戦闘はここを足場に半年間も続き、残っていた建物も破壊され、壁という壁には双方からの銃弾が打ち込まれた。
 ようやく各国の妨害を退けて国連の停戦命令が発令された時には、渋谷はもう、現在の姿になっていた。


 地震から二年後。今度は分裂。
国連の停戦監視団UNMITが各地に配置された直後の国政選挙で、与党が大敗。政権交代となった。
 ところがこれを不正選挙であると主張する旧与党の一部が、東京都と手を組んで独自の行政権を主張。
 新与党に従わないかつての勢力なので「旧政府」などと呼ばれる。異常に強固な経済力と、呼応した一部の国軍部隊、さらにどこからともなく現れた傭兵部隊の力で以って、新政府の干渉をはねつけた。
 これにも背後に大国XやXXの手引きがあるというが、もう考えるのも面倒くさい。
 中心メンバーは、都知事XXXX、XX党幹事長X田XX。XXXX郎。XXX子。宮XXX。
 その勢力地域は新宿、中野、練馬、板橋、豊島。及び、渋谷の北側である。
 こうしてめでたく東京は、渋谷を境に三つの勢力に分割統治される、三食パンみたいな有様になりましたとさ。




 ところで、やたら伏字が多いのは俺のせいじゃない。
許容できないことは、頭には入らないんだ。そうだろう?
 ばかばかしい。政府が分裂した年のことなんか憶えたくもない。


『渋谷のシンボルであった109ビルは20XX年XX月XX日に倒壊――』


 うるさい。黙れ。俺はそんな話は信じない。


『渋谷では市民XXXXX人が虐殺され行方不明者がXXXXX。白土軍は化学兵器も使用――、旧東急傍の地下に百を越す遺体が――』


 うるさい。うるさい。そんなものはガセだ。そんなことがあるわけがない。
 関東大震災の時はどうだった? 一面焼け野原とか、藤田が死んだとか言ってたじゃないか。
 信じない。絶対に。信じない。
信じない…!



――…分からない、人ね。あなたがこんな子供みたいな人だとは思わなかった…。
 今更日本に帰って何になるの?!
いい?! 聞きなさい。東京は、滅んだの!
地震と戦争で、滅んだのよ!
 人の心は荒れて、もう昔のようではなくなっている。
私達の愛した渋谷は、もうないの!
 大勢、人が死んだの。何も知らない、美しい時代は終わったの!
 逃げ回っていないで、いい加減現実を見なさい!!






 ああ。ところで、目の前で仁王立ちしてるルオン君の言い方がきついのは、日本語に不自由なためなんで、ぜんぜん悪意はないんだぜっと。
 あいたたたたた。






「お兄さん。私、本当に絶望しました! あなたは私の信頼を裏切りました! 私はとても傷ついています」
 まあまあまあ、暴力はやめとけやとグラサンになだめられ、やっとのことで椅子に座ったルオン君は、本当に生真面目で善良そうな、純朴な青年という感じだった。つややかな髪の毛はきれいに撫で付けられて、子供っぽさの残る顔には真摯な目がきらきら光り、いかにも育ちがよさそうだ。
 感情の表出もストレートで嘘がなく、はっきりと話される文語調の日本語がその印象をますます折り目正しくしている。
「…じゃ、なに? 高月先生は地震発生当時ホイアンにいて、その面倒を見ていたのが、このルオンさんなの?」
「そう。このひと、どーいうわけか、前から俺のことすごく気に入ってくれててさー。
 こう見えた通り名家の三男坊で、小説家で、ジャーナリストで、向こうの大学の先生で、地元じゃめちゃくちゃ名士なわけよ。
 滞在中、住む場所もタダで貸してくれてたし、ビザとか日本との連絡はもちろん、元ヨメの病院とか、俺の仕事のこととか、とにかく全部手配してもらってたんだよね」
「…そんな世話になった人なんですから、きちんと挨拶して出てきたんでしょうね?」
 尋ねながら、半ば疑わしい眼差しの、生来。
「…もし、口頭で伝えなかったのなら、小説家らしく、文章できちんと」
「もちろんちゃんと置手紙したよ?」



『お世話になりました。  高月』



 高月とルオンを除いた総員がずっこける。
「家出する中学生かい、アンタは!」
と、グラサン。
「まさか、本当にそんな紙切れ一枚でとび出してきたわけ…?!
 最低。そりゃ、怒って当然だわ」
「ルオンさん、夕方UNMITの事務所に、たった一人でいらっしゃいまして、よく話を聞いてみたら今日入国したばかりだそうなんです。
 この四十時間、食事もしてないし、一睡もしていないそうですよ…。執念ですよね」
 わざとらしく目をそらして、スカーと紫煙を吐き出すろくでなしの高月。呆れる面々の中で、ルオンはたった一人、ブレなかった。背筋正しく粗末な椅子に座って、ろうそくの明かりで目を光らせながら言う。
「お兄さん。あなたは勝手に帰っただけではない。私のお金と、私の国際記者証をもまた、盗みましたね」
「……うわあ、最低…」
「通り越して最底辺だな」
「てーへんだ、こりゃ」
「――はい。やりました。ごめんなさい。
 記者証は部屋にあります。いるならすぐ取ってきます。金もじき返します」
「百万円、どうやって返しますか。お兄さんお金ないでしょう。お姉さんとサカモト先生に離婚、聞きました」
「…あのクソジジイ」
「高月先生!」
「――お金、いりません。記者証も、もう結構です。再発行してもらいました。
 古い記者証、無効ですが、何かの役に立つこともあるでしょう。お兄さんに差し上げます」
「……」
「……」
「…………」
 ギャラリーたちの間で、視線が取り交わされる。これは、どんだけ坊ちゃんなんだと。
 いや。違うのか。この青年は、これほどまでに――つまり、駆けつけて顔を見るなり平手で殴ってしまうほど、そして次の瞬間には全て水に流して便宜を図れるほど、高月のことを――
「お兄さん。私とあなたの仲です。お金はいりません。
 その代わり、私の言うことを聞いてください」
「……」
 その言葉に、今度は高月が疑わしい目つきで、ルオンを見た。
「今すぐ、私と一緒にホイアンに帰りましょう。家、そのままです。仕事も、そのままです。
 ホイアンは、もう、あなたの故郷です」
 苦々しく視線をそらす高月を追うように、ルオンは身を乗り出した。情熱を込めて、一心に高月の反応を伺う。
「お姉さんも、とても心配しています。私、連れて帰ると約束しました。あなたがホイアンに戻ってくださるなら、離婚、取り消しです。お姉さん、そう言ってます。
 みんな先生のこと待っています。事務所のスタッフ達もみんな待ってます。日本の現代文学全集の仕事、止まったままです。
 手配はすぐに出来ます。私と一緒に、ホイアンに帰りましょう。
もう、気が済んだでしょう」
「…なんだって?」
「私、今日、東京に来ました。色々見ました。渋谷、見ました。
 ――渋谷、終わりです。前に来た時と全然違います。廃墟です。面影ありません。
 それに渋谷、危険です。全部が有害物質被った土地です。水も空も土も汚れています。病気になります。
 お兄さんがここに来たかった気持ち、分かります。とても分かります。でも、もうたくさんです」
 ルオンは真面目な学者で、日本文学の専門家だ。それでも時に言葉が適切でないのは仕方がないのだが、何百語かに一度、妙にきつい言い回しが悪気なく現れることがある。
 むしろギャグだし、かえって和むこともあるそのたどたどしさがしかし、ひどく心に障ることももちろんあるわけで――。
「…そろそろ一ヶ月、ここにいるが、困ることはない。体調も悪くない。仲間のおかげで、食料も足りている。
 それに不用意なことさえしなければ、危険はない」
 硬い声で言う高月に、ルオンははっきりと首を振った。
「それ、違います。考えが甘いです、先生。
 近いうちに、渋谷でまた、戦争が起きます」
「――…え?」
 周囲が静まりかえり、まるでステージの上に立つ不吉な歌手のように、ルオンは言った。
「確かです。今度こそ、渋谷、完全に滅ぼされます」
 長い沈黙があった。全員がルオンの折り目正しい姿を見ていた。ルオンだけが高月を見ていた。未だ憧れの目で。
 高月の指の間で、手製の紙巻がじりじりと音を立てた。皮膚を焼く寸前で、灰皿に押し付けられる。
 自由になった腕を、胸の前で組んだ。それから、尋ねた。
「どうして、そんなことが、お前に分かる?」
「私、外交官の友達、大勢います。大学の友達です。
 入国した時、一人が出迎えてくれました。その友達が言っていました」


『新政府軍が近いうちに大規模な攻勢をかけるという情報がある。二年に渡る白土軍の問題をここで一気に解決し、威信を回復するつもりだ。
 新政府軍でも、最強の軍隊が投入されることになるだろう。そうなれば戦場になる地は無事では済まない。
 UNMIT側もこの動きを把握していて、撤退準備をしているはずだ。ルオン。巻き込まれないよう、くれぐれも注意してくれ』


「……」
 全員の視線が今度は生来の上へ落ちた。生来はプラチナブロンドを横に振った。
「そういう噂は、あります。でも僕は正式にはまだ何も聞いてません。…下っ端ですから」
「……」
「本当のことです。ここにいる方、全員立ち去るべきです。
 そしてお兄さん。今すぐ私と一緒に、平和なホイアンへ帰りましょう。文学者が戦場で出来ること、何もありません」
「――…」
 しばらくの間、高月はメガネのない顔で、じっとルオンのきらきら光る目を見つめていた。
 この一つ年下の文学者は、遠い国で高月の小説を手に取り、それはそれは感激したのだそうだ。熱烈な手紙をよこし、やがて日本にやってきて、いささか戸惑う高月を兄と慕ってしきりに故国へ招きたがった。
 高月は、その惜しみない好意と援助の価値を、見誤ったことはないと思う。しかし、それにも関わらず、ただ一文で別れを告げて裏切るようにその元から立ち去ったのには、理由があった。
 あるひとつの疑いがルオンとの間に入り込み、誠実な気持ちを曇らせていたのである。
高月は、ゆっくり、口を開いた。
「ルオン。俺は、ホイアンにいる間中、ずっと不思議だった。
 …どうして俺の、出国許可が下りないのか…」
「――…」
 ルオンの少年のような純真な表情に、一抹の怯みが走ったのを、生来らは見る。
「俺は面倒くさがりだし海外オンチだから、旅券のことも、ビザのことも、全てお前に任せてた。
 だからお前が外務省に申請書類を持って行って、『やっぱりダメです。許可が下りませんでした』と言って帰ってきたら、当たり前に、信じてた。
 お前は言う。『お兄さんは文化人なのですから。国も安全が確認できるまで、出国許可を出さないつもりなんですよ』。納得したような、納得行かないような…。
 ――自分一人でハノイの外務省に行って、あっさり出国許可が下りた時には、拍子抜けしたというか、笑ったぜ。そうだよな。確かに一部の要人には入出国規制がかけられてるだろう。
 しかし、俺ごとき、たかが俺ごとき、ベトナム政府がなんの遠慮をするってんだ。
 つまり許可は、ホイアンじゃあ決して下りなかったってこういうわけだ。そん時、だいぶ俺の心の中で盗みの罪悪感が抜けちまったよ」
「……お兄さ…」
「ルオン。お前、あいつとグルになって、俺のことを騙してたんだろ? お兄さんなんて呼びながら、俺をここへ戻すまいとしてたんだな?
 あいつってのはもちろん、俺の元ヨメさんのことだけど」
「……はい。そうです。
 でもそれは、お兄さんに危険な目に遭って欲しくなかったからに他ならないです!」
「……」
「いつかは露見すると思っていました。でも、分かってくれると信じました!
 何年か経てば、お兄さんも現実を認めてくれる。私達の思いを理解してくれる。そう思いました!」
「…『現実』を、『認める』?」
「――日本は、変わりました! 東京は壊れました! 渋谷はなくなった!
 終わりです! これが、本当です! 私はそれをお兄さんに分かってもらいたかった! 納得して欲しかったです!
 もちろん。お兄さんの無念は分かります。でも、遠いホイアンではどうしても認められなかったとしても、今はもう分かったでしょう?! 全て見たでしょう?!
 お兄さん! こんな暮らしをして、一体何になるというのですか! 何にもなりません!
 もうたくさんです。現実を受け入れて諦めてくださ――」
「――るさいんだよお前は、『お兄さん』『お兄さん』て!!」


 怒声。
誰も、兎会や生来さえも聞いたことのない、叩きつけるが如き、怒号。
 人々は息を呑んで、カウンターを殴ったまま凝固している、高月を見た。
 その前髪の間からは鋭い裸眼がのぞき、過去に映画俳優みたいにもてはやされた人気作家の面影が、ほんの少しだけ、漂う。
 高月は真正面からルオンをにらみつけると、激しい苛立ちを込め、怒鳴りつけた。
「てめえこそ、もうたくさんにして故国へ帰れ!!」
「たっ、高月先生…!」
 思わず生来が高月の腕を触った。高月は振りほどいて、席を立つ。
「――…俺の著作権収入は、全部事務所の口座に入ることになってる。あいつに言って、そこから百万円回収しろ。
 俺はどこにも行かない。何を悟る気もない」


『あなたがこんなに子供なんて…』


「どこにも行かない!」
 宣言して、高月はうさぎ屋から出て行った。
ドアが開いた弾みに雨音が流れ込み、外には雨が降っていることが知れた。
 場には、青ざめ、ものも言えず座り込んでいるルオンと、生来。兎会とサークル棟のメンバーらが残される。
 やがて客人を慰め、雰囲気を変えるために、兎会はルオンに酒を供し、雪江はピアノの前に座った。
 こういうときは、スタンダードナンバーだ。
『A列車で行こう』。
 やがて、ルオンが何かを振り切るように一口、酒に口をつけると、横から生来が優しく言った。
「雨も降っていますし、この時間に動くのは危険です。朝までここで休んでから出ましょう。お送りします」
「……」
 ルオンは親切にされたのに、何故か生来に微笑み返しもしなかった。むしろますます心を閉ざすかのように目を伏せ、ただグラスの中の酒を、見つめる。
 生来は彼のシグナルを素早く察して、それ以降馴れ馴れしくしなかった。
 戦場で働く銀髪の彼は、こういう扱いを受けることに、慣れているのである。




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