畠 博之
これだけ生産と流通が発達し、いろんな食材が簡単に手に入るというのに、どうやら日本の話のことらしい。決して最貧国のネパールやブータン・チベット、はては肉ばかり食べざるを得ないイヌイット(エスキモー)たちへの広報教育番組ではない。これより少し前、長崎大環境経済学の中村おさむ氏の成長発展は何のためという対談番組があった。
中村氏が学生たちに聞く。「みなさんは何故勉強するの?」
「偉い人になるため 」 「豊かな生活をするため」などなどの返事が返ってくる。さらに、「偉い人とはどんな人?」 「豊かな生活とはどんな生活?」と聞いていくと最近の学生たちは言葉を失ってしまうらしい。それでも中には「豊かな生活とは、いろんなおいしいものが食べれて、いろんな服が着れて...」という返事がくる。
「皆さんは日本が豊かだと思いますよね?」と中村氏。(学生に異議は無し)
「生活では幅が広すぎるから、食生活に限って話をしましょう。」 (学生たち少しざわめく)
「では皆さんが今朝食べたものをあげてみてください。 」(学生たちは露骨にいやな顔をする)
学生たちからは今朝は時間がなくて食べてこなかったとかトーストだけ食べてきたというのが返ってきたという。中村氏もこういう返事は予想していたという。
豊かな生活あるいは食生活は決して経済力の問題ではないらしい。なるほどこれでは世界一の経済大国の公共放送が、「バランスよく食べよう」と呼びかけざるを得ないわけだ。これは喜劇といえるだろう。

Photo-25 机のない小学校
ネパールでは小学校の理科の教科書に食物がどこからくるかという単元がある。識字学級プログラムの副教材に、食物の分類表(いわゆる炭水化物・脂肪・たんぱく・ミネラル)がありそれを含む食品の絵が書いてある。私たちJECSが、学校における救急処置法を中心とした保健講習で使った「ドクター・ナバエマー(医者のいないところでは)」という本には、さらに詳しい栄養と食物について述べられている。ユニセフやWHOの指導と支援のもと、ネパール政府が各郡で実施させる夜盲症撲滅運動のポスターや冊子も切実だ。
学校教師や識字指導者のための研修会で、これらを教材として使ったことがある。分類についてなどの理論は教師たちは「わかる」という。詰め込んだ知識あるいは本に書いてあることを、生徒や識字参加者に丸伝えすることは、ネパール人教師たちの特技だから問題ない。「じゃあ病気予防のために、夜盲症にならないために、実行しましょう」、となると教師たちからは自嘲の声、絶望の声、そして開き直りの声が上がる。勉強は勉強、知識は知識として、教室内で生徒の伝えれば教師の役割は終わるのだ。「夜盲症の原因はビタミンAの不足による。ビタミンAはニンジンやかぼちゃ、緑色の野菜に含まれる」と。
山村では教師自身(ぼくを含めて)炭水化物以外は、事実上摂らないし摂れないのだ。先進国の資料をもとにして作られた教材は、カトマンズのような都会ならともかく、山村では日常的に手に入らないものばかりが食品例としてあげられている。
たとえばネパールの山村で必ず見られる聖なる牛。子供たちはみんなミルクを飲んでいると思ったら大間違い。地主の子でも毎日コップ半分飲めればいい方だ。ミルク用の雌牛(普通ここらでは水牛)を1頭飼える余裕があればいい方で、しかもその牛は一年の半分以上の妊娠期間中はミルクが出ないのだ。我が下宿であるジャガット家でも食欲の秋、収穫の秋そして祭りの秋であるダサイン(ヒンズー教のもっとも大きなお祭り)の二週間、副食がボーラという豆だけが続いたことは以前に書いた。長期間、毎朝晩同じ副食というのに、さすがにぼくもこたえたので、その二週間目に、ジャガット夫人に「豆以外におかずがないの?」とおそるおそる聞くと、彼女は「ボーラ豆ももう終わりよ。明日から何食べよう、ガハハハ...」と笑いとばした。乾季の今はジャガイモとグンドリ(野菜を乾燥し発酵した物)の日が続く。
「バランスよく食べよう」の人が強調した有色野菜の代表のニンジン・かぼちゃ・ブロッコリーのうち、かぼちゃ以外はここパルンタールでお目にかかったことがない。(都会のカトマンズの野菜市場には山と積んであるが)
山村の子供たちが、食材が限られているゆえに夜盲やヨード欠乏症になったり、抵抗力低下で病気になったり、治るはずの病気で死亡するするのは悲劇だが、砂糖漬け油脂漬けの日本の子供たちが、ブクブク太り骨がもろくなり骨折したり、成人病になったりするのは喜劇以外の何ものでもない。喜劇といってお怒りの方がおられるのなら、私たち大人や社会が子供に押し付けた悲劇と言っておこう。
1998年4月20日パルンタールにて
| エッセイの扉の ページの戻る |
| トップ・ページに戻る |