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2002年3月15日〜2003年10月5日
| 2003年10月5日(日) | やっと更新できました。 おととい、3泊4日の修学旅行から帰ってきました。 行ったのは広島・神戸・大阪。初日に宮島と原爆資料館・平和公園を一気に回ってしまうという強行軍のため、学校を出たのが朝の5時30分でした。その日は広島市内に泊まり、翌日は新幹線で神戸へ行き、生徒はそこで班別自由行動となります。集合場所はホテル。携帯電話で班長と担任とが連絡を取り合います。3日目はホテルを出るところから班別行動。自分たちで切符を買って大阪まで行き、最終目的地はユニバーサルスタジオ・ジャパンです。不慣れな地での行動なので心配しましたが、意外と生徒たちは迷わず行動できたようで、ほぼ時間内に集合することができていました。 実は私、教員歴9年目にして初の修学旅行だったのです。それなのに修学旅行担当という大役になってしまい、その準備にこの1年忙殺されてきました。自分なりに一生懸命仕事をしてきたのですが、旅行前の生徒の反応は今ひとつ。「沖縄の方がよかった」なんて声も聞かれ、係としてはいささかさびしい感じでした。けれど、旅行が始まってみれば生徒たちはとても楽しそうで、本当によかったと思います。報われた気がします。 ただ、私自身はいろいろなことに神経をすり減らし、帰ってきたときにはもうふらふらでした。あれもこれも自分でやらなくては気が済まない性格がわざわいしたのだと思います。 旅行も終わったことだし、少しゆっくり…としたいところですが、もう明日から次の仕事が待っています。体力が続くのでしょうか。がんばれ、自分。 その修学旅行で、私はついに体験をしてしまいました。飛行機に乗ったのです。 私は高所恐怖症で、観覧車と硝子張りのエレベーターがこの世でいちばん怖いという人間です。だから飛行機なんてもってのほか、絶対に乗りたくないと思っていました。よく、「乗ってしまえば平気だよ」とか、「高いと言っても、あれだけ高いところに行ってしまえば、もう地図の上にいるようなものだ」などという話を聞きますが、頭ではわかっていても体がついていかないということはよくあります。嫌なものは嫌なのです。 空港というところに初めて入りましたが、慣れ親しんでいる駅とは構造が違い、不安が増幅します。搭乗券を自動改札機に入れ、手荷物および金属検査をされます。ここで私は二度も金属探知器にひっかかり、係の女性に手持ちの探知機で体中をなで回されるという屈辱を味わわされました。ベルトのバックルとネクタイピンがいけなかったのですが、それでも執拗に検査されます。まるで犯罪者扱いです。実に気に入らない。だから飛行機は嫌なのだ。乗る前から気が滅入ってしまいます。 搭乗ゲートからリムジンバスに乗ってタラップに向かいます。もう顔が引きつり始めているのが自分でもわかります。私が飛行機嫌いと知っている生徒たちは、私の顔を見てはニコニコします。これから担任がどうなるのか、興味津々といった感じです。醜態だけはさらすまいと思いながら、いよいよ飛行機に乗りました。B777−200、定員360人くらいのジェット機です。新幹線よりも窓がずいぶん小さいので、これなら外は見えないだろうと思うと、前方にはテレビがあり、そこに離陸時などの映像が流れるそうです。余計なことをしてくれるな、と怒鳴りたい気持ちを抑えていると、いよいよ飛行機が動き出しました。ゆっくりと走り出します。どうせならこのまま広島まで走っていけばいいのに。右左と器用に曲がり、10分くらい走ったでしょうか、ついに滑走路に出たようで、急に加速し出すと飛行機は離陸しました。 私は観覧車と硝子張りエレベーターが怖いと書きましたが、もっと嫌いなものがありました。ジェットコースターです。大学2年の時に初めて乗らされて以来、もう二度と乗るまいと固く心に誓ったあの感触に、この離陸は似ています。ジェットコースターはすぐに登り切り、あとは勢いよく下っていくわけで、あれはあれでとても怖いのですが、飛行機はまだ上がり続けます。いつまで上がり続けるのかがわからないから、それだけで十分すぎるくらいの恐怖感です。シートベルトを着用していますが、自動車は後部座席でも3点式なのに、飛行機は2点式のちゃちなベルトなのですね。ジェットコースターみたいに頭上からU字型の押さえ具が降りてくるくらいでなくてはまずくないですか。 長い長い時間を経て(といっても15分くらいでしょうか)、ようやくベルト解除のサインが出ましたが、もちろん外すつもりはありません。手には汗がにじみ、つり革があれば掴んでいたい心境です。おまけにこの日は台風が過ぎたあとで気流に乱れがあり、二度も飛行機が大きく沈みました。生徒たちはきゃーきゃー騒いでいますが、まさか一緒になって叫ぶわけにも行かず、生きた心地がしませんでした。もとより仕事でなければ乗っていませんが、仕事でなければ呑まずには乗れません。機内でもはや味のわからなくなった弁当を食べ、サービスのコーヒーをすすり、あとは雑誌と新聞で気を紛らせているうちに、早くも着陸態勢に入ります。着陸は離陸時よりは怖くはなかったですが、それでも「落ちていく」わけですから気が気ではありません。タイヤが地面に着いたときには、本当にほっとしました。 飛行機は確かに時間が早いし、乗客数に対する客室乗務員の数やサービスのきめ細やかさは鉄道の及ぶところではないかも知れません。でも、座席間隔は異様に狭く、あれで長時間過ごせば、確かに血流は悪くなるでしょう。冷静に考えれば新幹線の方が揺れているかも知れませんが、あのガクンと落ちるような感覚と離陸の不快感は忘れたくても忘れられません。結論を言えば、もう二度と飛行機には乗りたくない、ということです。翌日の広島駅、懐かしい人に再会したような安堵感を覚えたのは、そういうことです。 |
| 2003年7月21日(月) | いつもながら久しぶりの更新なので、雑感をまとめて。 「旅」の8月号に「JR乗りつぶしマップ」が付録として付いてきたので、開いてみました。別の雑誌にも同様のものが付いていたことがあったけれど、これは地図がデフォルメされていないのがいい。一枚の地図になっていたら、もっとよかったのだけれど、それはともかく、早速乗車路線に赤を入れてみました。三陸と山陰と紀伊半島以外はほぼ外周を描けるはずです。塗り終えて、巻末にキロ程表が載っていたので、久しぶりに計算してみました。学生時代に計算したときには、JR全線の約45%くらいに乗っていましたが、あれから数年、どれくらいのびたでしょうか。 Excelを立ち上げて、表とにらめっこ。すると、処理に困る区間が続出するではないですか。「実質貨物船」「かつて臨時列車が走ったことあり」…。こういうのは一つを認めるとあとあと困りそうだったので、無視することにしました。かくしてパソコンに向かうこと数時間、できあがりました。 今回計算した総キロが19869.4km、そのうち乗車キロが14049.3km。70.7%に乗っていることがわかりました。以外とのびています。この夏には紀伊半島へ行くので、さらに増えますね。 ちなみに、JR各会社ごとのデータもまとめてみました。 JR北海道…2499.8kmのうち2497.2kmに乗車 完乗率99.9% JR東日本…7309.9kmのうち5541.3kmに乗車 完乗率75.8% JR東海……2066.6kmのうち1694.9kmに乗車 完乗率82.0% JR西日本…5028.3kmのうち1980.5kmに乗車 完乗率39.4% JR四国……855.2kmのうち741.2kmに乗車 完乗率86.7% JR九州……2109.6kmのうち1594.2kmに乗車 完乗率75.6% 北海道は、南千歳−新千歳空港間2.6kmを残すのみだから別格として、西日本が弱いですね。山陰本線に乗っていないことと、陰陽横断線に一つも乗っていないのがきいています。 だからといって、別に完乗しようとは思っていません。大湊線など最後の一区間だけ残したままだし、いくら宮脇ファンだとしても、同じ轍は踏みたくないです。 「旅」が「宮脇俊三の旅」という臨時増刊号を出しました。その大半はかつて出した特集の採録でしたが、隣人・北杜夫夫妻のコメントや、奥さん・娘さんの手記・コメントが見られたのはそれを補って余りあるものです。その中で、晩年の姿や闘病生活の様子を見てこられた奥さんや娘さんの文章は、読むのが辛い部分もありました。自分が数年前に通過したことがよみがえってきて、それと比較しているのです。切ない思いになりました。 他にも書きたいことがあったような気がしたけれど、もう日が変わります。呑んで寝ましょう。 |
| 2003年6月5日(木) | 3ヶ月も更新できないなんて、初めてのことです。 今年度は、なんだか忙しく、学校に12時間います。今週に入ってから、昼飯は食べていません。どうしてしまったのでしょう。一日中ゴロゴロできる日が欲しくて仕方ありません。 6月1日に、わたらせ渓谷鐵道で「宮脇先生追悼イベント」がありました。3月3日の「徒然」にも書いた、紀行作家の宮脇俊三氏が国鉄全線完乗を果たしたのが旧足尾線。それを引き継いだわたらせ渓谷鐵道が企画したわけです。あいにく部活の練習試合と重なったため、午後から足尾町に出向きましたが、その内容はこちらにありますので、もしよかったらどうぞ。 疲れたので、もう寝ます。酒の量が、今年は増えました。 |
| 2003年3月3日(月) | 「時刻表2万キロ」というタイトルに惹かれてその本を手にしたのは、大学に入学する直前でした。内容もさることながら、その文章の読みやすさと上品な味わいに、途中で栞を挟むのを躊躇するように読み耽りました。その後、何回読み返したかわかりません。 宮脇俊三という作家は、私にとって、その著作を欠かさず読みたくなる存在になりました。「最長片道切符の旅」、「旅の終わりは個室寝台車」、「シベリア鉄道9400キロ」…。絶版で手に入らないものと諦めていた「時刻表昭和史」も、大学の先生から思いがけなく頂くことができ、読むことができたのは幸運でした。 彼の著作が私の旅行スタイルに与えた影響ははかり知れません。写真をあまり撮らなくなりました。酒肴にこだわるようになりました。旅行記のまねごとを書くようになりました。 彼の全集が出ると聞き、予約をして買いました。全て読んだことのある作品ですが、自分が贔屓する作家の全集を、作家の存命中に手にする機会など、そうはありません。巡り合わせのありがたさというものでしょう。 高齢で足も弱くなり、最近はほとんど旅に出ることがないと聞いていましたし、何となく気にはしていたので、訃報に接し、「やはり」という思いはありました。インターネットの速報を読み、ぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。「巨星墜つ」というのは、まさにこのことです。本当に残念です。 |
| 2003年1月28日(火) | 毎月21日になると、鉄道関係の月刊誌がこぞって発売されます。 模型と実車の雑誌「とれいん」に、こんなのが載っていた、とSくんが見せてくれました。エンドウのHOゲージの宣伝です。 北海道に走っていた急行型気動車キハ56形を両運転台改造したキハ53−500は、私にとって思い入れの強い車両です。 豪雪の深名線に乗りたくて北海道へ行き、乗ったのがこの車両でした。その時は形式も知らなかったけれど、廃止になった深名線とともに、この気動車は私の中で特別な存在になりました。模型として手元に残したくなり、TOMIXの高いキハ58を6両も買い、深名線限定運用についていた502、505、507の3両を、資料を漁って極限まで再現したのは、もう8年も前の話です。 そんなキハ53が、「各車輌の微妙なディテールの違いにこだわり」、全10両とも、しかも登場時と晩年それぞれの姿で模型化されるとあっては、黙ってはいられません。 しかし、黙りたくなるのはその価格。キットで25,000円、完成品は60,000円。いつものNゲージと違って大きい模型(1/80)ですからやむを得ないですし、蒸気機関車の15万円などに比べれば安いのですが、「走る貴金属」とはうまいことを言ったものです。深名線に思い入れがあるとはいえ、Nゲージのように3両とも揃えるわけにはいきません。キットならば何とか…と思えなくもないですが、昨年買った東武の機関車・車掌車はまだ手つかずだし、それ以外にもNゲージの未着手キットが山となっている現状では、買っても完成のめどは立たず、不健全に箱が積まれていくのみなのは目に見えています。今回は完成品が欲しい。買うなら1両。でも、60,000円はためらうに十分な価格です。 3両の中から1両を選ぶなら、迷わず502です。この車両は残りの9両とは異なる特徴をもっており、手元に置くならこれがいちばんです。 しかし、特徴があるだけに製造元も苦労があるらしく、この502だけは完成品価格が62,000円と、若干高めになっているのが気に入りません。買うとなれば2,000円の差など微々たるものなのですが、買うかどうかはまだ決めかねています。最近の鉄道模型界は新製品ラッシュで、欲しいものがたくさんあるのです。 そんな私を困らせるつもりなのか、買わなくてはと思わせる一言が記されていました。 「種類が多いため、受注生産とさせていただきます」 つまり、今回を逃すと、手に入らないということです。さらに追い打ちをかけるように、 「お申し込みの締め切りは、2003年2月10日です」 決断を迫られています。ええい、清水から飛び降りるか。 |
| 2003年1月19日(日) | 昨日買った切符ですが、嫌な予感がしていたのです。 手元にある乗車券は、「久喜→伊勢崎」これは正しいのですが、経由が「東北・中央東・篠井線・大糸・北陸・犀潟・ほくほく・六日町」と、六日町で切れています。値段は9,460円。片道切符にしては高いですが、それだけの距離に乗るのです。 ただ、インターネット版時刻表検索「スパなび」(これ、某旅行会社の運営するサイトです)や同ソフト「乗換案内」などで調べると、運賃は9,670円になるということです。どうせなら安い方がいいのでそのままにしてもかまわないのですが、最近はどこの駅でも自動改札であり、うっかり違う切符を入れて警報を鳴らされるよりは、210円余計に払った方がいいに決まっています。 どうしてこのような違いが出てしまったかというと、昨日の店員が出してくれた切符は在来線の上越線経由であり、私が求める切符は上越新幹線経由であるためです。ちょっとややこしい話ですが、ついてきてくださいね。 今回私は、越後湯沢から両毛線の伊勢崎へ抜けるわけですが、在来線の上越線と両毛線は、高崎ではなく、2駅手前の新前橋で接続しています。従って、在来線利用の場合は、経路は「越後湯沢→新前橋→伊勢崎」となり、新前橋−高崎間の運賃はいりません。 しかし、新幹線は新前橋に止まりません。ほかにも、夜行寝台特急の「北陸」や「あけぼの」なども、新前橋には止まりません。この場合、越後湯沢から伊勢崎へ抜けようとしても、新前橋で乗り換えができず、高崎まで行かなくてはいけません。高崎−新前橋間に2回乗車することになります。 ではこの場合、運賃も高崎−新前橋間の分を余計に払わなくてはならないかというと、さすがにJRもそこまで因業な真似はしません。分岐駅に列車が止まらず、先の駅で折り返し乗車しなければならないときでも、その区間の運賃は取らないというルールになっています。全国のJR各線には、そういう箇所が50以上あり、時刻表のピンクのページに載っています。 新幹線は、在来線の増設という建前なので、東海道新幹線は東海道本線、上越新幹線は高崎線や上越線と同じ線ということになります。実際には新幹線の方が距離が短いのですが、運賃は在来線と同じということです。まともに考えればおかしな話で、裁判になったこともあるようですが、そういうことになっています。 では、今回の場合も在来線利用の運賃と同じになるはずなのですが、実際は新幹線利用の方が高くなっています。それには、こんなからくりがありました。 新幹線は並行して走っている在来線と同じ線として扱い、営業キロも同じであるけれど、例外があり、区間によっては新幹線と在来線とを別の線として扱うというのです。上越新幹線の場合、高崎−越後湯沢、長岡−新潟が該当するそうです。つまり、越後湯沢から新幹線を使って伊勢崎へ抜ける場合、上越線とは違う線の上越新幹線で高崎へ出、上越線で新前橋に戻り、両毛線で伊勢崎へ行く(実際には両毛線の列車は高崎から出ています)というルートで運賃計算をすることになります。在来線よりかなり短い距離なのに「同じ線です」といって長い距離の運賃を取っておきながら、都合のいいところでは「別の線ですから」といって運賃の二重取りをするとは、JR(あるいは旧国鉄と言ってもいい)はなんてがめついのでしょう。 でも、ルールは守らないといけないし、せっかくの旅行中に自動改札機にはじかれるのは本意ではないので、もう一度旅行会社に行きました。 カウンターで来意を告げ、切符と昨日のメモを提示し、さらに時刻表で説明までしたのに、店員はよくわからないような顔をして奥へ引っ込んでしまいました。またマニュアルなどを引っ張り出し、挙げ句にはJR高崎支社へも電話しているようでした。 しばらくして戻ってきた彼女は、「JR高崎支社にも問い合わせましたが、在来線でも新幹線でも運賃は同じだそうです」と言います。そんなことはない、と時刻表の営業案内を見せ、このとおり書いてありますが、と詰め寄ったところ、逆に質問されてしまいました。時刻表の文言が、実に曖昧というか、意味の取りにくい表現なのです。上記の、区間によっては新幹線を在来線と別線扱いするという件です。 「ただし、下の表の区間内の各駅(両端の駅を除く)を発駅・着駅または接続駅とする場合には、新幹線と在来線とを別の線として運賃を計算します」 で、「越後湯沢−高崎」という区間が表内に記されています。両端の駅を除いてしまうと、この区間には上毛高原しか駅はありません。高崎で乗り換える場合はいいのか? という疑問も生じます。「運賃が違う!」と意気込んで来た私も、訳が分からなくなってしまいました。 幸い、出発まではまだ間があるので、彼女に調べてもらうことにしました。今回のように多くの線を経由すると、最短距離ではじき出すという運賃計算の原則を大きく逸脱するため、正しい運賃を計算するのも大変です。しかも、切符に印刷できる経由数も限られているため、どの線を打ち込むかは発券者の腕と知識にかかってきます。 とりあえず、時間もないので、切符を預けて旅行会社を後にしました。 程なく、旅行会社から電話がありました。行ってみると、ちゃんと9,670円の乗車券ができあがっていました。経由線を漏れなく打ち込んだ切符は、通常より大きいサイズ(寝台券などの大きさ)になっていました。差額を払い、面倒をかけた旨を詫び、(本当は私が詫びる必要はないのだけれど)、向こうもご足労をかけたと詫び、なんだか変な感じでした。 それにしても、「在来線でも新幹線でも運賃は同じ」などと平気で回答するJR高崎支社は、どうなっているのでしょうか。自分のところの運賃計算のルールもわからないで、問い合わせに応じられるのでしょうか。別に私が鉄道に詳しいとか、そういう問題ではないですよ。だって、時刻表に書いてあるのだから。こんな指摘、素人にされるようでは困りますね。 |
| 2003年1月18日(土) | 旅行へ行こうと思い立ち、某旅行会社へ行きました。近くにJRの駅がないため、切符を買うには旅行会社へ行くことになります。宿はインターネットで予約した方が割引などもあって安く上がるため、買うのは切符だけ。旅行会社がJRからいくら委託料を取っているのか知りませんが、きっと割に合わない客でしょう。 私は「まともな」切符を買うことがあまりないので、必要事項をメモして行くことにしています。窓口でそれを提示して、そのとおりの切符を買ってもらうためです。今回は、こんな感じです。 1 普通乗車券 ○久喜−伊勢崎 (経由:東北・埼京・中央・篠ノ井・大糸・北陸・北越急行・上越新幹線・両毛) 2 特急券等(特記以外は「普通車指定席・禁煙」で) @2月9日「あずさ57号」 新宿(11:00発)−松本 A2月10日「スーパーあずさ3号」 松本(11:44発)−南小谷 B2月10日「はくたか11号」 糸魚川(14:37発)−越後湯沢 新幹線乗継 C2月10日 上越新幹線 越後湯沢−高崎 自由席特急券 我ながら、尋常でない切符の買い方をするものです。 目的地は松本。もう随分行っていません。さらに久しぶりの大糸線にもこの際乗りたいので、「一筆書き」切符にしてみました。片道切符は、距離が長いほどキロあたりの運賃が下がるのです。 このメモを窓口で提示すると、窓口の女性店員は、専用の用紙に転記し始めました。 「乗車券は『久喜から伊勢崎』ですね」と事もなさげに言うので心配になり、 「あの、経由がちょっと入り組んでいるんですが」と注釈。それでハッと気がついたのか、メモをまじまじと見つめ、ぐるっと回ることに気づいた様子。あぶなく最短ルートの切符を掴まされるところでした。 特急券の方も気が抜けません。この旅行会社には、何度も切符を間違われているのです。今回の危険ポイントは「新幹線乗り継ぎ割引」。在来線の特急と新幹線を同じ日のうちに乗り継ぐ場合、在来線の特急料金が半額になるというお得なサービスですが、両方の特急券を同時に買わないと割引になりません。どうも店員の端末操作に一抹の不安を感じるので、乗り継ぎ割引のことは強調してありますが、やはり言わないとわからないようでした。 おまけに、「禁煙席にしますか?」ときた。ちゃんとメモに書いてありますよ。 それでも特急券は取り終えたようです。閑散期なので、指定券は確保できました。 問題の乗車券ですが、こちらは手間取っているようです。何やらマニュアルらしきものを引っ張り出してきて見ています。しまいには、私のメモを「ちょっとお借りしていいですか」と持っていき、待たされることしばし。ようやく乗車券が出てきました。 「このメモのとおりに打ち込んだら、すぐに出てきました。すごいですね」 ……。あのですねえ、と口には出しませんでしたが、もう少し勉強してくださいね。あなたのところが出している時刻表のピンクのページと路線図を見ればすべてわかりますよ。ああ、どこの旅行会社かバレちゃいましたね。 |
| 2003年1月4日(土) | 昨日の夕方に降り始めた雪は夜中には雨に変わったものの、解けきらぬうちにはやみ、きれいな星空になっていました。 翌朝、解け残った雪は凍り、道路もアイスバーン状になっていました。でも、凍ったのはそれだけではありません。電車に電気を供給する架線も凍ってしまったのです。 雪が降ると列車が遅れたり運休したりするのは、雪自体に問題があることはあまりなく、雪がポイント駆動部や架線を凍らせてしまうからです。ポイントが凍ってしまえば、切り替わるまで動けなくなる列車がでます。架線が凍る、正確には架線に付着した水分が凍るわけですが、そうなると、氷が絶縁となり電車に電気が届きません。普段から雪に慣れている地方では対策も万全なのですが、北関東あたりだとそういうわけにもいかないのか、こういうことになります。そんなわけで、今日は東武線や関東のJR線の多くが朝から大幅にダイヤを乱していました。 今日は、籠原駅主催の鎌倉初詣ツアーにみんなで行くことになっていました。お座敷列車を仕立てての楽しい宴会旅行です。幹事のSくんは、太田鉄道模型クラブでもこれくらいやってくれれば安心して私も代表を譲れるのに、というくらいかいがいしくテキパキとその任に当たっていました。 しかし、この状況ではどうにもなりません。携帯電話で連絡を取り合いましたが、列車は動きません。太田集合組は、何とか太田−伊勢崎間のみ運転を再開した東武線で伊勢崎まで出たものの、JR両毛線が伊勢崎−小山間で運転を見合わせたままなので、3駅先の桐生に集結している連中と落ち合うこともできず、かといって高崎に行く電車も桐生で足止めされていては動きようがありません。 ダイヤが大幅に乱れているのは、お座敷列車が走る高崎線も同じことで、結局お座敷列車は運休となってしまいました。Sくんの苦労も水の泡です。そして、残ったのは車内で飲み食いするはずだった酒・ジュース・つまみです。特に、このためにわざわざKくんのご母堂に作っていただいた手料理もあり、このまま帰るわけにはいきません。ようやく合流した桐生集結組と協議の結果、信越線の横川へ行くことにしました。 伊勢崎始発の両毛線高崎行きは、運良くそのまま信越線横川行きに化けたため、車内はそのまま宴会ムードに。行き先は変わったけれどもやることは同じ。楽しくやらなければもったいない。 横川駅を出てすぐのところに、「鉄道文化むら」というのがあります。ここに、数年前まで使われていたお座敷列車が休憩所として残されているので、ここで宴会を始めようというわけです。動かないけれど、お座敷列車です。もとより鉄道好きが集まった団体なので、いやが上にも盛り上がります。他の来客にはひんしゅくを買ったかもしれませんが、さすがに来客数は多くなかったのが幸いでした。 宴もたけなわ、文化むらを後にし、横川駅に戻りましたが、ダイヤは乱れたままで、次の列車がいつ来るか分からないとのこと。それどころか、出たはずの列車もまだ来ていないようです。それではその隙に呑んだ後のラーメンを、と近くの小さな食堂でラーメンを待つうちに「あと20分で列車が来る」との連絡が。遅れているので到着後ただちに折り返すというので、急いでラーメンをすすり、何とか列車に飛び乗りました。 この列車が横川を発車したのは15時45分頃だったのですが、正規のダイヤには15時52分発というのがあります。JRにしてみれば、50分近く遅れた列車なのでしょうが、乗客の立場からすると7分早く出てしまった列車ということになります。実際、この列車に乗り遅れ、高崎で合流した仲間の話では、軽井沢からバスで横川へ来て、タッチの差で乗り損なってしまった人がいたというのです。あと7分待ってダイヤに乗せてしまえば、乗客は時間どおりに列車が走っていると思うはずです。やりきれない思いをしたことでしょう。 高崎に戻ると、ダイヤは回復どころかますますひどく、修復困難になっているようでした。 職員同士の連携も取れていないのか、情報が錯綜しています。「6番線に到着予定の列車が5番線に変更になりました」というアナウンスがあったにもかかわらず、列車が6番線に入ってくるのだから、相当混乱しているのでしょう。こういう事情に詳しい仲間に言わせると、「JRは車両の運用に縛られていてダイヤを戻そうとしていない」のだそうです。そういうことはよくわかりませんが、乗客の立場にはなっていないというのは私にもわかります。 たとえば、「この列車は、15時40分発の両毛線小山行きです。雪の影響で列車が遅れまして、申し訳ありません」というアナウンスがあったのが、17時10分頃です。列車が1時間半遅れているわけです。けれど、その1時間半の間両毛線に1本も列車が走っていなかったかというと、そんなことはなく、乗客も1時間半イライラ待っているわけではありません。JR職員の立場では、車両運用のことを考えるためにもどの列車が遅れているのかが重要なのかもしれませんが、乗客にしてみれば、頼りなのは時刻表であり、今さら1時間半遅れですといわれても困るのです。それならば、「何時何分発の列車の遅れ」という情報を一度リセットして、運転時刻をダイヤに近づけ、少なくとも時刻表を頼りに駅に来た乗客に「列車が時間より早く出てしまった」などと思わせることのないようにする責任がJRにはあるのではないかと思います。車両のやりくりなど、あとでどうにでもなるでしょう。 伊勢崎に戻ってみると、東武線の列車ダイヤは平常に戻っているようでした。規模が違うとはいえ、あまりの違いに驚いてしまいました。今日のJRの応対を見ていると、お粗末としか言いようがありません。 |
| 2003年1月1日(水) | あけましておめでとうございます。 平成14年は、いまひとつ気合いが入らなかった年でした。それはホームページの更新状況を見れば一目瞭然ですが、何をするにも「ま、いいや」となっていたような気がします。 思いついたことを書き記すはずの「徒然なるページ」が、ネタやオチを求めているうちに「この程度のことなら、書かなくてもいいか」と渋りがちになったことは否めません。 模型の製作ペースが落ちたことは、それがメインであるこのサイトにとっては致命的でした。 一度更新ペースが落ちると、あとはもうどうでもよくなっていくのですね。別にホームページ作りで飯を食ってるわけじゃない…と開き直ったわけではありませんが、3年目になり、Routine Workめいてきたのでしょう。 模型作りにも、そんなネガティブな姿勢が現れていたように思います。フルディテールにこだわり、各車の細部の違いを作り分けるようなパワーは、もう出ません。それどころか、完成品のユーザー取り付けパーツすらつけずにいる始末。買った物を買ったまま走らせていることが多くなりました。最近手に入れたGMの東武7820系キットは、久しぶりに組んだプラキットですが、一体ボディーで組み立ては簡単、セイジクリーム一色でマスキングいらず、こんなキットばかりならいいのに、と半ば本気で考えたりしています。 せっかく年が明けたばかりなのに、なんだか後ろ向きな文章になってしまいました。年頭にあたり、何か目標を立てるべきなのでしょうが、過去2年このページで書いた目標の達成度合いを考えると、今年は何も目標を立てず、マイペースで行くべきかと思います。 とりあえず、今作っているのは先述の7820系とペアーハンズのモニなので、平成15年は東武イヤーにでもしようかと思っています。大きいキットも買ったことですしね。期待せずに見守っていたくださいまし。 どうか今年もよろしくお願い申し上げます。 |
| 2002年8月8日(木) | 先日、東京へ行って来ました。目的は、国立代々木第一体育館で行われた小田和正のライブです。今回はファンクラブに入っている知人の計らいで、新潟公演に続き2度目の観覧となりました。 今回のライブには、コンセプトが2つあります。「花道」と「オンステージシート」です。「ステージからだけの演奏では、遠くの席に座っている人たちに申し訳ない」とのことから、客席に張り出す花道を設け、そこを動き回ったり、中央の特設ステージで演奏したりするのです。客席をつぶしたり、設置に手間取ったりするでしょうからスタッフは大変かもしれませんが、ファンにとっては嬉しい限りです。 「オンステージシート」とは、まさにステージの上の席で、事前あるいは直前に抽選された客がバンドメンバーの後ろの特設席に陣取れるという、ファン垂涎の企画です。実は新潟公演ではこのオンステージシートに当選してしまい、キーボードの栗尾直樹さんの真後ろでライブを眺められる幸運に巡り会ったばかりでなく、バックコーラスで参加していた加藤いづみさんと握手までできるという特典付きで、一生の思い出になるような経験をさせてもらいました。 さて、東京公演です。一緒に言った件の知人とも話したことですが、東京公演の場合、地方公演にはない「何か」を期待してしまうものです。例えば誰かゲストミュージシャンが来るとか、曲目の変更があるとか。そう言った意味では、今回の公園では期待を裏切られました。もちろん、小田さんのステージは文句なくすばらしいものでした。ただ、いろいろ動き回ったり混雑したりして多少疲れていたことと、近くをうろつく警備係のオヤジが目障りだったことなどもあって、もし次またこういう機会があっても、大都市公演は敬遠しようと思いました。 それにしても、圧巻でしたよ。体育館一杯に広がる花道を、55に間もなくなるという「オヤジ」が走り回るのです。もちろん歌は圧倒的な声量で、あの高音が乱れることなく届いてきます。口パクであるはずもなく、ジャニーズの若者も顔負けと某紙が書くのも当然です。 最近の小田さんのコンサートでは、MCが楽しみの一つになりました。いやあ、よくしゃべる。オフコース時代の、黙々と歌うだけの姿からは想像もつかない「豹変」ぶりです。私は今回で3度目のツアーですが、MCの両はどんどん増えているようです。老眼鏡をかけたり、やたらと「オヤジ」であることを強調したりしていますが、いやいやどうして、とても55には見えませんよ。そのうち本当に「朝までやるぞ!」なんてことになるかもしれません。 |
| 2002年7月24日(水) | この日が来ることを、実は最近までイメージできませんでした。いや、迎えてしまった今となっても、まだ人ごとのような感じで、特に感想があるわけでもなく、何となく「なってしまった」ようです。直前になって、「ついに」とか「とうとう」とか人前で騒いでいましたが、なってしまえば単なる通過点ということなのでしょうか。 今日は私の30回目の誕生日。ついに三十路に突入してしまったのです。 それにしても、30とはねえ…、というのが率直なところです。冒頭にも書いたとおり、自分が30歳になるということが信じられない思いです。永遠に若ぶっているつもりは毛頭ないし、普段接している生徒たちが自分の歳のほぼ半分という現実を受け止めているつもりですが、それにしてもねえ。 先日、休暇を取ってライブを見てきた小田和正も、同じようなことを言っています。 かつて、気の遠くなるほど若かった時、そう25、6の頃、「30歳にもなって歌なんて 歌っていられるんだろうか」と考えていた。20代からみれば、30代はすでにけっこう オヤジだったのだ。 (中略) 30過ぎて「君を抱いていいのォ〜」と歌っていたら、 「いい歳をして」と週刊誌に書かれた。 (ツアーパンフレットより) そんなわけで、もう私も「いい歳をして」という年代に突入してしまったわけです。別に世の「若者」のように傍若無人なバカ騒ぎをしてきたわけでもないし、おかげさまで三十路を迎える前にすでにそれくらいの風貌と態度(それを「落ち着き」と言っていただければほめ言葉、「オヤジ臭い」と言われればそれまでですが)をしてきたので、周りから見れば何の違和感もなく、あるいは「え、まだ昨日まで20代だったの?」という感じかもしれません。 まあ、30になったからといって突然周囲の目が冷たくなるわけでもないし、何かが変わることもないでしょう。かといって自分で肩肘張って何かを変えていくというのも自分らしくないので、30を迎えるに当たっての目標とか、意気込みとか、所信表明というのはありません。周りから「いい歳して」と言われない程度に頑張っていきます。 |
| 2002年5月27日(月) | 1ヶ月以上のご無沙汰でした。さぼっていた訳ではないのですが、気力もネタも尽きていまして…。 月曜日というのは、どうしてこんなに疲れるのでしょう。昨夜に中間テストの採点を遅くまでしていたので寝不足気味ということもあり、いつになく体が重く感じます。その上、天気は不安定で雨が降ったと思えば晴れ間が覗き、しばらくすれば雷が鳴り出す始末。おまけに先日来の風邪がまだ治っていないので、最悪です。 雷雨の中会議が終わり、ほっと一息ついた職員室、窓辺で声があがったのはそんなときでした。 雨雲の切れ間から西日が顔を出し、東の空に二本の虹が姿を現したのです。疲れた体に一服の清涼剤。しばらく眺めていましたが、ちょうど私は帰宅するところでしたので、このまま帰ってデジカメで一枚撮れば「徒然」のネタになるなと思いました。 車に飛び乗り、虹に向かって東へ走り、信号待ちで車を止めると、向こうには虹が180°に広がっているのが見えます。こんなことはなかなかないので、これは早く家に戻って…と、思っていたのに、ああ、それなのに。 今日の昼食は、何となく食欲がなかったので、コンビニの「ごまだれ冷やし中華」で済ませてしまいました。ちょっと物足りなかったのですが、特に食指が動くでもなく、それ以外は何も食べませんでした。 腹が減っていたのです。ついついコンビニに寄ってしまいました。 秋の日でなくても夕方の太陽はつるべ落とし。おまけに西の空には厚い雲もあったりして、虹がどんどん消えていきます。家に帰り着いたときには、180°あった虹は3分の1に縮んでしまい、色もどんどん薄くなっていくように見えます。 あわててデジカメを取り出し、とりあえず撮ってみたのが下の写真です。 ![]() 人間、食い気には勝てないのでしょうか。なんだか余計に疲れたように思いました。 |
| 2002年4月24日(水) | 「先生」と呼び止められたのは、身体計測を行っている体育館の中でした。 「ホームページの日記、更新しないんですか?」 うちの生徒、何人かこのホームページの存在を知っているようです。ここでは固有名詞を極力出さないようにしていますが、私のことを知っている人にすればそんなことは意味がないのであって…、これは、ちとまずいかな。 ずいぶん長いこと更新しませんでした。この4月から新1年生の担任になり、めまいがするような忙しさに、家に帰っても疲れてしまい、メールや掲示板のチェックをするのがいいところで(といいつつモジュールもやっていますが)、とてもとても「徒然」どころではありませんでした。 先週の土曜日、友人たちと思い立って郡山へ行って来ました。郡山駅前に新しいビルがそびえ立ち、その22階にNゲージの大型レイアウトが設置してあるのでそれを見に行くというのが目的です。 私のプジョーで行ってもよかったのですが、今回は高速に慣れているT氏のギャランで行きました。 「せっかく遠出するので、磐越西線を走るSL列車を撮りたい」というのはSくんの弁。それなら喜多方へ足を延ばして昼はラーメンで決まり、と話はまとまりました。 前日にしこたま飲んだ私の行状のせいで、出発したのは朝の9時。佐野インターから東北道を「スノーラビット」も真っ青の快速で吹っ飛ばし、喜多方にはちょうど食事時に到着しました。 早速ラーメン、でもその前に寄ったのは地酒の酒蔵でした。四合瓶がずらりと並ぶ所へ足を運ぶと、試飲もやっているではないですか。「飲みますか?」「もちろん」「あっ、それも。あれは飲めます?」何しに来たのでしょう。結局手には純米原酒の四合瓶。ついでに旨いラーメン屋も訊いて、店を出ました。 教えてもらったのは2軒。行列のできる有名店B食堂の隣のM。「すぐ座れると思います」とは酒屋の弁。市役所に車を止めて、長い行列を後目に店内へ。なるほど、座れました。550円のラーメンはあっさりしていてスープまで飲み干してしまいました。さ、それでは次は会津若松へ…と思いつつ、酒屋で紹介されたもう一軒の店が気になって仕方ありません。おばさあんが切り盛りしているというラーメン屋に、結局寄ってしまいました。ガラガラの店内で2杯目のラーメンをすすりましたが、こちらのスープはクセがありそうで、飲んでいるうちにクセになる不思議な味で、何で出汁を取っているのか知りたくなりました。先にこの店に入っていればよかったと思いました。 若松でSL列車を見送り、郡山でレイアウトのデモ運転を見、夕食は宇都宮で餃子! ラーメンと餃子が時間差で胃袋内融合を果たしたのでした。 |
| 2002年3月15日(金) | 今日の昼休み、学年会議を行うというので会場に行ってみると、昨年秋に行った一日旅行の明細書のコピーを手渡されました。私が所属する学年は、「商業施設見学」という名目のもと、某遊興施設と、某マーケットに行ってきました。今日学年会が行われたのは、私たち教員の遊興施設入場料を自己負担しなくてはならないということでした。 学校行事の一日旅行ですから、私たちは出張として出かけているわけです。旅費はもちろん、入場料についても学校が支払うのは当然のことです。にもかかわらず、校長は頑として支払いを認めなかったそうです。その理由は次の如くであったと聞きました。 「遊びに行ったのだから、学校が入場料を払う必要はない。教員は入場せず、バスの中で待機していたってよい」 これはおかしな理論です。引率だけすれば、教員の仕事は終わりなのでしょうか。もし場内で生徒に何か事故でもあったら、どうするのでしょうか。 「それはその施設の責任だ」 校長はそう言ったそうです。あきれた話です。それならば、引率中に何か事故があってもそれはバス会社の責任、我々教員が引率する必要がありません。今回の一日旅行では、その日前後にリフレッシュ休暇を取る予定だった先生がお一人いらしたのですが、一度はその休暇が認めておきながら、校長はそれを突然覆してこの旅行の引率をするように命じたそうです。校長の理論を持ってすれば教員の引率は必要ないはずなのに、です。理不尽極まりない話です。 こういうことがあると、例えば修学旅行で九州のハウステンボスに行ったとしても教員分の入場料は出さない、教員は入場する必要がないということになりはしませんか。京都の社寺を訪れても教員分の拝観料は出さない、教員は門の外で待っていろ、何かあってもそれは宮司や住職の責任だ、そういうことになりはしませんか。 学校という閉鎖社会に限らないこととは思いますが、特にこの社会では慣例とか先例とかいうのが好きで、新しいことをしたがる割には、一度例を作ってしまうとそれを引っ込めたり壊したりすることができません。こんな理不尽なことをしているなら、今に修学旅行などなくなりますよ。少なくともこんな学校で旅行の引率などできるわけがない。引率しなくていい、入らなくていいというなら、行かなくたっていいではないですか。 今回の件は、たかだか3,000円強のことかもしれません。しかし、どう考えてみても、これは金額の問題ではないですよ。そもそも、自分の意志ではなく、仕事で行っていることについて自腹を切らなければならないというのは、絶対に変です。 PTAの飲み会についても同様です。仕事だと思うからしかたなくつき合って飲んでいるのであって、出なくていいなら、いくら酒が好きでも出たくはありません。どうせ飲むなら気心の知れた仲間と飲んだ方が楽しいし、酒もうまいことは間違いありません。 今日という今日は、本当にあきれてしまいました。 |