大量消費文明からの善意

――ネパールの山の小学校で考えたこと――

畠 博之


シンプル・ライフ?

 日本に一時帰国してうんざりすることはいろいろあるが、大量消費文明とそれにともなう大量のゴミもそのひとつ。
 一年間の日本語の活字文化のおくれをとりもどそうと本屋に入れば、赤や黄の原色の背表紙のよみすて本のならぶ本棚に目がくらむ。おめあての本もさがせぬまま、早々に退散ということもしばしばだ。何も本屋に限らない。どの店先でも赤やオレンジ、ピンクの文字がおどる。かつてネパールの山村から数ヶ月ぶりで、バス道路のバザールに出てきたときの驚きを思い出す。数軒の店先に飾られた女性の髪かざりの赤が新鮮にみえたものだ。日本の都会の原色の氾濫はその比ではない。
 ゴミについては、今さら私がわざわざ指摘することではないだろうが、帰国するたび驚きを新たにする。今にバチがあたるぞと密かに思うのだが、そんな思いは嘲笑されそうな雰囲気だ。
 ネパールの村で3年暮らしたが、ゴミに悩まされたことは一度もない。というより、たまに日本人が持ち込んだ消費物資の名残り、缶ビンプラスティック包装紙、はてはトイレットペーパーの芯まで、教材や教具工作材料に使えると、せっせとため込んでいる。私の部屋はその置き場だ。日本人からみれば、ゴミ溜めだろうが。
 「シンプル・ライフ」なんて言葉が数年前流行になったと思うが、今は見事にかき消されている。もっともコマーシャリズムに乗った「シンプル・ライフ」は新たな消費への誘いであったらしいが。
 私は何もここでネパールの「シンプル・ライフ」を美化するつもりはない。ネパールの山村の「シンプル・ライフ」は選択の余地がぜんぜんないのだから。物質文明にあこがれて都会に出て行くネパールの村の青年たちを、責めることはできない。しかし、いつの時代にも三種の神器を追い求め、モノこそ豊かさの象徴だと錯覚してきた日本社会であるが、そろそろその幼稚さに気づいてもいいのではないか。それが南北の格差を助長し、地球の環境を破壊するものならなおさらだ。

選択できる豊かさの中で

 今年の2月、B村に識字調査のために訪れた。2年ほど前この村に識字学級が半年ほど開かれたことがあるが、今回はその再開のためである。約30軒180名余りの村人のほとんどは、読み書きができない。20才以上の大人の非識字率は100%であった。
 ここは入植者たちの村である。竹細工を業とする被差別カーストの彼らは、ヒョウの出る森を切り開いて住み着いた。赤土の乾いた畑には、まだ切り株がいたるところに残っている。水の便の悪い痩せた土地からの恵みは少ない。彼らは里から竹を買い取り、農具や日用品を作っては売り、わずかな収入を得て暮らしている。



Photo-n2002  夜竹細工の仕事をするB村の村人たち

  2月の夜はかなり冷え込む。小さな子供たちは、すきま風の入る家畜小屋同然の家の中で寝入っている。4〜5軒の家の前では、たき火が赤々と燃え続けている。たき木不足の里からみれば異様な光景だ。火をかこんで数人の男たちが竹籠を編んでいる。不用になった竹や、付近を切り開いたときに出てきた丸太が惜しげもなく火にくべられる。そのたびに1メートルもの火柱がたつ。同行の識字学級運営委員に聞くと、彼らは一晩中火を絶やさずに仕事をするという。灯油を買えない彼らにとっては、明かりでもあり暖でもある。
 ヒマラヤの森林の危機が叫ばれて久しい。これは何もカトマンズの役人やインテリの間の話ではない。山村に住む人々は現実に、減ってゆく緑を目撃している。里ではたき木を得るのに苦労しているし、家や学校を建てるための木材はもはや近くの森からは得られず、遠くから運ばねばならない。村パンチャヤト(当時)もようやく、村の森林保護に目を向け出した。政府の識字用教材にも森林保護はあつかわれている。
 森を大切にというのは簡単だ。しかし伐採を止めるのは簡単ではない。政府は密伐採には厳罰を課しているという。ここの村人3〜4人は地方森林事務所に告訴され、今なお拘束されているという。しかし、政府も村パンチャヤトもそれ以上は何もできない。根本原因である貧困を解決できないから、みてみぬふりをするしかないのだ。私たちはこの村人たちの行為を、先を見ない愚かな行為だと笑うことはできない。彼らには選択の余地がないのだ。一方私たちは自らの生活を省み、その無駄な消費をストップできる、選択できる豊かさの中にいるのだから。

鉛筆を与えるのは「やめとこう」

 ネパールの村の小学校に赴任してしばらくたつと、子供たちがノートや鉛筆を持っていないということが、教える側にとって大きな障害となってくる。特に1年生では3分の1も持ってきていない。よくもまあこんな状態で、他の先生方は支障もなく授業できるものだと不思議に思う。もっともネパールでは講演調の授業が多く、生徒に書かせてひとりひとりのノートをみて指導するというのはあまりないようだ。しかし言葉が不十分な外国人教師としては、しゃべるだけでは授業はできない。算数ともなればなおさらだ。
 そこで、ノートや鉛筆を持ってこない生徒をどうしたらよいか、先生方と相談してみた。日本人から恵まれない子供たちにあげてほしいと古鉛筆を預かっていたが、それを心に秘めて5人の先生にまず聞いてみた。子供たちに鉛筆をあげようという意見はひとつも出ない。かといって有効な解決策も出ないまま、会議の時間だけが過ぎてゆく。とうとうしびれをきらして私の方から、日本からの古鉛筆もあることだし子供たちにあげたら、と提案するはめになった。私自身もいい案だとは思わなかったが、背に腹はかえられぬ、鉛筆がないため書く習慣ができず落ちこぼれてゆくのを止めたいと思ったから。反対されるはずがない。他によい方法がないのだから。
 ところが先生方の答えは意外や意外、「それはやめとこう」だった。理由は、子供たちにもらいぐせがつくから。親の自覚もスポイルするから。子供たちはもらっても翌日はなくしてしまうだろうから。などなど。(子供たちの落し物は彼らの罪ではない。彼らには筆箱もカバンもなく、服にはポケットもなく、あったとしても破れたのしかないから。したがって持ち物は四六時中、遊ぶときもトイレに行くときも握りしめていなければならない。1年生の子供にこんなことを要求するのは無理というものだ。) 私は反論する。「でも現実に鉛筆がなきゃ書く練習ができないし、そうしてどんどん落ちこぼれていっているじゃない。」 しかし反論むなしく、古鉛筆はその後数ヶ月、物置の隅に眠ることになる。ネパールの先生方が、生徒ひとりひとりに鉛筆を貸し与え、また回収するという面倒な仕事を了承するまで。現在は、親の自覚をうながす努力をするという条件で、古鉛筆を貸鉛筆にすることにしている。
 その後も入学祝いに1年生全員にあげてと日本から大量の鉛筆が届いたことがある。日本人の「善意」はありがたいが、私たちにはどんなにいいことに思えても、ネパール人にとっては善意のおしつけでしかないこともある。むしろ弊害を生むことすらある。
 それにもうひとつ考えさせられることがある。日本人の「善意」の中身をみると、キャップのないサインペン、書けないボールペン、こまぎれの消しゴムなど首をかしげたくなるものも混じっている。私のところには来ないが衣料品の中には、破れたもの、汚れたものもあるという。ネパールをゴミ捨て場と思っているのだろうか。自宅のごみ箱へなら罪悪感がおこるが、ネパールへなら気持ちが救われるのだろうか。何だか日本人の善意が薄ぺらなものにみえてならない。こんなこというと、本当の善意をキズつけるよとこの前しかられたが。
 私の活動もひとつひとつチェックすれば、似たようなことをしているのかもしれない。なんとかやってこれたのも、このようなネパール人のよきアドバイザーに恵まれていたからだろう。小さなことだけど、国際協力の難しい点を示していると思えてならない。


(1990年11月 (社)日本ネパール協会会報 No.103 掲載)


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