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 俺は、いい加減、頭に来ていた。
 ドブ河くさい裏通りで、山と詰まれた古着の只中で争い合う、自分と違う人種の男二人。傍では子どもが泣き、埃が舞い散り、その上、そいつらが何のために喧嘩をしているのか、俺にはとんと分からないと来ている。
 異人語。理解不能。そうなればそれはもう、大型犬の掴み合いとまったく事情が変わらないわけで――
 俺は、いきなり腰のホルダーからリボルヴァー式拳銃を抜き、犬めらに突きつけながら、怒りを爆発させてありったけの声で怒鳴った。
「ヴァルク!! ――『ダウン』!! さもなくば、撃つぞ!」
 さすがに体の動きを止めて、驚いたように俺を見上げた二人に注文する。
「それから、ヴェリテイジ語で話せ、二人とも!! わけが分からん!!」




 ほんの二秒ほど、二人の北ロマ人――ハルチ人だっけ?――は、双子のように目を丸くして俺を見ていた。が、すぐにヴァルクの犬じみた顔が嘲笑に歪む。
「短気な野郎だな。え?」
 ものすごく驚いたことに、ヴァルクは恐れる気配もなくいきなり銃のほうへとひらり手を出してきた。
「?!」
 たじろいだのはこっちだった。
 ――なんだこいつ?! まさか銃を知らないのか?
 もちろん、そんなことはなかった。ヴァルクは、銃ではなく、俺の手元へ手を伸ばしたのだ。
 銃をすり抜けて、一瞬で俺の右手首に奴の左手の甲が添えられる。と。さして強い力も感じぬままに俺の銃を握った右手は甲に押し上げられ、銃口が天井を向いた。
 はっと思った時には、手首をつかまれ、思い切り外向きにねじられていた。
「あいたたたたた!!」
 これまで感じたことのない痛みだった。
 関節が軋む。骨が限界までねじれても、まだ遠慮なしに力がかかるから勢い腕全部が回る。手首一つ掴まれているだけなのに、もはやまっすぐ立っていることも出来ない有様になった。
「ヴァルク!」
 古着屋の主人が叫ぶ。拳を振られる。指にひっかかるばかりになっていた重い銃が床に落ちた。
 ゴトン。と大切な支給品が古着屋の床に転がるのを見た時、俺は自分がなにか、「してやられた」のだと分かった。
 手が離れる。俺はあまりの痛みに銃を拾う余力もなく、かつてこんな扱いを受けたことのない右手首を左手で押さえた。たとえ拾えたとしても、まともに扱えなかっただろう。
 ヴァルクを見た。
 腹が立った。恥をかいた。ひどく狼狽もした。
 けれど、その忙しいモザイクの中で、確かに一瞬。――こいつ、強い。と、思った。
 それは、実際に他人とぶつかり合った時にだけ芽生える不思議な感覚であり、相手の身体能力が、予想を超えて大きく手ごわい時、自分の体が覚える、何か、言いようのない現実といったようなものだ。
「本気なら撃鉄を起こさないとだめだろ、准尉。甘っちょろいな、あんた」
 ヴァルクは言い、多分、間抜け面の、途方に暮れた様子の俺を見て、息を吐き出すようにして笑った。
「分かったよ。今後は極力、ヴェリテイジ語で話す。あまりあんたを刺激して、再収監が早まるようなことになったら不都合だからな。――ガントト」
 と、まだ彼の下にいる古着屋の親父の襟首を掴んで引く。
「分かったな。俺達は『手紙』を探し出すためにここに来た。俺達に食事を出せ。寝床も用意しろ。裏切り者が誰かはっきりするまで、ここにいさせてもらう。前と同じようにな」
 すると、古着屋の親父が言った。不思議なことに、相手が分かる言葉を話すと、声の感じまで全然違って聞こえる。
「分かった。従うよ、兄弟。でも、信じてくれ。俺達はいつもの通りやっていた。裏切ったりなどしていない」
「――信じられるものか。だったら何故、手紙が届いていないんだ。本物の手紙をどこへ隠した? 誰かが裏切ったに違いない。未開の、愚かな、信用ならない、賎しいハルチ人め!」
「…………」
 俺は多分、ショック続きで馬鹿になっていた。
 そう、あれだ。あの男を殴った夜と同じ。中尉に頬を張られた日と同じ。
 俺は揺さぶりがひどいと馬鹿になるのだ。馬鹿は思ったことを言う。だから俺は、言った――ひねられた手首を押さえながら。自分が部外者だということを、重々承知しながらも。
「お、お前だってハルチ人じゃないか!」
 その場にいたハルチ人が全員、一斉に俺のほうを見た。一人はじろりと睨むように、もう一人はほんの少し救いでも得られたかのように、最後の一人は、まだ涙にぬれる頬を拭いながら。



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