畠 博之
昨日のラジオ日本のフレッシュトークで行制改革についての話があった。
これからは評価がキー・ワードに。行政評価の動きが、北海道や三重県を先頭に始まったばかりだという。官僚は能力のある人ほど、道路作りダム作りなど、自分たちが進めていることは国益になるのだという、絶対的な使命感とプライドを持っている。もちろんそれがいい方向に、官僚機構を支え、行政を推進する力となるのだが、たとえば、バブルの前の都市計画や地方振興のための道路計画が、バブル崩壊後その意味がなくなっても、また工業地帯の水確保のためのダム建設が、バブル崩壊で工場自体の進出が取りやめられその存在意義がなくなっても、いったん計画された道路やダムは遂行されなければならないとして強行される。
環境評価などという概念が出てきたのも比較的最近だ。国民の税金を使う行政で評価の考え方がなかったのは驚きだ。
数年前、もう十年ほど前になるか、マスコミがODA(政府開発援助)をたたいた時があった。やれ援助したトラクターが、故障の修理ができず雨曝しになったままだの、援助物品が被援助者にとどかず、途中で消えてしまったの、円借款が日本の物を購入させるヒモツキ援助だの、援助が独裁政権を支えているのだの、まあいろいろ言われたものだ。
ODAの批判の裏返しに小規模なNGOの誠実なとりくみが紹介され、NGOびいきの風潮がかもし出された。JECSもこの風潮のおかげで外務省やJICAやマスコミあたりからの対応などずいぶん得をした面もあるが、結論を言うと、ODAがここ数年批判にさらされて改革されてきたのに対して、NGOは旧態依然なのだ。(JICA・JOCVに媚びを売るつもりではないことを前置きしておく。)

Photo-27 学校教師研修会(そろばん講習)
原因はたくさんあるが、その一つは、NGOの運営資金が、寄付や会費などの性質上、援助支出のチェック機能がないことがあげられる。法人格をもつものはそれなりに会計監査が義務づけられるが、大部分のNGOは任意団体であり、はっきり言えば会計監査などする義務は何もないのだ。NPO法案により、NGOなどの非営利団体が、簡単に法人格を取得する道が開けたそうだが、聞くところによると、かなりのNGOが法人格を取って法人としての権利や便宜を得るより、任意団体としてとどまりたいという。理由として制約や管理されるのがいやといっているが、本音は、会計や事務処理など組織として当然やるべきことができていないからだと思う。アカウンタビリティ(accountability)という組織として会員たちに情報を返していく義務についても消極的な団体が多い。
もう一つは、NGOは評価という枠から外れて、マスコミや一般市民はもとより、会員からの批判にさらされていない、ということがあげられる。組織運営上の評価とプロジェクト評価の両方の面からだ。個々のNGOに、その会員からの批判はあっても、小さいのでもみ消されるのが通常だ。会員にとっては気に入らねばやめればよいわけで、そこが強制的にとりあげられた税金で運営されるODAとは根本的に異なる。だから批判は大きくならないし、全体化しない。またマスコミも強いてとりあげない。
評価の考えがなく、チェック体制のない組織、批判にさらされない組織がどういうものに堕落していくか想像できるでというものだ。
一つのエピソードをはさんでこの章を終えることにする。かつてある人物が、NGOの評価の試案として、NGOダイレクトリーなどにある各組織のデータ(スタッフ数、会員数、年間予算、支援実績など)をもとに、NGOの組織の「体力測定」を示したことがある。当然、ある団体は「体力あり」である団体は「中堅どころ」そしてある団体は「要注意」などと出てくるわけである。ぼくは指標の一つとしておもしろいと思い、懇意にしていたNGOの主宰者に「こういう評価をしているよ」と示した。ぼくはそのNGOは小さいけれど着実な仕事をして、主宰者も尊敬していたものだが、彼は自分のNGOが「体力要注意」となって下位にランクされているのに、露骨に不快感を示し、そんなことにわれわれのデータを利用するのなら、これからはダイレクトリーにデータを送らないとおっしゃった。これは一つの指標だし試案であり、誰も受験戦争の激化に利用された偏差値のように絶対化しないと思うのだけれども。
かようにNGOのボスたちは、自分たちの組織の「評価」に過剰反応をするのである。
(ちなみにJECSの評価は「中堅どころ」であったが。)
1998年4月23日(木)パルンタールにて
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