畠 博之のごあいさつ |
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[入院・再出発]
日本に帰国すると同時に空港から隔離病棟へ直行。手配はすべて大島医師。やっぱり自慢できる病気ではなかったな。入院1週間頃、退屈でしょう?と看護婦さんが気をまわしてきいてくれたが、こんな天国みたいな入院生活はなかった。ひさしぶりに読む新聞や本の日本の活字、十分な睡眠、おいしい病人食。誰だ?病院の食事がまずいなんて言うヤツは。そんなヤツは今度JECSからネパールに派遣してしまうゾ。
さてさて、2週間の極楽生活も、「菌が出ない」という冷たい一言で終わらねばならない。隔離病棟の入院費はタダだ。市民の税金で運営される。その頃すでに無職で所得税免除のぼくは、他人の税金を無駄使いするわけにはいかないという謙虚な気持ちがあった。(その後消費税なるものが、無職のぼくにも容赦なく取りたてるようになったから、今度こそは気兼ねせず長居をしてやるゾ)
再出発でネパール・パルンタールに戻ったのは、秋の穫り入れの季節。田植えからいきなり稲刈りを見せつけられ、その間の空白の時間の流れがなんともなじめなかった。バーブラム校長先生が、ジャガット家の田んぼの穫り入れをしていた。校長先生といえども普段は農作業、たまに学校行き。(あ、逆か。)

Photo-3 学校番号26 ジャナ・ジョティ新小学校
[いよいよCEQIP誕生]
サラスワティ小学校での授業も慣れてきた頃、他のネパール人先生方の20分授業(*註)にあきれはて、ことあるごとに言い争いをしていた。何とかならぬかと思っていた矢先、たまたま訪れたバワニー高校の授業に感心し(当時のぼくにはサラスワティ小学校よりはるかに立派な授業のように見えただけだったが)、教師間で授業見学交流だけでもやったら、お互いに刺激になってよいのではと考えた。ぼくの意向を受けたラーム・チャンドラ・デブコタ校長(バワニー高)が尽力し、サ小やバワニー高校だけでなく、バワニー高校の子弟校10校を集めた教師研修会を開催するという、ぼくの案よりはるかに立派な計画を立ててくれた。そして記念すべき第一回研修会が、1988年4月23日。着任から丸一年以上かかったわけだ。
その後のCEQIPの発展とJECSの事業の拡大については、またの機会にする(報告参照)。参加校が40校を超えるようになったという事実を述べれば十分だろう。このようにぼくの就任一年目はずっこけてばかりだった。そんなぼくを11年もネパールに引き留めてくれたのは、子供たちの笑顔と理解あるカウンターパートたちやCEQIPの先生方である。そして11年もじっと我慢して支援してくださったJECSの会員の皆様に感謝いたします。 (終わり)
(*註)20分授業...45分の授業に15分遅れて教室に入り、10分早く切り上げて職員室でガフ(雑談)をすること。これは教師個人の教育に対する姿勢のみに帰する問題ではなく、教師の地位の低さ、低月給、トレーニングの不足、教育行政の混乱、広くは政府の腐敗や社会全体の問題の反映でもある。
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