トーキョー・アバンドン
4.Sometimes I Feel Like A Motherless Child






 午前三時。
静まり返った事務所会議室の中に、紙を切る僅かな音だけが時折響く。
 粗末な会議室机についているのは、夜勤のなかでは最も地位の高い書記。そして褐色の肌の青年将校である。
 彼は息の音さえ微細で、機械仕掛けのような静謐のうちに、提出された人事の書類をめくっていた。
 現在、日本に暮らす十万人以上の主な外国人はおよそ十二種といわれる。各地で個別のコミュニティを形成し、得意とする職業に集団で従事していることが多い。
 このタンジール・西大佐は、アフリカ系バール人。彼らは頑健な体を持ち、規律正しく、勇猛果敢なことで知られ、能力・野心の衰退著しい日本人の代わりに、目下実質的に国を支える国防軍の要である。
 それでも一般人との接触は極力抑えられているため、彼らを目にしたことのない、または彼らに慣れていない日本人は数多い。
 二メートル近い長身。堂々たる筋骨でしかも武装したアフリカ系男性と一緒に座らされているというだけで、身長一六三センチの書記は正直さっきから、生きた心地もなかった。
「――ご心配なく、書記殿。私の両親は日本人です。もっとも、血のつながりはないが…。
 完全に日本式で躾けられました。柔道は黒帯。書道も出来ますし、食事は全て箸でいただきます。体も清潔ですし、本当に、日本人より日本人ですよ。
 何より、我々バールの民は最大の危機の際、逃げることなく最激戦地で踏みとどまり身を挺して御所をお守りした。
 私達があなたの下僕であり味方であることは、よくご存知のことと思いますが」
「も、もちろん、よく存じております…。あなたの誠意を疑ってはいません。
 日本国民は、あなた方に心から感謝しています。だから戦死者の御霊を弔う慰霊碑も公園に建立しました。
 しかし、ここは中立を旨とする国連機関の事務所で、私もその一職員です。政府軍のあなたが、一体、どういうご用件で中に踏み込んでいらしたのか…」
「はい。そうですね」
 西は言って、さらに一枚書類をめくった。
「つまり大事の前に、水漏れの穴を全てふさいでおこうというお話なのです。
 私どもバールの民は、強心臓で知られております。繊細な日本人とは違い、多少のことでは動じません。
 したがって情報漏洩の調査などという角の立つ任務も、時には引き受けるわけでして」
 書記は今度こそ、飛び上がった。顔が真っ青になっていた。恐怖も忘れて、西に食ってかかる。
「…あなたは、私どもの誰かが、スパイ行為をしているというのですか?!」
「――落ち着いて下さい。まだそうと決まったわけではありません。
 しかし、平素からどうにも情報漏れや誤情報の被害は指摘されておりましてね。半月前には、軍内の大掃除を致しました。
 結果は無残の二字で、十数名の逮捕者がでています。
 渋谷は前線として最も他軍との接触が多い地点です。問題がないかどうか、一通り調査をさせていただいているだけです。
 先にも申し上げていますが上の方の許可は頂いております。あなたはただ、板ばさみの中間管理職として憮然としておいでになればよろしい」
「……!!」
 書記は、顔を真っ赤にして、再び椅子に腰を下ろした。さすがにここまで言われて、相手の正体に気づかぬということはない。Sだ、こいつは。
 タンジール・西は横目で書記を見て、僅かに笑うと、再び口を開いた。
「ところで、ショウライ・ハルミ君というのは、どういう青年ですか?」
「生来君ですか…? なぜそんな…。
 ――まっ、まさか! 彼は確かに白土系ですが、それこそ生まれた時から日本で育った日本人ですよ! 身元も確かで、大変親切で面倒見のいい青年です。今まで問題は何も…!」
「分かりました。聞いてみただけです。いちいちわめかなくても結構」
 そこに部下が戻ってきた。彼もまたバール人だった。
「――大佐。館内の捜索が終了いたしました。盗聴器を五機、発見回収しております」
「ええっ?!」
「ご苦労。撤収するぞ」
「はっ」
「書記殿。これより頂いた証拠物件を本部で精査いたします。
 スタッフ全員に、しばらくの間、居場所をはっきりさせておくよう伝えてください。疑われるような行動は厳に慎むようにと。
 よろしいですね」
 時は既に明け方であった。茫然自失の書記を置いて、西は現れた時と同じように、悠然と渋谷を去っていった。






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