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徒然なるページ
このページでは、私の日記、あるいは私が日頃思っていることなどを
つれづれなるままに書きつづっていきます。
| 2004年8月1日(日) | 日付が変わって8月になりました。また一つ年を取ってもう一週間、早いなあ。 先日の野球の話に続いて、また部活動ネタです。昨日、県の吹奏楽コンクールが始まりました。我が校の吹奏楽部は人数の多い「高校の部A」に参加するので、初日の昨日が晴れの舞台です。私が担任をするクラスにも4人の部員がおり、「来てくれないんですか」と言われれば無下に「くれないんです」とも答えられず、来週早々にある研修の宿題を午前中に片づけて、高崎にある音楽センターに向かいました。 我が校の出番は午後3時だそうで、途中で食事しながらでも余裕で間に合うと思っていたのですが、あに図らんや、時間が迫ってきた上に駐車場がなかなか見つからず、立体駐車場の入口は渋滞していて、会場入りしたのは3時5分前でした。入場券を買って中へ入ると、「演奏中」ということでホールへの扉が閉ざされています。彼らの演奏中だとしたら、何のために来たのかわからなくなるので、おそるおそるそばでバンフレットを見ていたおじさんに聞けば、一つ前の学校ということ。滑り込みセーフでした。 課題曲と自由曲の2曲、一年間練習してきたことの成果が、わずか10分ほどの間に凝縮されるという緊張感の中、正確に、そして情感たっぷりに演奏するというのは、大変なことだと思います。しかし、指揮をされた吹奏楽部講師のY先生が、曲間に拳を握りしめ(私にはガッツポーズに見えた)、演奏後に部員に向かって小さく(客席に見えないように)拍手していたのを見て、手応えがあったのだろうと思いました。前顧問で、フランクに話せる私と同期のG先生の、「耳のかなり肥えた人が褒めていた」という言葉も、そんな思いを後押ししました。 全校の演奏が終わり、大学生一団体も演奏して、いよいよ結果発表兼表彰式。全校の代表者がステージ上に集い、演奏順に表彰されていくわけですが、その場で「金賞」「銀賞」「銅賞」が発表されるから、場内は緊張と興奮で満ちあふれ、「○△高等学校…、銀賞!」「…、銅賞」とコールされるたびに、場内には悲鳴にも似た声があがります。聞くところによると、金賞は4校、そのうち2校はほぼ決まっているとのことなので、残りの2枠に入れるか、こちらも緊張してきました。銀・銅が続き、なかなか金が出てきません。前述のG先生が転勤したM高校が1つめの金賞を取り、あと1つ、いよいよ我が校の順番です。「O高等学校…、」ハリーポッターが組み分け帽子を被らされた時のような緊張を感じていると、「…、金賞!」私の周りに陣取っていた部員やOBの割れんばかりの歓声が、館内に轟き渡りました。そして、下馬評どおり、残り2つの金賞をそれぞれの高校が取り、しかし、トロフィーがあと1本あります。結局5校が金賞となりました。 そして、次は西関東大会への出場校の発表です。盾は4つ、つまり、5校中1校は「次点」ということで西関東大会へ進めないのです。場内にまた緊張が走ります。「西関東大会へは、次の4校を推薦します。…M高等学校!」出場順に呼ぶとのことなので、次に呼ばれなければ落選です。「…O高等学校!」西関東大会出場です。再び割れんばかりの歓声。努力が報われ、本番に力が発揮できて、本当によかったと思います。 初めてコンクールを見ましたが、慌ただしさと緊張感の入り乱れた、独特の雰囲気を感じました。これを毎年感じ続けると、私など潰されそうです。西関東大会は9月4日、進路間近の3年生も、夏休み返上ですね。 |
| 2004年7月22日(木) | また今年も、「夏」が終わりました。高校野球の話です。 私が勤務する高校は、野球も盛んな学校です。ただ、甲子園には縁遠く、出場は春のセンバツに一度あるのみで、抽選に漏れて涙を飲んだり、その年唯一の敗退が夏の決勝戦だったりと、女神がするりと逃げていく、そんな感じです。 私が3年生の担任をしているという話は、どこかで書いたと思います。今年のキャプテンは、ふとした縁で、我がクラスにいます。委員長も野球部で、ベンチ入りを果たしました。もう二人の部員は、残念ながらベンチ入りメンバーから漏れてしまいましたが、彼らがどれくらい努力していたかなど、私の口から言うまでもないことです。三人いる3年生のマネージャーのうち一人がうちのクラスにいます。いや、自分のクラスだけではなく、授業で出ていたり、過去に担任をしていたり、あるいはそうではなくても、同じ学年、何かと関わりがあるので、今こうして文章を書いていても一人ひとり顔が浮かぶし、感情も移入するというものです。出場した2年生の中にも、授業を持っているのがいて、授業中と試合中のギャップを楽しみつつも、応援していました。 で、昨日の4回戦。生徒会担当でもある私は、一般生徒の応援をとりまとめる仕事もあるのですが、あいにく出張が重なってしまい、今回は球場に行けませんでした。相手は県内有数の進学校。ここぞという時の集中力はすごいものがあります。私が高校3年生だった14年前の夏、我が母校もこの高校に負けました。そんなことがあったからか、我がクラスのキャプテンと、授業に出ているエースの2年生に、「僕が行くまで負けるなよ」と、実に軽い気持ちで言いました。もちろん、そんな言葉がプレッシャーになったなどとは思いません。そんなヤワな練習はしてこなかったはずです。ただ、余計なことを言ったな、そう思います。 野球というスポーツは、国民的スポーツなだけに、多くの人が一家言持っていて、もっと言うと評論家気取りで、「あそこはバントだよ」とか言ったりします。私もそんな一人です。言う方は気楽ですが、注目されているスポーツは大変だなと思います。だから、今日はそういうことは言わず、とにかくお疲れさまという言葉だけにしたいと思います。しっかり休んで、でも、一息ついたら進路に向かって猛進だ! と3年生の担任らしいことをたまには言って、おしまい。お疲れさま。 |
| 2004年7月17日(土) | 働きづめでクタクタだったので、今日は一日のんびりしよう、そう決めて、夕べはしこたま飲みました。地ビールを飲み、河岸を変えて芋焼酎を飲み、脂ののったシメサバの絶妙な絞め具合に舌鼓をうち…、ちょっと飲み過ぎたかなと思いつつも、いいものです。 翌日、つまり今朝ですが、やはり飲み過ぎたようで、胃の膨満感と軽い頭痛を覚えたので、胃薬とバファリンを1錠飲みました。さ、もう一眠りしよう、でもその前にネットとメールでも…とパソコンに向かっていたら、えらいことになりました。 私は、よく口内炎ができます。ビタミン不足なのか不摂生のせいか、はたまたストレスのため過ぎか、おそらくその全てが原因なのだろうと思いますが、1週間ほど前から舌の裏側と右上の歯茎に口内炎があり、特に歯茎の方は大きい分痛みもあって、早く治らないものかと気になっていました。 パソコンに向かってしばらくたった時、口の中に何だかとろっとした感触と鉄分の味がし始めました。血だ、と思ってティッシュで歯茎を押さえると、思っていた以上の出血です。ゼリー状に固まった血がティッシュにこびりつき、その後からにじみ出るように出血が続きます。 今まで口内炎ができたことは数知れず、そのたびに市販の軟膏を塗ったり、患部を舐めたりして1、2週間ほどでいつの間にか完治していたわけですが、出血は初めてです。さすがに焦りました。とりあえずティッシュで押さえ、血は止まりました。うがいをすると、はき出した水が赤く染まっています。 そのまま、昼食を食べ、音楽を聴きながら昼寝をして起きると、また口内にあの感触が。触るとねっとりしたゼリー状の血の塊が指にくっついてきました。これはやはり尋常ではない、ただの口内炎ではないのかもしれないと思った私は、かかりつけの病院に電話をして、もう受付時間は過ぎていたけれども急患扱いで診察してくれるというので、取るものもとりあえず車に飛び乗りました。 歯科・口腔外科に入り、若い女医さんに問診されていくうちに、「何か血の止まりにくい病気、たとえば心臓・肝臓・腎臓などが悪いとか、糖尿病とか、血圧が高いとかありますか」と問われ、健康診断などろくにしていないため、というより日頃の行いを考えると自信を持って「大丈夫」と言えないため答えられずモゴモゴしていると、「何か薬飲んでいますか」。これなら答えられます。「昨日飲み過ぎたので、胃薬とバファリンを…」すると、女医さんは我が意を得たりとばかりに「バファリン飲みましたか」。何か問題があったかと私が怪訝な表情をしたのを見て取ると、「バファリンは、解熱、鎮痛に効くのですけれど、それ以外にも血液をさらさらにする作用があって、脳梗塞の患者に処方することもあります。逆に言うと血が止まりにくくなるのですね。抜糸した後は飲まないようにとか、よく注意する薬なんですよ」と。 まさかそんなこととは知りませんでした。今まで薬の副作用など考えてもみなかったのですが、バファリン恐るべしです。止血してもらい、口内炎に効く軟膏を塗ってもらい、午後9時現在、出血はありません。ただ、バファリンは効果時間が長い薬だそうで、「3日間くらいは続くかもしれませんね」などと言われてしまいました。うがい薬と軟膏を処方してもらい、時間外だったので幾ばくかの金を支払い、おまけに事務員は私が勤める高校の卒業生だったりして、さんざんな一日でした。明日また診察ですが、帰り際に女医さんから言われました。「血流が激しくなるから、今日はお酒を飲まないでくださいね。それとバファリンも」。ちょうどよい休肝日となりそうです。 |
| 2004年7月5日(月) | 今日は一日、年次休暇を取りました。 教員には、毎年度20日の年次休暇が認められています(夏季休暇は別に5日間)。消化しきれなかった休暇は20日まで翌年に繰り越せることになっています。よほどのことがない限り消化しきれるはずもなく、おかげで教員3年目からは毎年40日の休暇が、一応制度上は取れることになっているわけです。 4月から昨日までで取った休暇は4時間。休暇は1時間単位で取れるので、4月だったか、1回半日の休暇を取って以来、今まで取れませんでした。別に休暇など取らなくても…と思いますが、土日もなんだかんだと出勤していたりして、まともに休むことなくここまで突っ走ってきました。さすがにもうへとへとです。ちょうど期末考査中で授業のやりくりもしなくて済むこの時期は、休暇の取れる数少ないチャンスです。 で、休暇を取ったわけですが、取って何をしようかと考えてしまいました。 せっかく休暇を取ったのだから、家でテストの採点をするなどという本末転倒なことはしたくありません。どこかへ出かけるか、久しぶりにエアブラシでも握るか…と思いながら、どうにも億劫なのです。気分転換するつもりで取った休暇なのに、何もかも億劫というのは、よほど重症です。「ハリーポッター」でも見に行こうかと思いかけて、でも気分が乗りません。このまま家でだらだらしていてもフラストレーションがたまるだけ、近場へ出かけることにしました。 プジョーに乗って出かけた先は、大間々駅。駅前の駐車場に車を停めて、10時48分発の間藤行に乗り込みました。およそ1年ぶりのわたらせ渓谷鉄道です。単行のディーゼルカーには、観光客らしい夫婦と地元の老人、それと学生風の男女、合わせても10人くらいしか乗っていません。 川沿いになる右側のボックスシートに陣取り、車窓に鬱蒼と茂る木々が過ぎゆくのを眺めていると、学生らしい青年が私に声をかけてきました。前橋工科大学の学生さんで、わたらせ渓谷鉄道の利用状況についてのアンケート調査でした。ゼミの研究テーマなのでしょう。 窓の外には渡良瀬川が見えてきました。川の流れはゆっくりとしていて、よどんでいるようにも見えました。水量は少なめで、梅雨なのに雨の少ない今期を象徴しているようでした。 30分ほどで神戸に到着。この字で「ごうど」と読みます。国鉄時代は「こうべ」との混同を避けるため、わざと「神土」と表記していたというのは、知る人ぞ知るというところでしょうか。私はここで下車しました。 無人の小さな木造駅舎をでたところに停まっているマイクロバスに乗り込み、山道を登ること10分足らず、富弘美術館に着きました。乗客は私一人。月曜だから、仕方ないのかもしれません。 星野富弘という人のことは知識として知っていましたが、富弘美術館を訪れたのは初めてでした。丁寧に、丹念に描かれた独特のタッチの絵としたためられた詩が、私の心にもストレートに入ってきました。私にしてはめずらしく、絵はがきなどを買って後にしました。 行きと同じバスで駅に戻り、行きと同じディーゼルカーで大間々に戻ってきました。いつの間にか雲行きが怪しくなってきました。赤城駅の近くでうどんを食べ、帰宅。行程4時間ほどのミニトリップでした。こうでもしなければ行かないだろうと思っていた富弘美術館にも行けたし、なかなか楽しく、気分転換にはなりましたが、旅行中もときどき仕事のことが頭をかすめたりして、すっきりはしませんでした。 気分転換って、意外と難しいのだなと改めて感じました。 |
| 2004年6月9日(水) | 今、午後10時半になろうという時間です。ついさっき帰宅しました。 今日は、放課後に某会の総会に代理で出席した後、懇親会(いわゆる呑み会)に参加するはずだったのですが、手違いで席が足りず、これ幸いと学校に戻って仕事をしていたのでした。 今年度は生徒会の主任と3年生の担任を併せ持つという、通常ではありえない組み合わせの仕事を任されてしまい、新年度が始まってもう2ヶ月が経過したというのに、慌ただしいことこの上ない状態です。 3年生は今の時期、三者面談を行っています。担任は午後に面談があるため、授業は午前中に集中します。面談があるからといって持ち時間が減るはずもなく、その分空き時間がなくなります。 生徒会は、この時期生徒総会を控えて大わらわです。昼休みも放課後も、議案書作りや進行シナリオ作りに本部役員たちが奔走しています。それを指揮する私は三者面談ですから、回せるものも回りません。その上、7月に行われる球技大会のことも同時進行で考えていかなければならないのですから、体があと2つくらい欲しくなってしまいます。今あるたった1つの体も、そろそろ悲鳴を上げてきそうです。 しかし、これを鳴(泣?)けども其の意通ずる能わず。先人はもっともなことを言うもので、窮状は打破されるはずもないのです。 ストレスと疲労を抱えて帰るのかとなかば諦めにも似た境地で、しかし重い腰も持ち上がらずにいたところ、こんな遅い時間なのに見慣れた顔が職員室に現れました。この3月に卒業したS嬢です。別室で他の先生と話をしていたのでしょう。彼女は授業も担当していたし、生徒会行事である予餞会ではMVPということで、顔なじみです。 立ち振る舞いから何から、愛敬たっぷりの彼女が入ってきただけで、夜遅く人の少ない職員室の雰囲気が一気に明るくなりました。会話が弾み、笑いも絶えません。予餞会で見せた持ちネタを久しぶりに見聞きし、これまた久しぶりに心から笑いました。それまでためていたストレスや疲れがすーっと消えていくような感じがしました。笑うことは大事なことのだと、改めて思いました。 とりあえず今日はこれで乗り切った。明日は、どうだ? |
| 2004年4月3日(土) | 桜が早くも満開です。最近は入学式前に見頃が終わってしまったり、散ってしまったりして、やはり昔と気象状況が変わってきているのだななどと思ってみたりします。 秋の紅葉は、それなりに遠出をする必要がありますが、花見にはそんな手間はいりません。学生時代は、大学の庭が花見場所でした。そういえば、最近は花見していませんね。もっとも、この場合の「花見」とは純然たる花の観賞ではなく、宴会的要素を十二分に兼ね備えたものであることは言うまでもありません。 この時期、昼は暖かいけれど、花見は(というか飲むのは)やっぱり夜。夜はまだ肌寒いのです。数年前に川沿いで夜桜宴会をした時も寒かったことを思い出します。 私が住むO市には、「こどもの国」という公園があります。プラネタリウムなどのある児童施設も設置されているのですが、メインは広大な面積を有する公園スペースです。人工的ではあるけれど清水が流れ、天然芝生の生えた広い広い敷地は、それだけでも遊び場としては十分で、夏には裸のガキンチョが駆け回っています。遊具などもあるので、まさに「こどもの国」ですが、春の暖かい昼間など、ちょっと弁当を広げたり、昼寝をしたりと、大人にとっても憩いの場たり得る場所です。 この「こどもの国」には、しかし、桜の木が1本もないのです。なぜなんだろう、としばらく考えて、でも、すぐ納得しました。もし桜の木があったら、「こどもの国」ではなく、「おとなの国」になってしまう。なぜって…、ね。 |
| 2004年3月2日(火) | 「徒然なるページ」を最後に更新したのは、昨年の10月。ずいぶん長い間サボってしまいました。言い訳をすれば、ここしばらくの間何かと忙しく、家に帰ってサイトの更新をするのが面倒になってしまったのです。公開するような模型も、最近は作っていません。日頃思っていることを、という趣旨で始めたこのページも、近頃はネタを探しながらというところがあり、こんなネタでは公開に値しないな、などと更新を滞らせていました。 でも、今日は久しぶりに書いてみようと思います。つまり、ネタがあったということです(笑)。 私は、初任から6年間、T高校の定時制に勤めていました。最初の年は研修もあったので担任は持ちませんでした。次の年に1年生の担任を持ち、4年間持ち続けて卒業させました。本来なら、区切りのよいところで転勤となったのでしょうが、諸事情もあってもう1年(ほんとうはもっといたかったのですが)いることになりました。その年にまた1年生の担任を持ちました。確か、生徒は31人だったと思います。定時制にしては多いな、という印象でした。 こういう言い方には語弊があるかもしれませんが、定時制は、最初の1年間は「お試し期間」だと思います。1年間で定時制の水に染まれば卒業が見えてくるし、なじめない生徒はドロップアウトしてしまいます。その分、1年後のクラスは意外とかっちりまとまるところがあり、仲間意識というものが、生徒間にも、担任との間にも芽生えてくるように感じていました。特に定時制はクラス替えがない(というか1クラスしかない)ので、その感が強いのでしょう。私にしても、やはりそのクラスに愛着が生まれ、転勤は避けたいと思っていました。しかし、初任から6年ということで、やはり転勤となってしまいました。いろいろな個性を持った生徒たちも、どうやら私になついてくれたところでの転勤は、さすがにつらいものがありました。当時の「徒然」にも、「彼らになんと説明しよう、どうも動きそうだということが耳に入ってきたときから、私はそればかり考えていました。かぐや姫は、丸くなっていく月をどんな気持ちで眺めていたのでしょうか」などと書いています。 後ろ髪を引かれる思いで転勤し、あれから3年が経ちました。あのとき1年生だった彼らも、昨日めでたく卒業を迎えたのです。人数は少なくなってしまったけれど、例年になくスムースに卒業までたどり着いたようです。これも担任を引き継いで3年間リリーフしてくださったK先生のおかげです。感謝に堪えません。 私が定時制を離れる時、クラスの年長者組(定時制だから、年齢層に幅があるのです)と約束をしていたことがありました。卒業したら一緒に飲もうという約束です。とはいえ、あれから3年という月日が流れています。たった1年間、それも最初の年だけしか担任をしていないのですから、果たして約束は実現するのか…と、心のどこか隅の方で不安を感じていました。でも、彼らは約束を果たしました。卒業式後の打ち上げに、私を招待してくれました。 久しぶりの再会に期待に少しの緊張を加えた状態で会場に向かいました。会った瞬間、3年という月日は短絡し、何の違和感もなくうち解けられたので、安心しました。久しぶりに会った彼らは予想以上に変わっていませんでした。みんな、晴れやかな顔をしていました。卒業式の場にいたかった、そう思いました。私が忘れていたようなことも彼らはしっかり覚えていて、確かに自分は彼らの担任だったのだ、という誇りのようなものを感じました。日が変わるまで、みんなで楽しみました。また、同窓会をやろうということで、解散しました。 近日中に、彼らの思いが綴られた生徒会誌が届くはずなので、それを今は楽しみにしています。 今、私は別の高校で2年生の担任をしています。やはり自分のクラスに愛着を感じており、このままのクラスで卒業を迎えられたら、と思います。 |