世にも奇妙な物語

更新:1999年03月15日

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 あなたもちょっと不思議な体験をしたことがあるでしょう?ここでは、私の体験、知人の経験を書いてみました。
タイトルだけのものは、後程追記します。尚、全て事実である。


「彼が歩いていったその先」 国立長岡工業高等専門学校 高志寮

 ある日の夜、私は友人と4号館にて麻雀をしていた。誰もが疲れてきた深夜2時頃、その日はもう辞めることにした。私は自分の部屋のある3号館へ戻るべく静かになった4号館の階段を下りた。4号館1階の廊下は昼でも薄暗くあまり感じのいいところではないが、それを横目に見つつ、私は渡り廊下へと進んだ。深夜なので渡り廊下も天井灯は消されている。羽織った半纏の両袖に手をそれぞれ入れて胸元で組むようにして歩いていた。
 もう5mも歩けば3号館というところで、こんな時間に3号館1階の十字の廊下を旧館から新館へと、青くえりが黒い半纏を着た見覚えのない人が歩いていった。「まだ起きているやつがいたか。」そう思いながら、しかし周りの静寂さに対して歩く時の音が全く聞こえないことに気がついた。彼はスポンジ底のサンダルのかかとで床を擦りながら歩いていたから通常なら少なからず音がする。廊下が十字になったところまで来ると、彼の歩いていった先を見てみた。彼の姿は何処にも見当たらない。動かせば必ずガラガラと音がする各部屋の入口の扉は全て閉まっていて、電気もついていない。この廊下の奥にはトイレと、突き当たりにはゴミを燃やす焼却炉があった。いくら歩くのが速くても音を立てずにあそこまでは行けない。「まぁ、すぐそこの給湯室で湯でも沸かしているのだろう。」そう思いながら3号館1階の給湯室を覗いてみた。人影が全くない。背筋がぞっとした。
 彼が歩いていった3号館1階廊下の奥の焼却炉は、過去に首つり自殺のあった場所だったからだ。


「窓の外」 国立長岡工業高等専門学校 高志寮

 1983年のある日の夜のことです。私は、高志寮4号館の先輩の部屋に遊びにいってました。いつもの通り学校や芸能人についてなど色々な話をしていました。随分たって21時頃になった頃でしょうか。一緒に居た1学年下の後輩が、「トイレに行ってくる」と言って部屋を出て行きました。それはそうと、また話をしていると、後輩が随分と早くトイレから帰ってきて部屋のドアを開けるではありませんか。私が「おまえ、随分早いな。ちゃんとしぼってきたんか?」と言うと、「出た、出たっ。。。」と言うので「そりゃ、おしっこを出しにいったんだもんなぁ。。。」と私は言い返しました。後輩は初めて見せる青ざめた顔であわてながら話し始めました。
 後輩は、トイレに行き男子便器に向かって用を足そうとしていたのだそうです。すると左手に人の気配がしたので、ふとその方向を見ると見たことのない男の人が居たそうです。が、次の瞬間、その男の人がトイレの窓の外側でとうてい人が立てない位置に居ることに気がついて、まともに用も足せずに逃げ帰ってきたのだそうです。「トイレには誰も居なかったんですよ。3階だから窓の外には誰も立てるわけは無いし。。。」私はその直ぐ後にそのトイレに行ってみましたが、何も変わった様子はありませんでした。


「物音」 国立長岡工業高等専門学校 高志寮

 1983年のある日のこと。高志寮4号館4階のある4人部屋が私の部屋だった。部活も終えた後は、他の部屋へ遊びに出かけたりすることも多かった。ふとトイレに行きたくなったので、私は1人でトイレに向かった。確か4号館4階であったと思う。入口を入ると左手に水盤があって入口直ぐ左にトイレに続く扉がある。扉は、胸から頭くらいまでの高さの、向こう側にも手前側にも開く、まるで西部劇に出てくるような扉である。その扉をギィーと開いて便器の並んだ部屋に入る。大便をする方は、どれも扉が開いていて誰もいない。小用を足している者もいなかった。私は小便器に向い、「ふぅ」と息をつきながら用を足していた。「カラカラ」とすぐ右手後からトイレットペーパーを手繰る時の音がしたので「あぁ、だれか大便してるな」と思った。が、次の瞬間、「いぇっ!?」と顔が引きつった。そう、私がトイレに入った時は誰一人いなく、その後誰も入ってきた者はいなかったからだ。用を足した後、音のした大便器の方を覗いてみてもやはり誰もいない。
 私の他に同様な経験をしたものがいたかどうかは、わからない。


「夏の夜の廊下」 国立長岡工業高等専門学校

 1984年8月の事だったと思う。私はバドミントン部の夏合宿で学校に泊まって練習していた。21:00過ぎに夜の練習を終え、第二体育館から3号館、2号館、渡り廊下、4号館、合宿所へと校舎の中を1人で通って行くことにした。校舎内は真っ暗で、構内の明かりも既に消えている。夜の校舎は少し不気味であるがいつも通り慣れたところなので気にせずに歩いていた。
 2号館の階段を2階に上がり、左に曲がって渡り廊下の方へと歩き始めたときである。何かが前方にいることに気がついた。たまに迷い込んでくる犬か猫であろうと思った。薄暗いが眼が慣れているので何やら見える。するとそれは、犬でも猫でもなく、白い煙のような直径30−40cm位の球体のようであった。廊下の床から20−30cm位のところに浮いている。こちらが音を立てないように静かに進むと、それは左右に少し揺れながら更に向こうへと進み、渡り廊下を4号館の方へと曲った。「犬や猫なら、まだそこにいるはずだ。」と思いながら私も廊下を曲ると、そこには何もいなかった。呆然として立っていると、「何、立ってんだよ。」と同輩が後からかけてきた声に驚いてしまった。後にも先にも同様の話を聞いたことは無いので、事の真相はつかめない。学校が建つ前は、敷地の一部が墓地だったという話は、聞いたことがあるが。


「テントの外」 南魚沼郡六日町八海山麓

 高専山岳部員として山行に出かけた先のことだった。確か、4年の八海山(魚沼三山の一つ)登山でのことだったように思う。私たちは六日町駅からバスに乗って八海山麓に向かい、2合目の川の近くにテントを張った。夕食を終え、川向かいに居た別パーティーとの交流も終え、テントでシュラフに潜り眠りに就いた。
 どれくらい寝ただろうか。テントの外に何かの気配を感じる。獣か?ひょっとしたら熊か?その何か分らないものは、やがてテントの周りを回り始めた。まるでテントの中をうかがうように。ゆっくりと砂混じりの乾いた土を踏む音が聞こえる。獣ではない。焦りと不安で目を開けようにも目が開かず、体も動かすことが出来ない。生きた心地がしなかった。まるで人が歩くように、そいつはゆっくりとテントの周りを2度回った。音がしなくなり、しばらくしたら安心したためか、また寝入ってしまった。
 翌朝、他の部員に聞いてみたが誰も知らなかったと言う。他のパーティーも既に出発した後だった。


「おじいちゃん」 小千谷市 自宅にて

 私が中学の夏、母方の祖父が病気のため他界した。家族4人で通夜に行き、自宅に帰ってからお茶を飲みながら皆で話をしていたときのことである。「ピン・ポーン」と玄関の呼び鈴の音が聞こえた。こんな時間に変だ。私はなぜか死んだはずの祖父の様な気がしたが、最近、近所では呼び鈴をならすいたずらも流行っていたことから、ダッシュで玄関にとんでいき、鍵のかかっていなかった扉を勢いよく開いて誰も居ないことを確認しつつ、そのまま裸足で飛び出し、いたずらしたものがいないか走りながら探しまくった。が、猫などの動物の気配すらも無く、あたりは妙に静かだった。自宅に戻ると、私は「おじいちゃんかもしれないよ」と家族に言った。
 翌日の葬式を終え、親戚に昨夜のことを話すと同様に不思議な現象があったという者もいた。きっと、祖父は御礼を言いに皆の所を回っていたのだと、私は思った。


「ひかるもの」 小千谷市 自宅にて

 確か、小学校2年生の夏のことである。その頃の私は、夕食を食べたら、2階の部屋の窓から夜空を眺めるのが日課のようになっていた。その日も家族で夕食をとり、先に食べ終えた私は「ごちそうさま」と言っていつものように2階へと上がった。窓から夜空を見上げると、南南東くらいに明るく月が、真南くらいに入道雲のような雲があった。
 しばらく見ていると、雲の中から光るものが見えてきた。「この時間にこのコースで飛行機など飛ぶことなんて無いのにな。」と思いながら見てみると、そいつはピタリと空中に留まって動かない。色は銀色で、円盤形をしているではないか。私は、「UFOだ。」と1階にいる妹を呼んで一緒に眺めることにした。やがて、そいつは西の方向に一直線に飛んだかと思うと、またピタリと止り、今度はほぼ逆方向の雲に向けて一気に飛び、雲の中へと消えていった。雲に消えた後も、また出てくるのではと思いながらしばらく空を眺めていたが再度そいつは現れることは無かった。


「もう1人」 上越新幹線にて

 東京に出張に行った帰りだったろうか。夕方の新幹線に乗った。いつも通り混雑している。座席でしばらく休んでいたがトイレに行きたくなったので席を立ち車両の前の方へと歩いていった。自動ドアの前に立ち、ドアが開いたときであった。「。。。」自分は目の前のものに目を疑った。開いたドアから1人こちらに入ろうとした人がいたのだが、その人の顔が、何と自分とそっくりなのである。相手も非常に驚いた様子で、数秒間(自分には何十分にも感じられた)はお互いに顔を見つめたまま硬直して立っていた。こんなことがあるのか!後から歩いてきた人に催促されて二人はすれ違い、会話することも、以後顔を合わせることも無かった。
 自分とうり二つの顔は世界に3人は居るというが、まさかこんなところこんな形で遭遇しようとは。。。


「カーブミラー」 兵庫県

 九州へ向かってドライブした時、1993年8月8日の朝方、城崎から兵庫県浜坂町に向かう途中のことだったと思う。海岸沿いの道を車で走っていたが、地形の関係で道は海岸沿いの峠道となった。天気は良く、道路は2車線で路面は明るい。登り坂で急なカーブもいくつかあった。ある急な右カーブにさしかかるとき、来るかもしれない対向車との事故防止のため、減速しながら丸いカーブミラーに目をやった。「あっ、対向車が降りてくる。。。」それは深緑色のセダンだった。カーブミラーに写った対向車の影の動きから、カーブに入って対向車とスライドしてもよさそうなタイミングであった。が、対向車が降りてこない。「あぁ、坂の途中で停車でもしているんだろ。。。」と思いながら、目線はこれから登るべき道を先へとたどった。「車が無い!」車が隠れるような場所も無く、バックしたとしても、Uターンしたとしても、見えていてもいいはずだ。不思議だった。あの、カーブミラーに写った影は何だったのだろう。


「ホワイトハウス」 新潟県西蒲原郡巻町

 それは、1989年7月15日の夜のことであった。かねてからうわさがあり、近頃ズームイン朝でも紹介された「ホワイトハウス」に向かうべく、友人同士3人は集合した。「さぁ、出かけようか。おっと、その前に記念写真を。」と言って、私は自分のカメラを取り出して日付入りで撮影した。友人の車1台に乗り込み、巻町に向かう。ホワイトハウスは「越後七浦シーサイドライン」のすぐ近くにあるのだが、車で走っていたのでは見えないところにある。私は場所を知らないので、手前の松林に着いた時に「へぇ、こんなところの先にあるのか。」と思った。近くからは、海水浴客の花火の様子が聞こえてくる。3人は、車を降りてヘッドランプや懐中電灯を持って歩き出した。
 「このガードの向こうなんだ。」ガードの手前で皆が立ち止まった。ちょっと胸がドキドキした。私はいつでも写真を撮れるようにカメラを準備した。歩き出すと、ガードの星明かりも届かない真っ暗な中で何かを感じたのだが、気のせいだろうと思い早足で歩き抜けるとホワイトハウスが見えてきた。うわさ通り、玄関の上の部屋の窓には鉄格子が取り付けられている。「写真を一枚。」建物を写すつもりでシャッターを押したのだが、フィルムの巻き上げがやけに重い。まるで電池切れのようだ。「おかしいな。さっきは正常だったのに。」カメラは、今日家を出る前に新品の乾電池に変えたばかりで、買ってこんなことは一度も無かった。玄関付近でまたシャッターを押したが、シャッターは切れるもののやはりフィルム巻き上げが止りそうなほどやけに重い。それはそうと建物に入ることにした。建物は、侵入者や風雨で荒れている。玄関からすぐ上階に続く階段の下の方は朽ちていた。足を踏み外さぬよう上階に上る。特に変わったところも無かった。私は、持ってきた缶ジュースの栓を開け部屋の端に置いて、手を合わせた。友人2人は、屋上へと続く階段を見つけて上っていったが、私は上らなかった。「もう、帰ろう。こんなとこ居てもしょうがないし、気味悪いもんな。」友人はそう言って、皆で建物の外に出た。もう一度写真をと思い、振り向いてシャッターを押すがやはりフィルム巻き上げは重かった。ガードの向こうに松林が見える。抜けようと歩き出したが、やはり何かを感じる。「さっきのは、気のせいでは無かったか。。。」それは、建物に居るときには気にならなかったがガードの真ん中で一番強く感じた。「きっと、霊が集まりやすい場所に違いない。」そう思った。
 車に戻ってほっとした。と、今度は高校生男子2人が原付で来て、これから見に行くんだと言って歩いていった。すぐに戻ってくるので「おまえら、根性ねぇぞ。」と言って、結局、高校生を連れて2度目の訪問となった。建物に入ると、さっき置いた缶ジュースがそのまま残っている。「あたりまえか。。。」ここでも写真を写したのだが、さっきの症状と変わらなかった。帰りはガードを足早に抜けた。
 車に乗って、車が発進しようとしたときに「最後にもう一枚。」と言って私はリヤウィンド越しにガードの写真を写した。「あれ?今度は正常だ!?」フィルムは軽く巻き上がったのだった。無にもなかったかのように。どうもガードのこちら側と向こうと側では何かが違うらしかった。
 車での帰り道、海鳥らしき鳥が道路の行く手にのこのこ出てきて車がひきそうになるまで動かない。クラクションを鳴らしてやっと飛んでいった。「まったく!あの鳥は車にひかれたいのか!」皆でそんなことを言いながら走っていた。海側を離れしばらく走ると今度はカラスが同じ様に道に出てきて、ひかれそうになったのだった。「1度ならまだしも、こんなこと2度も続くか?こんな時分にカラスが道路にいるか?だれか祟られたんじゃないか?」たしか、三日月の夜だった。その後、3人に異常は起きていない。ちなみに写真には、素人にわかるような「何か」は写っていなかった。


「翌日」 小千谷市

 小学生の頃、学校へ行く支度を整えたら、登校のためにみんなが集まるいつもの所へいく。何処でもみられる光景だ。ある日、私がそうやって皆の所へ行き友人と話している様子を、私は空から眺めていた。そう、夢の中のことである。目が覚め、正夢かもしれないと思いつつ、「それなら正夢にならないようにしてやろう」と思っていた。朝食を終え、ランドセルを背負って皆の所へ行き、クラスメイトに寄っていき、「ねぇ、昨日、変な夢見た、、、あっ!」話しかけて、息を飲んだ。そう、友人目がけて私が寄っていく様子、友人と私の立つ位置、そして話しかけ方、他の児童の位置から何から何まで昨日の夢と全く同じであったからだ。ここまでリアルな正夢を見たのは初めてであった。


「座敷わらし?」 柏崎市

 1988年夏の事だったと思う。サークルの活動で、土日を利用し柏崎市のユースホステルとなっている某寺に約20名で泊まった時のことである。皆が揃い、一つの部屋で夕食を取り終え楽しく話をしていた時に「布団を敷きますので人数を確認して下さい」と管理人から言われた。私は隣りの男性とともに立ち上がり、「人数を確認するので動かないで下さい」と言った後、人数を確認しはじめた。皆は畳に座っており部屋の戸は全て閉まっている。誰も動く者などいないから人数確認は楽だった。一回数えて一緒に数えた人と確認すると同じ数だったので「間違いはないな」と思った。が、もう一度数えてみる事とし、お互いに先の逆方向から数え始め、その結果もまた同じであった。だれかが「間違いがあるかもしれないから、もう一度数えてみろよ」と言ったので「間違いないさ」と言いながらも再度数えてみたが結果は同じであった。二人で数えたので、計6回数えた事になるが、全て同じ数であった。人数を管理人に告げると、私たちは夜の海岸へ花火を上げに遊びに行った。
 やがて就寝の時間となり、私は、皆が広い部屋に敷いてある布団に入ったのを見届けてから空いている布団に潜り込んだ。私の隣りの布団も空いていたので「だれかトイレに行ってるな」と思いつつ「だれが隣りで眠るのかな」と帰ってくるのをしばらく待っていた。しかし、いくら待っても隣りの布団に入ってくるものがいない。「変だな」と思いつつ、布団の数を数えてみると確かに頼んだ数だけ敷いてある。誰も帰った者はいないし、二人寄り添って寝ている者はいないから、だれかが私の隣りとなるはずであった。「えっ、変だな」と声を上げた私は、「どうした?」と言われつつも今度は寝ている一人ひとりを確認しながら回ってみた。「布団の数は確かに頼んだ分だけある。皆も確かに全員ここにいる。けど、なぜか数が合わない。。。一つ布団が多い。。。」人数確認したときは、私たちサークルの人しかいなかったのに。もう一度、寝顔を確認しながら回っても結果は同じであった。私は、その晩なかなか寝つけなかった。
 翌日もまだ私は狐につままれたような顔をしていたのだが、この話は「みんな楽しそうに話をしていたので座敷わらしがでたのではないか」ということになった。場所が寺だけに、幽霊だったのかもしれないが。


「新新バイパス」 新潟市

 1996年6月1日午前、私は村上市に無線の移動運用に行こうと車を走らせていた。高速から新潟で新新バイパスへと、事故など起こさぬように周りに注意しながら、順調に進んでいた。天気は、晴である。そのまま進み続けると、新新バイパスは紫竹山インターを過ぎて竹尾インターの手前で新幹線の高架橋をくぐる。その新幹線高架橋の少し新潟よりでのこと。「あれ?随分前だけど以前に通ったときは車線は白でひかれていたのにな。こんなに見通しの良い直線道路で変なの。。。」そう、目の前には黄色い車線がひかれている。と、突然背中がぞくぞくっとした。「変だ。。。いつもと何か違うものを感じる。。。」汗をかきすぎた時にぶるっとくるそれと全く異なる。車はそのまま真っ直ぐに走り続けながら、自分はバックミラーで後ろを見て、ふに落ちずに何度か後を振り返って自分の通ってきたところを見てみた。何の変哲も無い道路。そして、この事はしばらく私の頭の中から離れなかった。
 それから約1年が経ち、新潟発・ちょー電脳 心霊怪奇クラブのホームページを見てそれは理解できた。私が体験したその場所は、昔墓地があったのだった。


「階段を上ってきた人」 小千谷市 自宅にて

 中学生の頃だったろうか。時間は覚えていないが、私は2階の自分の部屋で机に向かったいたと思う。父母は一階に居た。ふと、母が階段を上ってくるようなギシギシというきしむ音が聞こえたので「あぁ、何かをしに上ってきたな」と思いながら私は何かを続けていた。その階段を上る足音は一番上まで上り詰めたかと思うと、その後何も音がしなくなってしまった。階段を上り詰めて直ぐ左手が私の部屋で、扉は開いている。立ち止まって何か考えているのか、こちらの様子をうかがっているのだろうと思いながら目線を部屋の入口に移すと誰もいない。音を立てずにそこから居なくなるなんて誰にも出来ない。周りをみたが、2階には私一人である。私は、階段の上から「お母さん、今階段を上ってきたでしょう?」と大声を出してみた。すると、一階から「2階になんていってないよ」と声が返ってくるではないか。驚きと不思議のあまり、私は声を失った。今でもその足音の主はわからないが、その時期に似た現象が数回起きていたような気がする。その後は、何も起きていない。



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