HP開設にあたって

ごあいさつ


 ネパールにいた頃、90年代はじめだったか、カトマンズのN氏が私の顔を見るなり、「やあ、ネパールの山猿君。あんたは知らんやろけど、日本は今インターネットですごいんだぞ。世界中の情報が手に入るんだ。日本にいて、『カトマンズ・ポスト』が読めるんだ。あんたみたいに山にこもっていたら、もう完全に時代遅れになるゾ。」とまくしたて、脅されたのを思い出す。
 なぁーにそんなもんができても、価値ある情報をいつでも権力者は隠すもんだから、世界はそう変わるもんじゃない。それに人間の情報処理能力に限界があるはずだから、多すぎる情報にアップアップするより、少なくても確かな情報をしっかり持つ方がいいはずだ。と自分に言い聞かせたが、やはり少々不安だった。しかし今日本に帰ってきてみると、半分はあたっていたように思える。技術がいくら進歩しても、人は依然として「裸のサル」なのだ。
 私がコンピューターらしきものに触ったのは、20年前である。当時は計算機メーカーが、programable calculator を出していた。理数系の学生として、数学の無限数列や無限級数の極限値など、人が紙上で計算するとうんざりする繰り返し計算を、プログラムで指示することによって、自動的にあっという間にやってくれるのに感激したものだ。その後、すぐ8ビットのBasicコンピューターが出た。職場の大阪府立盲学校に、点字--普通字変換ができる専用ミニコンなるものも見た。パソコンは16ビットMS-DOSの時代に入りつつあったそうだ。しかし私は日本を飛び出した。
 そしてネパールで11年。しかも、コンピューターはおろか、電気すらない山村である。まあ、現代文明・科学技術の方向性に疑問を持ったものであるから、こういう生活もいいもんだ。不満は特になかった。しかし、日本に帰ってきてからが大変だ。もちろん、パソコンと縁のない生活をしてもいいのだが、ネパールでの活動をちょっと他の人々にも知って欲しいなあ、などという色気を出したもんだから、後が大変だ。
 それから、パソコンについて、インターネットについて、猛勉強。私にとっては、コンピューターは、8ビットのBasicパソコンしか知らない。それがいきなり、32ビットのWindowsとくる。浦島太郎というのはこういうことだ。間の16ビットMS-DOSの知識も経験もすっぽり抜けている。まあ、Windowsパソコンが、本当に人にやさしい使いやすいものならいいのだが、重要なところでMS-DOSの知識を要求するのが憎たらしい。
 そんな私が、ようやくHPを公開できるところまでこぎつけた。人にその事を言うと、「まあ、あんたは理数科系だから」と、できてあたり前といわれるのが、これまた悔しい。まあ、愚痴はこのくらいにしておいて、日本での私の「社会復帰」に尽力していただいた、冒頭のN氏をはじめ、「ネパールへの架け橋」の皆さん、写真展を企画してくれた大島氏、HPのスペースを快く貸してくれた私の兄 (t-hata)、その他大勢の人々に感謝いたします。
 今後とも、ネパールの人と暮らしについて、一般旅行解説書にはない側面から紹介していきたいと思いますので、どうぞよろしく。

      1999年3月5日  加古川にて  畠 博之




「ごあいさつ」の
扉のページに戻る。

 
トップ・ページに戻る